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春人と。 8

「この妖怪が佳子さんのご飯を作っていたのなら、私が代わりに用意します」


「何をおっしゃっているんですか? 五月さんが毎日のご飯を用意できるわけ無いじゃないですか」


 春人と佳子の家はすごく遠い。近所ならともかく、車で片道三時間もかかる距離なのに、毎日のご飯を用意するなど無理な話だ。それに男性の春人が、料理をできるとは思えなかった。


「毎週、佳子さんの家にお邪魔して、一週間分のおかずを作って冷凍保存しておきます。佳子さんにはレンジで温めていただく必要はあるかもしれませんが、できる限りのことはいたします」


「五月さんが毎週来て料理するんですか!?」


 とんでもない話に佳子は肝を潰す思いがした。毎週会うとしたら、一体どんな出来事に彼のペースによって巻き込まれるのか想像もつかない。

 今日だけでも、色々と酷い目に遭っていた気がする。

 それに加えて、身近に美形は如月だけで十分である。しかも同じ美形でも、スマートで気遣いの行き届き、落ち着いた雰囲気の彼とは違って、春人は色々と不器用でやり取りが慣れず、常に一生懸命な感じがした。


「そうです。ちょうど婚約しましたし、毎週のようにお会いしても外聞的には問題ないでしょう」


 しれっと当然のことのように、とんでもないことを話す春人を、佳子はこの時は信じられない思いで見つめた。


「そ、そんなの、五月さんに負担が大きすぎます! 確かにシロがこのような目に遭って困りますが、毎週のお休みを私の為に使っていただくわけにはいきません」


 せっかくの休日なのに、佳子は自分の気が休まらなそうであった。


「シロが治るまでの限定的なものですし、大丈夫ですよ。ちなみにシロは五月家(うち)で預かって治療いたします。里には妖怪に詳しい人がいるので、診てもらおうと思います」


 シロのことを想うと、この春人の提案は素晴らしかった。妖怪とはいえ、きちんと診てもらえるならば、とても有難い。


「そうですか。専門の方に診ていただけるなら、安心ですね。シロの身柄は五月さんへお任せします。ですが、パートが休みの日は、私は内職をしなくてはならないので、五月さんに訪問していただいても、なかなかお相手が出来ないんですよ。そちらの方はご遠慮したいんですが」


 佳子はもっともらしい理由をつけて、はっきりとお断りをしてみた。今までの経緯を思い出すと、彼がこれしきのことで諦めるとは思えなかったが。


「大丈夫ですよ。お伺いしても家事をしているだけだと思うので、お客様みたいに対応していただかなくても結構です。佳子さんは自由に過ごしていてください」


 案の定、春人は佳子の言い分を物ともしない。


「でも、毎週往復六時間は辛くないですか?」


 佳子はさらに食い下がる。


「元はと言えば、私のせいでシロが負傷したので、自業自得です。ですから佳子さんが気になさることではありません。シロが治るまでの話ですし、大丈夫ですよ」


「でも、ガソリン代とかかかって大変じゃないですか」


「そうですね、それじゃこうしませんか? 佳子さんには巻物を作っていただきたいんです」


「巻物? えーと、修行用のですか?」


 佳子は浜辺の駐車場での会話を思い出す。一上家が修行用の巻物を作っていると、春人は話していた。


「そうです。実は、ほとんどの巻物の妖怪は制覇してしまって退屈だったんですよ。だから、一上家の当主としての実力を思う存分発揮した超難関の敵を作って欲しいんです」


 佳子は風邪のために頭がぼうっとして、だんだんと言い訳を考えるのが、辛く面倒臭くなってきた。


「そうなんですか…。修行用の巻物を作るのは初めてなので、ルールとか色々とお聞きしなければならないんですが、それでもよろしいんですか?」


「はい、喜んで。楽しみにしていますよ」


 結局、佳子は話し合いで負けた。心の中で、色々と諦め気味にため息をつくばかりである。

 シロが治るまでの辛抱だから、多少のことには目を瞑ろうと佳子は思った。


「そういえば、シロが最期に言っていた不埒な真似って何だったんですか?」


 佳子が話を戻すと、交渉に勝利して機嫌の良さそうだった春人は、一瞬にして具合の悪そうな表情をした。


「覚えていたんですか」


 春人は視線を佳子からずらして、眉間に皺を寄せながら気まずそうに呟いた。


「そもそもシロが話すのを止めさせるために、口封じとして攻撃したんじゃないですか」


「口封じなんてとんでもない。あれは不幸な事故ですよ。それに…、私は何もしていませんから。佳子さんのコートを脱がせただけです。何か誤解になりそうなことをあの妖怪が口にしそうだったので、止めようとしたら、手が滑って持っていた蓋が飛んで行ってしまったんです。嘘だと思うなら、他の妖怪にも訊いてください」


「本当なの?」


 佳子が真横を向いて、壁際にいる妖怪たちに尋ねる。すると、皆一様に佳子の傍にいる春人に視線を釘付けにして、がくがくと首が落ちそうなくらい激しく何度も頷いていた。――恐怖で強張った表情をして。

 そんな彼らの様子に佳子は腑に落ちないものを感じつつも、誰も否定をしなかったので、これ以上の追及は諦めた。しつこく追及しても相手を不愉快にさせるだけである。


「そうですか……。五月さんには色々とお世話になっていますし、とりあえず信じますね」


「はい、ありがとうございます。それでは佳子さんは部屋でお待ちください。」


 春人は安心したように頬を緩めると、軽やかな動きで立ち上がり、佳子のために手を差し伸べてくれた。

 佳子は自分より大きくて骨ばった手を見つめる。少し躊躇った後にその手を取ると、春人によって引き上げられて立ち上がった。

 しかし、予想外なことが起きてしまった。引っ張られた力が強かったのか、佳子の身体がふらついてしまい、勢い余って春人の胸元へ飛び込む様な形で、抱きついてしまったのだ。


