色よい返事
敷地の庭に植えてある金木犀は満開になっている。今日は天気も良く、日差しは暖か。
風と共に仄かな花の香りが、家の縁側にいる二人の男女のもとまで漂ってきていた。
「正さん、今なんて言ったの?」
佳子は目下にいる男――坂井正に驚きながら聞き返した。
正と呼ばれた男は、佳子よりも一回り以上も年上だ。彼女が産まれる以前からずっとこの家に仕えてきた者である。
背恰好は大きめな女の人と同じくらいで、男の人の割には華奢である。顔は優しそうだが特に特徴もないため、静かにしているとあまり存在感がない。そんな控えめな家人だったが、父の代から仕えてくれた正に佳子は信頼を置いていた。
佳子と正がいる場所は、佳子が住んでいる屋敷の、居間に面した縁側である。
同じ敷地内に建っている離れ屋から正はここまで足を運び、外から鍵の掛かっていない硝子戸を開けると、居間で寛いでいた佳子に声をかけてきたのだ。
そして歩いて近づいてきた彼女に、正は縁側に腰を下ろして話し掛けたのだが――。
「五月家から了承の返事が来たと申し上げたのです……」
答える正の声は、どこか途方にくれていた。
その家人の様子を見守りながら、佳子は頬に手を添えて首を傾ける。その仕草の際、彼女の長い黒髪が数房流れて頬で揺れた。サラサラと彼女の頬を優しく撫でる、くせのない真っ直ぐな細い髪。今日は長い髪を背中へ何もせずに垂らしている。
着ている服はトレーナーと高校時代のジャージのズボンという非常に色気がないものだ。
「……そうなの。それは困ったわね」
佳子は彼の言葉に鷹揚に呟く。その様子は、どこか他人事のようにも見える。
佳子の命令で釣書と一緒に彼女の写真を添えて五月家にお見合いを申し込んだのは、ちょうど一週間前。
通常ならば申し込んだお見合いが相手にも気に入られて、話が進むのはおめでたい話のはずだ。
しかし、佳子には事情が違った。断られるのを前提で申し込んだのである。
佳子がお見合いを申し込んだ相手は、その五月家の四男坊。現在高校三年生の十八歳。ところが、当の佳子は三歳年上の二十一歳であった。
相手はようやく結婚できる年齢になった若者である。しかも、在学中。本人にしてみれば、結婚なんてまだ先の話だろう。さらに申し込んだ相手は一上家という、顔を会わせれば嫌みの応酬と言う非常に不仲の間柄。しかも三つも年上の女だ。
相手から「ふざけるな!」と激怒されて、一蹴されるものだと思っていた。
ところが蓋を開けてみれば、五月家から会いましょうと了承の返事が来たというのだ。
申し込んだ本人とは言え、事の成り行きに正直驚いていた。お見合いが進展するなど、予想外のことだった。
「どうしよう……?」
佳子の呟く声に正は反応する。
「とりあえず、会ってみるしかないんじゃないですか?」
正は至極まともな回答をした。
お見合いを申し込んだのは、一上家である。断る立場にはない。
「……そうね、会うしかないわよね」
佳子は少し考えたのち、面倒くさそうに答えた。
一体どういう事情で五月家がお見合いの話を進めようと思ったにせよ、場を設けて顔合わせはしなくてはならない。
(どうせ断られるのに違いないのに、わざわざお金を払ってまで会いに行かなくてはいけないなんて。)
佳子は自分が申し込んだことを棚に上げると、今月の生活費の残高を思い出してため息をついた。