二人の結婚
最終話です。
予告通り週が明けた月曜日に春人の面接があり、数日後には採用通知書がその企業から届いたらしい。
五月家の家族たちもその進展の早さに驚いて、却って心配していたようだった。
しかし、春人はそのままその会社での就職を決めて、役場の方は内定をすぐに辞退した。理由が結婚ということもあってか、問題なく相手に受け入れられたようで、その話を聞いた佳子は安心したものだった。
三月に入り、再度佳子は彼の実家へと出向いた。改めて結婚の挨拶を済ませて、三月末に入籍と春人の引越しをする事となった。来週には卒業式を迎えるが、その後はしばらく実家にいて親孝行するつもりらしい。佳子もそれには大賛成だった。
佳子の母についてだったが、事件以降何も音沙汰はなく、連絡はお互いに取っていなかった。
母にとって最大の保護者であった祖父が亡くなったのは、佳子の反旗が原因というところがあり、母の自分への恨みは恐らく凄まじいものが予想された。だから、入籍を済ませた後に、手紙でそのことを報告しようと決めていた。
五月家で面会の後に、春人と二人で父の事故現場へと寄ってみた。すると、真吾によって踏み潰されたきのこの妖怪が以前と変わらぬ場所にいて、佳子に声を掛けてくれた。それで判明したのだが、分家に妖怪たちが集まった理由は、このきのこのおかげだったようだ。
山のあちこちに生息しているきのこの分身たちと瞬時に意思疎通が可能なので、佳子が話したことを色々な妖怪に伝えてくれたのだ。
「ありがとう。おかげで助かったわ」
佳子がお礼を言うと、無表情なきのこの口の端が少し上がって笑った気がした。
それから、春人の実家に帰る途中で、彼に大見山での出来事を尋ねられた。過去に妖怪が持ってきたお菓子の箱を、佳子が返したことについて、詳細を春人は聞きたがっていたのだ。
佳子はよく覚えていなかったが、返す時はたいてい妖怪がお遣い用のお菓子を持ってきた時だと答えた。包装紙に包まれたお菓子の箱は、誰かに差し上げるために用意していたものだから、それを盗んで来てしまっては、その家の人間が困るだろうと考えていたのだ。
そもそも、どうしてお菓子を集まるようになったのかと、春人に追及されてしまう。そのため、さらに佳子は説明した。
佳子が子供の頃に父親と一緒に遊びに来た時、妖怪が駄菓子をくれたのを、佳子が無邪気に喜んでしまったので、それから妖怪たちはお菓子を持ってくるようになってしまったのだ。
「佳子さんは、昔から妖怪に好かれていたんですね」
楽しそうに佳子が妖怪たちと遊んでいるのを見て、自分もその輪の中に入りたかったのだと、春人は語っていた。
しかし、実際には輪に入るどころか、彼は大見山で妖怪たちに泥団子を投げつけられてしまった。佳子はそのことを思い出し、悲しい気持ちになる。
「何度か会いに行って、春人さんは害がないと彼らも分かれば、対応も変わってくると思いますよ」
佳子の言葉に、春人は少し気持ちが上昇したようようで、「じゃあ、また連れて行って下さい」と笑ってくれた。
その日は五月家に泊らせてもらう予定だった。春人は当たり前な顔をして、客用の布団を彼の自室に用意している最中だ。二つ並んだ敷布団を見て、佳子は思わず赤面してしまう。
「あ、あの、春人さん、私たち、まだ……」
実は色々とタイミングが悪くて、佳子と春人の関係は未だに清いままだった。
流石に彼の家族がいる実家で、初体験をする気になれず、佳子はそれを伝えようとしたが、恥ずかしくて言葉がうまく出ない。
「大丈夫です、佳子さん」
春人は佳子の気持ちを察してくれたのか、そう言いながら彼も頬を赤らめる。それから彼はシーツを敷布団に被せていた。さらに、彼は綺麗にシーツを整えた後、枕を二つ並べて作業の手は止まない。
「わ、私も初めてですけど、出来る限り頑張りますから……」
