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春人の独白 1

 春人が自宅に戻った時、すでに日は暮れて夜になっていた。居間には義父の寿治郎(としじろう)が一人でいて、テレビを見ていた。

 中肉中背の体格は昔とさほど変わらないが、出会った時には灰色だった短い頭は、今では白髪である。現役を退いて隠居後、還暦を過ぎた身体は確実に老いてきていても、いつも矍鑠(かくしゃく)としている。

 春人が義父に「ただいま戻りました」と挨拶をすると、義父は春人に気付いて視線を送ってくる。その顔は、義兄の慶三郎と面影が似ていた。


「春人お帰り。夕飯はどうした?」


「まだですが、適当に済ませますので大丈夫です」


 春人が台所へ行って、残り物などで簡単に夕飯を用意している最中に、普段は台所に近づかない義父が珍しく近くにやってきた。


「内偵の方の調子はどうだ?」


「はい、相手にまだ疑がわれていないので、順調に捜査しています」


「そうか。ところで、一上の当主はどんな方なんだ?」


「はい、とても優しくて思いやりのある方ですよ。分家の人間のように他人を卑下したり、見下したりしないんです。本当は怖いのに、母親や分家にも勇気を振り絞って立ち向かっていて……。義兄のいう、よくない噂は分家のみだけで、本家には何も関係ないと私は思います。彼女が分家と縁が切れたら……」

「こら」


 義父の諌める声に、勢いよく話していた春人はすぐに口を閉ざした。


「一上家の人間を信用するな。善人面をしていても、あの一族の根っこは性悪なんだ。同情を買おうと弱い女を演じていても、真に受けないようにな。それに先入観があっては、調査をする者の目が曇るんだぞ。あまりにもお前が彼女に肩入れするようならば、今回の件はうち切りにする」


「申し訳ございません。以後、気をつけます」


 春人は色々と言葉を飲み込んで、素直に謝罪した。義父の機嫌を損ねて、今回の密偵の仕事が中断させられたら、佳子と会う口実が無くなってしまうからだ。義兄が跡を継いでいるとはいえ、義父の影響は未だ大きい。


「標的に感情移入するな。それを守るのが鉄則だぞ」


「はい、肝に銘じます」


 感情を殺して平静を装って、春人は恭順の意を表した。義父はそれを見て納得すると、また居間へと戻っていく。完全に姿が見えなくなってから、春人は誰の耳にも届かないように、こっそりと嘆息した。


 義兄から一上家のお見合いと同時に内偵の話が自分に降ってきた時は、春人にとってまたとない僥倖だった。からだ春人は自分が抱いている感情を五月家の誰にも悟られずに引き受けた。ところが、春人はそれが正しい選択だったのか、今更ながら悩むようになった。


 春人は依頼を受ける前から佳子のことは知っていた。彼女を初めて見たのは、中学一年の時。


 夏のお盆だった。山神様への貢物として、妖怪たちが人間の住処から食べる物を盗んで行くという不思議な出来事が起こる時期。

 妖怪たちは目につくところに置いてあるお菓子などを盗ってゆく。里の人間は知恵を働かせて、あからじめ勝手口の付近にお菓子を置いておくようになっていた。来訪者の目に触れやすいので、彼らに予想外のものを持って行かれないようにするためだ。

 しかし、義母が急病で倒れてしまい、それどころではなかった五月家。義母の代わりに春人が家事を必死にこなしていた。


 日を追うごとに目に見えてやつれてゆく義母。寿命が刻々と減って行くのを感じるくらいだった。

 義母の好物のお菓子を亡くなる前にせめて食べてもらおうと、わざわざ遠くの菓子屋から取り寄せて、家に置いておいたのだが――。よりによって、そのお菓子を妖怪に盗られてしまった。春人が家にいる時に不審な物音に気付いて、何事かと思って見回りをしたところ、目撃したのはお菓子を持って家から出て行く妖怪の姿。それによって春人は山神様の存在を思い出した。今年に限って、お菓子を勝手口に置いておくのを、すっかり忘れていたのだ。


