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春人の。 2

 結局、佳子は春人の希望通りに一緒に買い出しに出かけた。そもそも自分のご飯のための食材をこれから買うのだから、同伴するのは義務である。そのため、早々に佳子は妥協していた。

 佳子の食べ物の好みについても、彼は知らないのは当たり前。だから、色々と食材を見ながら訊きたいのも理解できる。

 けれども、スーパーの中を春人と一緒に見て回っていたが、佳子は出来るだけ離れて歩いていた。たまたま近くにいましたと、思われるくらいの距離を絶妙に保って。


 かごを持って商品を眺めている春人の姿を、目を輝かせて観察している多くの女性客たち。それを傍から佳子は目撃していた。

 日曜日の特売日だったため、開店と同時に多くの客で賑わっていた店内。「超、かっこよくない!?」と、興奮した声で春人に視線を送りながら騒いでいる人たちまでいた。


(私はただの通行人です――。)


 佳子は心を無にして、他の客と同じようにかごを持って周囲をぶらぶら歩いていたところ、空気を読めない春人が近づいてきて「佳子さーん」と声を掛けてくる。


「お肉は脂身の多い方が好きですか? それとも淡白な方がいいですか?」


 春人は楽しそうに佳子に尋ねてきた。

 すると、春人に熱い眼差しを送っていた女性陣たちの視線が、一変して突き刺すように佳子に向けられる。

 値踏みするような鋭い視線を一斉に向けられた佳子は、思わず恐慌状態になりそうに。しかし、たじろぎながらも必死に堪えたものの、何も考えずに「あ、脂身の塊は嫌いです」と正直に答えてしまった。


(料理してもらう身だから、あれこれ好みを煩く言うつもりはなかったのに……)


 そこまで配慮する心の余裕が佳子にはなかった。

 そして、再び距離を置こうとして動こうとした時に、佳子の空いている方の手首を掴まれた。


「佳子さん、なるべく近くにいてくれませんか」


 春人はそう言って、佳子の手を握り締める。

 売り場から漏れる冷気で熱が奪われた佳子の手にとっては、平熱三十六度五分の彼の掌はとても温かい。けれども、大胆な行動は時と場合を考えて欲しかった。

 ムンクの叫びの様な形相になっている佳子に春人は顔を寄せると、手を口元に添えて密談を始める。


「佳子さん、これは練習です」


「れ、練習?」


 女性客の妬みや羨望、好奇心の視線を痛いほど感じつつも、佳子が訊き返した。


「普段から仲の良い婚約者同士を演じなければ、敵の目を欺けません。引き裂くことが出来ない位、熱い絆を日頃から見せつけましょう」


「で、でも……」


 春人は人目を惹くので、側にいるだけで否応なしに佳子まで目立ってしまう。

 そうでなくても秘匿の掟のために、ひたすら一目に触れないようにと、一般人に混じって暮らしている佳子は腐心してきたのだ。気配をなるべく殺してきた佳子には、この状態は苦痛そのものである。


「大丈夫です、佳子さんは側にいてくれるだけでいいです。後は私に任せてください」


「はぁ」


 困惑した佳子には、曖昧な返事しかできなかった。

 春人は佳子の手を離さず、密着したままゆっくりと歩みを進める。否応なしにドキドキと高鳴る佳子の鼓動。なるべく他人と目が合わないように佳子は下を向き、買い物に集中する振りをして、周りの視線から逃げた。

 同じように顔の良い如月と一緒にいても、大勢に注目されるような場所に長く一緒にいたことがなかったので、このような居心地の悪い目には遭ったことが無かった。


(大衆の中の美男子は、遠くから見るもので、側にいると凶器のようなものなのね――。)


 佳子は教訓として、そう心に深く刻んだ。


 それから二人は色々と話しながら、レジ付近へと近づいてゆく。これは最後の関門である。なぜなら、佳子はレジ打ち担当だから、同僚たちが沢山いるからである。

 さらに、平日の昼間は既婚者のパートたちが多いが、日曜日の本日は学生などのアルバイトが多い。そう、独身のフリーな女子が。

 佳子だけレジを通れば良かったのだが、お一人様一個までの洗剤の特売品を、すっかり板に付いた貧乏根性のせいで欲に目が眩み、春人を勘定して二個かごに入れてしまったのが運の尽き。

 購入数が限定の特売品は、同伴者もレジに並んでください――。レジ担当ならば誰もが知っているお店の決めごと。それをパートの自分が破るわけにはいかなかった。

 そのことをレジの直前で気付いてしまい、今更戻って棚に商品を戻すわけにも行かず、春人と一緒にレジの列に並ぶ破目になった。

 さすがにレジの前では、春人は手を離してくれた。彼もカゴを持っていて、レジの台に載せるためだったが。

 握られていた手は緊張の余りに汗でじっとりしていて、ずっとその手を握っていた春人に申し訳ない気持ちになった。


 佳子の番が来た時に、同僚が声をかけてくれて、会計をしてもらいながら会話を交わす。そして案の定、その同僚は佳子の横にいる春人に気付く。彼女は傍から見ても分かるくらい硬直し、大きく目を見開くと、春人を食い入る様に凝視する。それから目を点にしたまま、佳子と春人の顔を交互に見た。


