如月の回想 佳子と洋館
佳子を家に送ってから、如月は私用のために車を走らせ目的地に向かっていた。
彼女と別れた後、如月の胸中は、いつも言いようのない焦燥感に駆られる。彼女の側に長くいられない自分自身に苛立つからだ。
偽装とは云え、自分以外の男と婚約してしまった佳子。一族から求められる結婚に追い詰められたとは云え、早まったことをしたのではないか――。如月の中で、そんな身勝手な憤りまで駆け巡っていた。
佳子は徹底的に犯人を断罪することを望んでいた。
そのため、犯人を追いつめるための証拠を探すことから彼女は始めた。それを突きつけた上に公開することで、社会的からも制裁を受けさせる計画だ。
(それによって、飾りとはいえ一族の長という自分の立場を失くす可能性もあるというのに――。)
佳子が知っている情報は、あくまで状況証拠のみだ。
現在知り得る状況でしか、犯人を推測できない。そのため、黒と断定する前に復讐を行うことを、彼女は酷く躊躇った。それに、最悪の場合、白を切られることも考えられる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
初めて自分と彼女が出会い、”如月”という名前を貰った夜、彼女は一旦家に帰った。
そして、次の日に再び自分たちは合流して、とある場所へと向かった。
自分が連れていったのは、廃墟のような洋館が建っている場所である。
屋敷の周囲を隙間なく壁の様な無機質なコンクリートブロックの高い塀が囲み、入口にある錆ついた鉄格子の門は固く閉ざされていた。門柱の上には、ライオンのような金属製の置物が両側にそれぞれ一体ずつある。厳つい表情をした奇妙な生き物は、門前を睨みつけるように見下ろし、まるで門番のようだ。
何人たりとも敷地への侵入を許さないかのように見えた。
「主に用があるので、開けてくれないかな?」
自分はその門番を見上げて、それに話しかけた。
すると、置物と思われたものは首を動かして自分を見ると、「名前は?」と尋ねてきた。
「多分、美人で優しい鬼が来たっていえば分かるはずだけど」
しばらく彼女と二人でただ立ちながら待っていると、門が自動的に開いた。
「入っていいそうだ」
門番は自分にそう話しかけたのを最後に、再び動かなくなった。
自分が敷地へと足を進めると、後を追うように彼女もついてきた。
入口まで石畳が続いているが、長い間管理されずに放置されていたのか、石が敷き詰められていないむき出しの土の部分は、雑草で覆われていた。
冬の季節だったから、雑草が寒さで枯れていて、まだマシな状況に違いない。
自分たちが建物の入り口に近づくと、大きな木製のドアが独りでに開いた。僅かな隙間の向こうからは、誰の気配もしない。自分はドアノブを掴んで、大きく開け放つ。
視界に飛び込んできたのは、屋敷の中央に位置する開放的な吹き抜けの上り階段。
くすんだ赤色の絨毯は、長年の歳月により色褪せて、かつての色の名残もなく劣化していた。
高い天井には、埃と蜘蛛の巣だらけのシャンデリアが飾られていて、傾いている。
「おーい、どこにいるんだ?」
自分が大きな声で問いかけると、しばらく間を置いてから、「二階だ」と何処からか小さな返事が返ってきた。
自分は彼女の手を取って、階段を上って行く。彼女は賢明なことに何も話しかけてこなかった。
二階のフロアへ行くと、長い一列の廊下が続いていて、それぞれ左右にある部屋へと行き来できるようになっていた。
全てのドアが閉まっていたが、自分たちが見守る中で、一つの部屋のドアが自動的に開いた。
まるでこちらへ来るように促す様に。
自分たちは、その開いた部屋へと向かって行った。その部屋に足を踏み入れると、部屋の中央にロッキングチェアーが置いてある以外、何も家具のない部屋である。
