表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】『悪役令嬢の辞表 〜10年間「誰にでもできる」と言われていた実務を全て捨てたら、国が傾いたようですが知りません〜』  作者:
繁栄と没落

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

15/16

第15話

 サン・ローラン王国、王城。

 かつては大陸でも有数の美しさを誇った「白亜の城」は今、腐臭と怒号に包まれていた。


「……くそっ、臭い! どうなっているんだ!」


 第一王子ギルベルトは、鼻をハンカチで押さえながら廊下を歩いていた。

 窓の外には、回収されずに放置された生ゴミの山が見える。カラスが群がり、ハエが飛び交っている。


 原因は単純だ。

 王都の清掃ギルドへの支払いが滞り、彼らがストライキを起こしたからだ。

 

 さらに悪いことに、城内の魔導水道も止まっていた。

 トイレは流れず、風呂にも入れない。

 香水を振りまいて誤魔化しているが、それも限界だった。汗と香水と生ゴミの臭いが混じり合い、優雅な宮廷生活は見る影もない。


「おい! 清掃ギルドへの支払いはまだか!」

「で、殿下! 財務官が『ハンコがないから金庫が開かない』と言って逃亡しました!」

「逃亡だと!? 連れ戻せ!」


 ギルベルトが怒鳴るが、衛兵たちも動かない。彼らへの給与も三ヶ月遅配しているからだ。

 誰も、王子の命令を聞こうとしない。


(なぜだ……なぜこんなことになった?)


 一ヶ月前までは、全てが順調だったはずだ。

 朝起きれば清潔な服が用意され、執務室は適温に保たれ、書類にはサインをするだけでよかった。

 国は勝手に回り、民は勝手に働き、自分はただ玉座に座って微笑んでいればよかったはずなのだ。


 それが、アデーレという「地味な女」が一人消えただけで、この有様だ。


「ギルベルト! ここにいたか!」


 ドスドスと床を鳴らして現れたのは、国王である父だった。

 その顔は憤怒で赤黒く染まっている。


「ち、父上……」

「貴様! 帝国の新聞を見たか! 『サン・ローラン王国、衛生管理能力の欠如により伝染病のリスク増大』だと!? 恥を知れ!」


 国王は丸めた新聞紙をギルベルトに投げつけた。


「さらに、アデーレ嬢からの請求書だ! 『未払い残業代および有給休暇買取請求』……金貨五千枚!? なんだこのふざけた金額は!」

「そ、それは彼女が勝手に……」

「調べさせたが、正当な請求だったぞ! 彼女は過去十年間、一人で五人分の仕事をしていた! それをタダ働きさせていたツケが回ってきたのだ!」


 国王は頭を抱えた。


「金庫にはもう金がない。お前がミナとかいう小娘に買い与えたドレスや宝石の代金で、予備費まで使い果たしたからな!」

「ミナは関係ありません! 彼女は私の運命の相手で……」


「その運命の相手とやらを、どうにかしろ!」


 国王が指差した先。

 廊下の曲がり角から、金切り声が聞こえてきた。


「嫌ぁぁぁッ! お風呂に入れないなんて無理ぃぃッ!」


 ミナだった。

 かつては愛らしいピンク色のドレスを着ていた彼女だが、今は薄汚れた寝間着のような姿で、髪もボサボサだ。

 彼女はギルベルトを見つけると、鬼のような形相で駆け寄ってきた。


「ねえギルベルト様! どうにかしてよ! 体がベタベタして気持ち悪いし、ご飯も冷たいパンばっかり! こんなの耐えられない!」

「ミ、ミナ……少し我慢してくれ。今、業者が……」

「我慢? 私が? なんで? 王太子妃になれば贅沢できるって言ったじゃない! これじゃあ平民以下の生活よ!」


 彼女はギルベルトの胸倉を掴んで揺さぶった。

 その目には、かつてギルベルトを魅了した「慈愛」や「純真さ」は欠片もなかった。あるのは、剥き出しの欲望と不満だけ。


「……離せ」

「あぁ?」

「離せと言っているんだ!」


 ギルベルトは彼女の手を振り払った。

 プツリ、と何かが切れた。


「お前のせいだ……お前が『仕事なんてしなくていいもーん』とか言って、重要書類に花のスタンプを押したせいで、貿易協定が破棄されたんだぞ!」

「はぁ? だって漢字が読めないんだもん! ギルベルト様が『可愛いからそのままでいい』って言ったんじゃない!」

「限度があるだろう! それに、アデーレなら……アデーレなら、こんなミスはしなかった!」


 禁断の名前を口にしてしまった。

 ミナの顔が引きつる。


「……へぇ。結局、あのおばさんの方が良かったって言うの?」

「ああそうだ! 彼女は地味で可愛げがなかったが、仕事は完璧だった! 文句も言わず、俺の尻拭いをして、国を支えていた! お前みたいにギャあギャあ喚くだけの役立たずとは違うんだ!」


 言ってしまった。

 言ってはいけない本音を。


 ミナは信じられないものを見る目で彼を見つめ、そして――。


 バチンッ!!


