日記
佳子と春人はお互い懐中電灯を手にして蔵へと向かった。
佳子が鍵を使ってその扉を解錠して、大きく開く。
佳子が暗い蔵の中を見渡す。使わなくなった日用品や、木の箱や段ボールなどが埃を被って積まれており、壁際には棚が埋め尽くされるように並んでいる。色々と物が乱雑に置かれていた。
建物自体古く、手入れが行き届いていないため、床を歩くたびに板が軋み、場所によっては歪んで変形するところもあった。
「あの、歩く時は気を付けてください。もしかしたら床が抜けるかもしれないので」
佳子は入口のところで、後ろにいた春人に注意をした。冗談ではなく、本気で心配するほど、建物の痛みは激しい。
全体を修繕できるほど、家計に余裕はないため、人が住まない蔵は必然的に放置されていた。
「はい。ところで地下への入り口はどこにあるんでしょうか?」
春人が辺りを見渡しながら、質問してきた。
「わかりません。私も今まで気付かなかったくらいですから」
「もしかしたら、何か上に物を置いて隠しているのかもしれませんね」
「そうかもしれません」
「では、手分けして探しましょう」
佳子と春人は左右に別れて捜索することとなった。
佳子は奥から調べて行こうと思い、床板の痛み具合に気をつけながら慎重に足を運んでいたところ、視界の隅に映っていた春人の姿が、下にいきなり沈むように消えて見えなくなった。
「春人さん!?」
佳子は彼の安否を気遣い、来た道を戻って彼がいたところまで向かう。すると、床板が朽ちて大きな穴が空いていて、彼の姿が消えていた。
(まさか、下へ落ちた!?)
佳子は穴に近づいて下を覗きこみたかったが、あまりにも近づくと更に穴が広がって、佳子自身が落ちてしまう恐れがあった。
「春人さん、大丈夫ですか!?」
佳子が下の穴に向かって大声を出すと、すぐに「はい、大丈夫です」と春人の返事が返って来た。
その声に佳子は安堵する。
佳子はしばらく黙ったまま待っていると、部屋の隅の床板を下の方からノックする音が聞こえて来た。
音がする方へと佳子が移動すると、「ここに入口があります」と春人の声が下からした。
佳子はその部分の床上に置かれていた物を移動させると、その下に隠されていたものが現れる。取っ手が付いた扉である。春人がいる地下へと続く入口。
佳子は力を込めて扉を持ち上げると、埃が辺りに舞ってしまったものの、無事に開くことができた。
そして、下から春人の顔が出て来た。
斜めに掛けられた梯子があって、そこから上って来たのだ。
「それっぽい段ボール箱があったので、これから持ってきます。危ないので佳子さんはここで待っていてください」
そう春人は言い残すと、また地下へと消えた。
佳子は言われた通りにその場で待っていて、すぐに春人がミカンの段ボール箱を1つ持って戻って来た。
「中に何かノートらしき物が入っていたんです」
春人がそう言いながら、埃が被った箱を開いて、一番上にあったノートを佳子に渡した。
湿気を吸ってヨレヨレになっていたノートの表紙を見れば、「○○年9月~」と書かれていた。
佳子が最初の頁を開く。すると、そこには懐かしい父の字で日記と思われる内容が記述されていた。
「確かに父の日記です」
佳子が答えると、春人は顔つきを引き締めて、緊張していた。
佳子たちは屋敷へと戻り、何冊もあった父の日記のうち、一番古いものを手に取って読み始めた。
冒頭には佳子の父が日記を書き始めた動機が書かれていた。
”人には言えない辛いことを日記に記して、少しでも楽になりたいと思う。”
この日記は、父の心の暗闇を吐き出したものに違いないと佳子は感じた。
祖父の死後、分家の人間に新しい仕事を覚えさせらることになったと書いてある。罪悪感に苛まれながらも、言うことをきかざる得ない状況が、手に取る様に伝わって来る。ただ、仕事の中身はほとんど分かるような内容ではなかった。
辛い中、洋子という女性に会い、精神的に助けられたとあった。
父の過去話で、聞き覚えのある名前だった。もしかしたら、この女性が真吾の母なのかもしれないと、佳子は気付く。
洋子への愛情が書かれていたが、突然いなくなったようで、それ後の父の絶望が読んでいて辛かった。