春人は真っ赤になって俯く。佳子の方を正視できないのか、下を向いたままの彼の姿。佳子は思わず彼が愛おしく感じられて胸がきゅんと締め付けられる。
(でも、意思が全く伝わってない……)
このままでは、就寝時間になったら、本番に突入してしまう。佳子を見つめる春人の目は、とても熱く潤んでいて危険だった。
ところが、思わぬところから助け船が現れる。春人の父親が部屋の前を通り過ぎる時に、布団が二つ並んでいるのに気付いたのだ。
「まだ結婚してないのに、それは早いだろう。佳子さんの布団は客間に敷きなさい。何事もケジメだ!」
春人はがっくりと肩を落として、再び布団を運ぶ破目になった。布団を敷き直しながら、「せ、折角用意したのに…」とぶつぶつと恨めしそうに呟く彼の姿がいじらしく、佳子は思わず笑みがこぼれそうになった。
休みが明けて、佳子は結婚のことを職場に伝えた。すると、休憩中には同僚たちに矢継ぎ早に質問される破目になった。
その中で、「結納はどうしたの?」という質問に、佳子は思わず声を詰まらせる。佳子は大事なことを失念していたことに気付いたからだ。
それから仕事が終わって、佳子は家に慌てて帰ってから春人に電話してしまった。
春人や家族も佳子の家の事情を知っているので、無理しなくていいと言っていたが、それでも佳子は婿に来てもらうのに、結納を何も用意出来なくて申し訳なく感じていた。
そんな佳子に春人は「それなら、私の指に嵌まっている指輪はどうですか?」と提案してきた。
佳子はすっかり指輪のことを忘れていたが、一上家に伝わる宝具の指輪は、春人が預かっていたままだった。
「あの指輪って、まだ取れていなかったんですか?」
「ええ、実はそうなんです。これを婚約指輪とすれば、問題ないと思いますよ」
そういう訳で、あの指輪はそのまま春人のものになり、結納の品になった。
更に次の週には、春人は無事に高校の卒業式を迎え、三月末まで彼は実家で残りの日々を過ごした。それから四月に入る直前になって、春人は慶三郎と一緒に実家から軽トラックと乗用車で荷物を積んで引っ越してきた。
春人の荷物は少なくて、あっという間に荷物を家の中に運んでしまう。
引越しの次の日には慶三郎は家へと帰り、どたばたと慌ただしかったが、佳子と春人は地元の役所へ行って無事に入籍した。
「今日から一上なんですね」
役所の窓口から去りながら、春人は嬉しそうに佳子へ話しかけてきた。
「ええ、私たち家族になったんですね。不思議なものです。去年の秋にお見合いした時は、こうなるとは思ってもみませんでした」
「私もです。だから、こうして夫婦になれて幸せです」
春人が佳子の手を握り締めて来たので、佳子もそれに応えるように彼の手を握る。
役所の外に出ると、満開な桜並木が目に入ってきた。
春の優しいそよ風を佳子は肌に感じながら、空を見上げる。遠くまで続く蒼天が、まるで自分たちを祝福しているようである。
その晴れやかさに、佳子は自然と心弾み、笑みがこぼれた。
「春人さん、これからもよろしくお願いします!」
私たちは、お見合い結婚だった。
けれども、そのお見合い自体は、邪魔者が続出して暴れまくるような危険なもので、たった十分程度で終わってしまう、とても悲惨なものだった。
それでも、縁とは奇妙なもので、奇跡的にこうしてお互いの気持ちが結ばれて、夫婦となった。
私たち二人の人生は、これから始まったばかり。これから色々な困難があったとしても、きっと彼となら乗り越えていける。
自分を信じて、支えてくれた、かけがえのない人。彼の笑顔を守れるように、これからは自分がいつまでも側にいて、支えたい――。
温かい彼の掌を感じながら、私はそう心に誓った。
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