闖入者 1
佳子たちは、予約してあったホテル内のレストランへやって来た。ランチタイムを過ぎた時間帯なので、店内は客が少なく、まばらに席が空いていた。
席に着き、適当に飲み物を注文した二人。
先程、給仕された紅茶のカップを口に運びつつ、佳子は目の前に座る春人を見つめた。
先ほどから目下のテーブルにばかり視線を送っている春人は、佳子と目を合わせようとしない。
何処となく落ち着きがない態度に、佳子は彼に少し同情していた。
(もしかして、あちらも自分と似たような状況なのかしら?)
佳子はそんな風にぼんやり考えていた。
佳子が何を考えているのか探るために、春人が上から命令されて嫌々この席にいるとしたら、佳子に対して好意的でないのも頷ける。
佳子はあまり乗り気でなさそうな彼の様子を気にしないことにした。
佳子自身も本気で結婚しようとは考えていない。
向こうも同じなら、今日で彼と会うのは終わりだろう、と佳子は内心安堵する。
とりあえず、会話しないことには間が持てないので、佳子は世間話をしようと口を開く。
「今日はどうやってここまで来たのですか?」
「車です」
「貴方が運転されたんですか?」
「はい、免許を持っているので」
「へーすごいですね」
「住んでいるところが田舎なので、免許が無いと困るんです。同級生の多くが夏休みに教習所へ通っていましたね」
「そうなんですか。でも免許取り立てで、遠乗りはさぞかし大変だったでしょう」
「いえ、運転が割と性にあっていて好きなので、苦になりませんでした」
春人は結構ハキハキと答えてくれるので、会話はこちらが質問する限り、順調に進むようだ。
「今日は、ここまで来るのにどのくらい時間が掛かったんですか?」
「途中、少し道が混んでいたので二時間近く掛かりました。当初の予定では一時間半くらいだと見込んでいたんですが」
「そうなんですか。本当に今日は遠いところからわざわざお越しいただいてありがとうございます」
佳子が頭を軽く下げると、春人は恐縮したように慌てて頭を下げ返した。
「いえ、こちらこそ。今日はお会い出来て嬉しいです」
お世辞が来たので、佳子も愛想笑いを浮かべてお返しをする。
「私もです。緊張して昨日なかなか眠れなかったんですよ」
昨晩の就寝時間が遅かったのは事実だが、それは内職の量が今回多かったにも関わらず、本日お見合いがあって時間が削られたため、皺寄せが来たからに他ならなかった。
佳子は宛名書きなどの筆耕の内職をしている。
亡き父が同じ仕事をしていたので、父の仕事関係の知り合いに頼って、仕事を少しまわして貰っていた。
父に教わって書道を続けたお陰で、佳子の筆使いは代筆できるくらいには腕前は確かである。
春人がここまで二時間かかったというが、佳子も電車でここまで来るのに一時間半かかっている。
二人が住んでいるところが遠かったため、本日待ち合わせしたのはお互いの中間地点。
佳子は免許を持っていないため、移動には公共機関を利用するしかない。そのため、佳子の住んでいる街から電車で来られるところを選んだ。
睡眠不足のせいで、電車に乗っている間にうとうとと居眠りをしてしまい、あやうく降車する駅を乗り過ごすところだった。
佳子は紅茶のカップに手を伸ばして、再び口をつける。
カップを受け皿に置いて、春人の様子を観察すると、彼も同じようにお茶を飲んでいた。
絵になる光景に目の保養とばかりに思わず見とれる。
春人の仕草を一部始終眺めていると、彼が佳子の後方へと視線を移して顔色を変えたのに気付いた。
佳子の後ろにあるのは、レストランの出入り口。佳子は春人の異変が気になり、思わず振り返る。
視界に入ったのは、佳子たちに歩いて近づいてくる一人の男の姿。スーツを着たその男は、佳子と目が合うや否や、急ぎ足になった。
佳子はすぐに男の正体に気付く。同じくらいの年齢の、今年の夏に会ったばかりの人物。一族が用意した佳子の結婚相手、一上高志だ。
その高志は眉間に皺を寄せて、寄り道せずに佳子たちの方へ向かっている。
もともと目つきが鋭く神経質そうな顔。さらに体格が大柄なので、そんな男が勢いよく近づいてくるのは恐いものがあった。
(しかし、どうして彼がここに――?)
