如月の回想 佳子との出会い 2
お店に入ると、カウンターにいた店のママがこちらを見て、自分に声をかけてくれた。
店の中には、何人かお客がいて、店の女の子が接客にあたっている。
にこにこと営業スマイルを浮かべていたママは、自分の後ろについてきている彼女を見て驚愕に表情を変えると、カウンターからすぐに出てきて、自分に近づいてきた。
「ちょっと、ボス! 何、高校生捕まえているの?」
小声でママが自分に話しかけてくる。
「あ、うん。ちょっと訳ありで。着替え何かある? 彼女に着せてあげて?」
「いいけど……」
ママが躊躇いがちに答えると、すぐ側にいた彼女に視線を送った。
自分も彼女の方を見て、口を開く。
「というわけで悪いけど、夜遅くに制服姿は目立つから着替えてきてくれる?」
彼女は自分の制服姿を見下ろして何か察したのか、素直に頷いてくれた。
店のママは突然の成り行きにも関わらず、お店の女の子を呼んで対応させる。
彼女は従業員と一緒に店の奥へ連れていかれた。
残された自分は、ママによって空いている店の角のL字型ソファー席へと案内されて、上着を脱いで腰を下ろした。
その上着をママが受け取る。
「今日は何飲む? あの娘はジュースがいいのかな?」
「そうだね。俺はビールで。あ、でも、彼女は何か暖かい飲み物にして。任せるよ」
彼女は外を彷徨い歩いていた。そのせいで冷え切ってきた彼女。
彼女の手に触れた時のことを思い出す。
この寒い季節、どのくらい外にいたのだろう。
ママは「分かったわ」と答えると、上着を持って一度店の奥に行き、手ぶらで戻って来てカウンターへ入って行った。
ママが飲み物をすぐに持って来てくれたので、一人で飲み始める。
しばらくすると、店の奥へ行っていた彼女がお店の子と一緒に戻って来た。
彼女が着ているのは、衿元のレース状のフリルが可愛らしい軽い素材のワンピースだった。ウエストの高い部分でリボンを結んでいるため、細いくびれが更に強調される。フレアのスカートは膝上の短めで、生足にサンダルを履いていた。若く滑らかで健康的な脚は非常に目の保養であった。
顔を見ると、化粧を施されているのか、ずいぶんと垢抜けて、先程までとは全くイメージが異なり、大人びていた。
無造作に一つに束ねられていた髪は、アップにされて綺麗にまとめられていた。
女はよく化けると云うが、短時間で女子校生から夜の女へと変身したのには、正直驚いた。
ついまじまじと彼女を見つめ過ぎたせいか、彼女は居心地悪そうに立ち尽くしていた。
慌てて「座れば?」と勧めると、彼女は素直に従い、ソファーの端に腰かけた。
自分とは少し距離を置かれた。
どうして彼女をここまで連れて来てしまったのか分からなかった。
自分は彼女に対して何かしたいわけでもなく、ただ気になるという一点だけで、明確な目的も無かった。
横にいる彼女を盗み見ると、彼女は前の方に視線を彷徨わせていた。
視線の先にはテーブルが置いてあるだけだ。
そのテーブルの上には自分が飲んでいるビールとつまみ、おしぼりが置いてある。
物憂げな表情の下で、何を考えているのか分からない。
側にいる自分に興味を示してもくれず、彼女の無関心さに漠然とした不安を感じる。
彼女は何も話さない。自分も同じように話さなかった。
ただ黙ってソファーに座っているだけだったので、先客たちの声がよくフロアに響いていた。
彼女との間に流れる沈黙に、居心地の悪さを感じた。
いつもなら当たり前のように出る女性に対しての褒め言葉を、お洒落に着飾った彼女に対して言っていなかったと、後になって気付いた。
ちょうどママが彼女の為にお茶を運んできてくれたので、彼女が「いただきます」と言って飲み始めた。
それが話しかけるきっかけになりやすかった。
「その格好、似合うね。綺麗だよ。……無理矢理連れて来てなんだけど、おうちの人は心配してない?」
彼女はゆっくりとこちらに首を向ける。
「大丈夫」
彼女が答えてくれて、会話が成り立ったことに、何故か安堵を覚える。
「それならいいけど。それにしても、どうして一人であんなところを歩いていたの?」
彼女はその質問には何も答えず、自分をしばらく見つめた。
やがて、暗い表情で薄く笑った。
その笑いに、また背筋がぞっとした。
「さっきから質問ばかり」
聞こえてきた台詞は、自分の行動を揶揄するものだった。
気分を害してしまったのかと、内心不安が走る。
何故、こんな小娘に気を遣うのか、自分の感情の変化が不思議だった。
「ごめんね。鬱陶しかった?」
「ううん。そうではないの。でも、いちいち質問に答えるのは、今は辛くて」
彼女は首を横に振って答えてくれた。
持っていたお茶をテーブルの上に戻す。
今の彼女は会話をしたい気分で無いことが分かった。
それじゃあ、どうすれば間が持つのだと考えた時に、彼女が手を動かすのが目の端に入った。
