その時 3
あの時、例え夢物語でもいいと思いながらも心に誓ったことが、現実となって僕自身に起きている。
白光の中から帰ってきた僕は、自由になる体を使ってどの『選択の決断』を行うか考えようとした。
(いや、考えてちゃだめだ、行動するんだ)
周りを見渡すと、時の止まったモノクロームの街は既に色を取り戻し、今にも動き出そうとしている。
(まずい、時間が無い)
徐々に薄れていく意識の中、もう一人の僕の声が聞こえだした。
「じゃあ、送っていくよ」
「ここでいい、一人で帰るから」
そう言うと真菜は自宅方向に向きを変えて歩き始めた。
意地になっていた僕は彼女の方を振り向くこともしないで歩き出した。
「もう意地になっている場合じゃない!
あんな思いはもうしたくないんだ!」
消えかけた意識で最後の命令を僕自身の体に送り出す。
立ち止まって振り返ると一人信号待ちをしている彼女の後ろ姿が見える。
寂しそうなその姿を見ているうちに、僕は彼女に向かって駆け出した。
(ごめん、そうなんだ。あの時素直に真菜に駆け寄って止めていれば、真菜を、そして恋愛という感情を失う事はなかったんだ)
『私の方こそ、あなたを縛り付けてしまいましたね。
ごめんなさい』
走りながら頭に浮かんだ気持ちに聞き覚えのある声が答えるように話しかけてきた。
「えっ!」
忘れ去られた感情の欠片の声と、真菜の声が、そして最後に聞こえた彼女の言葉が僕の頭の中で交差した。
『今まで私にいっぱい愛をくれて、ありがとう』
初めて「声」を聞いた時、どこか懐かしく聞き覚えがあったのに、それが真菜の声だったと今まで思い出せないでいた。
「ごめん、真菜……」
『私はそれでも今、とても幸せです』
「この僕と真菜はもうすぐ消えちゃうんだろう。
でも、なんとか間に合いそうだよ」
真菜に駆け寄った僕は、彼女の手をつかんだ。
『新しい私、そしてこれからの時間……命を取り戻してくれて、本当にありがとう。
真菜は幸せです』
突然手をつかまれてびっくりした彼女は、反射的に手を振り払いながら振り向き、さらには空いている右側の手を振り上げていた。
「ごめん。でも、今日は一人で帰っちゃだめなんだ」
振り向いた彼女と目が合ったと同時に、咄嗟に頭に浮かんだ言葉を僕は言い放っていた。
「ふっ……何、それ」
ほんの少しの間を開けて、状況を把握した彼女が吹き出すのをこらえながら言った。
「あっ、いや……なんというか……今日はごめん。だから『一人で帰る』なんて言わないでくれよ」
僕は先ほど彼女に伝えたかった事を、言葉を組み直して言い直した。
「私、なんだか今日はものすごく不安な気持ちだったの」
そう言うと彼女は自分の気持ちを解き放つかのように言葉を続けた。
「今までの、楽しくて幸せな日々が今日で終わってしまうんじゃないかと……何故だかそんな風に感じていたの」
未だに不安を取り除けないでいる彼女の両肩に手を回し、そして抱き寄せた僕の視界に青に変わった歩行者信号が写った。
その直後、ものすごいスピードで一台の車が横断歩道を横切り走り去っていった。
多分赤信号を無視して突っ込んできたのだろう。横断歩道を渡っていたのなら、間違いなく轢かれているタイミングだった。
「大丈夫、もう全ての悪夢は過ぎ去ったよ」
「うん、ありがとう」
この言葉を真菜から聞いた直後、タイムスリップをしたときと同じような現象が始まった。
しかし今回は白光に包まれたところで止まっている。
「あっ、時の流れが止まって、この僕も消滅する時が来たのか……」
やがて、僕を包んでいた白光は崩れるように範囲を狭くしていった。
しばらくの後、わずかに残った白光の中から欠片の真菜が差し出してきた手に導かれ、意識の僕もその白光に溶け込んでいった。
(やっぱり真菜の温もりを感じている時が一番安心できるよ。
さて、最後に僕自身に伝えてくるよ。聞こえるのかどうかはわからないけど……
おーい、後は任せたよ、これからの僕、二人で愛を大きく育ててくれよ)
「えっ? 何だ?」
「どうしたの?」
「あっ、いや、ちょっとね」
「だから、どうしたのよ」
挙動不審の僕に彼女が問いつめてくる。
「たしか、一度別れたよね」
「そうよ」
「その後の記憶が今一はっきりしないんだが……」
「何を言ってるのよ。私を追いかけてきたんじゃない」
「うーん、そうしていた気はするんだけど……」
「はっきりしないのね。そのあと私に謝って、で、抱きしめてくれてるじゃない」
「いや、そういう事じゃなくて、なんて言っていいのか……」
今の僕は完全に意識と記憶と現実が混乱している。
「何をしていたのか覚えていない訳じゃないんだ。さっきまで今の僕の意志で行動していた訳じゃなくて、今の僕の中にいるもう一人の僕が勝手にこの体を使って行動しているのを今の僕が見ていた……かな」
「あん、もういいわよ。とにかく私の心の不安はすっかり無くなって、今はとっても気分がいいのよ。
……本当にありがとう」
僕の言っている意味不明の言葉に半ば呆れ顔だった彼女であったが、最後にちょっとだけ照れ顔でつぶやいた。
気がつくと、今日一日あれだけ耳障りだった街中の雑音は、普段の音となって聞こえる。そして漆黒の闇に見えた夜空も、薄くなった雲をすり抜けた月明かりが街を優しく照らし、その切れ間から星も見える。
「僕もすっかり不安は無くなったよ。
ありがとう。なんだかわからないうちに崩れそうになった心を救ってくれたんだ。
それにしても心底恋して、そして愛した真菜の大切さがわかったよ。
心から愛しているよ」
不安から解放されて軽くなったからか、普段なら恥ずかしくて口に出来ない言葉をさらりと言ってしまった。
「なっ、なっ、何言い出すのよ!」
普段聞けない言葉を、面と向かって、しかも真面目に聞かされた彼女は耳まで桜色に染めていた。
「真菜、本当に好きだよ、そして愛してるよ」
彼女の予想通りの反応に僕はちょっとした悪戯心から、もう一度直撃弾を放った。
「わっ、わっ、わかったわよ、もう……」
もう少し遊びたかったが、これ以上言うと悪戯がばれて本格的に彼女が怒りそうなので、話題を変える事にした。
「さて、今日はこの辺で勘弁してやる。
と、いうことで、送っていくよ」
「じゃあ、その心から愛している私を傷一つつけないように大切に送り届けてよ」
「了解しました。お姫様」
そう言うと、僕は彼女の手を取り歩き出した。
帰り道、真菜からあふれる可愛い、そして素敵な笑顔を見て、僕は初めて大切なものが直ぐ近くにある事を知った。
読み進めていただき、ありがとうございます。
次回が最終話となる予定です。