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学校での騒ぎ

 月曜日の学校は、春人にとって不愉快そのものだった。

 学校でのお見合い話はいつの間にか沈静化して、誰も尋ねて来なくなっていたが、休み時間にストーカーと化している大橋が用も無いのにやって来たからだ。彼女は春人をいつものように悩ませた。

 大橋は大声で話してしまった。先週の土曜日に一緒に買い物に出かけたことを、周りにいる人間にわざと聞こえるように。

 満面の笑顔を浮かべて「デート楽しかったね」と話す大橋に対して、だんまりを決め込んだ春人。何を言ってものれんに腕押し状態だと悟っていた春人は、“デートなどした覚えはないのですが”と心の中で悪態をつくことしかできなかった。

 春人の義父を唆して、一緒に自分と出かけるように仕向けた大橋。恐ろしいことに春人が親に逆らえないことを彼女は見抜いているのだ。

 春人にとって腹立たしいやり取りだったが、大橋のやり方は正直舌を巻くものがあった。

 佳子の時に参考とさせてもらおう――と春人は苦い経験から一つ勉強になった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 春人は学校が終って帰宅後、夕飯を作って用事を済ませてから、曽我の家へ久しぶりにお邪魔した。

 佳子から預かっている負傷した妖怪のシロの件があったからだ。

 春人と曽我の付き合いは長い。春人は曽我に自分の能力を買われて、臨時のバイトをしていた。妖怪の探索へ出かける時のお供として。

 普通の人間では行けない場所へ、春人の力を借りて足を踏み入れることができるからだ。よく曽我を背負ってあちこちの山を登ったものである。

 色々な知識を持つ曽我の話に興味があった他、謝礼としてお小遣いを貰えるので、春人は進んで彼の頼みを引き受けていた。


 定時で仕事を終えていた曽我に会ったとたん、開口一番で「合格おめでとう」と言われた。

 春人は一瞬何を祝われているのか分からなかったが、初秋の頃に受けた役場の採用試験に合格していたことをすぐに思い出した。曽我とは久しぶりに会ったから、彼からのお祝いの言葉が遅くなったのだ。

 それに対して「ありがとうございます」と、春人は答えた。

 里にある役場の支所には、妖怪用の部署がある。そこに里の出身者が配属されるのは、お約束のことである。

 来年の春からは、曽我の後輩になる予定だ。


 どこか愉快そうな曽我は、好奇心に溢れた目つきで春人を見ると、「大橋と親公認で付き合っているんだって?」と、尋ねてきた。

 春人は思わず耳を疑う。――曽我は一体どこからそんな話を聞いたんだろうと。

 しかも、いつからそんな噂が広まっていたのかと思うと、不快を通り越して恐怖だった。

 血の気がひいて目の前が真っ暗になりそうになる。

 春人が噂の出所を尋ねると、大橋本人から聞いたと曽我の職場の同僚が言っていたとのこと。

 狭い里の中では、面白おかしい噂話は、人の話題に上り易く、広まるのが早い。

 大橋という女は、外堀から埋めてゆき、いつの間にか自分とは周知な関係にして、逃げられないように追い詰めていく気なのだ。

 春人は彼女の周到な手際に、心底恐ろしくなった。


「全くのデマです。職場の人にも伝えてください」


 憮然と春人は訂正して、治療のために妖怪のシロを預けた。


 春人の義姉から貰っていた妖怪用のお札で、シロは身動きが出来ないようにされている。

 シロは視線だけ動かして、春人の方を睨んでいた。

 シロの怪我はどのくらいで治るか尋ねると、頭が凹んでいるだけだし、一~二週間もあれば治るんじゃない?と曽我は適当に答えていた。


 もともと存在自体が人間と違って、不可思議なものである。

 完全に滅せられない限り、時間をかければ放っておいても死なずに元通りに戻ることは多い。

 恐らく佳子は知らなかったのだ。妖怪を激しく痛めつけたことや、傷ついた場面を目撃したことがないのだろう。人間と同じように彼女は妖怪を心配していた。そこに付け入り、毎週会う約束を無理矢理取り付けたのだが。