佳子の戸惑いをよそに、不機嫌な顔をした高志は佳子たちのテーブルの前に来る。彼は足を止めて佳子を見下ろした。一瞬だけ春人の方へ視線を送るが、すぐに佳子の方へと戻す。そして、おもむろに佳子の手を掴むと、無理矢理引っ張ってきた。
そのため、佳子は強制的に椅子から立ち上がる破目になり、様子を見守っていた春人も慌てて席を立った。
「何をするの!?」
佳子が抗議すると、高志は舌打ちをして険しい表情を佳子に向けた。
「お前こそ、ここで何をしている」
「何って、お見合いだけど」
佳子の返答に高志は思いっきり蔑んだ表情を向けた。
「馬鹿を言うな。お前は俺と結婚するんだ。時間の無駄になるようなことはするな」
「私は貴方と結婚する気はありません! 手を離してもらえませんか。そしてすぐに帰ってください」
高志はもう一度派手に舌打ちすると、無言のまま強引に佳子の手を引っ張り出口へ向かう。
佳子は男の力に逆らえず、引きずられるように連行されてしまう。止めてと叫ぼうとした時、傍にいた春人が動いた。彼は驚くほどの速さで、佳子を捕えていた高志の腕を掴む。それに気付いて高志が立ち止まり、後ろを向いたと思ったら、春人は彼の腕を捻りあげた。
高志は苦痛の表情を浮かべると、佳子を掴んでいた手の力が緩む。一瞬にして高志から佳子は解放されたので、再び捕まらないように、春人の背後に隠れて高志の挙動を窺った。
佳子が安全な場所まで移動したせいか、すぐに春人は高志の腕を離す。
「邪魔をしないでいただけますか。一上さん」
高志と春人は向かい合う。彼らの間に流れる緊迫した空気。
高志は春人を無言でしばらく睨みつけていた。そして、佳子へ視線を送ると、おもむろに口を開く。
「そいつは俺のものだ。返してもらおう」
「お断りします」
春人は即答する。
その言葉を聞いて、春人の背後にいた佳子は彼に対する株を少し上げた。佳子のゴタゴタに春人は巻き込まれただけなのに、自分を庇ってくれる彼が意外に良い人だと感じたからだ。
ちらりと周りを見ると、店内にいた客たちが何事かとこちらに視線を送っているのに気付く。騒ぎを起こして注目されてしまった自分たち。
何とか場を収めなくてはと思うが、高志とまともに話し合いが出来る状況ではない。高志は頑なに佳子の引き渡しを拒否する春人を睨みつけている。この眼光だけでも人を殺せそうだ。
「これは当家の問題だ。お前とのお見合いなど手違いにすぎん。茶番は終わりにしてもらおう」
「彼女は貴方と結婚する意志はないようですが?」
「ふん、あいつの意思など関係無い。一族の決定には誰も逆らえん」
「彼女は当主でしょう?」
当主の意思は無視するのかと、暗に春人は尋ねる。
「こいつが当主だからこそ、婿には俺が選ばれたんだ。いいから、そこをどいてそいつを寄こせ」
高志は春人の質問の意図には触れず、自分の要求のみ繰り返す。
そんな高志の態度に佳子は苛立ちを感じた。
「何度も言いますが、お断りします」
春人がはっきりと拒絶したその時だった。
高志の口元が歪み、そして、「平蕪、やれ」と呟いた。
その直後に高志の背後から凄まじい勢いで飛び出す複数の黒い帯状の生き物。それは春人の体に巻きついて一瞬にして締め上げる。
咄嗟のことに春人は対応できず、主に上半身部分、腕や首元を押さえつけられて捕縛されてしまった。
「くっ……!」
春人は苦しげに呻き声を上げる。
「ちょっと、彼に何をするの!? 止めて!」
春人に巻きついているのは、黒い布のような妖怪だ。高志に使役された妖怪が気配を殺して彼の背後にいたのだ。
里の掟で、特殊な能力を一般人にばれる様な公共の場で使うことは緊急時を除き、禁止されている。
従って、高志のこの行動は違反となる。
春人を押さえる妖怪は一般人には見えないが、拘束された彼の挙動は他の客の目には怪しく映っている。
佳子は高志に抗議するが、彼は何も答えない。高志は体の自由を奪われた春人を横へ押しのけると、佳子の腕を再度捕えた。
高志に押された春人は、倒れそうになる体勢を何とか堪えるので精いっぱいで、佳子にまで手が回らない。
その隙に高志は佳子を連れ去ろうとする。
「ちょっと、乱暴は止めてよ!」
佳子が必死に抵抗しても、結局力では勝てず、ずるずるとレストランから引きずられるように連行されてしまう。
ところが、お店から出た矢先、高志は足を急に止めた。
佳子は驚き、何事かと訝しんだが、高志の大きな背中が邪魔で前が見えない。そこで脇から覗くと、そこには高志に立ちはだかる男がいた。