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春人と。 4

「……私が優勝したからですか?」


 春人は驚いた表情を張りつかせたまま、質問を佳子に投げかける。


「そうです。母親と約束していたんですよ。優勝した人とお見合いするって」


(ちなみに、申し込んだらすぐに破談になると思っていたんですけど。)


 そう佳子は心の中で毒づく。


「そうなんですか……。もしかして、試合前に妨害があったのは……」


 春人は目線を上に向けて、何か思い出している仕草を見せる。

 彼が触れた件について佳子も知っていた。奉納試合の時に何者かが春人を納屋に閉じ込めたことは。


「分家の仕業かもしれないですね。配下の者に分家の対戦相手を見守るように指示していたのですが、案の定、貴方は妨害に遭ってましたね。助けられなければ、貴方は不戦敗になってましたよ」


 佳子の家来である正によって、春人は助けられていたのだ。

 当の正は、面が割れたら都合が悪いことがあるかもしれないと、的屋で買った特撮ヒーロードラマの主人公のお面を被って助けに行ったのだ。

 その時の正は、まさしく正義の味方だった。

 そのお面は今では、正の一人息子の正太郎の手に渡って、ごっこ遊びで使われている。


「はぁ、つまり、顔で選んだ訳ではなかったんですね」


(そこ、念を押すところですか!?)


 そんなに自分の顔にプライドがあったとは、佳子は驚きを通り越して呆れた。


「ええ、そうなんです。ちなみに顔も知らずにお見合いを申し込んだんです。試合の時、遠すぎて貴方たちの顔は全然見えなくて。この眼鏡、度が合ってなくて弱いんです」


「私の顔も見てないんですか……」


 春人は呆気にとられた様子で、口を閉じるのを忘れて、途方に暮れた表情をしていた。

 どこか間抜けな感じがするその顔は、佳子を非常に満足させた。


「だから、私に対して同情や哀れみは無用ですよ?」


(さっさと振って、バッグと上着を返してほしい。)


 佳子は声を大にして言いたかった。


 春人はしばらく固まったままだった。

 やがて、ぎこちなくではあったが、よろよろと動きだす。春人はハンドルを両手で掴んで、額をそこに当てて俯くと、そのまま何も言葉を発しなかった。


(もしかして、やり過ぎた……?)


 落ち込んだような春人を見て、佳子は少し焦る。

 佳子が見守る中、黙ったまま一向に動かない春人。

 佳子が心配して何か声を掛けようとした時、おもむろに春人は顔を上げた。次に、ギリギリと音を立てそうな、まるで油の切れたカラクリ人形のような、荒い首の動きで佳子の方を向く。

 春人が纏う雰囲気が、先程までの平常のものとは異なり、様々な感情が怪しくうずまいているようだった。


「佳子さんの言いたいことは、その、大変よく分かりました」


 何か奥歯に物が挟まったような言い方だった。


「そ、そうですか……」


 佳子を見る春人の眼力は、危うい何かを持ち合わせていて、佳子は無意識に気圧された。

 佳子は何か悪いことが起きそうな予感がして仕方がない。


「しかし、そういうことなら、私と婚約しましょう」


 春人が重々しく話す内容に、佳子は自分の耳を疑う。


「こんにゃく?」


 佳子は思わず聞き返す。

 そう何か、変な単語が聞こえた気がしたからだ。


「違います、婚約です」


今夜(こんや)()う?」


「イントネーションが違いますよ。婚約です。結婚の約束です」


「けけけけけk」


 佳子は動揺のあまり、思いっきり噛んでしまい、結婚の“け”の字以降の単語が続かなかった。


「笑い声が恐いんですが」


「笑っていません! 結婚って、どうしていきなりそういう話になるんですか!?」


 春人の真面目な突っ込みに、佳子はむきになって抗議した。


「佳子さんは誰でも良かったと言ってましたよね? なら私でも別に問題ないんじゃないですか?」


「そういうことじゃなくて、五月さんの方に問題があるんじゃないんですか? そもそも結婚なんて考えてないでしょ?」


「そうですね。今すぐは無理です。学生ですし」


「いえいえ、そういう問題じゃないでしょ? 私なんかと結婚する気なんですか?」


「私は、最近ストーカー被害に遭っているんです」


「は?」


 春人の話が全く脈絡のない方へ行ってしまい、それについていけなかった佳子は怪訝な表情を隠しもしなかった。


「だから、私に婚約者が出来れば、ストーカーも付き纏うのを諦めてくれるのではないかと思っているんです。貴女も私との縁談が終われば、フリーに逆戻りじゃないですか。そうなったら、分家の高志から猛攻撃が来るんじゃないんですか?」


 佳子は息を呑む。お見合いの現場に駆け付けた高志や、昨日の母の電話が真っ先に思い出された。あの調子なら、母たちが破談になったと聞きつけた直後、恐ろしい展開が待っているに違いない。

 佳子の背筋に冷たいものが走る。そのため、迷いは一瞬のことだった。覚悟を決めた佳子は春人を見据えた。


「…それって、取り引きってことですか?」


「そう思っていただいて、結構です。貴女にとっても悪い話ではないと思うんですが」


 今まで無意味なお見合い話を終わりにしようと躍起になっていた。しかし、春人の提案を受け入れることにより、お見合いの話を進めて、敵を欺くのも手かもしれないと、新たな策略が思い巡らされる。

 父がいない今、一上家の中で佳子は孤立無援である。

 母の暴挙を防ぐ、拒絶以外の有効な手立てが、今のところ佳子には見当たらない。


 佳子が気のないことを先程明らかにしたのだから、彼も話の流れ的に本気の婚約と言っているわけではない。

 春人が言っているのは、要は“なんちゃって”という偽りの関係だ。


(そこまで心配するものではないわよね。双方に都合のよい話、それだけ。)


「そ、そうですね。婚約っていうことで、とりあえずそれでお互いの敵を騙して、問題が片付いたら別れましょうね」


 佳子の答えを聞いて春人は笑う。その時の彼の目元が、漠然とした暗さを孕んでいるように見えた。


(なんか、悪だくみが巧くいったような腹黒さを彼から感じるのは気のせい……?)


 そう思い、佳子は少し不安になったが、口から出た言葉はもう取り消せない。


「了解です。それでは、佳子さん、これからよろしくお願いします」


 春人が握手を促すように、手を差し伸べてきたので、佳子も恐る恐る手を差し出してその手を握った。

 二人の利害が一致して、契約が成立した瞬間。

 春人の手から伝わる体温は、とても温かい。

 その温かい手に親しみを覚えて、さっきの春人の不審な様子は、自分の見間違いだったのかもしれないと考えを改めようとした。

 幸先が悪いのは、嫌なものだ。

 それで再確認するために彼の顔を見つめた時、彼の口の端は上がっていても、目が笑っていないことに佳子は気付いた。気付いてしまった。



 彼の手を取ったのは、得策だったのか、早計だったのか、この時の佳子にはまだ分からなかった。




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