表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】『悪役令嬢の辞表 〜10年間「誰にでもできる」と言われていた実務を全て捨てたら、国が傾いたようですが知りません〜』  作者:
改革と溺愛

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

12/16

第12話

 祖国であるサン・ローラン王国の王城。

 その大広間は、今夜開催される「王太子妃選定舞踏会」のために、煌びやかに飾り付けられていた。


 シャンデリアの光、楽団の演奏、着飾った貴族たちのさざめき。

 かつては「華やかだ」と感じていたその光景も、帝国の圧倒的な威容を知ってしまった今の私には、どこか色褪せて見えた。


「……随分と空気が澱んでいるな」


 私の隣で、ディートリヒさんが低い声で囁いた。

 私たちは今、大広間の入り口にある大扉の前で、入場の合図を待っているところだ。


「貴族たちの笑顔が引きつっている。料理の質も落ちているし、何より衛兵の装備が手入れされていない。……末期症状だな」

「陛下、声が大きいです。外交問題になりますよ」


 私は扇で口元を隠して諌めた。

 でも、彼の言う通りだった。

 城内ですれ違った元同僚(文官や騎士たち)は皆、幽霊のようにやつれており、廊下の隅には埃が溜まっていた。掃除の予算すら削られているのかもしれない。


(私が抜けてから一ヶ月。予想以上に崩壊が早かったわね)


 少しだけ胸が痛むが、同情はしない。

 これは彼らが招いた結果なのだから。


「――グランツ帝国皇帝、ディートリヒ・フォン・グランツ陛下! ならびに、そのパートナーのご入場です!」


 儀典官の甲高い声が響き渡った。

 重厚な扉が、ギィィと音を立てて開かれる。


 一瞬で、会場の喧騒が消えた。

 数百人の視線が、一点に集中する。


「行くぞ、アディ」

「はい、陛下」


 ディートリヒさんが差し出した腕に、私はそっと手を添えた。

 カツ、カツ、カツ。

 静まり返ったホールに、私たちの足音だけが響く。


 漆黒の礼装に真紅のマントを纏ったディートリヒさんは、まさに「覇王」の風格だった。

 ただ歩くだけで空気を支配し、見る者を畏怖させる圧倒的なオーラ。

 

 そして、その隣を歩く私への視線も、熱を帯びていた。


「……誰だ、あの美女は?」

「皇帝陛下の新しい愛人か? いや、あの宝石の量は皇后クラスだぞ」

「見たことがない顔だ。どこかの国の王女か?」


 ひそひそ話が聞こえてくる。

 誰も、私があの「地味なアデーレ」だとは気づいていない。

 

