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【完結】『悪役令嬢の辞表 〜10年間「誰にでもできる」と言われていた実務を全て捨てたら、国が傾いたようですが知りません〜』  作者:
改革と溺愛

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第9話

 皇帝陛下ディートリヒさんによる衝撃の正体バレと、盛大な歓迎式典を終えた私は、さっそく「職場」へと案内されることになった。


「ここだ」


 ディートリヒさんが重厚な扉を指差す。

 皇城の西棟にある、内政を取り仕切る『文官棟』だ。


 外観は立派だ。黒曜石の柱に、黄金の装飾。

 さぞかしエリート官僚たちが、優雅かつ効率的に仕事をしているのだろう――。


 そう思っていた時期が、私にもありました。


 ガチャリ。

 扉が開かれた瞬間、そこから溢れ出してきたのは、腐ったインクの匂いと、男たちの悲鳴にも似た溜息だった。


「ひぃぃ……予算が合わない……」

「助けてくれ、この申請書はどこの部署の管轄だ……」

「もう三日寝てない……家に帰りたい……」


 目の前に広がっていたのは、地獄絵図だった。

 広いフロアには、天井まで届きそうな書類の塔が乱立している。

 その隙間を、目の下にクマを作ったゾンビのような文官たちが、よろよろと徘徊していた。


「…………」


 私は無言で扉を閉めようとした。


「待てアディ。見捨てないでくれ」


 ディートリヒさんがガシッと私の手首を掴む。


「これが我が帝国の現状だ。軍事面では大陸最強を誇るが、内政面――特に事務処理能力においては、悲しいほど未熟でな」


 彼は苦虫を噛み潰したような顔をした。


「俺が即位してから領土が急拡大したせいで、物流や税収の管理システムが追いついていないのだ。現場の人間は優秀なんだが、『剣の振り方』は知っていても『ペンの持ち方』を知らない者が多くてな」


 なるほど。

 脳筋国家ということか。


「……それで、私にこのゴミ屋敷を掃除しろと?」

「掃除ではない。改革だ」


 ディートリヒさんは真剣な眼差しで私を見た。


「この国には『脳』が足りない。君のその怜悧な頭脳で、この混乱を鎮めてほしい。……頼めるか?」


 皇帝陛下に頭を下げられては、断れるはずもない。

 それに。


(……うずくわ)


