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その時 2

 二人が別々の方向に何歩か歩みを進めたそのとき、突然高い周波数の音が大音量で僕の頭の中に響き渡る。


「耳鳴り……か?」


 しかしそれは耳鳴りとは明らかにレベルが違い、その音量は振動を感じるほどであり、その振動で脳が揺らされて意識が遠のいていく。

 虚ろになった目に映る見慣れた街の風景から動いているもの全てが動かなくなった。


「何だ、何が起きているんだ?」


 目の前で起きている事を薄れる意識の中で考えるが全く理解できない。


「あれ? 体が動かない」


 そして目に映る全てのものから赤色が消え、緑色が消え、最後には青色が消えて、「時が止まったモノクロームの世界」が完成するころ、僕の時間は完全に止まっていた。


『主様、お目覚め下さい』


 聞き覚えのある声が頭の中に響きわたり、僕の止まった時間が動き出した。

 正確には、声によって過去に送られた僕の意識が、今までの僕と入れ替わり目覚めた。


 そう、今の僕はこの後何が起きるのか全て知っている。そして心の空白を埋めるための「心の欠片」はここにあるという事もわかっている。

 ここまでの事象を全て理解した今の僕に声の主が語りかけてくる。


『主様もお気づきの通り、ここに『欠片』はあります。そして『選択の決断』を行う時でもあります。

 ここでの行動は、主様の心の空白を埋めるために最も重要となります』


 確かに今からの行動次第で今後が大きく変わるだろう。

 僕が出来る行動は彼女をこのまま帰すか、引き止めるかの二つ。

 このまま帰すと今の僕が知っている心に空白のある生活となる。

 もしここで引き止めると、僕の知らない未来へと変わるだろう。


 今まで何度も過去に戻る事が出来たなら、この時に戻ってなんとかしたいと考えた事が何度もある。でもこんな事が本当に起きてしまうと今ひとつ踏ん切りがつかない。


『周りを見てください。主様に残された時間は残り少ないのです』

「え! 今回もまた……なのか」


 声に言われ周囲を見るとモノクロームの世界に色が少しずつ戻り出している。今回も残り時間が少ないというのは間違いないようだ。


『この後、いかなる決断であっても主様の存在は消えて去り往きます。

 今一度、記憶を呼び戻してください』


 声が語り終わると同時に、まばゆい白光に包まれた僕の意識は記憶の海に投げ出され、意識の奥深くに眠っていた記憶が鮮明に蘇った。


(そうだ、今日このとき、何が原因なのかわからないうちに口喧嘩になって、しかも変に意地になっていたから、お互い見送る事や振り返る事もしないで、こうして別々に歩みを進めていったんだ)


 僕が何歩か歩き進んだときだった。


 耳障りであった街中の騒音を押さえつけ、ナイフで切り裂くような鋭くかん高い「スキッド音」が後方から耳に飛び込んできた。


 振り向く僕に三枚の写真が視界というスクリーンに映し出された。

 一枚目は「青信号の横断歩道を渡り出した彼女の後ろ姿」

 二枚目は「横断歩道を横切る車」

 そして三枚目は「彼女も車も見えない青信号の横断歩道」

 別々に見せられても普段なら何の変哲もない写真であった。しかしその三枚の写真はスライドショーの写真が切り替わるかのごとく機械的、断片的、それでいて連続して映し出された。


 全ての音が「スキッド音」に切り裂かれ、その残響が消えると同時に無音の世界が僕に訪れた。


「えっ? 何?」


 直後、それは極々短い時間しか存在できない世界であるのを証明するかのように嫌な振動が空気を伝わり僕の耳に音となって入ってくる。それは、段ボールの箱を押しつぶしたような、それともスイカを落としたような、とにかく気持ちの悪い、不快なそして、鈍い音であった。


 目の前で起きた事を理解でない。

 いや、理解したくなかった。


 しばらくの間を置き、街中の雑音が一つの言葉となって、僕に何が起きたのかを無理矢理でも理解させようとする。


「人が跳ねられたぞ!」


 集まってきた人たちの様々な声が聞こえる方向へ向かって、夢の中を漂うような意識と足取りで進んでいく。


(あっ、この感覚はバイクとかで転けたときの感覚に似ている。

 全てがコマ送りになって、一秒に満たない時間がすごく長く感じて、立ち上がると足が地面に着いていないような……その後、必ず『夢なんだ』って思うんだ。

 でも振り返ると壊れたバイクや痛む体がそんな僕を現実に引き戻す。

 でもでも、今回は本当に夢を見ているはずなんだ)


 しかし足を一歩進めるごとに伝わってくる地面からの衝撃が、未だ夢見心地の脳に「現実世界を踏んでいる」という感覚として伝わってくる。

 その衝撃が一つ伝わるごとに、少しずつ現実感を取り戻し、それに合わせて歩みも徐々に速くなっていく。

 そして人で出来た輪に近づく頃には、完全に意識は現実を取り戻し、目の前で起きた事を朧げながら理解した僕は、そのまま人の円弧を切り裂き中心に向けて駆け込んだ。


 そこには、僕の「夢を見ているはず」という淡い願望を完全に打ち砕くかのように、まるで等身大の人形のようになってしまった真菜が横たわっていた。

 しかし、僕はなぜ彼女が動かなくなってしまったのか理解できない。

 目に映る彼女は厚手の服に守られていたためか、目立った外傷は見当たらない。強いて言えば薄いストッキングが何カ所か裂けて、擦りむいた足の傷が気になるくらいだった。


(たいした事がなさそうで、よかった……)