 それなのに、たった一~二週間程度で治ってしまうのは、春人にとって都合が悪かった。


(何か理由をつけて佳子には誤魔化し、彼女と会う機会を引き延ばさなくては――。)


 考えながら春人が帰ろうとした時に、曽我が声をかけてきた。


「そういえば、今年の夏の山神様はどうだったの?」


 曽我の言う“山神様”とは、里にある山の1つで起きる不可思議な現象のことだ。十五年くらい前から毎年繰り返されるので、いつしか地元の人にそう呼ばれるようになったものだ。

 夏のお盆頃になると、お菓子などの食べ物が一つ二つ、里のあちこちの住宅からいつの間にか盗まれるのだ。

 盗られた物は、どこにでもあるお菓子の類で、全然金目のないものである。

 しかし、家の中に盗人が入ったとなれば、気分が悪い。

 それで里の住人の誰かが、犯人を見張っていたところ、こそこそと家の中に入ってお菓子を物色していたのは、意外にも妖怪だった。

 里の中には妖怪が他所より数が多いとは云え、滅多に人目に触れることはない。いつも隠れて暮らしている彼らが、危険を冒してまで、たかが人間のお菓子を狙って持っていくのは、不可解なものといえた。

 妖怪たちはお菓子を手にしてそっと民家を出ると、山の中へと消えて行く。

 その山は人の手が入っておらず獣道のみで、普通の人間には妖怪に気付かれずにそれ以上の追跡は無理だった。

 しかし、盗ったものを食べずに、一様に山の中へ持っていく妖怪たち。きっと山に住む神様に捧げているに違いないと里の者は解釈して、妖怪たちの行動を受け入れることにしたと云う。

 ところが、ここ二年くらいは恒例の珍事が行われず、何か不吉なことの前触れかと、かえって心配されていた。そんな最中、やっと今年になって盗難が再開されたので、山神様が再び戻ってきたと話題に上っていたのだ。


 春人も気にしていた人物の一人である。

 中学一年生の時に五月家から義母へのお見舞い用のお菓子を盗まれて以降、春人は山神様にずいぶんと執心し、毎年妖怪たちがお菓子を盗むたびに後をつけていた。

 先程の曽我の発言は、それを踏まえてのことだった。毎年追跡に失敗していた春人。今年は上手くいったのか、曽我はその結果を訊いていた。


「今年も駄目でした」


「そうか、残念だったなぁ」


 曽我は春人の報告に少し肩を落とした。


「すいません、では失礼します」


 挨拶をしながら、春人は胸が痛んだ。お世話になっている曽我に嘘をつき続けていることに。

 本当は、山神様の姿を春人は知っていた。ただ、春人は曽我に山神様を会わせたくないという理由だけで、偽りの報告を続けていたのだ。

 妖怪たちに囲まれた神様は、他の人間に気付かれたと分かったら、二度と現れない可能性もある。

 もし正直に話せば、彼の性格のことだから、きっと自分も見たいと言い出すだろうと分かっていた。しかし、曽我を連れて行ったりしたら、妖怪たちに発見される確率が高くなる。

 もし山神様に会えなくなったらと思うと、春人は本当のことを彼に言えなかった。

 中学一年の時に山神様を発見してから、毎年ずっと気配を殺して遠くから見てきた。

 やがて見ているだけで満足できなくなって、妖怪たちのように山神様の側へ行きたい――と悩み始めた矢先。急に現れなくなった山神様。その時に春人は自分の気持ちに気付いてしまった。


 曽我に玄関先で見送られて、春人は帰宅した。それからすぐに、佳子の体調が気になり、家の電話を使ってかけてみる。

 電話に出てくれた佳子は、まだ喉の調子は悪そうだが、熱は下がったと言っていた。あれから風邪が悪化していなくて、春人は安堵する。

 シロの怪我の具合はどうかと佳子に尋ねられた時は、「頭を負傷しているため、治ったように見えてもリハビリを兼ねて予後の観察が必要なので、一カ月はかかると言われました」と、時間稼ぎに嘘をつく。

