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春人と。 7

今回の話に、暴力的なシーンがありますのでご注意ください。

 佳子はトレーナーと綿パンというルームウェアに着替えた後に、机の上に置いてあった眼鏡に気付いた。それを掛けて居間へ移動する。

 そこにいたのは春人で、珍妙な面持ちで畳の上で正座をしていた。

 整った彼の顔に不似合いな白い詰め物が、片方の鼻の穴に差し込まれている。

 春人は佳子の姿を捕えるや否や、慌てて土下座をした。


「申し訳ございません。け、決してやましい気持ちがあったわけではなく、物音がしたので心配になって様子を見に行っただけなんです!」


 ここまで潔く謝られると、佳子は怒る気力がぼろぼろと崩れ落ちるように無くなっていった。

 もともと発熱で怒るだけの体力がないのに加えて、目が覚めるまで待っていてくれた春人に対して感謝の気持ちが芽生えていたからだ。

 見られたと云っても一瞬だけだったし、前回と同様に事故の様なものだ。それに、怒りというより恥ずかしい感情の方が、占める割合がもとから大きい。


「あの、土下座は結構ですから、頭を上げてください」


 佳子がそう言うと、恐る恐るといった様子で、春人は面を上げた。

 鼻の詰め物のせいで、その姿は滑稽に映る。

 思わず笑いそうになるのを何とか堪えて、「怒っていませんから」と付け加えた。

 その言葉に春人は安堵した表情を浮かべる。


「その鼻、どうしたんですか?」


「……ちょっと出血してしまったので」


 鼻を手で押さえつつ、気まずそうに春人は答えた。

 佳子が居間にある時計を見ると、八時近くを針は指していた。長い時間、意識を失うように自分が寝ていたことに佳子は気付く。


「あの、色々とお手数おかけして申し訳ござませんでした。もう遅いですし、五月さんは早く帰られた方がいいのでは?」


 今から帰っても春人が自宅に着くのは、夜中になってしまう。帰路へ向かう彼のこれからの労力を考えると、佳子は大変心苦しかった。


「私なら大丈夫ですよ。あの、失礼ながら佳子さんが寝ている間に、勝手に電話を使わせてもらって、実家へ遅くなる旨の連絡をしましたので」


「そうだったんですか。ご家族は心配されていませんでした?」


「自分は男ですし、心配無用です。家族と言えば、あの、佳子さんは家族と一緒に住まわれているんですよね? 今日は外出されているんですか?」


 春人の話題に上がり、佳子は母の存在を思い出す。春人が母の所在を尋ねたということは、それほど母の帰省が里の中であまり広まっていないということだ。


「いいえ、母は実家に帰っています。当分帰ってきません」


「それじゃあ、今はお一人で住まわれているんですか?」


「そうです」


「そうでしたか、それでは体調不良の時は大変ですよね」


 春人は言いながら、正座をしていた足を崩して、立ちあがった。


「佳子さん、何か食べられますか? 少しでも口に入れて、薬を飲んだ方がいいですよ。台所をお借りしてお粥を作ったんです。あと、口当たりの良いものと思って、ゼリーやスポーツ飲料、リンゴも買っておきました。風邪薬も無かったら困ると思って買ってみたんですが、大丈夫でした?」


「そ、そうなんですか? わざわざすいません」


 佳子は春人の心尽くしに、感謝を通り越して恐縮した。


「何か食べられますか?」


「はい、せっかくですのでお粥をいただきます」


 重い体を動かして台所へ行こうとしたら、春人に止められた。


「佳子さんは休んでいてください。私が用意しますので」


「で、でも、」


「辛そうじゃないですか。ベッドで寝て待っていてください」


「は、はい……」


 春人との何度か目のやり取りで、春人が絶対に折れることがないと悟っていた佳子は、早々に従うことにした。

 そもそも遠慮から来る抵抗だったので、風邪ひきの状態では、春人に素直に甘えた方がお互いのためである。


 春人は台所へ向かい、佳子は自分の部屋に戻ると、照明から垂れ下がっている紐を何度か引いて全灯に調節した。

 それからベッドに横になろうとした矢先、何やら屋敷の中で複数の怒鳴り声が聞こえてくる。


「おのれ、またきたな、ろうぜきものめ~!」

「台所は俺たちの縄張りなんだぞ」

「出ていけー!!」


 そして、鳴り響く激しい物音と足音。

 ガタンガタン。

 ゴンゴン。


「ギャー!」


 響き渡る絶叫。


「ヒィ! やめて! お助けください!」


 泣きながら制止を求める声がした。

 一体、何が起こっているのだろうと、佳子は胸騒ぎがして仕方がない。

 聞こえてくるのは、屋敷で佳子がいつもお世話になっている妖怪たちの声。

 一人暮らしをするようになってから妖怪屋敷と化した我が家。今まで自分の不在時に他人を入れたことがなかったので、家に居付いている妖怪たちが部外者に対してどのような反応を起こすのか、全然知り得なかった。

