如月の回想 佳子の悪夢の始まり
今回も暴力的なシーンと残酷なシーンがあります。
如月は佳子と別れた後、彼女の家の前から続く坂道を下りながら、再び部下の加藤に連絡を入れた。
彼に「迎えよろしく」と言って携帯電話の通話を終えた時、複数の気配に囲まれているのに気付く。
「何か用?」
如月が立ち止まると、気配を消して周囲の雑木林の中に隠れている者たちへと声を掛けた。
一瞬の間の直後、一斉に出てきて襲撃してくる覆面の者たち。
「いいね、最近退屈していたんだ」
如月は笑顔を浮かべながらも、禍々しく邪悪な気配を出して、彼らに挑むように向かい合った。
数分後、襲撃者たちは如月の周りに力なく倒れていた。
最後の一人は、両膝を地面について立っていたが、如月によって首を片手で鷲掴みにされて、握り締められていた。
「殺されたくなければ、雇い主をいうことだね」
「こっちもプロだ。言う訳ないだろ……」
襲撃者の男が被っていた覆面は、既に如月によって取られていたため、素顔が曝されていた。
「へぇ、一瞬でやられたくせに、それでもプロとか言うんだ?」
如月は首を握る手に力を込め、不自然な程に指が肌と肉に窪む。拷問のような仕打ちを受けて、男は苦悶に満ちた表情を浮かべながら、呻き声を上げた。
その男の様子を、余裕の表情で如月は眺める。
「もう一度聞くよ? 雇い主は誰だい?」
如月は相手の目を見つめて、尋問を続けた。
その時、妖しく如月の目が光り、男がそれを呆然と見つめる。如月が持つ瞳の力が作用したのだ。
「俺は知らない。如月っていう男を痛めつけて、佳子という女に近づくなって脅せと、上から指示されただけだ」
「そう、それじゃあ、上司はどこにいる?」
「分からない。終わったら携帯に電話するんだ」
「番号は?」
「○○○―××××―△△△△だ」
「そう、それだけ分かればいい。あとは寝ていていいよ」
如月は男の鳩尾に蹴りを入れると、男はそのまま地面へと倒れた。しばらくすると、如月が呼び出した加藤が車を運転して現れた。
「ボス、大丈夫ですか? この男たちは、どうします?」
加藤は車から降りると、路上で倒れている男たちに視線を移した。
「ああ、まだ生きているし、放っておけば勝手に帰ると思うよ?」
如月は全く男たちに関心が無く、どうでもよいといった態度だった。
「とりあえず、脇に避けておきますね。車の通行の邪魔ですし」
加藤はそんな如月の様子を特に気にせず、淡々と仕事をこなす。襲撃者たちは、雑草の中に置かれる。辺りが暗いこともあり、その姿は埋もれて分かりにくくなった。
如月は車の後部座席に乗り込み、加藤の運転でその場を去って行く。
「如月を脅せって、命令されたらしいよ? 面白くなってきたね」
「どうするつもりですか?」
「もちろん、受けて立つよ。俺に刃を向けたことを後悔させてやる」
如月はこれからのことを想い浮かべながら、口許に極上の笑みを添えた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
佳子の父、健一は前回と同じ和室で、分家の主である元と対面していた。
「この間の話だが、健一さんの要求を飲むことにするよ」
元は眉間に深い皺を寄せて、話の口を切った。
「本当ですか!?」
それを聞いた健一は、弾んだ声を上げた。
「ああ。その方が、損害が少ないからね。全く、思い詰めた男が何をするか分からないから、堪ったものじゃない。 ただ、真吾は既に成人しているし、認知は私から一方的に取り消せないから、手続きは彼に一任することになる。 後で彼に命じておくよ」
元は苦々しく吐き捨てるように言った。
「要求が通れば、一族を告発する様なことはしません。ありがとうございます」
健一は頭を深々と下げると、部屋から出て行った。その足で、真吾へと会いに行く。
「義父が君の認知の件で、私に同意してくれたよ」
「え?」
明るい表情で話す健一とは対称的に、真吾の表情は暗く固まった。
「手続きの関係上、義父から君へと話があると思うけど、これからは僕のことを頼って欲しい。僕も今までの空白を埋めるように、君のために尽したと思っているよ」
呆然として言葉を失くした真吾の身体を、健一は抱き寄せると、背中へ手をまわした。
「君は、僕の大事な息子だ」
健一の声は、嗚咽混じりだった。
それから、健一は自分の家へと電話をする。電話に出た娘の佳子の声に、健一は明るく話しかけた。
「留守中、何か変わりは無かった?」
『何も無いわ。お母様がいないから、羽を伸ばし放題よ』
「そうか。問題無さそうで良かったよ」
『うん、私なら大丈夫よ。お父様はそちらでの用事は終わったの?』
「ああ、終わったよ。それでね、佳子に会わせたい人がいるんだ」
『あら、それは誰なの?』
「それはその人と会うまでのお楽しみだよ。きっと佳子も喜ぶよ」
『すごく気になるわ、お父様!』
「ふふふ、今日の夜には帰るから、待っていてね」
『本当!? 気をつけて帰って来てね』
「ああ、それじゃあね」
健一は電話機に受話器を置いた。愛娘との会話は、疲れた心を癒してくれた。健一はとても晴れやかな気分だった。
それから、健一は帰る支度をして自家用車に乗り、いつも走行している道路を進む。
それが死への旅路になるとは知らずに。
里から市街地へと出るための山道は、傾斜やカーブが強く、健一は運転には注意を払っていた。
そんな中、突然フロントガラスを何かが覆い、視界を遮った。健一は慌ててブレーキペダルを踏み込むが、全く動かない。
「何故だ!?」
叫びながら健一が足元に視線を向けると、何か不気味な生き物がブレーキペダルの後ろ側にいて、その動きを阻止していた。
健一は一体何が起こっているのか分からなかった。とにかく車を停止させなくてはと、咄嗟にサイドブレーキを引こうと腕を動かそうとした時、何かが健一の腕を押さえつけていた。
背後から伸びる白い腕。異形のモノであることは、明白だった。
「止めてくれ!」
健一が叫んだと同時に凄まじい衝撃が車を襲う。健一は意識を失った。
傾斜の険しく切り立った崖。そこに生えた木々に挟まれるように墜落した車は、激しく燃え盛っていた。
その様子を為す術もないまま、健一は眺めていた。
健一は自分がどうなったのか、全く理解できていなかった。気がつくと、森の中で立っていた。
その時、枝が折れる音がして、健一はそちらの方を振り返った。
全身が黒ずくめの男がこちらに向かって真っ直ぐに歩いてくる。顔すら黒いお面で隠されていて、一目で異様な身なりだと分かった。その男が懐から紙を取り出すと、虎に似た化け物を創り出した。
自分と同じ技を使う目の前の男を、健一は凝視した。
「まさか、お前が僕を――!」
健一は運転中に襲われた出来事を思い出して、その犯人が目の前にいるのだと、ようやく気付いた。
しかし、全て遅すぎた。
化け物は健一に噛みつき、食いちぎっては口の中に飲み込んで行く。その様子を眺めながら、お面の男は嗤っていた。嘲笑に包まれる中、健一の魂は化け物によって消されてしまった。
全ては事故に見せかけるための、口封じのために。
全ての記録の再生が終わった時、如月は気付いた。隣で彼女が咽び泣いていることに。
こうして、如月は健一の最期を知った。