迎えた結末
春人が無念そうに帰宅した翌日の日曜日、佳子は五月慶三郎から電話で連絡を貰った。
来週の土曜日に、一上家の処罰内容が決まるので、当主である佳子に里まで御足労願いたいとのことだった。
一週間後の次の土曜日、正と一緒に佳子は里へと向かう。佳子の目的地は、奉納試合があった神社である。
正の運転する車は、佳子を境内の駐車場で降ろすと、そのまま走り去って行く。彼はこれから嫁の実家へと向かうと佳子は聞いていた。
境内には樹齢が何百年となる立派な大木が生えていて、それがご神木として祀られていた。ところが、鳥居を通る際に、いつもは建物の裏手に目にするその大木が、今回は見えなかったので佳子は不思議に思っていた。
佳子は従事者に出会うと、その人に神社内の建物内を通されて、和室の一室で待つように言われた。しばらく正座をして、何もせずに過ごしていると、複数の足音が響いてきて、佳子の待つ部屋に男たちが現れる。
寄合で顔を合わせたことのある老人が二人と、慶三郎だった。
挨拶もそこそこに、寄合頭の三名瀬という人から、今回の一上家の処遇についての話を事務的にされた。
分家の後継ぎについては、まだ決まっておらず、里が選出した人間が当分の間、金銭の流れなどを掌握して管理することと、一族の中枢にいた親族たちは監視されることとなったらしい。
真吾については、幽閉の処分となった。たとえ人を裁くためでも、里の中では死刑は存在しないからだ。
その処罰を聞いて、佳子は安堵した。殺人を犯した真吾は、里の中で密かに始末されるのではないかと、懸念していたからだ。父を殺した犯人は憎かったけれど、真吾は死刑になって欲しくないという、佳子は矛盾したような感情を持ち合わせていた。
父は真吾を救いたいと願っていて、佳子も同じ気持ちを抱いていた。そのため、彼の犯した罪を知っても、彼の死を歓迎することは出来なかったのだ。
真吾が幽閉された後、もし可能ならば佳子は彼と面会して話をしたいと願った。あの時の父の気持ちを彼が理解する日が来るならば、きっとそれが父の求めた結末になるはずだ。
さらに、一上家当主である佳子のお役目について触れられた。
お役目は引き続き、現当主が行うこととし、税金などの金銭の不足分についてついては、里から仕事を斡旋するため、その収入をあてにして欲しいとのことだった。
佳子に対する処罰が無くて、示しがつかないのでは、と異議を申し上げたが、佳子に対する罪状がないと一蹴された。以上で話は終わると、老人二人は連れ立って部屋を去って行った。
部屋に残った慶三郎が佳子に声を掛けて来た。最初に彼は内偵の件について謝ってきた。
疑われるようなことを一上家がしていたのだから、気にしないでくださいと佳子が返答したところ、彼から意外なものを渡された。
それは一通の手紙だった。
中を見るように慶三郎に促されて、佳子が恐る恐る封筒から便せんを取り出すと、そこには父の字で一上家の悪事を告発する文章と父の名前が書かれていた。
佳子はそれを見て、言葉を失う。
「それは健一さんが亡くなって数日後に届けられたんですよ。もしかして、彼は自分の死を予測していたのかもしれませんね。分家には色々と黒い噂がありましたが、探りを入れた切欠はこれだったんです」
分家の主を脅迫したのだ。父も只で済むとは思っていなかったのだろう。だから、保険のように告発文を予め用意しておいた。恐らく、残された佳子を分家から守るために。
そして、父からの救いを求める無言の声に、目の前にいる慶三郎は応えてくれたのだ。
「ありがとうございます。貴方が動いてくれたお陰で、私は目的を遂げることができ、今こうして無事でいられたんですね」
見えない父の守りを佳子が感じた瞬間だった。
佳子の胸の中は、温かい気持ちでいっぱいで、涙がこみ上げてくるのを隠すのに必死だった。
次に慶三郎は大橋里香の件について謝罪してきた。彼の話を聞いて驚いたが、なんと如月が五月家に現れたらしい。
彼のお陰で慶三郎は大橋の嘘を知ることとなり、先日彼女は五月家で説教されたとのことだった。
春人と仲直りした後、如月から電話がかかってきて話をしたことがあったが、彼は一言もそんなことを言っていなかった。ただ、春人と復縁したことを興味が無さそうに聞いていただけだった。
彼の日陰の献身に、先程から我慢していた涙が堪え切れずに、佳子の頬を流れる破目となってしまった。
心の支えだった父を失って、佳子は不幸のどん底にいた。
しかし、それから色んな人と出会うことができて、様々な人たちの支えがあってこそ、現在佳子は穏やかな心でいられる。
如月や春人との出会いは必然ではなく、偶然だった。
父の死を切欠に、佳子は恩師の言葉を思い出し、自分の意思で行動を始めて、如月と出会った。
母への抵抗を決意して、五月家へ見合いを申し込んで、春人との縁が出来た。
復讐を誓い、行動を起こしたことで、全ての事実が明らかになった。何も変わろうとせず、周囲に流されるままだったならば、決して今日を迎えられなかった。
「大橋さんが過ちを認めて反省してくれるならば、私はこれ以上彼女を責める気はありません」
幸いにも春人と和解できた。彼女の嘘が周囲に明らかになって、既に咎められたのならば、彼女のことを恨む必要が無くなった。
佳子の父も、大罪を犯してしまったのだ。誰だって間違うことはある。
(彼女も良い方向へと変わってくれればいいな。)
佳子はそう願い、彼女のことをそれ以上考えるのは止めた。
慶三郎との話が終わり、佳子は彼に案内されて、建物の外へと出た。境内を歩き、向かった先はご神木が生えていた場所だった。
しかし、佳子の眼前に広がっているのは、ご神木を囲っていた木製の柵は残っているものの、その大事な神樹が跡形もなく消え去っている異様な光景。そのすぐ脇に、一人の男性が立っているだけだった。
その男性は佳子が今まで里の中で見たことも無い人だった。
佳子より少し年上くらいの年齢で、髪は非常に長く、真っ直ぐ綺麗な黒色だったが、珍しく薄く緑がかっているようで、陽の光が当たると、碧色に輝いていた。
さらに驚くことに、その男の容貌はとても美しく、神々しい。
今まで二人程、顔が整った男を見たことがあったが、目の前の美貌はそれとは異なり、芸術の領域だった。
(それに――、この人は人間ではないわ。)
佳子が言葉を失くして、彼を見つめていると、慶三郎から彼は里の長だと紹介された。「彼から貴女に話があるらしいので聞いて欲しい」と慶三郎は言うと、彼は佳子を残して、その場から去ってしまった。
「初めまして、里の長と呼ばれている、美芳です。いつも母のミワがお世話になっております」
心地よい美声が彼の口から発せられる。美芳と名乗った彼は、佳子に丁寧な挨拶をするのだった。




