会わせたい人 1
今日は一上真吾と会う約束をしていた日である。
佳子のパートの休みにあわせて、如月は予定を立ててくれた。
佳子の熱は下がったものの、まだ喉の調子は悪かった。湿度や身体を冷やさないように気をつけて回復に努めたが、完治まで及ばない。
今日の天気は快晴であるが、ほんの少し庭に出ただけで空っ風が身に凍みた。冷たい外気は遠慮したい体調なので、こんな日はあまり外出したくないのが本音である。
そのため、洗ったシーツ類は家にいる妖怪たちに干してもらった。
ご飯の支度はというと、生憎シロが不在なため、佳子は自分でする破目に。今日の佳子の朝ごはんは、食パンとヨーグルト、そして野菜ジュース。火はもちろん使っていない。
それからお昼前になり、如月が前回と同じ車で、わざわざ佳子の家まで迎えに来てくれた。
いつもの運転手は不在で、今日は如月自身の運転である。
「忘れ物は見つかった?」
佳子が車に乗り込む際に、真っ先に如月から尋ねられた。衰えを知らぬ妖艶な美貌の主は、佳子に微笑みながら言葉を口にする。
思わずゾクリとするほどの彼の魅力。佳子の視線は釘づけだ。久々に如月に会うと、彼の容姿に慣れるまでに少し時間がかかる。
佳子は助手席に座り、意識して視線を彼から外してシートベルトに向けると、「見つかったわ」とそれを装着しながら答えた。
「良かったよ。俺の気が利かないばかりに、不快な思いをさせて悪かったね」
如月は「お詫びたよ」と言いながら、後部座席に置いてあったものを取ると、佳子に渡してきた。それは綺麗に包装された大きな袋である。
佳子が開けてみると、その中にあったのは、ファッションに疎い佳子でも知っている程、有名なブランドのバッグだった。
「こんな高そうな物、受け取れないし、受け取る理由もないわ」
そう言って、辞退しようとした。しかし、如月は首を横に振る。
「たまたま忘れ物が見つかって良かったけど、下手をしたらバッグを失くしていたでしょ? お前が貰ってくれないなら、このバッグの行き先が無くなってしまうよ?」
如月はさらりと事も無げに言うので、佳子は素直に受け取るしかなかった。
それから車が発進して、今日の目的地へと向かい始める。
こんな高級品を気軽に買えてしまう如月。
気前がいいとは佳子は前から感じていたが、ここまでとは思っていなかった。
人間ではないため、色々と事情があると思い、詮索する様な質問を今までしてこなかった。しかし、今回の一件で、普段如月はどういう仕事でお金を稼いでいるのか、気になって仕方がなくなる。質問が喉まで出かかったが、思いつきで探るような真似をするのは、無粋な気がして思い止まった。
今日の彼の格好は、スーツほど畏まったものではないが、シャツとジャケットという、ビジネスカジュアル風なものだ。
佳子の目利きでも分かるほど、着ているものはいつも仕立てが良くて生地も上品そうな物ばかり。
そういう佳子も初めて会う人に失礼のないように装いには気をつけていたが、如月のものとは比べ物にならない。
佳子は話題を変えようと、週末に春人と会って荷物を渡してもらい、偽装の婚約をしたことを説明した。
如月は驚いた上に不審がっていたが、お互い利害が一致して手を組んでいると詳しく事情を話すと、合点がいった表情を浮かべた。
そういえば、と佳子は思い出す。先日、止むを得ず春人を家にあげてしまったことを。きっと我が家の散らかり具合に呆れたに違いないと、後になって恥ずかしさが襲ってくる。
佳子は母親がいないことを良いことに、家探しをして父の遺品を調べまくっていた。そのため、タンスの中身まで、ひっくり返して確認していたのだ。
しかし、そこまでしても、佳子が探しているものはまだ見つかっていない。
(今度、春人が来る前には、少し片付けた方がいいわよね……。)
春人のことを考えていたら、彼によって抱き締められた場面までも思い出してしまった。佳子の名前を切なげに呼ぶ彼の声。それが脳裏に甦り、胸が締め付けられるような、不思議な気持ちが込み上げる。
佳子が咳をすると、如月は「風邪?」と訊いてきた。それに対して頷くと、「食事が終わったらすぐに送るよ」と彼は体調を気遣ってくれる。
着いたところは、高級そうな料亭である。二人で駐車場から紅葉で見事に色づいた庭を通っていくと、和の趣深い平屋造りの建物が見えた。
先頭の如月が入口の引き戸を開けた直後、「いらっしゃいませ」と和服姿の店員が対応してくれた。
如月が名前を出すと、スムーズに個室に案内される。佳子が部屋に入った瞬間、イ草の爽やかな匂いがした。
少人数用の和室の部屋は、落ち着いた雰囲気なもので、真っ先に床の真新しい畳が目に入る。
床の間には飛ぶ鳥を描いた掛け軸が飾られていて、その前には鮮やかな朱色の花を描いた大きな絵皿が置かれていた。
重厚な木造の食卓が部屋の中央に置かれており、背もたれつきの座席が二つずつ対面する位置にあった。
窓側の障子は開けられており、見事な日本庭園が一望できるようになっている。
如月と佳子は、並んで座った。佳子が腕時計を見れば、まだ約束の時間にはなっていない。
(約束通り、真吾は来てくれるのかしら――?)
心配しながら佳子が待っていると、五分くらい過ぎたころに真吾はやってきた。
彼が入って来た瞬間、佳子は息を飲む。写真でも見たとおり、亡くなった父かと思うほど、彼は父に似ていた。
予め知っていたものの、やはり実物を見ると、驚きを隠せない。
真吾はスーツを着用していて、服装の好みは父とは異なるものの、背恰好や顔つきなど、共通点が多くみられた。
「遅くなって申し訳ないです」
真吾の話し方は父とは異なっていたが、声の質はよく似ていると佳子は感じた。
真吾は会釈しながら入って来た。すぐに彼は佳子がいるのに気付いて、驚いたように顔色を変えた。
彼は複雑そうな表情をしたまま、空いている佳子たちの向かい側の席へと近づいて正座をする。それから頭を下げて「お招きありがとうございます」と挨拶をしてきた。
佳子たちもお辞儀を返す。横にいた如月が、真吾に声を掛けて挨拶を返していた。
そのやり取りの間、佳子は目の前にいる真吾の様子を食い入るように見つめる。佳子は急に込み上げるものを感じて、それを押さえようとしたが、できなかった。
涙が佳子の頬を伝う。
真吾が佳子の様子に気付いて、何か言いたげな視線を佳子に向けてきた。
「ごめんなさい、亡くなった父にあまりにも貴方が似ていたものですから、まるで父に再び会えたようで嬉しかったんです」
佳子はいきなり泣き出してしまった無作法を詫びた。
「そんなに僕は似ていますか……」
困ったような表情の真吾は、佳子に尋ねてきた。
「ええ、生き写しのようです」
父が若返ったら、今の真吾のような顔だちだろう――と思うくらいに。
自分より一回りくらい年上の真吾を、温かい気持ちで見守りながら、そう佳子は答えた。
その時、「失礼します」と声がしたと思うと、襖戸が開いて正座して手をついた仲居が姿を見せた。
「お料理を運ばせていただきます」
次々と料理が運ばれて、食卓の上を飾っていく。その間、佳子たちは無言である。
それから並んだ料理の説明をした仲居達は下がって行き、部屋には三人だけになった。