何事もどうでもよくなり、周りが勝手に状況を進めていく結婚話も、父は全く興味を示さなかったようだ。だが、佳子の母である政子の存在が、当初から苦手に感じていたようで、佳子には言わなかった内容の愚痴が色々と書かれていた。
とりあえず、じっくりと読むのは後にして、暗殺部分を記述した個所を探して読むようにした。
父の鬱積が溜まるにつれて、日記の仕事に関する内容は、どんどん詳しく書く様になっていった。
誰をどんな風に殺害するのか。依頼内容がほとんど分かるような内容だった。人を他愛なく殺す自分の感覚が麻痺していくのが怖いとあった。日常の描写は少なくなり、仕事の話が日記の中で多くなった。
ちょうど、佳子が生まれた頃だろうか。日記に変化が見られた。
”小さい女の子が生まれて、安心して身を任せて眠る姿に、言いようのない慈しみが湧いてきた”
子供が何をした、何を話した、日々の小さな出来事の積み重ねが、父に喜びを与えているようだった。
しかし一方で、罪に苛まれて、苦しむ父の姿が文面に現れていた。
”自分が背負った罪が、我が子をいつか苦しめるのではないか”
”何も知らないで自分を慕う我が子に対して、後ろめたい気持ちを感じる。しかし、知られるのは、もっと恐ろしい”
父には苦しみを分かってくれるような人間が側にいなかったのだ。
その当時、佳子は知らなかったとはいえ、全く力になれなかった自分が悲しかった。
あの時の不甲斐ない自分は、母に言われるがままに最終的に何でも従っていた。そんな自分を父がどうして頼ることができようか。むしろ、父は佳子を庇ってくれていた。
母に、家に、一族に、不満に感じていたのなら、佳子はもっと早く立ち上がるべきだったのだ。
そうすれば、一人で父を苦しませることもなかった。今とは違った現在があったのかもしれない――。
そう思うと、佳子の心は自分への不概さでいっぱいになる。
”きっと、僕は父と同じようにろくな死に方をしないだろう”
父のこの一言が、何よりも佳子に刺さるものがあった。
「この日記が、分家が暗殺業に携わっていたと云う証拠になるでしょう。これを公にして復讐すると言いましたが、それだけではなく、血に縛られた悪しき因習を終えることも私の望みです。結果的に一族を破滅に追い込むことになりますが、これによって解放を得る人もいるでしょう。形ばかりとはいえ、それが当主だった私の務めと信じています」
日記に目を通した佳子は、居間で春人が淹れてくれたお茶を飲みながら、話していた。
「一上家は里に資金も労力も貢献しているので、このことは大変な騒ぎになると思います。どのように収まるのか私にも分かりませんが、悪い事を正そうとする佳子さんの意見には私も賛成です」
「春人さん、ありがとうございます」
佳子は自分に賛同してくれた春人の想いに、深い感動を覚えた。
「それで、また一つ春人さんに頼みがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「何でしょうか?」
「はい、この日記なんですが……」
佳子は言いながら、畳の上に置かれた段ボール箱に視線を送った。そこには日記が全て収められている。
つられるように春人も日記に顔を向けていた。
「日記の一部を春人さんに預かって欲しいのです。一応、隠しておくつもりですが、また私の留守中に母がやってきて、見つかって廃棄されたら困りますし、万が一私に何かあった時には、春人さんに公表をお願いしたいのです」
春人は強張った顔をして、佳子を見た。彼の喉元が揺れて、彼に緊張が走っているのが分かった。
「分かりました。確かに預かります」
「どうか、よろしくお願いします」
佳子は改めて春人に頭を下げた。
その後、春人は明日も学校があるからと、日記を数冊手にして帰宅した。
帰り際にも、春人は佳子を優しく抱きしめて、口づけを落としてくれた。彼に愛されていると佳子は実感することが出来て、心躍り気持ちが満たされる。
これから嵐のような騒ぎ起こす身なのに、佳子は春人と想いを通わせてしまった。
それが間違っているのか、正しかったのか、自分でも良く分からない。それでも、佳子は自分の気持ちを言わずにはいられななかった。