如月の回想 佳子の父 2
場所を室内に改めて、二人の男は話し合いをしていた。話し合いと言っても、主に健一が男に身元を問い質している状態だったが。
男の名前は一上真吾。分家の主である、一上元の庶子であると素性を明かしていた。
洋子という彼の母の名前と、その女性が既に故人であることを聞くと、健一は悲痛な表情を浮かべる。そして次に真吾の生年月日を尋ねていた。
真吾の口から答えを聞いて、健一は目を見張る。
「僕はね、君の母親と恋人だったんだ。僕の家に奉公してくれて、いつも一緒だった。それなのに、ある日、彼女は突然何も言わずにいなくなってしまって……。捨てられたかと思っていたけど、本当は君を妊娠していたんだね。僕の元を去ってから一年も経たずに君を産んでいる」
「いいえ、僕の父親は元様ですよ。ちゃんと認知もしてくださいました。それに、貴方が母のことを捨てたんじゃないんですか?」
健一は真吾の言葉を聞いて、憂いを帯びた眼差しを彼へと向けた。
「彼女を捨てただなんて、違うよ。誤解だ。さっきも言ったけど、突然消えたのは彼女なんだ。僕はずっと彼女のことを気に掛けていたけど、二度と会えなかった……。それに、君は明らかに僕の子だと思うよ。君は僕にそっくりだ。これ以上の証拠はないと思う」
「しかし……」
「僕は彼女と一緒になりたかったんだよ。でも、彼女はいなくなってしまい、それは叶わなかった。全て、義父の仕業だったんだね。自分の娘を結婚させるために、彼女を僕から引き離したんだ。しかも、子供すら奪われるなんて、本当に酷いよ……」
「元様は、僕たちに対してとてもよくしてくださいました。あの方を悪く言うのは止めてください」
「そうだね、君にとってはお世話になった恩人だろうね。でも、僕にとっては違う。幸せを奪った元凶だよ。君も本来なら、彼の庶子ではなくて、僕の子供であったはずなのに。彼女も愛人なんかで終わる人生じゃなかったはずなんだ」
「母は不幸せではありませんでした。経済的にも不自由せず、穏やかな最期を迎えることができました。それに……、母は元様をとても敬っていました」
「やめてくれ。それ以上言うのは。彼を敬うのは、この家では当たり前のことだろう。彼女は立場的に彼に逆らえないし、逆らえば生きていけないんだ。僕たちを引き離して、人の気持ちを何だと思っているんだ……。本当に許せないよ」
「貴方も元様には大変お世話になっているんじゃないんですか? それなのに、そのように恨まれるのは失礼では?」
「そうだね、君の言う通りだ。でも、彼に金銭的にお世話にならざる得ないのは、元はと云えば彼が娘の教育を間違ったせいだ。酒と女に溺れた父親が死んで、やっと悪事から足が洗えると思ったら、今度はわがまま放題で育った嫁を貰ったせいで、なけなしの金銭を浪費されて我が家は火の車だった。他人に振り回される人生なんて、もううんざりなんだよ。だから、僕は何としても失ったものを取り返すよ」
「何をする気なんですか?」
「君を彼から取り戻す」
「取り戻すって、一体……」
「君を僕の実子として認めさせるんだ。君をこの家から救ってみせる。君もあいつに汚い仕事をさせられているんだろう? 僕が父親になれば、もうそんなことはさせないよ」
「何をおっしゃっているんですか! 僕は今の生活に満足しています。僕の人生を貴方の都合で掻き回さないでください!」
「こんな環境を疑問に思わないところが既に奇怪しいんだよ。前から僕は悩んでいたんだ。このままでいいのかって。でも、やっと決心がついたよ。分家とは縁を切って、もうあんな仕事は受けない」
「僕はもう結婚もして、家庭を持っています。ここでの生活もやっと落ち着いてきたのに、どうして今更……」
