春人の張り込み
義兄の慶三郎の指示により、春人は張り込んでいた。佳子が“如月”と“しんご”の両名と会う料亭の付近で。
春人自ら志願したのだ。
その日時が平日の昼間だったため、皆勤賞で通っていた学校を春人はサボってしまった。十一月は特に行事や試験がないので、一日くらいの授業の遅れはどうにかなると高を括っていたからだ。
ちょうど料亭を一望できる高い丘の上に公園があったので、そこで予定時刻前から息をひそめて待機中である。
人の気配がほとんどないこの場所は、一人でいても誰にも気にされずに気楽なものだ。
春人の手には、望遠レンズのついたカメラがあり、三脚を使って目的の場所を捉えていた。
曽我から今日のために借りたのだ。
黒い車がお店の駐車場に入って来た時、そのナンバープレートが前回佳子を連れ去った車と同じことにすぐに気付いて、緊張が走る。春人はすぐに車を撮影して記録に勤しむ。
駐車した車から出てきた人物は、佳子と見知らぬ男だった。
思わず息を飲むほど整った顔をしている男を見て、春人は一上高志が言った台詞を思い出した。
“お前に負けないくらい顔の良い男だったぞ”
目下にいる男は、お見合いの時に最後にやってきた人物と同じである可能性が高かった。
(あの時、佳子を最終的に手に入れた男――。)
春人は自分の顔が実母に似ていて嫌っていたが、他人からは美男子と評されているのを知っていた。
その自分の顔と同じくらい、いやそれ以上かもしれないと感じさせるほどの男である。雰囲気や立ち振る舞いは、遠目に見ても洗練されていて、女性の扱いに慣れているように見えた。
綺麗に着飾った佳子の脇に、上機嫌な様子で男は並んでいる。それをただ見ているだけの春人。
春人は知らずに歯を食いしばっていた。
それでも春人は自分の仕事を忘れずに、男の写真も撮っていた。
佳子と男が料亭に入った後、他にも何組かのお客が訪れていた。
今回佳子が会うのは、あと一人。それが誰なのか、まだ確認が取れていないため、春人は佳子たちが店を出てくるのをひたすら待った。
お昼時だったので、春人はあらかじめ用意しておいた携帯食品をポケットから出して、空腹を満たしていた。
一時間以上経った頃、佳子たちが店から出てきた。
緩んでいた緊張が一気に戻る。
入店時に確認できなかった、もう一人の男が佳子のそばにいた。彼女に微笑まれている男は、春人の知らない人物だ。
しかし、その顔はどこかで見覚えがあった。一体どこで会ったのか、全く思い出せなかったけれども。
長髪の美貌の男と比べると、その人は普通の風貌をしている。あの三人の中では、一回りくらい年上で、一番年長者だ。
春人はその男の顔もカメラに収める。
その男は佳子たちと駐車場で別れて、別の車に乗り込んで行った。春人はその車のナンバーを記憶して、ついでに車体も撮影した。
一方、佳子たちは来た時と同じ車に乗り込んで、走り去って行く。
春人の仕事は終わった。機材をバッグに全て仕舞うと、足早にそこから去るのだった。
春人は自宅に帰って義兄の慶三郎に報告する。
新たに得た車体のナンバーから、慶三郎は後で持ち主を調べる予定だと話していた。
春人はカメラに撮影されたデータをパソコンに取り込んで慶三郎に確認してもらう。
慶三郎は長髪の男を見た時に口笛を吹いた。その驚く気持ちが春人にも理解できた。写真に写っているのは、思わず感心するほどの美貌主だからだ。
そして、慶三郎がもう一人の男を見た時、さらに驚きの声をあげた。
「これって、佳子の父親じゃないのか!?」
「どういうことですか?」
佳子の父親は数年前に亡くなっていると聞いていた。けれども、慶三郎の発言が本当だとすれば、死者が写真に写っていることになる。
「先代の一上家当主と同じ顔ってことだよ。しかし、よく見れば先代よりはまだ若いよな。年は三十過ぎってところだし。これほど似ていたら、里にいても目立つだろうし、他所の人間か?」
