如月への質問
大橋が去った後、如月は上着のポケットからボイスレコーダーを取り出して、スイッチを押すなどの操作をしていた。
「さてと、彼女の言質もとれたし、俺の用件は終わったよ。そうそう、春人はこの家にいるのかい?」
「いえ、佳子さんに今朝から会いに出かけています。残念ながら入れ違いになりましたね」
「ははは、家にいたら殴ってやろうと思っていたんだけど、幸運にも災難を逃れたようだね」
笑いながら明るく話している如月の目には怒気が混じっていて、本気なのはすぐに分かった。春人は寸でのところで危険を回避したようだと、慶三郎は苦笑しながら安堵する。
「あの、先程の里香の豹変ぶりはあなたの仕業ですよね? 一体彼女に何をしたんですか?」
「俺はただ正直に話してくれってお願いしただけだよ? 彼女はそれに応えてくれた。それだけだよ」
如月は詳しく話す気はないらしく、ただ結論を口にしている、そんな感じだった。
「では、あれが彼女の本心ということですか?」
「そうだよ。まあ、五月さんは驚いていたようだったけど、男を巡る女の戦いって、誰しもあんな感じだと思うよ。 あの子が特殊って訳じゃない。駆け引きは当たり前だし、卑怯な手を使ってでも、好敵手を蹴落とすのは当たり前だよね。ただ単に春人の根性が足りなかったから、あんな些細な誤解で彼女を失うことになった。俺としては、あの子に感謝しているんだよ? 引き裂いてくれてありがとうって」
「しかし、如月さんは二人の関係の修復のために、当家に足を運んでくださったんですよね?」
「二人のためじゃない、佳子のためだよ。真吾のことで落ち込んでいたのに、さらに春人に騙されたと思って酷く傷ついていた。だから、誤解だけは解いておいた方がいいかなって思ったんだよ。復縁のことは、正直どうでもいい」
如月の言葉の端から、佳子に対して特別な感情を持ち合わせているのは、すぐに分かった。如月が彼女の復讐に助力した理由はそれなのだと、慶三郎は確信する。
「如月さん、貴方は一体何者なんですか? 先程の不思議な力といい、貴方が只人ではないことは明らかです。それに、貴方が経済界でも名の知られている鬼頭克氏と関わりがあるのは分かっています」
慶三郎の踏み込んだ問いに、如月は冷めた笑いを浮かべる。
「そう、俺は只人ではない。そこまで分かっていれば、十分だと思うよ?」
「しかし、身元の確認を」
「俺について、確かなものなんて有りもしない」
しつこく食い下がろうとした慶三郎に対して、拒絶するように如月は言い捨てた。
「俺の存在なんて、幻だ。有って無いようなものなんだよ。俺を気にするだけ無駄だ」
頑なな如月の態度から、慶三郎は素性の詮索を諦めた。里の人間ではない以上、無理強いは出来なかった。
「では、一上家で起きたあの事件当日についての行動を教えていただけますか?」
「ああ、それなら正直に答えよう」
如月は淀みなく過去の行動について語り出す。
彼の一上家への侵入方法は、慶三郎は思わず苦笑いしてしまうくらい突拍子もない方法だった。それから、集会が行われている時の如月は、状況をひたすら静観していたと証言する。その彼の話しぶりを見ていて、特に不審な言動を慶三郎は感じられなかった。
「佳子のこと、よろしく頼むよ」
そう言い残すと、如月は帰って行った。
春人といい、如月といい、美形の男たち二人が、佳子に夢中になる理由はなんだろうか――。慶三郎はぼんやりとそう思いながら、彼が去っていく姿を見送った。
家へと戻ると、居間で食器を片付けている最中の夕輝がいた。
来客中は気を利かせてお茶などを用意してくれた後は、席を外していて暫く姿を見かけなかった。
「慶三郎様、お疲れ様です。里香さんは途中で帰ったんですね」
「ああ、実は驚くことが起こったんだ」
慶三郎は夕輝に先程大橋の身に起こったことを話した。意外なことに夕輝は冷静に話を聞くだけで、表情を変えなかった。
「驚かないんだな」
「里香さんについては、想像の範囲といいますか。噂でたまに彼女の評判を聞きますし……。それに、彼女の母親も裏表が激しいタイプなんです。親子だから性格が似てしまったのでしょうか」
慶三郎にとって、叔母の聡美について、そのことは初耳だった。表情が顔に出ていたのだろう、夕輝は困った顔をすると、口を開く。
「昔、聡美さんとお義母様が二人きりで話しているのを偶然聞いてしまったんです。聡美さんはお義父様たちの前では優しい方ですが、お義母様の前だけは人が変わったみたいに恐い方でした。でも、お義母様が黙っていたので、何も知らない慶三郎様に話すが憚られたんです」
一回りも年の離れていた義兄である父を慕っていた叔母の聡美は、父の花嫁になるのを子供心に夢見ていたが、父がお袋を選んでその話が無くなったため、親父と家を横取りしたと、母を相当恨んでいたらしい。
表向きは円満に解決しているように見えていたが、影では恨みが延々と続いていたようで、叔母と母が二人きりになると、ねちねちと憎しみをぶつけて苛めていたようだった。
母も叔母に罪悪感があり、さらに父が里の中で他所者ということで苦労していたので、これ以上気苦労を掛けたくないと、告げ口することなく耐えていたのだ。
何も気付けなかったと、慶三郎は自分が情けなく、夕輝の話に返事をすることも出来なかった。
大橋の件についても、彼女だけが悪かったわけではないだろう。慶三郎と父が浅慮にも大橋を応援してしまったために、彼女を不必要に煽る結果となり、あのような卑劣な方法を取らせてしまったのかもしれない。
彼女も希望がないと早々に気付けば、あのように足掻く必要はなかったはずだ。それによって、佳子も傷つく必要もなかった。慶三郎は双方に申し訳ない気がした。
「それにしても、如月さんの力は言霊の類でしょうか? 使いようによっては、恐ろしいものになりますね。あのような人間と見分けのつかない人外ともなれば、桁はずれの力を秘めているのでしょうね」
夕輝の言葉の一部が引っ掛かり、「人外って、本当か?」と慶三郎は慌てて聞き返した。
驚いた勢いで発した声は、思いのほか大きくなってしまったため、夕輝は目を丸くしてこちらを見る。
「はい、如月さんは人間とは異なる存在です。先程初めてお会いした時に気付きました」
「そうだったのか……。俺は何も気付かなかったよ。彼も何も……」
慶三郎は”言わなかった”と言葉を続けようとして、先程まで交わしていた如月との会話が思い出した。
彼は自分のことを”幻”と評していた。
会話の最中、勿体振った言い回しをするものだと、慶三郎は聞き流してしまったが、彼は言外に人外であることを匂わせていたのだ。
そして、何故彼が佳子に好意を寄せたのか、慶三郎は瞬時に理解する。彼も佳子の不思議な魅力によって惹きつけられた妖怪の一部なのだ。
里の中でも多くの妖怪に慕われて、何も知らない人間に山神として称されていた佳子。
彼女の処遇について、まだ結論は出ていないが、里の中でも特筆した能力を保持する彼女を野放しにはできないと、大勢から意見が出ていた。
人並み外れて優れた力があるのにも関わらず、全く鼻に掛けないどころか、佳子は謙虚過ぎた。その彼女のお役目返上の希望を叶えたくても、残念なながら、彼女の力こそが一番邪魔をしていた。
 




