信頼と決意
「その遺品が遺書だったとはな」
慶三郎はたまたま早朝に尿意を催して一階に下りて来たところ、既に起床していた春人から報告を受けて仰天した。
寝ぼけてぼんやりしていた頭は、一瞬でしゃっきりさせられた。
台所のテーブルに座った春人と慶三郎の前にあるのは、一上家の先代の遺品である絵と、春人の指に嵌まっている指輪だった。
佳子は亡き父の絵と指輪の役割を知らなかったのだろう。そうでなければ、このような外部に漏れては都合が悪い情報を、他人に与えたりするはずない。そう考えながら、慶三郎は偶然手に入れた重要な証拠を前にしばらく無言だった。しかし、慶三郎は苦渋の決断を伝えるために口を開く。
「春人、お前には申し訳ないが、はっきりと一上家が黒と分かった以上、彼女のことは諦めて欲しい」
慶三郎が言うや否や、春人は強い眼差しを向けて来た。
「彼女は何も罪を犯していません! 何も知らなかったからこそ、先代は遺書でそのことを残していたんです」
「しかし……」
「義兄さんは、犯罪者の身内も犯罪者だと言うんですか? たまたま彼女が生まれ育った家が、一上家だっただけなんです。それだけで差別するのは、私は間違っていると思います」
昨日、大泣きしていたとは思えない程、春人の態度は堂々としていた。そして、その主張は全く迷いが無く、すでに一つの結論を出しているように慶三郎は見えた。
「うん、確かに、春人の言う通りだ。しかし、彼女への取り調べは必ず行われる。その結果、関与なしと出るまでは、彼女も被疑者なんだ」
慶三郎の重い台詞を、春人は沈痛な面持ちで受け止めた。
「はい、それは仕方がないと思います。しかし、私は彼女を信じています」
「いくらお前が彼女の無実を信じようと、これは上へと報告しなければならない。見なかったことには出来ないぞ」
「はい、義兄さんの責務はわかっているつもりです。ただ、私は彼女の力になりたいと考えています。だから、もう彼女に対する内偵は止めたいんです」
「止めるだと? それで一体お前は何をするつもりだ?」
「私はこの遺書を彼女に見せて、彼女に真意を聞きたいんです。その回答次第によっては、側に居て力になりたいと考えています。……ただ、もし万が一、彼女も道を踏み外しているならば、それを止めて罪を償ってほしいと思っています」
「そうか…。お前の言いたいことは分かった。ただし、それには条件がある」
「何でしょうか」
「先代の日記を手に入れて欲しい」
「どうしてですか?」
「彼女の手元に置いたままだと、証拠隠滅される恐れがあるからな。被疑者である以上、疑ってかからなくてはならない」
「それは……、私にまだ内偵を続けろってことですか?」
春人は慶三郎の目を睨みつけるように見つめる。それを慶三郎は平然と受け止めた。
「彼女が春人に日記を託した場合、彼女に疚しいところがないと云う証拠にもなる」
春人はその言葉にピクリと反応した。それから、無言になり思案に沈んだ後、やっと口を開いた。
「分かりました。その条件を飲みます」
春人は真剣な表情で、決意を口にした。
春人が学校へ行った後、慶三郎は父に事情を説明した。
予想通り、親父は一上家に激怒していたが、春人のことは未だに態度を決めかねていた。
「春人が他人のためにあんなに真剣になったのは、初めてだと思うんだ。今朝の報告も隠そうと思えば、出来たはずなのに、春人はそれをしなかった。春人は俺を信用してくれているし、俺もそれに応えたいと思った。だから、今はあいつを見守ってやりたいと思う」
「ふむ、お前がそこまで言うなら、今回は任せる」
父の説得が何とか成功したことに慶三郎は安堵した。
もっと難航すると予想していたが、久しぶりに見た春人の取り乱した姿に、父も思うところがあったに違いない。
春人が覚悟を決めた以上、慶三郎も色々と暗躍して準備をしなくてはならない。
それがたとえ佳子や春人に対して、不利益なことでも。
これからが本格的な一上潰しの始動だ。
それにしても、春人が慶三郎に挑むかのように睨んだ眼光は、男として様になっていた。
今まで家族以外と打ち解けず、内に籠っていた春人が、他人に目を向けて関わって行こうとする姿は、大きく前に成長している証拠だった。
それに慶三郎は密かに喜びを感じた。
佳子が本当に手を汚してないのか、慶三郎にはまだ分からない。
ただ、春人が彼女を信じるように、彼の為に慶三郎もまた信じたいと思った。