「あ、ごめんなさい!」


 佳子は慌てて謝罪を口にする。それから春人の体に顔をぶつけて眼鏡がずれてしまったため、その位置を直そうと手を添える。そして、佳子はすぐに彼から離れようとしたが、それは叶わなかった。


 春人にいきなり両手で抱きしめられたからだ。

 離れようとした佳子の体が、今度はぎゅうっと頑丈な両腕で捕らわれて春人と密着する。

 直に触れ合うお互いの身体。服越しに春人の逞しい男性の体つきが感じられて、佳子の胸中が落ち着かなくなってざわめく。

 そして、「佳子さん――」と思いつめたように頭上から自分を呼ぶ声。

 突然の切なげな声に、佳子の鼓動は跳ね上がった。


「あの! ゲホゲホ!!」


 佳子は驚いて思わず悲鳴に近い声を出してしまったとたん、痰が絡まり咳込んでしまった。

 春人は佳子の異変に気付き、慌ててすぐに佳子の体を開放してくれる。すぐに彼は遠慮がちに佳子の背中をさすってくれた。その彼の優しい手つきに、佳子はどこか心の奥で安心を覚える。


 けれども、佳子の咳込みはあまりにも酷く、呼吸が苦しくて仕方が無かった。身体をくの字のように前かがみになって、自分の口元を押さえるほどである。


「大丈夫ですか?」


 佳子の体調を気遣い、心配そうな声で春人は尋ねてくる。


「はい、すいません……」


 やっと咳が落ち着いたところで、佳子は荒く呼吸をしながら、何とか答えるのがやっとだった。

 苦しさの余り、目には涙が浮いていた。


「さっきは、驚かせてすいません」


「いえ……」


 佳子は動揺のあまり、彼の目を見ることができずに、俯いたままだった。


(春人が先程抱きついてきたのは、何故?)


 ドキドキと佳子の心臓が激しく鼓動して、さらに体温が上昇している気がした。

 出会ったばかりの佳子に対して、春人が思いを寄せている可能性はゼロのはずである。そう考えて、佳子は努めて冷静になろうとした。


(さっき、私の身体がふらついたから、ただ単に彼は支えようとしただけよね……?)


 佳子はそう結論付けようとした。

 目的のある佳子は、誰に対してもときめくつもりはなかった。

 妖怪がいるとはいえ、家の中で男女二人きり。いきなり抱擁されたら、誰だって変に意識してしまうはずである。 そうでなくても、春人は見とれるくらい綺麗な顔をしている。だから、周りにどんな影響を及ぼすのか、もっと自覚を持って欲しい。無駄に心を揺さぶらないで欲しいと、佳子は不満に思わずにはいられなかった。


 その後、佳子は気まずい気持ちで自室に戻り、大人しくベッドに横になっていた。

 騒動が治まった台所から春人がお粥をお盆に載せて持って来てくれて、それをいただいた後に用意してもらった薬を服用した。

 春人に甲斐甲斐しく世話してもらう姿と、父の生前の姿が重なり、佳子は少し切なくなる。鼻の奥がツンとして、目頭を思わず押さえた。


 再び横になると薬が効いたせいか、佳子はすぐに寝てしまった。

 春人の帰りを見送ることができなかったが、彼は佳子の部屋を出る際に、食器を片づけたら勝手に帰るから気にしないようにと言い残していた。


 佳子が目覚めると、月曜の早朝になっていた。

 体は昨日より楽になっていたが、熱を測るとまだ微熱があったので、仕方なくパートは休むことにした。

 家の中には、寝ている間に春人がとっくに帰っていて、妖怪以外誰もいなくなっていた。春人が約束通りに連れ帰ったのか、シロの姿も見当たらない。

 居間の食卓の側に置かれていたのは、佳子が昨日使っていたバッグと、先週忘れて行ったバッグと上着。

 バッグの中を見ると、キャッシュカードが入った財布、スケジュール手帳などが記憶通りきちんとバッグに入っていて、紛失しているものは何もなかった。


 春人が居る時の我が家は、騒がしくて賑やかなものだった。逆に居なくなったら静かすぎて、少し寂しい気がした。

 晩秋の朝は、そうでなくても冷え込んでいる。

 佳子はストーブを点けなくてはと思い、病気の体に鞭打って動きだした。

 昨晩は、春人が色々と甘やかしてくれたから、病気の身としては、とても頼りがいがあって嬉しかった。しかし、あんなに春人が尽してくれたのは、自分のせいで風邪をひかせてしまったと思いこんでいたからだ。


 誤解をしてはいけない――と佳子は自分に言い聞かせる。


(あれは、ただのつかの間の優しさ。父がいた頃は、当たり前に与えられるものだったけれども――。)


 無くしてから分かる、大切だったもの。


 佳子との貧しい暮らしと、自分の欲望を満たす生活のどちらを取るか。そう選択を迫られた時、母は迷わず後者を取った。

 母にとって大事なのは、佳子ではなく自分自身だった。

 予想していたとは云え、その事実はやはり辛かった。佳子を本当に大事に思ってくれたのは、亡くなった父だけだった。


(心に宿る一抹の寂しさは、病気のせいで気が弱くなっているせい――。)


 佳子は枯れ葉舞い散る庭を窓際で眺めつつ、そう考えることにした。



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