 春人はその妖怪を慌てて追いかけた。妖怪は玄関を出たばかりで、まだ物影に姿を隠していなかった。不幸中の幸いで、逃げる妖怪をひたすら追跡することが出来た。

 妖怪の行き先は大見山。

 しかし、後をつけて山の奥深くへ足を踏み入れたはいいものの、山の中は視界を遮るものが多く、途中で妖怪を見失ってしまった。

 春人は自分の過失のせいでお菓子を盗られてしまったと責任を感じていたので、諦めずに山の中でひたすら捜索を続けた。


 一体どのくらい時間が経っていたのか――、必死過ぎて春人は他のことを忘れるほど焦っていた。

 やがて、辺りは暗くなり、月明かりだけが照らすように。そんな状況にも関わらず、ついに春人は妖怪たちが集まっている場所を見つけた。それは普通の人間の足では到底辿り着けないような場所。山神様を恐らく里で初めて春人は目撃した。


 浴衣姿の一人の若い女性が僅かばかり拓いた場所に立っていた。女性と言っても、春人より少し年上のまだ学生とも言える年頃だった。彼女が身につけていた浴衣には、黒っぽい生地に華やかな花柄が描かれていて、とても彼女に似合っていた。


 彼女を見た途端、心臓が鷲掴みにされるような、激しい衝撃が春人を襲った。初めて体験する感覚は何なのか。それを春人は全く理解できないまま、ただ彼女から目が離せず、一心に物陰から見つめ続けることしかできなかった。


 彼女の手から光り輝く蝶が次から次へと生み出され、周囲を飛び回っていた。七色に光を放ちながら、空間を彷徨う幻想的な光景。その光が生み出す奇跡の技に、周囲にいる妖怪たち同様、春人も一瞬にして魅入られた。

 そして、その場から感じる驚異的な支配力。思わず膝を折り、従順になるほどの。


(彼女が山神様に違いない――!)


 春人は確信した。


 それから妖怪たちは山神様を囲んで、何やら楽しそうに騒ぐ。山神様は倒木に腰を掛けると、妖怪たちと黒と白の石を使ったリバーシを始めて、春人は驚いた。

 その彼らの脇には、妖怪たちが集めた食べ物の山。

 ある者はそれを観戦し、ある者は踊り、ある者は歌い、まるで宴会のようだった。

 どうやら、勝負がついたらしく、山神様が嬉しそうに喜んでいるところを見ると、彼女が勝ったのだろう。一方で、妖怪たちは悔しそうに地団駄を踏んでいた。

 山神様は食べ物の山へ手を伸ばして、品定めをしていた。袂から取り出した風呂敷を広げて、選んだ食べ物をそこに置いていた。


 その時、春人は息を呑んだ。その食べ物の山の中に五月家から盗まれたお菓子の箱があったからだ。

 山神様はその箱を手に取ると、妖怪たちに何か話しかけた。すると、彼女の声に反応して手を挙げたのは一匹の妖怪で、それは五月家から盗みを働いた妖怪だった。

 彼女は何か妖怪に話しかけると、お菓子の箱を妖怪へと渡した。


(何故、あのお菓子は選ばれずに返された――!?)


 春人はまるで自分自身が否定されたように感じて、酷く傷ついた。


 山神様は全部のお菓子は取らずに、その一部だけを風呂敷の中へと入れると、妖怪たちへとお菓子を指差しながら声を掛けた。その直後、妖怪たちは一斉に残りのお菓子の山へと群がって、それらを貪り始めた。

 浮かれて騒ぐ妖怪たちを、ショックで呆然としていた春人は見守り続けた。


 やがて、ある程度時間が経過すると、山神様は眠たくなったのか、口元を押さえて欠伸を連発するように。春人が見守る中、山神様は不思議な力で手元から空を飛ぶ龍を呼び出すと、それに乗って去ってしまった。

