春人の就職 1
一昨日の入籍後、念願かなって愛しの恋人、いや今となっては妻と、心だけではなく身体も結ばれて、春人は幸せの絶頂にいた。
四月一日付での入社なので、あと数日間自由な時間があった春人は、これから終の住処となる屋敷の整理や掃除をしていた。
佳子は日中パート勤めをしているので、彼女が帰ってくるまでは、暇だったからだ。
居候の妖怪たちとは、一部折り合いが悪かったが、こちらが気にしなければ、害のない嫌がらせが続いているだけだった。
どうやら初夜の時に、彼らは佳子の声を盗み聞きして、春人が彼女に酷い事をしていると思い込んでしまったようなのだ。
翌朝、春人を責める彼らに佳子は必死に違うと説明していたが、まだ春人に対する彼らの好感や信頼は低い。きっと彼女の愛情を一心に受けている春人が気に入らないのもあるのだろう。彼女の目の届かない所で、手を出してくる連中もいたが、優越感が春人を寛大にさせて、彼らを許していた。
そろそろ佳子の勤務が終わる頃合いを見計らって、春人は勤め先のスーパーに買い出しに行く。チラシでは本日限りのお買い得商品として、魚の切り身が安い。どんな風に調理しようかと考えながら、春人は屋敷を出た。
春人が入社してしまえば、休日くらいしか佳子とのんびり過ごせないので、それまでは出来る限り一緒にいたい。そのため、数日間だけだからと、春人は車で佳子の送り迎えを買って出ていた。
佳子と一緒に帰宅をしてから、春人が夕飯を料理して、二人で食べた。五月家では家族が多くて賑やかだったが、こうして彼女と二人きりで会話が少なくても、楽しかった。
一緒にいるだけで、心が満たされる。強く抱きしめたら壊れそうな程、華奢で脆そうな佳子の身体。春人の腕の中にいる彼女は、安心して身を任せてくれる。
(この人は、自分のものだ――。)
求め続けて、やっと得られた人。独占欲が満たされた今、この大事な彼女を失うことを春人は心の奥底で一番恐れていた。
時間が過ぎる早さは、楽しい時こそあっという間で、とうとう春人が入社する日付となってしまった。
送ってもらった資料によると、入社式は某ホテルで行われるらしい。
春人は新調した背広に袖を通して、玄関口で佳子に見送られながら、束の間の別れとはいえ、後ろ髪を引かれる思いで出勤した。慣れない公共機関の電車を使い、長時間狭い車内に押し込められて、吊革につかまりながら揺れ続けた。
春人は人の多さに驚きながら、押し寄せる人の波をかき分けて、事前に調べた通りに、何とか乗り換えをして、やっとその会場へと着いた。
都会の喧騒に、田舎育ちの春人は落ち着かなさを感じずにはいられない。やっとの思いで、ホテル内に掲示されていた案内を見ると、指定された場所へと足を運んだ。
入社式はごく普通に行われた。
採用された社員数は、確認したところ五十名程度で、春人以外一般人のようだった。
春人の家族は、怪しげな企業を紹介されたのではと心配していたが、採用してもらった会社を自分なりに調べてみても、業績も上向きで不安要素のない大手企業である。
その後、懇親会という名目で立食パーティーが行われた。
会社の上役たちや、先輩の一部が顔を出していて、新人はあいさつ回りが仕事のようだった。
同じ新入社員たちは、初対面同士ということもあり、笑顔を浮かべているが、お互い気を遣いながら会話をしている感じだ。
春人も近くにいた男性と話す機会があり、世間話などをした。春人の見た目が周りより明らかに若いので、年を尋ねられて正直に高卒だと答えたところ、少し驚かれた。
女性社員たちの一部が、興味津津といった目つきで春人を盗み見るのに気付いた。しかし、自分のこの顔が異性にどういう影響を及ぼし、どういう災いをもたらすか、過去の経験から身を持って思い知っていたので、極力目を合わさずに関わらなかった。
ところが、積極的な人はどこにもいるもので、春人に話しかけて来る女性がいた。
「一上君は、内定式の時に来てた?」
新入社員たちは貰った名札をつけていたので、春人の名前は知られていた。”一上”と呼ばれるのに、まだ違和感があったが、目の前の女性はそんなことを知る由もない。
彼女は同じ新入社員という間柄ということもあってか、最初から春人に対して友達口調である。
「いいえ、来ていませんでした。採用が決まったのが遅かったので」
春人とその女性が話しているのに気付いて、他にも女性たちが周囲に集まって来る。
「一上君って、私たちより若く見えますね。同じ大卒ですか?」
脇から他の女性が質問をしてきた。
「いいえ、高卒です」
春人が正直に答えると、女性たちは一様に驚愕する。
「えー、未成年だったんだ!」
「高卒も採用していたとは知らなかった!」
自然と漏れる感想を聞いていると、どうやら彼女たちは大卒らしい。一部の女性たちは、春人が年下でさらに学歴が高卒と知って、興味を失った感じだったが、それでも、まだこちらに好意を向けている人たちがいた。
「実は、卒業後に結婚したばかりで、妻の家に婿入りしたんですよ。彼女の家から通える会社に就職したくて、こちらに応募して、運よく受かったんです」
春人は自分が売約済みだということを早く公表して、自分に向ける視線の数を減らしたかった。だから、この機会はちょうど都合が良かったので、利用させてもらう。
案の定、女性たちはさらに驚愕した。そして、すぐに春人の左手に嵌められている指輪に視線を送る者もいた。
「結婚していたんだ! 早いね~!」
「すごいね! えーと、おめでとう」
皆、平静を装っていたが、自分に対して一線を引いたのを春人は感じた。春人の読みは当って、すぐに彼女たちは別の人間に話しかけるために去って行き、煩わしい干渉から解放された。
きっと女性たちの間で、春人が結婚していると云う話はすぐに噂となって広まるだろう。不倫、略奪大好きの、よほど性格の悪い女ではない限り、近寄って来ないはずだ。
未だに外れない左手の指輪も、いつも身に付けているし、虫よけとして効果絶大である。
(既婚者って素晴らしい。)
春人はしみじみと思った。




