選ばなかった方
初投稿です。
雰囲気重視の作品になります。
満たされていないわけじゃない。
ただ、少しだけ全部が薄かった。
それでも、問題はなかったはずだった。
仕事も、普通にこなしているし、
人間関係だって悪くない。
困っていることは、特にない。
――それで十分なはずだった。
「それ、足りてない顔してるよ」
不意に言われて、少しだけ笑った。
「そんなことないよ」
反射みたいに返す。
本当に、そう思っていたから。
「じゃあ、その顔なに」
軽く続けられて、言葉が詰まる。
少し考えてから、曖昧に答える。
「……なんか、ちょっと薄いだけ」
「薄い?」
「うん。全部、ちゃんとあるのに、ちょっと遠い感じ」
自分でもうまく説明できていない。
でも、それが一番近かった。
相手は少しだけ考えてから、
「じゃあ、濃くする?」
と軽く言った。
冗談みたいな口調。
思わず笑う。
「なにそれ」
「方法はあるよ」
その一言に、ほんの少しだけ引っかかる。
「怪しくない?」
「怪しいと思うなら、やめればいい」
あっさりした返しだった。
押してくるわけでもない。
「無理にとは言わない」
一瞬だけ間を置いて、
「でも、興味はあるでしょ」
視線が、少しだけ逸れる。
否定できない程度には、ある。
「……まあ」
曖昧に返す。
それくらいの距離感。
深く関わるつもりなんて、なかった。
「試すだけなら、後悔するほどじゃない」
軽く言う。
「やめるのも簡単」
続けて、逃げ道を置く。
「怖い?」
少しだけ笑いながら。
「それとも、楽しみ?」
どっちでもない、と言いかけて。
少しだけ考える。
怖くはない。
でも、何も感じていないわけでもない。
「……ちょっと気になるだけ」
そう言うと、相手は小さく頷いた。
「それで十分」
その言葉が、妙に残る。
――それで十分。
ほんの少しの違和感と、
ほんの少しの興味。
それだけで、人は動く。
「どうする?」
急かされている感じはない。
ただ、選ばされている。
帰ることもできる。
このまま何もなかったことにして、
いつも通りに戻ることも。
たぶん、それが普通だ。
でも。
「……試すだけ、なら」
気づいたら、そう言っていた。
相手は少しだけ笑う。
「そう」
それだけ。
大げさな反応は何もない。
「じゃあ、来て」
立ち上がる。
迷う時間は、まだあったはずなのに。
足は、自然に動いていた。
――このときは、まだ。
戻れなくなるなんて、思っていなかった。
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ここまで読んでいただきありがとうございます。
少しずつ更新していきます。




