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春人と。 3

 ブーツに巻きついた緑がかった紐状のものは、昆布などの海草が束になって出来た物だった。

 佳子はぬめぬめして気持ち悪いそれを手でブーツから取り除くと、砂浜の上に捨てた。


 佳子は体についた砂を落とすために自分の服をあちこち叩く。

 春人は佳子を上から下までじっくりと観察していて、まだ砂が落ちていない個所を指し示して教えてくれる。


「全部落ちたかしら?」


「まだ髪に付いてますよ」


 春人が佳子の前に立ち、手を伸ばして髪を撫でるように触れてきた。

 彼が頭を確認しやすいように佳子は俯く。

 春人が手を動かして髪を動かすと、砂の粒子がぽろぽろと落ちていくのが、視界の端に映った。

 倒れる際に眼鏡を庇って、顔を咄嗟に横へ向けたため、髪の毛が犠牲になったのだ。

 何度か春人の両手が髪を梳くように動いて、砂を落とす作業を続けてくれる。粗方落ちたのか、今度は髪全体を整えるように動く彼の指。

 くすぐったい感触に佳子は緊張しながら様子を見守っていると、そのうちに春人は一房髪を掴んで、指でいじり始めている。

 砂を払う仕草ではなくなっているので怪訝に思い、「終わりましたか?」と尋ねながら佳子が顔を上げると、春人と目があった。

 彼の綺麗な瞳が大きく見開いたと思ったら、急に目を泳がせて挙動不審となり、慌てて佳子の髪から手を離して後ずさる。

 そんな彼の不自然な反応に、佳子は何事かと呆気に取られた。

 そういえば前回のお見合いの時も、彼は自分と目が合うと同じように視線を泳がせていたことを佳子は思い出す。


「あの、車に戻りませんか」


 佳子は春人へ促した。佳子は背筋がぞくぞくと寒くなり、自分の体調不良を感じて、春人を気にするどころではない。

 風邪を悪化させてしまったら、パート勤めが厳しくなる。それでなくても生活は貧しいのに、休んでしまったらその分の賃金は貰えない。


「そうですね」


 春人も賛同してくれたので、二人は来た道を戻っていく。

 車に乗り込むと、春人は車のエンジンを掛けてエアコンの暖房を強くしてくれた。

 車の中は外の強風に吹きさらされていない分、体温がこれ以上奪われずに済んでいたが、暖房が効き始めたばかりだったため、冷えた体はなかなか温まらない。


「佳子さんのおかげで、仕事が楽になりました。ありがとうございます」


「何の話ですか?」


 怪訝に思った佳子が春人の方を向くと、彼は真面目な顔をしていた。


「さっきも言った通り、あの海岸で遊泳中に足を引っ張られるという事故が多発して、里に調査依頼が来たんですよ。今回、五月家が担当になりまして。ちょうど待ち合わせ場所に近かったので、調査の前に周りの状況を下見しようと思って、来てみただけだったんですが、まさかああなるとは思いませんでした」


「はあ、そうだったんですか」


(それで冬の海岸にわざわざ来たわけ!?)


 佳子はとってみれば寒さで震えるし、砂まみれになるし、踏んだり蹴ったりである。思わず佳子は目の前にある整った顔を睨み付けた。

 そもそも母に言われている通り、相手の好意を期待はしていなかったが、しれっと本当の目的を白状されると正直面白くない。


「良かったですね」


 佳子が嫌味を込めて返事をしても、春人は皮肉に気付かず、「はい」と答えただけ。まるで効いていなかった。


「しかし、いきなり砂浜にいた佳子さんを襲ってくるとは思わなかったんですよ。全て海の中で被害に遭ったとしか聞いていなかったので」


「今の時期の海には海水浴客はいませんし、あの妖怪も退屈だったのでは?」


 佳子は何喰わぬ顔をして嘘をついた。

 佳子にとって妖怪の類にちょっかいを出されるのは、実は良くあることである。恐らく、あの海塊は佳子に気付いて、わざわざ砂浜まで手を伸ばしてきたのだ。

 今回は佳子にとってみれば迷惑極まりない行為だが、相手からすれば佳子にお近づきになりたくて、気を引くためのアプローチだったのだろうと経験から察していた。

 興味を持たれるのは良いが、その方法が時には危険な場合もある。

 妖怪には人間の都合を考えてくれない連中が多い。今回も下手をすれば、海の中まで引きずり込まれるところだった。佳子が極寒の海に沈められても、相手は困らない。

 話してみれば好意的な妖怪たちも、人間とのやりとりや接し方を知らなくて問題を起こすことがあるのだ。

 佳子は自分の力をそう云った連中から身を守ったり、云う事を聞かせる為にしつけたりするために使ってきた。裏を返せば、それ以外では力をほとんど使ってこなかったとも言えた。