 佳子の心配そうな声を聞くと、本当に後ろめたい。

 しかし、彼女に会う口実が無くては色々と困るのだ。接触しなくては何事も始まらない。


 積み重なる虚言、誤魔化し。

 それがいつ春人に跳ね返って圧し掛かるのか、まだ分からなかった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 その次の日の火曜日は、すごい騒ぎになっていた。

 春人がいつも通りに学校へ行くと、朝礼前に男のクラスメイトたちによって席を囲まれる。


「お見合い相手と婚約したって本当!?」

「マジで結婚するの?」

「そんなに美人だったの?」

「大橋とはどうなったの?」

「お前って、ホモじゃなかったんだ!」


 前回と同じように次から次へと矢継ぎ早に質問された。

 最後の見当違いな発言をした奴に、春人は恨みの籠った鋭い視線を送りつつも、マイペースに鞄からノートや筆記用具などを取り出して、机に仕舞っていく。

 女っ毛のない春人に対して邪推している奴がいることを知ってはいたが、面と向かって言われると、腹が立つものがある。

 いつもの通り、鞄を机の横のフックに掛けると、クラスメイトたちに視線を巡らせた。

 集まっている人たちは、前回と同様に春人と同郷の者たちばかり。

 月曜日に仲介人の二木へ婚約の報告をしたと義兄の慶三郎が言っていた。あっという間に広がった噂を聞きつけて、目の前にいる彼らは真相を尋ねに来たのだ。


「婚約の話は本当です」


 今回の春人は黙秘をせずに、集まった人たちへ事実を聞かせていた。


「おおー! すげーな!」

「噂は本当だったんだ!」


 大きな歓声と共に盛り上がる教室。

 その騒ぎを聞きつけて、他のクラスメイト達も何事かと集まって来ていた。


「え、五月が結婚するって!?」

「マジで? あのぽっちゃりした隣のクラスの女と付き合っているんじゃないの? 違ったんだ?」

「いつ結婚するの? 卒業後!?」

「結婚って、早すぎない? もしかして、できちゃった婚!?」


 春人の周りは人垣が作られて、凄い騒ぎとなってしまい、教師が入って来ても誰も気付かない。


「お前ら、朝礼を始めるぞ! 席につけ!」


 教師は一際大きな声を張り上げると、それでようやく気付いた生徒たちは慌てたように席に戻り、ようやく場は沈静化されたのだった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 昼休みになって、春人はいつものように自分の席でお弁当を食べる予定だった。

 山村が来る前に、春人がさっきまで受けていた授業の教科書などを片付けていると、誰かが騒がしく廊下を走って来る音が聞こえて来る。その人物は春人のいる教室へ飛び込むように入ってきた。

 怒りの表情をした大橋だ。

 春人は慌てて大橋から目線を外すが、彼女は一直線に春人の元へと近づいてきて、机の前に仁王立ちした。


「ちょっと、あの女と婚約したってどういうこと? 全然聞いていないんだけど!!」


 大橋は何故か始めから喧嘩腰である。

 彼女のどなり声に、春人は再びうんざりした。


「大橋さんに話を通さなくてはならない筋合いはないと思いますが。厚かましく彼女面をしないでください」


 “親公認の仲”だと嘘を言い触らしている大橋に対して、腹に据えかねていた春人は仕返しとばかりに嫌味を言った。


「そんな言い方ひどい! それに、あたしの気持ちだって知っているくせに、何も言わずに他の女と婚約するなんて、ひどいよ!」


 酷いのはそっちだと言い返したくなったが、大橋となるべく関わりたくなかった春人は口を噤んだ。

 会話も恋愛も一方通行の大橋がどうしてここまで憤るのか、春人には全く理解できない。

 ありもしないことをべらべらとあちこちに言い触らす彼女。そんな会話の通じない大橋に春人は辟易として、聞こえるように舌打ちをする。


「すいませんが、ご飯を食べたいので、騒がしくするなら別のところでしてもらえませんか?」


 春人は全く申し訳ないと思っていなかったので、慇懃無礼な態度で大橋に言い捨てた。


「ちょっと、話はまだ終わって無いんだけど!」


 大橋はバンッと大きな音を立てて乱暴に机の上を拳で叩き、身を乗り出して抗議してきた。

 その大きな音が酷く耳触りで、そうでなくても苛つかされていた感情がざわりと逆立つ。


(何故自分はこんな目に遭わなくてはならないのか――。)