慶三郎は当主が集まる寄合に毎回出席しているので、一上家の先代にも会ったことがあり、顔を覚えていたのだ。
春人は彼を見た時に感じた、気のせいかと思った既視感が間違っていなかったことに気付く。
「一上家の先代は再婚なのでしょうか。前妻に子供がいたとか」
男は佳子より年上だったため、先代が今の妻との結婚前に出来た子供かもしれないと、春人は推測してみた。
「いや、それはないよ」
はっきりと言い切った慶三郎は、無意識のうちに顎を手でさすっていた。
「彼女の両親が里で披露宴をあげた時に、五月家だけ除者だったらしい。それで激怒した親父はとても怖かったと、亡くなったお袋と兄貴が言っていたよ」
三十数年前の出来事だから、当時慶三郎はまだ生まれていなかった。
裕福な一上家の慶事は、盛大に行われたと聞いた。年齢の釣り合いがとれた二人は、幼い頃から許嫁。一族当主の待ちに待った晴れ舞台だった。そのため、景気良く内祝いとして、様々な品物が里の人々に贈られたと、そのことを人伝に五月家の人間は知った。
そう、五月家だけには何も届かなかったのだ。さらに披露宴には様々な当主たちが招かれたが、その頃には跡を継いで当主だった慶三郎の父には招待状が届かなかった。
父は他所者だからと、舐められた真似をされたのだ。
ちょうど成人した一上家の先代と、分家の主の一人娘の結婚話は里中の話題となり、五月家も色々な処で耳にしたという。
その後、二人の間にはなかなか子宝が恵まれなかったことについて、「人に恨みを買うような真似をすると、どこかでしっぺ返しが来るんだ」と父が一上家に嫌味を言って仕返しをしていた。
五月家と一上家の確執は、慶三郎と春人が生まれる以前から始まっていて、その深さは計り知れない。
「それにしても、本当に彼女の周りは、謎なことだらけだな。面白い。とりあえず、この先代にそっくりな男が“しんご”で、残りの長髪の男が“如月”という名前かな?」
一上家と血縁がありそうなほど似ている男が“しんご”だと、慶三郎は当たりをつけた。
前回の推理で“しんご”という人物は、一上姓ではないかと考えていたからだ。今回の状況と照らし合わせて、それはあながち外れていない――と春人も感じていた。
「日曜日に彼女の家に行くんだろう?」
「はい、そうですが」
「彼女にカマをかけてみなよ。父親の遺影がどこかに飾られていたら、“この間、この写真と似た人と里で会いました”って」
「カマですか……」
「そうそう、何かしら答えてくれるだろう? もしかしたら、彼女の口からさらに情報が引き出せるかもしれない」
「はい、分かりました」
春人は素直に返事をした。
春人は養子だ。それなのに本当の子供のように可愛がってもらっている。恩義ある五月家には感謝の気持ちを忘れることなく持ち続けて、この家のために尽そうと誓っていた。
自分がまともに育つことが出来たのは、全て五月家のお陰だ――と春人は思っていたからだ。
従って、義兄であり、当主である慶三郎の言葉は絶対だった。
しかし、その“絶対”が最近揺らいでいる。
ある件についての家族の心情と、春人のそれとが相反しているからだ。
それでも、何かと理由をつけて今回の任務を誤魔化しながらもやっているが、春人の中でいつまで折り合いをつけられのか、自分自身にも分からなかった。
反感を買うと分かっていることを正直に話す訳もいかず、さらに自分の望みを実現させるためには、黙っているのが最良だった。
しかし、もがけばもがくほど、深みに嵌まっているような気がする。
しかも最悪なことに、この忠誠心と、自分の中の欲求や願望が、完全に対立した時の答えをまだ春人は出していなかった。
(――ただ、見ているだけで満足していれば良かったのか。)
切ない胸中を誰にも言えず、苛立ちや焦りが降り積もるのを自覚しながらも、春人は解消する術を知らなかった。