 どうやら、佳子の意識が無いうちに、家の中を好き勝手に使う春人を、敵だと妖怪たちは見なしてしまったようだ。

 自分しか騒ぎを収められる者はいないと思い、よろめきそうになりながらも、壁伝いに歩いて台所に顔を出した。


 春人は調理場に立っていて、入口にいる佳子に背を向けていた。

 そのため、佳子が台所へ来たことに気付いていなかった。

 何匹かの妖怪が壁に張り付くようにして震えており、台所の中央で一匹だけぴくぴくと痙攣しながら倒れていた。

 それはいつも佳子がよくお世話になっている調理人のシロである。


「シロ!!」


 佳子は慌てて駆け寄って、シロの元へ膝まずいた。


「よしこさま……。もうしわけございません。こんなありさまでは、ごはんを、つくれません……」


 途切れ途切れに話すシロは、今にも事切れそうだった。

 細い腕の先には、愛用しているおたまが握られていた。もう片方の手には、包丁が握られている。

 あまりにも物騒な品物に、佳子は一瞬ぎょっとしたが、シロの話す内容の重大さの前では些末なことであった。


「そ、そんな! シロがいなかったら、誰が私のご飯を作るというの!?」


 佳子にとっては死活問題である。

 自分で調理すると、何故か食材が消し炭のようになってしまうことが多かった。

 佳子の知る限り、妖怪で人間の食べ物を作れるのはシロしかいない。


「佳子さん、どうしてここに?」


 春人が驚いたように振り返って、佳子の姿を捉えていた。


「騒ぎがあったから、心配になってきてみれば、シロをこのような目に遭わせたのは五月さんなんですか?」


「包丁を持って襲ってきたのは、そいつですよ?」


 佳子の非難の視線に、春人はたじろぎながらも弁明をしてきた。

 正当防衛だと言いたいのは分かるが、何も瀕死になるまで痛めつけなくてもいいではないか。佳子の中で怒りと悲しみが膨れ上がる。


「よしこさまに、ふらちなまねまでして……」


 シロが恨めしげに春人を睨みつけながら、聞き捨てならないことを言った。


「不埒な真似?」


 思わず訊き返すと、シロは倒れたまま「そうなんです!」と手に持ったおたまを春人へ向けて、一際大きき声を張り上げた。


「いしきのないよしこさまに、あろうことか、こいつは、グハッ!!」


 シロの頭部に、目にも留まらぬ速度で鍋の蓋が飛んできた。ぼろ布を被ったシロの額と思われる部分に、蓋の縁の部分が縦方向にめり込んでいる。


「キャー、シロ!!」


 シロが、ガクリと力尽きた。

 叫ぶ佳子の目の前で、糸が消えた操り人形のように、シロの体が力を無くしてピクリとも動かなくなった。

 シロが持っていたおたまと包丁が、手からこぼれてぼとりと床に落ちる。

 そして、シロの頭に食い込んでいた鍋の蓋が落ちて、床の上をごろごろと転がり、やがて蓋さえも力尽きたように止まった。

 佳子は蓋が飛んできた方向を見ると、そこには顔色悪く立っている春人の姿が。


「す、すいません、慌ててしまい、持っていた鍋の蓋を、間違えて飛ばしてしまいました」


「そ、そんな……」


 シロが倒された事実に、佳子は動揺して言葉がうまく紡ぎだせない。

 思い出すのは、シロと過ごした短かった日々。

 舌ったらずな話し方や、大きさが子供くらいで可愛らしく、自分に献身的だったため、比較的目をかけていた妖怪だった。

 佳子の目から涙がこぼれた。


「可哀想に……」


 大好きだった台所で、よりによって鍋の蓋で止めを刺されるなんて。


「酷いわ、何も殺さなくてもいいんじゃないですか……」


 佳子は目元を袖で押さえながら、春人を責めた。


「ま、待ってください! こいつはまだ死んでいませんよ!?」


「まだ消えてないじゃないですか」と、春人は慌てた様子でしゃがみ込み膝をつくと、床に座り込んでいる佳子のもとへ近づいた。


「え、そうなの?」


 僅かな希望の光が見えた佳子は、死んだように動かないシロへと視線を向ける。


「はい、気を失っているだけです。しかし、受けたダメージによりしばらくは使い物にならないかもしれませんが……」


「それは困ります。うちではシロしかご飯は作れないんです!」


 心苦しそうな表情をした春人を佳子は見詰めた。

 そもそも、どうやって慌てたら、凶器のように鍋の蓋が飛ぶと云うのだ。


(ああ、これから私のご飯はどうすればよいの……!)


「佳子さん、申し訳ございません。それでしたら、私が責任を取ります」


 春人はまた正座をして、佳子に謝罪してきた。

 真剣な面持ちをした春人の顔が、差し出す様にずいっと佳子の方へと近づく。


「せ、責任?」


 整った顔の春人の勢いに押されて、思わず佳子は身を引きつつ、訊き返した。

 春人が何を言わんとしているのか、佳子には皆目見当がつかない。


「そうです。佳子さんのご飯は私が作ります」


「え?」


 はっきりと言い切る春人を、佳子は目を点にして見つめる。

 間近に迫る顔にある鼻の白い詰め物は、何度見てもとても不似合で滑稽だった。



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