 あの時は、一上家の人間だと知らなかったから、山神様のあの大きな生き物を創り出した神業に度肝を抜かれるほど驚いたくらいだった。


 飛んでゆく龍を消えるまで眺めていたら、いつの間にか妖怪たちはその場からいなくなっており、妖怪たちの宴は解散していた。

 静寂に包みこまれて思い出したのは、自分の使命。春人はお菓子を取り戻すという目的を完全に失念していた。

 お菓子を持った妖怪も見失ってしまい、結局取り戻せないまま、春人は家へ戻ることしかできなかった。


 家に帰ったら帰ったで、何も言わないまま外出した春人を心配していた義父に開口一番怒鳴られた。

 盗られたお菓子を取り戻したかったと、事情を話して謝ったら、すぐに態度を軟化してくれた義父。「山神様に盗られたなら仕方がないと、母さんなら笑って許してくれるはずだぞ」と義父は苦笑して、「もうこんなに心配かけるんじゃない」と春人を叱りつけるだけでお仕置きは済んだ。


 そして次の日。春人が目を覚ますと、驚いたことにお菓子が家へ戻っていた。


(一体、彼女は妖怪に何と言ったんだ――?)


 春人はとても気になった。


 それから毎年、春人は家族に外出の断りを入れてから、山神様をこっそり見に行くようになった。

 山神様に会うと、胸が激しく鼓動して、周りにいる妖怪のように浮かれた気分になる。

 中学三年の夏には、見ているだけでは物足りなくなり、妖怪たちのように山神様とお近づきになりたいと、願うようになった。しかし、山神様に拒絶されるのか怖く、結局いつも通りに眺めることしかできなかった。

 来年こそは――。そう強く気合を入れたのに、翌年にはお菓子を盗まれないどころか、山神様が現れなかった。さらに、その次の年も。


 山神様に会えなくなって、春人は落ち込んだ。一体彼女に何があったのか思い巡らすだけで、胸が痛んで心が張り裂けそうになった。さらに苛立ちや苦しみ、焦燥感などに悩まされるようになり、まるで自分は病気みたいだと感じるくらいに。

 そこで、山村様のことは伏せて、友人の山村に自分の症状を説明して相談したところ、「まるでその人のことが好きみたいだね」という予想もしない回答が。

 その時に、春人は初めて恋愛感情というものを意識した。


 今年の里の夏祭りで、義兄によって無理矢理参加させられたの奉納試合。そこで偶然にも観客席にいた山神様を発見した。

 春人は興奮する気持ちを抑えて、自分の傍にいた義兄にあれは誰かと尋ねた。教えられた名前は、一上佳子。新しい一上家の当主だという。

 山神様は人間の女性の姿をしていたけれども、人外の存在だと思い込んでいたので、実は同じ人間だったという事実に春人は歓喜した。しかし、その浮かれ気分は一瞬で終わる。

 彼女の一族は親族婚を繰り返すのが仕来(しきた)りとなっており、近いうちに分家の人間と結婚する予定らしいと聞かされたからだ。


 あの時の絶望にも似た衝撃は、今でも忘れられない。

 その結果、放心状態となってしまい、その心の隙のせいで敵の罠にはまり、納屋へと閉じ込められてしまった。運良く助けられたものの、荒れ狂っていた春人の心境。

 自分に仕掛けられた悪巧みが、決勝戦の相手である一上高志の身内の仕業であることは状況から明白だった。彼が佳子の婿候補の一人である可能性が高かった。そのため、彼を見ているだけで深い恨みを抱かずにはいられず、自分が彼に何をしでかしてしまうか分からないくらい不安定な興奮状態に陥っていた。

 けれども、問題を起こしてしまえば、五月家に迷惑が掛かってしまう。春人は自分の感情が暴走する前にけりをつけようと、試合開始直後に一瞬で彼を場外に押し出して試合を終了させた。それから春人は彼から離れたくて、舞台から早々に退場した。

 奉納試合はパフォーマンスとしての意味合いが強かったため、興の無い春人の振る舞いは非難される結果となった。

 重なった心労に潰れた春人の心。夏休み中、しばらく何もする気になれなくて、無気力な日々が続いた。




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