その椅子は、誰も座っていないのにも関わらず、ぎしぎしと木の軋む音を立てながら揺れていた。
周りを見渡すと、壁の一面に額縁に入った絵が一つ飾られているのに気付く。そこには、黒い燕尾服を着た中年の男の絵が描かれていた。
「そこにいたのか、舟子」
自分が絵に向かって話しかけると、「舟子と呼ぶな、色鬼」と、苦々しく絵の中の男が話し出す。
「相変わらず、女を侍らしおって。しかも、今回の女は、なかなか良いじゃないか」
「羨ましいだろう」
憎まれ口を叩くと、舟子と呼ばれた男はフンッと鼻息を荒くした。彼の本当に悔しそうな様子に、僅かな優越感に浸る。
「今日は女を見せつけに来たのではあるまい。何の用で来たんだ?」
彼の言葉に自分は薄く笑った。
「彼女の父の過去を見たいんだ。お前なら出来るだろう?」
舟子の目が怪しく光った気がした。
「出来なくはないが、彼女は了承しているのか?」
自分が彼女を見ると、親切でない会話のやり取りがよく分かっていないため、首を傾げて自分を見つめ返していた。
「こいつなら、お前の父親の過去を覗くことができる。しかし、その代わり、お前の時間が犠牲になる」
「犠牲?」
自分が説明すると、彼女は疑問点を口に出した。
「そう、お前にとっては、父親の過去を見ることは一瞬のことかもしれないが、現実に戻れば何年も時間が経っているんだ」
「過去に戻れば戻るほど、その過ぎ去る時間は多くなるぞ」
舟子も自分に合わせて、説明を足してくれた。
「それじゃあ、一週間くらい前の過去を見たら、現実にはどのくらい経ってしまうの?」
彼女は恐る恐る尋ねてきた。
「一、二年は経っているぞ」
「そんなに!?」
彼女は驚いた声を上げた。
「まだ肉親だからいいものの、全くの他人だったら、もっとかかる場合もあるんだぞ」
舟子の説明に彼女は困惑している。「そんなことを言われても」と彼女は呟いて、結論が出せずにいるようだった。
「悪いけど、彼以外に過去を知ることができる人物は知らないんだ。それに、お前の父親が殺される前あたりからの行動を直接見ることができれば、何か犯人のヒントを得られるかもしれないと俺は考えている。父親が外出したのは、いつから?」
殺人の場合は、自殺、過失致死、計画的な謀殺、故意の故殺などと色々とあるが、妖怪の目撃情報から、今回は謀殺に近い気がした。身内の犯行かもしれないと彼女は言っていたので、殺人の場面を見ることができれば犯人に心当たりが出てくるかもしれない。
とにかく、何かしら情報は得られるはずだ。
「えーと、確か二週間くらい前かしら? 一週間くらい母の実家へ滞在していて、帰る時に殺されたの。そして、それから検死があって、葬式があって…、さらに一週間くらい経っているわ」
「それなら、二週間前に戻れば大丈夫そうだね。そのためには二、三年の歳月が必要になるけど。決めるのはお前だよ。何もしないまま、手を拱いているか、一か八かのチャンスに賭けるか。どうする?」
自分は彼女を見つめた。彼女は俯き加減で深刻な表情をして、どちらを選ぶか悩んでいるようだったが、次の瞬間にはその瞳は決意した様子で自分を見つめ返していた。
「やるわ。二、三年ならまだ犯人も生きているだろうし、何とかなると思う」
彼女の答えを聞いて、思わず笑みが漏れた。
復讐を望んだ人間は、犠牲も厭わずに行動しなくてはならない――。そう自分は考えていた。それと同じ考えで、彼女が重大な選択してくれたからだ。
彼女には悪いが、これから彼女の父親が殺される場面を見る破目になるにも関わらず、自分には楽しくて仕方がなかった。
「よし、それじゃあ、君たちにはこっちに来てもらおうか」
舟子が言うと同時に、自分の視界が歪んだ。
絵に吸い込まれるように引き寄せられたと思うと、身体に浮遊感が襲って目の前が真っ暗になった。
彼女の悲鳴が聞こえた気がした。