求婚
「どうして部屋の中がごみの袋だらけなんですか?」
春人は佳子の部屋の惨状を目の当たりにして、その台詞を呟いた。
先程、春人の軽く触れていた唇が、いつの間にか深く濃密なものへと変わっていた口づけ。急な展開で混乱して頭が働かない上に、佳子の身体は甘く痺れて腰の力が抜けていった。その時、佳子の身体がふわりと浮遊したと思ったら、春人に抱きかかえられて、自室へと運ばれていたのだ。
春人は呆然と佳子の部屋を眺めて、二の句を失っている。
床の上、机の上、ベッドの上までも、部屋の至る所が処分中の物で溢れていて、人生で最悪の汚部屋状態だった。
「物を片付けている最中だったんです」
部屋の主である佳子がそう答えると、春人は抱き上げていた佳子を下して両手を自由にして、急に片付けを始めた。彼の中でお片付けのスイッチが唐突に入ってしまったようだった。
いきなり佳子を部屋へと連れてきたり、片付けを始めたりと、春人の行動が佳子にはよく訳が分からなかった。ただ、彼にだけ働かせるわけにはいかなかったので、空腹を感じてきた佳子も付き合うことにした。
春人はベッドの上を集中的に整理していて、物を上からどけていた。それを横目に、佳子は高校時代の教科書を紐で束ねる。少し時間が経った頃、佳子は春人に声を掛けられたので、振り返って彼を見た。すると、何故か彼は思い詰めた表情を浮かべて佳子を見つめている。
佳子の視界に彼のすぐ傍にあったベッドが映り、そこは元通りの姿に戻っていて、何時でも横になれる状態になっていた。
「春人さん、ありがとうございます」
佳子が礼を言うや否や、まるで獲物を狙った肉食獣のような目をして春人は近づいてくると、そのまま佳子をベッドに押し倒して、再び激しい口付けを始める。
佳子は突然の彼の行為に驚いて、反射的に逃げようとしたが、彼の拘束は固く決して離れなかった。佳子の身体を這いまわる彼の手つきが、非常に性的な意味合いが濃く、未だかつてない攻め手に、佳子は心の中で大絶叫である。
「な、なんで、今日はこんなにも積極的なんですか!? キスなんて付き合い始めた頃くらいしか、してくれなかったのに……」
春人の唇が佳子の首元を彷徨いながら、彼の手が服の中へと侵入してくる。佳子は与えられる快感に流されそうになりながらも、文句を口にしていた。
すると、春人は動きを止めて、佳子の顔を切なげに見つめてくる。
「キスしたら、我慢できずに押し倒して襲ってしまいそうだったんです。佳子さんの問題が片付くまではと、控えていたんですが、却って不快にさせてすいませんでした」
春人の瞳は怪しげに爛々と輝いていて、佳子を捕食する気なのは明白だった。今の彼の言葉と態度から、次に起こる展開は容易に想像できてしまい、佳子は反射的に身の危険を感じずにいられなかった。
春人と一線を越えるのは嫌ではなく、むしろ少し恐いだけで自分も望むところがないわけではなかったが、不安が色々と付き纏ってしまい、彼を受け入れるのに抵抗があった。
「こ、こういうことは、結婚してからじゃないと駄目だと思います!」
「なら結婚して下さい」
佳子を見下ろしている春人は即答だった。
佳子は一時しのぎな適当な言い訳を口にしただけだったのに、却って自分を追い詰めてしまう結果となった。
「佳子さん、好きです。だから、私のものになってください」
彼は啄ばむように口付けをしてきて、佳子は驚嘆の声を封じられてしまった。彼のプロポーズの言葉は予想外で、佳子はすぐには信じられない。
「で、でも、結婚って…、春人さんはまだ学生じゃないですか!」
「もうすぐ卒業しますよ。あと一か月の辛抱です」
「春人さんの家族が反対するに決まってます!」
「それは説得します」
佳子の間近になる春人の目は真剣そのもの。彼の固い意志を佳子は感じずにはいられなかった。
「……でも、私の今後がどうなるか分からないですし。この屋敷も里に明け渡す予定なんです」
佳子はこの地の守人としてのお役目を下りたいので、里から許可が出れば、この地から去る予定であることを伝えた。しかし、それでも春人の意思は変わらないようだった。
「佳子さんにどこまでも、ついていきますよ。だから、私では駄目ですか?」
「駄目じゃないんですけど……」
佳子の反対理由が無くなり、春人は安心したように微笑む。その笑顔は佳子にとって、とても魅力的に映っていた。
「なら、何も問題はないですね。もともと、佳子さんの家の問題が片付いて、私が卒業したら一緒に暮らしたいと思っていたんです。そのことについて、佳子さんに相談したいと考えていたんです」
春人の言葉によって、クリスマスの日に彼から頼りにされて喜んだことを佳子は思い出していた。
確かに、春人は佳子に相談があると話していた。
「でも、春人さんは里で役場の仕事が決まっていたんじゃ……」
「ああ、それなら佳子さんの了解が取れたら、辞退するつもりでした。そして、この辺りで仕事を探す予定だったんです。遠距離恋愛で、たまにしか会えないのは辛かったものですから」
そこまで自分との交際を真剣に考えてくれていた春人に、佳子は感激するばかりだった。しかし一方で、春人の将来を自分の都合のために振り回してしまうことに、不安を感じていた。
「春人さんの気持ち、すごく嬉しいです。でも、せっかく決まった就職先を辞めるなんて、勿体ないです。私の身の振り方も決まっていないのに、二人して無職になっては、共倒れになってしまいます」
結局、婚約は偽りではなく本当のものとすることになったが、結婚の時期は未定ということにして、内定を辞退することは止めてもらった。
さらに、今は妊娠しては困ると正直に伝えると、非常に辛そうであったが春人はこれ以上手を出すのを止めてくれた。
「……さえあれば」とぶつぶつと恨めしそうに、壁に向かって呟いていた春人の姿が少し怖くて、佳子はあえて見なかったことにした。