 乾いた音が廊下に響いた。

 ギルベルトの頬に、赤い手形が浮かび上がる。


「……最低。もういいわ、実家に帰らせてもらうから!」

「ま、待てミナ!」

「触らないで! 泥舟の王子様なんて、こっちから願い下げよ! 慰謝料請求するからね!」


 彼女はドレスの裾を翻し、去っていった。

 残されたのは、呆然とするギルベルトと、彼を軽蔑の目で見下ろす国王だけ。


「……愚か者め」


 国王は吐き捨てるように言った。


「ダイヤモンドを捨てて、ガラス玉を拾った男の末路だな。……アデーレ嬢への支払いは、お前の私財を全て没収して充てる。廃嫡の手続きも進めるから、そのつもりでいろ」


 国王も去っていった。

 広い廊下に、ギルベルトは一人取り残された。


   ◇ ◇ ◇


 夜。

 ギルベルトは、かつてアデーレと共に過ごした執務室にいた。

 魔導灯の明かりは消えかかっており、薄暗い。


 机の上には、未処理の書類が山脈のように積み上がっている。

 その高さは、アデーレがいた頃の三倍にもなっていた。


「……読めない」


 ギルベルトは一枚の羊皮紙を手に取り、震える声で呟いた。

 『国境警備隊・兵站補給要請書』。

 専門用語と数字の羅列。どこに承認印を押せばいいのか、何を確認すればいいのか、さっぱり分からない。


 以前は、アデーレが付箋を貼ってくれていた。

 『ここは承認』『ここは却下(理由:予算超過)』と、美しい文字で指示があった。

 彼はそれに従ってハンコを押すだけで、「名君」と称えられていたのだ。


「……全部、あいつがやっていたのか」


 今更ながら、思い知らされる。

 この国の平和も、彼の名声も、そして快適な生活も。

 全てはアデーレという土台の上に成り立っていた砂上の楼閣だったのだ。


 彼女は言っていた。

 『私が抜けた後、この業務は誰が行うのですか?』と。

 あの時、自分は鼻で笑った。『誰にでもできる』と。


「……できるわけ、ないだろう……」


 ギルベルトは机に突っ伏した。

 涙が溢れてくる。

 後悔という名の毒が、全身に回っていく。


 なぜ気づかなかったのか。

 彼女が夜遅くまで残業していた背中を。

 彼女が淹れてくれた紅茶の温かさを。

 彼女が時折見せていた、控えめだが美しい微笑みを。


 帝国の舞踏会で見た彼女は、息を呑むほど美しかった。

 あんな表情、自分の前では一度も見せたことがなかった。

 いや、見ようとしていなかっただけだ。


「アデーレ……」


 虚空に向かって、その名前を呼ぶ。

 返事はない。

 あるのは、積み上がった書類の山と、窓の外から漂う生ゴミの臭いだけ。


「帰ってきてくれ……頼む、帰ってきてくれ……」


 彼は子供のように泣いた。

 しかし、その声が帝国に届くことはない。


 彼が捨てた「石ころ」は、今や帝国の「至宝」となり、二度と手の届かない場所で輝いているのだから。


 サン・ローラン王国の崩壊は、もはや時間の問題だった。

 そしてその引き金を引いたのは、他ならぬギルベルト自身だったという事実は、彼が死ぬまで――いや、国が滅びた後も歴史書に残る汚点として、永遠に語り継がれることになるのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
あれ?ミナだっけ?何様なん?下位貴族だよね? この女が慰謝料請求する権利ないよね? 色々やらかしてるし、国際問題起こしてるし 不敬罪、名誉毀損、損害賠償とか逆に請求される側では? 国庫に手を出してるな…
金庫開けられなかったんじゃないのかw
いやいやいやいや、ミナは実家に普通に帰れるような無実な人間ではないですよね。 帝国の客人に無礼を働き、国庫でドレスを購入し貿易協定をお遊びで破棄して王太子を平手打ち。 少なくともミナを野放しにしたら、…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