残された口実
佳子が黒い車でホテルから連れ去られてしまった後、春人はホテルのレストランへ戻るべく踵を返した。
車の中から佳子の「大丈夫」という声が聞こえたので、最終的に強引な救出は控えたのだが、その判断は正しかったのか不安が残った。
一般人が多くいる中で、自分の特異な能力を使えば、秘匿の掟を破ってしまうことになる。
連れ去られた佳子自身、能力を使用しているようには見えなかったので、彼女の身に危険はなかったと推測できるのだが、突然のことで正しく状況を把握できていたのか、分からなかった。
(それにしても、最後に現れた男は誰だろう……?)
佳子を最終的に連れ去った男の顔を春人は目撃していなかった。
春人は最初に現れた一上高志は同じ里の人間なのでよく知っていたが、里以外の佳子の交流関係について、それほど情報を持ってなかった。そのため、春人の胸中に謎だけが残る。
レストランの前には、まだ高志が立っていた。彼は例の男に殴られた頬を痛そうにさすっていて、春人が近づいたのに気付き、苦笑する。
「お互い、いい面の皮だな」
高志が自嘲気味に言った。
どういう意味か春人が図りかねていると、その沈黙を肯定と受け取ったのか、高志は続けて語りだす。
「おおよそ、あっちの男が本命だったんだな。お前に負けないくらい顔の良い男だったぞ。結局、お前はあて馬程度の存在だったんだ。まともにあいつの相手をして馬鹿を見たな。全く、今回のお見合いと云い、家出と云い、あいつは人騒がせな女だな……」
「家出?」
高志の言葉が引っ掛かり、春人が口にすると、高志はしまったと言わんばかりの気まずい表情を見せた。
高志は感情が顔に出やすいようだ。
「こっちのことだ。なんでもない。じゃあな」
高志は追及を逃れるように、春人に背を向けてさっさと出入り口へ歩き出した。
春人はもっと高志から詰られると思っていたので、意外ほど呆気なく去って行った彼に拍子抜けする。
思えば、最終的に佳子が別の男と消えて、春人は面目丸つぶれだ。高志から見れば、それで溜飲が下がり、春人に愚痴まで言って気が済んだのだろうと推し量る。
“あっちの男が本命――”
先程、高志の言った言葉が春人の胸に刺さっていた。
高志が殴られた際に、彼が自在に操っていた妖怪の術が解け、春人は妖怪から解放された。すぐに佳子たちの後を追おうとしたが、それは叶わなかった。「すいません、お会計を!」と男性のスタッフに止められて足止めを食らってしまったからだ。
財布から一万円札を取り出して、レジのカウンターに叩きつけて釣りを貰わずにレストランを出たのに、目の前で高志が床に座り込んでいて、再び立ち止まる破目になった。
春人が慌てて周囲を見回して発見したのは、佳子が男に引っ張られてホテルから出てゆく後ろ姿だ。
周りの目を気にして一般人と同じ速度で走って追いかけたが、結局間に合わなかった。結局、彼らが乗った車は速度を上げて去ってしまった。
車体の横側に並んだ時に、後部座席を覗いたが、窓にスモークフィルムが貼られていて中の様子を確認できなかった。
色々と気持ちの整理がつかなくて、しばらく呆然とレストランの前に立っていたら、さっき春人を呼びとめたレストランのスタッフが中から出てきた。
「すいません、先程のお釣りなんですが……」
恐縮しながら、春人にレシートとお金を渡してきた。
この会計のやり取りがなければ、佳子たちに追いつくことが出来たかもしれないのに。
思わず春人の眉間に皺が寄った。
「あ、あとですね、お連れ様の忘れ物がございまして……」
不機嫌な顔をした春人に、スタッフは強張った笑みを浮かべながら、女物の上着とバッグを春人の前に差し出してきた。
「これらは、いかがいたしましょうか? こちらで預かった方がよろしいですか?」
春人はそれらの物が佳子の物であることを思い出した。
彼女は隣の空いている席の上に、荷物を置いていた。
「いえ、私が彼女に返しておきますので」
そう言って、春人は荷物を受け取った。
(これを返すのを口実に、再び彼女と接触を図ろう。)
春人はそう考えて、ほくそ笑んだ。