 変な安心感がわき起こってくる中、ようやく横たわる真菜に言葉をかける事が出来た。


「足の擦り傷だけなんだろう。目を開けてくれよ」

「……」

「たいした事は無いんだろう」

「……」

「びっくりして気を失ってるだけなんだろう」

「……」


 思いついた言葉を次々とかけてみるが、全く無反応の彼女に、さっきまでの変な安心感は消え去り、次第に大きくなってきた不安感が僕の心を埋め出した。


「さっきの事で怒って意地悪しているだけなんだろう」

「……」

「本当、ぼちぼち目を開けてくれよ」

「……」


 奇跡的に傷一つ無い、でも悪夢に怯えながら眠っているような彼女の顔を改めて見たとき、一番考えたくない不安感で完全に心を埋め尽くされ、無理矢理力を入れてここまで駆け込んだ僕の足から、急激に力が抜けて崩れ落ちるように座り込んだ。


「なあ、起きてくれよ」

 彼女をそのまま膝の上で抱きかかえた。


「何かの冗談だよな……」


 僕自身、何を言っているのか、何を言っていいのかわからない。


 ……


「すみません、救急車を…… どなたか救急車を呼んで下さい」

 しばらく口から出す言葉を探した後、ようやく見つけ出した言葉がこの一言だった。


「もう連絡したよ」

「……ありがとうございます」

 周りの誰かわからない人の言葉に、僕は振り返る事もしないで、そのまま彼女を膝の上で抱きかかえ踞った状態で、一言お礼を言って黙り込んだ。


 昼間、二人でいたときにはあんなに温かで優しかった彼女の温もりが、今となっては凍りつくように冷たく伝わってくる。


「温もりを取り戻してくれよ」

 彼女の冷たい耳元で囁く。

「また優しく包み込んでくれよ」

「……」

「今日……今さっきの事だってまだ仲直りしてないじゃないか」

「……」

「ごめん、俺が悪かった。だから頼むから目を開けてくれよ」

「……」


 次に出てくる言葉が完全に無くなり、黙り込んだままの真菜を膝の上で抱え込み、どれだけ時間が経っただろうか。


「……ん……」


 彼女が何かを言ったような気配に顔へ視線を向けると、うっすらと目を開けて口を動かしている。


「……わたし……のほう……こそ……ごめん……なさい」


 今にも消えてしまいそうな声で、真菜はしゃべり出した。


「……いっぱい愛をくれて……ありが……とう……」

「おい、何言ってるんだ。まだまだこれからじゃないか」

「わたし……は……とても幸せ……」

「馬鹿な事言ってないで二人で愛をもっと大きく育てて、もっと幸せになろうよ。だから……だから……だから……」


「……本当に……ありがとう……」


 言葉に詰まり、次の言葉が出てこない僕の話を遮るように、最後にそう言うと真菜は目を閉じて動かなくなってしまった。


「だから……頼むよ、目を開けてもっと話をしようよ」


「……」


 ようやく出た言葉に、真菜から返事が返ってくることはなかった。


 実際にはこの時の彼女は一言も話をしていなかったのかもしれない。いや、とても話が出来る状態ではなかったはず。

 それでも聞こえてきた彼女の話し声は、そうしてほしいと望んだ僕の意識が幻想を勝手に作り上げ、そして見せた一瞬の夢だったのかもしれない。

 しかしその後、彼女の表情は断末魔の瞬間に見た恐怖に怯えていたような冷たい表情から、穏やかな温かい表情となっていた。


 彼女の時間はここで終わってしまった。

 僕は、その事を理解できた。


 しかし、不思議と悲愴感も喪失感もわき起こってこない。

 だからといって開き直っているわけでもなく、こんな事態を目の前にしながらも、すごく冷静に物事を考えられるようになっている僕がいた。

 それは大切なものを、あまりに簡単に失ってしまったということに対して、呆気に取られていたのかもしれない。

 それとも失ってしまったものが、あまりに大き過ぎたため、僕自身の心がこれ以上感情を流し出させまいとして、氷のように冷たく、そして固く閉ざして、守っていたためなのかもしれない。


 しかし、そんな自己防衛を吹き飛ばす罪悪感も同時にわき起こってきた。


(なぜ、真菜を抱きかかえる事しか出来なかったのだろう。

 僕は緊急蘇生術を習っていたはず。

 なのに、なぜ、何にも出来なかったのだろう。

 素人の僕でも処置をしていたら……

 真菜は助かったかもしれない)


 僕は自分が真菜を死亡させてしまったのかもしれないという、罪の意識に押しつぶされそうになった。

 そして罪の重さに耐えかねたように、心の中で何かが音も無く抜け落ちて、何もない空白となってしまった。


 今となっては虚しく響きながら近づいてきた救急車のサイレンの音が止まり、救急隊の隊員に僕は真菜から引き離された。

 そして、ストレッチャーで運ばれていく彼女を、ただ呆然と見送る事しかできない抜け殻の僕がここにいた。


「もうどうにでもなればいい」


 絶望の淵に向かって歩き出そうとしたその時だった。

 何も無いと思っていた心の空白に、小さく輝く光が見えた。


『心に誓いなさい。

 必ずここに戻って、罪を償うと』


 何が起きたのかわからなかったが、誓いを促された僕は何も考えないで返事をしていた。


「はい、誓います」


 例えそれが夢物語だったとしても……

読み進めていただき、ありがとうございました。

区切りがうまく出来ないで、少し長くなってしまいました。

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