「い、一上さん! 彼氏と買い物ですか!?」


 驚愕の声をあげた同僚は、佳子より一歳年下の学生である。

 お昼休憩が同じ時、ご一緒するくらいの間柄で、同僚の中では仲が良い方だと佳子は思っている。

 彼女は彼氏募集中らしく、合コンに出かけたりして精力的に出会いを求めていて、男っ気のない佳子にも、「今から枯れちゃ駄目ですよ! 一緒に合コン行きましょう!」と声を掛けてくれたことがあった。

 彼女の誘いを有難く思いながらも、自分の背景が複雑すぎる佳子は、今は男よりお金が大事と言って断っていた。

 今回はどのように言えば角が立たないか、必死に考えを巡らす。


「ええと、彼はその……」

「私は佳子さんの婚約者です。いつも彼女がお世話になっております」


 佳子は本日二回目の絶叫顔をした。

 爽やかに挨拶をして出しゃばって来た春人を横目に見ながら、これ以上余計なことを言わないで欲しいと、必死の形相で訴えるが、同僚に顔を向けている彼はその佳子の表情に気付いていない。


「一上さんって婚約されたんですか!?」


 同僚の声が思いのほか大きくて、佳子はさらに焦った。

 パクパクと金魚のように佳子は口を動かすだけで、肝心の台詞が出てこない。


「そうなんですよ。先週念願叶って、婚約まで漕ぎ着けたんです」


 その隙に春人がぺらぺらと話す。


「まあ、そうなんですか! おめでとうございます」


 幸せオーラを出しつつ、照れ臭そうに話す春人にすっかり騙されている同僚は、自分のことのように喜んでくれて、祝いの言葉まで述べてくれた。

 めでたい話なので、恐らく休憩に入ったら他の同僚たちにも彼女の口から伝わるはずである。

“あの一緒にいたカッコいい男は誰なの?”と追及されるはずが、“結婚するんだって?”と話題を目の前ですげ替えられて、更に佳子の対応難易度が上がり、佳子の精神は端から崩れ去りそうである。


(誰ですか、自分に任せろと言ったのは――!)


 佳子にとって状況はどんどん悪くなる一方だった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「何も私の勤め先にまで婚約のことを言わなくてもいいじゃないですか……!」


 車に戻った途端、佳子は春人に苦情を言った。

 すると、心外そうな顔をして春人は佳子を見返す。トランクに荷物を積んでいた手を一瞬止めたが、困ったように笑うと再び手を動かして最後の荷物を載せた。


「普通婚約したら周りに報告しますよね?」


「え?」


 春人はバンっと音を立ててトランクを閉じた。そして、佳子の方へと向き直る。


「佳子さんは偽装を止めた時のことを考えて、職場に報告しなかったんだと思いますが、それじゃあ詰めが甘いです。外堀を周到に埋めて行かないと、敵に付け入る隙を与えてしまいますよ」


「それは……」


 真剣な表情をしてこちらを見つめる春人に、佳子は返す言葉がなかった。


 佳子と春人の関係を周知の事実に持っていき、相思相愛の二人を引き裂くのは、困難だと敵に思わせる。

 春人の言わんとしている今回の作戦の意図を、佳子は今更ながら気付いた


 佳子の母は手強い。

 先日、婚約について真相を問い質してきた母に、佳子は何も連絡を返さなかった。

 それから再三母から電話が掛かって来ていても、身に沁みついた母の影響力がやはり恐ろしくて、無視して相手にしなかった。


 我が身の可愛さに、手を抜こうとした自分が恥ずかしくなる。

 さらに、こうして真剣に共犯者として手を携えてくれる春人に対して申し訳ない気持ちになった。


「そうですね……。私の認識が甘かったです。ごめんなさい」


 素直に謝ると、逆に春人に恐縮された。


「佳子さんが謝る程でもありませんよ。さぁ、車に乗って帰りましょう」


 佳子の気まずい気持ちを払拭するように、春人は優しく微笑みかける。

 今まで仏頂面というか、表情を崩さないことが多かった春人の珍しい笑顔に、佳子は視線を釘づけにされてしまう。

 春人は表情を戻して運転席に向かって歩き出すが、佳子は彼から目を離せない。すると、春人は立ち止まったまま己を凝視している佳子に気付き、立ち止まって佳子を見つめ返した。

 二人の視線が交わり重なる。

 佳子はまるで金縛りにあったように身動きがとれない。そんな時、春人の表情が急に含羞(はにか)んで赤みが差したと思ったら、視線を佳子から外してくれたので、佳子の身体からようやく緊張が抜ける。

 けれども、鼓動が激しくて、落ち着かない気分のまま。

 佳子は慌てて助手席のドアに近づいて、取っ手を掴んで開けると、車に乗り込んだ。

 同時に乗り込んできた春人には気付かれないように、そっと深く息を吐く。


 今の自分の動揺は、気のせいだと佳子は思い込むことにした。


(さっきの春人の照れ臭そうな顔が、何とも言えず可愛いと思ってしまったのは、自分の胸に秘めておこう――。)



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