「知らなかったとはいえ、本当に申し訳ない。これからは父親として、君を支えたいと考えているよ」
「僕は、僕はこのままがいいんです。本当に僕のことを思ってくれるなら、放っておいてくれませんか?」
「それはできない。このまま君がこの家にいて、良いことはないよ。これ以上、悪事に手を染め続けるなんて――」
「貴方には娘さんがいて、その方が後継者ですよね? 僕が本家にいったら、彼女の立場がないのでは?」
「佳子のことかい? 本当は、あの子を後継者にしたくないんだよ。あの子には色々と問題があってね」
「問題ですか?」
「……ああ、能力的に、ちょっとね」
「――そうなんですか」
「強引なやり方で申し訳ない。しかし、君のことを知った以上、放っておけないんだ。僕は義父に君のことをお願いするつもりだよ。また、会って話そう」
健一はそう一方的に言い残すと、先に部屋から出て真吾と別れた。
健一が義父の元と会ったのは、それから数日後のこと。先日、健一にお金を渡した老人が同じ和室に現れて、健一と対面した。
「いやあ、なかなか時間が取れなくて済まないねぇ。それで、一体何の用事かな?」
「真吾のことです」
健一から出てきた名前に、元の表情が固まった。
「真吾がどうかしたかね?」
「彼は僕の子供ですよね? 洋子が妊娠していたのに、僕に内緒で彼女を隠したんですね」
「おいおい、何か誤解していないかい? 彼女からの希望で私は便宜をはかったに過ぎないよ」
「貴方は洋子を脅したのでしょう? 僕と別れて貴方の庇護を得るか、逆らって一族から見捨てられるか」
「そんなことをしていないよ。言いがかりもよしてくれ。 彼女から君の子供を妊娠したから、今後どうしたらよいか相談を受けたんだよ。君は政子と婚約していたから、彼女は潔く身を引く決心をしていたんだ」
「真吾のことも何故認知したんですか。本当の父親が認知すべきでしょう」
「それも彼女からの希望だ。子供がいたと君が知ったら、政子との婚約を解消して、責任を取ると言い出しかねないと心配していたんだ。だから、君には内緒にしてくれと頼まれてね」
「そんな、でたらめを僕が信じるとでも?」
元は大きく嘆息した。
「信じる信じないは君の自由だが、二人のことはきちんと面倒を看てきたつもりだよ。むしろ、感謝して欲しいくらいだ」
健一は元の言葉に顔を強張らせる。
「愛した人を奪われて、感謝しろと言われるとは思いませんでした」
「奉公人風情に入れ上げて節度を忘れたのは、君の落ち度だよ。正しい血筋を残すのは、本家の人間の役目だろう。 私は君の尻拭いをしてやったんだ。逆恨みはよしてくれ」
健一は元を睨みつける。
「そうですか……。やはり、貴方とは話し合いはできないようですね」
「言いたいことはそれだけか? 私も忙しいんだ。話が終わったなら」
「真吾の認知を取り消してください。そして、政子とは離婚します」
元の言葉を遮って、健一は一際大きな声で主張した。その思い詰めた言葉と頑なな態度に、元は面食らう。
「いきなり何を言うんだ。そもそも、政子も真吾も嫌がるだろうよ」
「貴方が説得すれば、二人は従うでしょう。もし、僕の主張が通らなければ、里に今までのことを告白します」
健一の脅しに、元の表情は恐ろしいものへと一変する。
「馬鹿な! そんなことをしたら、お前だって破滅だぞ」
低く威嚇する様な元の声。
「そうですね。でも、僕は本気なんです」
無言で睨み合う二人。先に諦めて目を逸らしたのは、元だった。
「……少し考えさせてくれ」
「ええ、良い返事をお待ちしています」
健一は表情を変えずに答えて、すぐに部屋を後にした。まるで同じ空間に長く居たくないと言わんばかりだった。