 私は目の前の書類の山を見た。

 乱雑に積み上げられた未決裁の箱。分類されていない請求書。

 これらを綺麗に片付け、整然としたシステムに作り変えた時の快感を想像すると――正直、少し興奮してしまう。

 悲しき社畜のさがだ。


「……はぁ。わかりました」


 私はため息をつきつつ、腕まくりをした。


「ただし、私のやり方に口出しは無用ですよ。たとえ相手が宰相だろうと将軍だろうと、非効率な人間は容赦なく切り捨てます」

「望むところだ。俺の名前を使って好きに暴れろ」


 言質は取った。

 私はカツカツとヒールの音を響かせて、ゾンビの群れの中へと歩み出した。


「注目!」


 私が手を叩くと、死んだ魚のような目をした文官たちが、のろのろと顔を上げた。


「だ、誰だ……? 迷子か……?」

「今日からこの部署の指揮を執る、アデーレです。今からこの部屋の『大掃除』を行います」


 私は一番手近にあった書類の塔を指差した。


「まず、この書類は何ですか?」

「あ、ああ……それは『南方戦線の兵糧補給申請書』だ……」

「なぜ未処理なんですか?」

「承認印が五つ必要なんだが、三番目のハンス将軍が遠征中で、ハンコがもらえないんだ……」


 見ると、羊皮紙には無駄に大きな枠が五つ並んでいた。


「馬鹿馬鹿しい。緊急時の補給にスタンプラリーをしてどうするんですか」


 私はその書類をひったくると、ビリリと破り捨てた。


「ひぃぃぃッ!? な、何をするんだ!」

「事後承認で十分です。今すぐ物資を送ってください。将軍のハンコが必要なら、私が皇帝陛下のサインをもらってきます」

「えっ、へ、陛下のですか!?」


 文官たちがざわめく。

 私は次々と指示を飛ばした。


「そっちの山は?」

「『道路工事の予算申請』です! 形式が古いと言って財務省から突き返されて……」

「形式なんてどうでもいいです。金額と工期が合っていれば通しなさい。文句がある財務官がいたら、私の前に連れてきて。論破します」


「あっちの箱は?」

「『他国からの親書』ですが、翻訳班が手一杯で……」

「貸して。私が読みます」


 私は箱の中から数通を抜き出し、パラパラと目を通した。


「これは社交辞令の挨拶状。返信不要。これは貿易の提案、重要度・低。……こっちは国境付近の不審な動きに関する密告状、重要度・高! これだけ陛下の執務室へ! 残りはシュレッダーへ!」


 私の指示が飛ぶたびに、書類の山が物理的に消滅していく。

 最初は呆然としていた文官たちの目に、次第に光が宿り始めた。


「す、すげぇ……」

「判断が速い……! これなら終わるぞ!」

「おい、アデーレ様の指示通りに動け! 財務省への殴り込み部隊を編成しろ!」


 停滞していた空気が、熱を帯びて回転し始める。

 私はフロアの中央に立ち、まるで指揮者のようにタクト(羽ペン)を振るった。


「A班は決済! B班は仕分け! C班は休憩をとって、濃いコーヒーを全員分淹れてきて!」

「「「イエスマム!!」」」


 野太い返事が響き渡る。

 さっきまでゾンビだった彼らが、今や歴戦の戦士のような顔つきになっていた。


 その様子を、入り口で腕を組んで見ていたディートリヒさんが、愉快そうに喉を鳴らした。


「……見事だ」


 彼は呟き、近づいてくると、私の腰に手を回した。


「きゃっ!? へ、陛下? 仕事中ですが」

「構わん。素晴らしい指揮だった。ご褒美が必要だろう?」


 彼は衆人環視の中で、私の耳元に唇を寄せた。


「君が破り捨てたあの書類の山……あれだけで、この国の作業効率は三年分進化したぞ」

「……大袈裟です。ただの整理整頓ですから」

「謙遜するな。君は俺の選んだ『最高の女』だ」


 彼が指先で私の顎を持ち上げる。

 周囲の文官たちが「おぉ……」「陛下があんな顔を……」と顔を赤らめて見守っているのが視界の端に見えた。


 恥ずかしい。

 仕事モードの時は平気だが、急に恋愛モードに切り替えられると心臓に悪い。


「こ、公私混同は禁止です!」

「俺が法だ。文句があるなら書面で提出しろ。……もっとも、その書類を審査するのは君だがな」


 彼は楽しそうに笑うと、私の頬にちゅっと音を立ててキスをした。


「頑張れよ、俺の可愛い宰相殿。夜には最高級のディナーと、極上のマッサージを用意して待っている」


 彼はそう言い残し、颯爽と去っていった。

 残されたのは、真っ赤になった私と、ニヤニヤと生温かい視線を送ってくる部下おっさんたちだけ。


「……み、見世物じゃありませんよ! 仕事に戻る!」

「「「はーい!」」」


 こうして、私の帝都での一日目は、怒涛の勢いで過ぎていった。

 しかし不思議と、疲れはなかった。

 祖国ではあれほど苦痛だった書類仕事が、ここではパズルのピースがハマるように気持ちよく進む。


(……悪くないかも)


 正当に評価され、必要とされ、そして(過剰に)愛される職場。

 私は積み上がった書類の山を見上げて、不敵に笑った。

 

 さあ、残業の時間だ。

 この国の膿を、一滴残らず絞り出してやるわ。


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