 春人の忍耐は限界だった。


「これ以上、ただの親戚の大橋さんとお話しすることは無いと思いますが」


 春人は声をできる限り低くし、不快な表情を露わにした。

 射殺しそうな眼光で大橋を睨むと、彼女はやっと春人の本気の怒りが分かったのか、思わず息を飲んで後退り、身体をよろめかせた。


「そんな言い方しなくてもいいじゃない……」


 大橋の目には涙が浮かんでいる。

 その表情は、いかにも傷ついていますと訴えていたが、春人はそれに全く心を動かされなかった。

 女が泣いても、態度を全く軟化させない春人に為す術がないと大橋は悟ったのか、くるりと春人に背を向けた。


「ハル、覚えてなさいよ!」


 恨みのこもった捨て台詞を残して、大橋は来た時と同じような勢いで教室から出て行った。

 ようやく大橋が去ったことに安堵した春人は、やっと視界の範囲に山村がいるのに気付く。春人から離れたところ、つまり教室の隅で立っていて、彼は引き攣った表情を浮かべている。

 春人と目が合った山村は、スイッチが入ったように動きだした。


「大丈夫?」


 山村はこそこそと様子を伺いながら近づいてくる。


「ご、ごめん。怖くて近づけなかったよ」


 山村は身を縮ませていて、本当に怯えているように見えた。


「ああ、すいません。でも、これで彼女も二度と近づいて来なければ良いのですが」


 春人は心底うんざりして山村に返事をすると、鞄から弁当を取り出した。

 山村は定位置となっている春人の前の席を借りて座る。


「でもさ、ああ云うタイプって後が恐いよね。逆恨みして何するか分からないよ」


 去り際の台詞を思い出すと、山村が心配するのも仕方がない。

 嘘を平気で他人に話せる大橋の神経は、到底理解できない。そんな彼女だからこそ、逆恨みは十分有り得そうである。


「何気なく背筋が寒くなるようなことを言わないでください。しかし、私にこれ以上何をしても無駄だと思いますが」


「うん、そうだね。何事もないことを祈ってるよ……」


 山村も春人と同じように暗い顔をして、昼食を一緒に食べ始めた。


「そういえば、春人って婚約したんだって? 直接言ってくれないなんて水臭いなぁ」


「すいません。噂が広まる速度が速すぎるんですよ。婚約したのは、先日の日曜日なんです。月曜日に仲介人に義兄が報告をしたばかりで」


「はぁ、お見合いしたと思ったら、今度は婚約かぁ。一体、どんな事情があるの?」


「それは、今は言えないんです」


「そっか……」


「でも、」


「でも?」


「上手くいけばいいなと思っています」


 真剣な口調で話す春人を、山村は信じられない顔つきで春人を見つめて固まる。

 今日の山村のお昼ご飯は、母親が作った弁当だ。ちょうど彼はタコの形に細工してあるウィンナーを箸で摘まんでいたが、春人に気を取られ過ぎて注意力が散漫になったのか、それを箸から落としてしまう。ころりと弁当の上に転がった。

 すぐにおかずを落としたことに気付いた山村は、慌てて落としたウィンナーを箸で突き刺す。


「そ、そうか。陰ながら応援してるよ」


 山村は取り繕うように愛想笑いを浮かべる。

 春人は彼の様子がおかしいことに気付いたが、あえて訊き出したいと思うほど興味を持てなかった。


「ありがとうございます」


 素直に礼を言う春人。他人に関心が無いのは、いつものことだ。山村が来なければ、昼食だって独りで済ますだけ。彼の好意を無下にする必要がないので、共に過ごしている。


 その後は何事もなく、二人はいつものように穏やかに昼食をとった。



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