良く見ると、彼女は右手を動かして目元を押さえていた。彼女の頬に一筋の涙が流れていた。声を殺してただ泣いている彼女。
鼻を啜る音が微かに聞こえる。
どうしよう――と焦った。
そして、焦る自分に驚く。
泣いている女がいたら、とりあえず肩に手を掛けて抱き寄せて優しく扱えば、それで良かった。
それで大抵の女は、安心して自分に身を寄せてきて、良い雰囲気に流れ込んでいた。
すでにパターン化した行動にも関わらず、それを実行するのに躊躇う自分。
今の彼女の気配には、自分を気安く近づけさせない何かがあった。
肩に手を伸ばして抱き寄せようなどと、恐れ多い気がした。
今日の出来事を振り返って、彼女と会ってからの自分は、はっきり言って奇怪しい。
彼女に対してどう接すれば良いのか分からなくて、彼女が泣いている側で、情けなく自分はただ座っているだけだった。
どのくらいの時間が経ったのだろうか。
気付いたら、彼女は自分で涙を止めていた。
「えーと、ごめんなさい」
彼女が突然謝って来た。
「どうして謝るの?」
「突然泣きだしたから、困ったかなと思って」
彼女は答えながら、テーブルの上にあるおしぼりで目元の涙を拭いていた。
確かに対処には困ったが、驚いた訳ではなかった。会った時に目が赤かったので、泣きたいほどの理由を既に抱えていたのは分かっていたからだ。
だから、彼女が泣き出したことについて、特に意外ではなかった。
「泣いて気持ちが落ち着いたんなら、それでいいんだけど」
「うん」
自分を見る彼女の表情が少し柔らかくなっているのに気付いた。
彼女と目が合い、相手を安心させるために笑みを浮かべた自分。
そんな自分を彼女は凝視している。何か自分を見定めているような目つきだった。
彼女の様子が気になり、どうしたのか尋ねようとしたら、彼女の方が先に口を開いた。
「貴方、人ではないのね」
はっきりと言いきられ、瞠目した。
確かに自分は人外の者だ。
しかし、普通の人間には見えない曖昧な存在の妖怪たちと比べて、自分は普通に人目に触れるし、人間と紛れて暮らし、人間のように振舞っている。
自分から暴露するまで気付かないか、よほど能力が高い者でもないと見破られたことがなかった。
「……よく、分かったね」
内心の動揺は隠して、答えた。
彼女はきっと恐ろしいほど能力が秀でている。
「人間ではないけど、お前をどうこうしようと思って連れてきたわけじゃないよ」
「そうみたいね」
ある程度は信用されてきているらしい。
「何か辛いことでもあったの? 良ければ力になるけど……」
口にしてから自分が言った言葉に驚いた。
力になるって、彼女に協力して自分に何の得があると云うのだ。
ただ夜中に歩いていた女子高生が気になって声を掛けてみただけなのに、ここまで首を突っ込む必要があるのか。
自問自答している中、彼女の顔が再び暗くなってしまったのを見た時、感情がざわめいた。
彼女は下唇をきつく噛んで、何か辛い感情を堪えているようだった。
また泣きだしてしまうのではないかと思った。
「悪かった。嫌なら答えなくていいよ……」
思わず謝ると、彼女は首を横に振った。
「いいの。いきなり泣いてしまって、貴方が気になるのも無理はないと思うし。……最近ね、父を亡くしたのよ」
家族が亡くなれば、悲しいのは当たり前だ。
人間だった時から理解している感情。
それで彼女が泣いていたのかと、納得した。
しかし、どうしてあんな遅い時間に一人で歩いていたのだろうか。
何か他に事情があるように思えた。
「車の事故でね。……数日前のことよ」
彼女は再び鼻を啜った。
「父の車が崖から転落して、乗ったまま車が燃えてしまったみたいで――」
彼女は言葉を紡ぐように、必死に語ってくれる。
「誰とも分からないような姿になってしまったわ」
自分は彼女の話に頷く。
自分はあえて何も話さず、彼女が気持ちを整理して言葉にするのを待った。
「急に父が亡くなって、悲しくて、幽霊の姿でもいいから一目会いたくて、父が亡くなった現場へ行ってみたの」
自分の本性を見抜いた彼女のことだから、幽霊を見るのは当たり前のことだろう。
彼女は只者ではない。自分がこんなに調子を狂わされるのは、恐らく彼女のせいだ。
「探してみたけど、……父にとうとう会えなくて。諦めて帰ろうとした時に、そこで妖怪に出会ったの」
妖怪か。
人間には警戒して通常ならば目にすることは少ない。
自分から姿を現す妖怪を珍しいと思った。
「その妖怪は、何て言ったと思う?」
彼女は自分を覗き込む。
彼女の瞳に自分が映っているのが見えた。
彼女の質問の答えを、全く想像ができなかった自分は、黙ったまま首を斜めに傾けた。
それを見て、彼女は口を開く。
「それは、父が殺されるのを見たって言ったのよ……」
彼女は絞り出すように言った。
彼女の父が殺された。
その事実に、彼女がさらに苦しめられているのだと知った。