二人の揺振 1
出勤した佳子は、予想通りに同僚たちから質問攻めにあった。もちろん話題は、婚約者の春人についてである。
好奇心旺盛な同僚たちに囲まれて逃げ場を失くされたものの、無難な答えをあらかじめ用意していた佳子は、慌てることなく、出会いや婚約に至るまでの経緯を適当に彼女たちへ説明した。
彼の年齢を尋ねられて、十八歳だと佳子が答えたら、「若い男を騙したのね!」と同僚たちは大爆笑である。「ぎりぎり犯罪にならなくて良かったわね」と、さらに突っ込みが入って、佳子は苦笑するしかなかった。
それでも、同僚たちの尋問という難所を無事に切り抜けることができた。これで彼女たちの気も済んで、あまりこのことで構われなくなるだろうと、佳子は安堵する。
昨日、春人は仏間を綺麗に片付けてくれたが、残念ながら宝具の指輪は見つからなかった。あの部屋にあると思っていたけれど、佳子の記憶違いだったようだ。わざわざ手間をかけてくれたのに、お目に掛けることが出来なくて、大変申し訳なかった。
そのため、その罪滅ぼしとして、春人が帰った後に佳子は自分の具現能力を使って、修行用の妖怪を作りあげた。
本来ならば巻物にその力を込めると聞いていたが、あいにく材料が揃っていなかったため、ただの便せんにそれを封じた。
パートを終えてから、佳子は郵便局に寄ってポストへ封書を投函する。春人は喜んでくれるだろうかと、不安と期待で胸をドキドキさせながら。
その夜、自宅にて春人が作ってくれた冷凍おかずなどを、佳子が温め直して夕飯を食べていたら、電話がかかってきた。
表示された電話番号を見てみると、春人の家からだ。
「本日は何の御用ですか?」
電話の用件を単刀直入に佳子が訊いてみたところ、『いえ、特に用はなかったんですが。佳子さんとお話できたらと思いまして……』と、遠慮がちに話す春人の声が聞こえてきた。
その途端、佳子の顔が急に熱くなり、受話器を当てて彼の声を聞きている耳がこそばゆくなる。
佳子は挙動不審になって慌ててしまい、「あのっ!」とまごついて次の言葉すら出せないでいると、『ご迷惑でしたか?』と春人が心配そうな声でこちらの様子を窺ってくる。
「いえ、そんなことはないんですけど……」
隠そうともしない春人からの好意に、佳子は嬉しい半面、困惑していた。佳子は彼の想いに応えることはできないからだ。
冷たい対応をとった方が、相手も早く諦めてくれると思うのに、無下にできず曖昧な態度をとってしまう。
自分の心の迷い。それに佳子は気付きながらも、どうすることもできなかった。
「そういえば、今日修行用の手紙を送ったので、着いたら良かったら試してみてください」
甘酸っぱい雰囲気を変えようと、佳子は違う話題を振ってみた。
『本当ですか? ありがとうございます。楽しみにしていますね』
春人の喜びの声に、佳子も気持ちも浮上する。明るい気分のまま、今日の職場での出来事などを少し話して、春人との会話は終わった。
(彼の告白を断ったくせに――。)
電話一つで浮かれる自分を佳子は責めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
次の日も佳子はパート勤めに精を出し、寄り道もせずに真っ直ぐ家路を歩いていると、如月と鉢合わせた。
相変わらず、彼は神出鬼没である。
「来る時くらい、電話の一本でもくれればいいのに」
毎回心臓に悪い顔を心の準備がないまま見る破目になる佳子が、当の本人へ愚痴を零した。
「鳩が豆鉄砲を食らったようなお前の顔を見るのが楽しみでこっそり来ているのに、そんな興醒めするようなことをする訳ないでしょ」
「もー、いつも如月は人で遊ぶんだから……」
文句を言う佳子に対して、「それにさ、」と如月は言いながら、手に提げている紙袋を佳子にも分かる様に掲げた。
「お前と飲もうと思って、頂き物のお酒を持って来たんだけど」
如月は相変わらず、無駄に色気が駄々漏れな笑みを浮かべながら話す。
いつもは彼の色香に中てられる佳子なのに、今はその美貌よりも彼の言葉の重要さに佳子は心奪われていた。
「……お酒?」
「そうだよ。飲み過ぎても、明日仕事休みで問題ないよね? お前が喜ぶと思って持って来たんだけど、いらなかったみたいかな?」
「そ、そんなことは一言も言っていません!」
如月の意地悪な言葉に対して、必死に否定する佳子であった。
わざわざ如月が持って来る程の酒なら、恐らく質の良いものに違いない。楽しみで思わず顔がにやけそうになるが、まだ残っていた理性が佳子の口元を引き締める。
「あ、ありがとう。気を遣ってくれて嬉しいわ」
辛うじて礼を述べた佳子であるが、頭の中ではそのお酒のことで一杯だった。
如月はほくそ笑みながら浮かれた佳子を眺めていたが、そのことに佳子本人は気付きもしなかった。