 そう云った佳子の込み入った事情を、たいして親しくない人間に説明する程、警戒心が無いわけではない。


「そういえば、佳子さんは先程力を使っていましたが、絵を描く必要はいつもあるんですか?」


 佳子にとっては都合の良いことに、春人は話題を変えてきた。


「まあ、そうですね。何か媒体がないと具現するのは難しいんです」


 また佳子は嘘をつく。

 本当は実際に絵を描かなくても、頭の中に何を作りたいか描くだけで良かった。しかし、一族の誰もそれを出来た者がいないようなので、佳子はわざと周りに合わせていた。

 子供の頃に師であった父に、そうしろと言い付けられたのだ。

 誰も到達できなかった領域に達したと分家が知れば、親族婚にますます拍車がかかる恐れがある。それによって、佳子が不幸な目に遭うかもしれないと、父は危惧したのだ。

 佳子の具現化の能力は、桁はずれだと評された。佳子が父に褒めて欲しくて力を振った時、それを見て言葉を失くし青ざめていた父。


 “血の妄執が実を結んだ、最高傑作だ――”


 大好きな父が、恐ろしいものを見るかのような目つきで自分を見つめていた。それは今でも思い出したくないくらい佳子にとってショックな出来事だった。

 それ以降、佳子は力を見せびらかすような真似は止す様になった。修行の時に、父と同じようなレベルで力を用いていれば、父はいつも通り変わらずに接してくれた。

 幸いな事に、佳子の能力について父以外に勘付かれたことは、今まで無かった。一族の慣わしに従って、女である佳子が表だって力を振るう機会がほとんどなかったためだ。

 宝の持ち腐れだ――と佳子はずっとそう思っていた。しかし、復讐を望んだ時に、天啓にうたれたかのように悟ったのだ。自分の優れた力は、このために授けられたのだと。


(そう、この力は自分の最大の切り札である。敵にも過小評価されて見くびられているはず。)


 実行の日に備えて、経験を補うべく密かに技を磨いていた。


「奉納試合で一上高志が何か紙を出して、力を使おうとしていたので、どうしてだろうと思っていたのですが、そう言うことだったんですね」


 奉納試合では、春人の先制攻撃により、高志は能力を使う前に場外に押し出されて、開始後1秒も経たないうちに試合が終了していた。

 決勝戦にも関わらず、あまりにも呆気ない幕引き。何が起こったのか認識できなかった観客たちは、試合が終了して春人がお時儀をして下がっても、雰囲気を盛り上げるタイミングを逃してしまった。その後、会場内に気まずげに拍手が疎らに鳴り響いていたのを覚えている。

 春人は勝つことのみに専念していて、空気を読まず、祭りの会場を盛り上げようと云う気持ちは全く感じられなかった。


「里では一上家の能力は知られているんですか?」


「はい。具現能力は有名ですよ。巻物から妖怪を呼びだして、修行用の相手にするんですが、それは一上家が作っているんです」


「そうなんですか。初めて知りました」


 修行の一環として、自分の作ったものを紙などの媒体に閉じ込めて、それを第三者が利用できるようにする、という工程を父の監視の元で行ったことがあった。

 具現の能力と、術的な能力を使った応用作業である。そのため、分家の人間でも可能な作業だ。


「佳子さんも作れますよね?」


「ええ、まあ、修行用のは作ったことはありませんが、やればできると思いますよ」


「なるほど」


 春人の目が怪しく光ったのに、佳子は気付かなかった。佳子は今日の本題のことをいつ切り出そうかと考えていたからだ。


「あの、ところで、私の忘れ物はいつ渡してくれるんですか?」


「心配しなくても、お別れするときにちゃんと渡しますよ。今日は最後まで一緒にいて欲しいんです」


 含みのある言い方に、佳子は反論できない。つまり、佳子が途中でいなくならないように、人質として預かっていると、春人は言いたいのだ。

 信用されていないのだと思うと、佳子は内心面白くなかった。

 佳子は春人から顔を背けるように、景色を見る振りをしてドアの窓へと首を動かす。駐車場は防波堤の側にあった。ちょうど佳子の目の前には、コンクリートで作られた人工的な防壁が、横一列に広がっていた。


「佳子さんに聞きたいことがあるんです」


「なんでしょう」


 佳子は話しかけられても、振り向かずに返事をした。


「どうして私にお見合いを申し込んだんですか?」


「え?」


 佳子は今更それを尋ねられるとは思わず、目を丸くして春人を振り返ると、彼も自分を見ていた。

 視線が交わったと思ったら、彼の方が気まずそうに先にずらした。


「噂では、その、佳子さんが私を、一目で気に入ってくれたと聞いているのですが……、本当なんですか?」


 照れ臭そうにこちらの様子をちらちらと伺いながら話す春人。佳子はその言動を見て苛立つ。どうしてわざわざそんなことを尋ねてくるのか。春人の神経を思わず疑わずにいられない。


(これから振る予定のくせに、私が抱いている恋心を聞きたいとでもいうの? なんて自惚れ屋!)


 佳子は朝から不機嫌だったのに加えて、今日の春人の様々な仕打ちに腹を立てていた。

 だから、普段なら他人に絶対言わないであろう皮肉の一つでも言ってやって、春人の綺麗な顔を歪ませたくなる。


「いいえ、たまたま貴方が奉納試合で優勝したからですよ。お見合い相手は誰でも良かったんです。分家の人間じゃなければ」


 春人の目が大きく見開いて、驚愕の表情を見せた。




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