 無理もない。

 コンタクトレンズに変えた瞳は銀色に輝き、トップデザイナーによるドレスと化粧で武装した私は、自分でも見知らぬ「傾国の美女」になりきっているのだから。


 私たちはホールの最奥、王族たちが座る玉座の間へと進んだ。

 そこには、やつれた顔を厚化粧で隠した国王夫妻と、そして――。


 以前よりも一回り痩せ細り、目の下に濃いクマを作った元婚約者、ギルベルト殿下が立っていた。

 彼の隣には、新しいドレスを着たミナ様がいるが、彼女の表情もどこか不満げだ。


「……ようこそお越しくださいました、ディートリヒ皇帝陛下」


 ギルベルト殿下が、引きつった笑顔で歩み寄ってきた。

 その目は、ディートリヒさんへの恐怖と、劣等感に揺れている。


「遠路はるばる感謝いたします。我が国の舞踏会を楽しんでいただければ幸いです」

「ああ。招待に感謝する、ギルベルト殿下。……随分とお疲れのようだが、国務が忙しいのかな?」


 ディートリヒさんが痛いところを突く。

 ギルベルト殿下の眉がピクリと跳ねた。


「はは……まあ、少々。優秀な部下が育つまでは、私が自ら陣頭指揮を執らねばなりませんので」


 よく言う。

 部下を育てるどころか、優秀な人材を次々と潰しているくせに。


 その時、ギルベルト殿下の視線が、ふと私に向けられた。

 瞬間、彼が息を呑むのが分かった。


「……そちらの麗しい女性は?」


 彼の瞳から、疲れの色が消え、代わりに粘つくような欲望の色が浮かんだ。

 ああ、知っている。

 彼は昔から、綺麗なものに目がないのだ。


「初めまして。皇帝陛下のパートナーの方とお見受けするが……どこの国の姫君かな? これほど美しい方を、私が知らないはずがないのだが」


 彼は私の手を取ろうと、無遠慮に手を伸ばしてきた。

 隣にいるミナ様が「むぅっ」と頬を膨らませているが、彼は完全に無視している。


(……呆れた)


 自分の婚約披露パーティーで、他国の(しかも皇帝の連れの)女性を口説くなんて。

 この男は、どこまで愚かなのだろう。


 私は扇を閉じた。

 そして、彼の伸ばしてきた手を避けるように一歩下がり、優雅にカーテシーをした。


「お久しぶりでございます、ギルベルト殿下」


 鈴を転がすような、よそ行きの声で言う。


「私の顔をお忘れですか? あれほど毎日、貴方様の執務室で顔を合わせておりましたのに」

「……え?」


 ギルベルト殿下の動きが止まった。

 彼はポカンと口を開け、まじまじと私の顔を見つめる。


「執務室……? まさか……いや、そんなはずは……」

「眼鏡を外しただけですわ。それとも、書類の山に埋もれすぎて、視力が落ちてしまわれましたか?」


 私はふわりと微笑んだ。

 その瞬間、彼の脳内で何かが繋がったようだ。


「あ……アデーレ!? アデーレなのか!?」


 彼の絶叫が、ホールに響き渡った。

 周囲の貴族たちがざわめく。


「嘘だ! あのアデーレだと!? 地味で、可愛げがなくて、鉄仮面のようなあの女が……こんな、こんな美女なわけがない!」

「失礼ですね。最高のデザイナーと、最高の環境があれば、女性は変わるものです」


 私は冷ややかに言い放った。

 

「それに比べて殿下は……随分とお変わりになられましたね。以前のような輝き(オーラ)が全く感じられませんが」

「なっ……!」


 顔を真っ赤にするギルベルト殿下。

 そこへ、ミナ様が割り込んできた。


「嘘よ! これがあのアデーレおばさんなわけないわ! 整形したんでしょ! 魔法で顔を変えたのよ!」

「おやおや」


 それまで黙っていたディートリヒさんが、一歩前に出た。

 私を背に隠すようにして、二人を見下ろす。


「私の大切なパートナーを『おばさん』呼ばわりとは。……この国の教育はどうなっているのかな?」


 ゴゴゴゴ……と、物理的な圧力が場を支配する。

 赤い瞳が、凍てつくような殺気を放っていた。


「ひぃっ……!」


 ミナ様が腰を抜かしてへたり込む。

 ギルベルト殿下もガタガタと震えながら、それでも必死に言葉を絞り出した。


「へ、陛下……その女は、私の元婚約者で……罪を犯して国を出奔した裏切り者です! 騙されてはいけません!」

「罪だと?」

「そうです! 職務放棄と、国家機密の持ち出し! そうだ、今すぐ捕らえろ! 衛兵!」


 ギルベルト殿下が叫ぶ。

 しかし、衛兵たちは動かない。動けないのだ。皇帝の殺気に当てられて。


「ほう。職務放棄と言ったか」


 ディートリヒさんは鼻で笑った。


「私が聞いた話とは違うな。彼女は正式な辞表を提出し、貴殿がそれを受理したと聞いている。……違うか?」

「そ、それは……」

「それに国家機密の持ち出し? 馬鹿な。彼女の頭脳メモリーそのものが国家機密級なのだ。彼女が歩けば、知識も共に移動する。それを止めたければ、なぜ彼女を丁重に扱わなかった?」


 ディートリヒさんは私の方を向き、愛おしそうに肩を抱いた。


「彼女は今、帝国の全権行政補佐官だ。我が国の内政を一手に担い、その手腕で数々の改革を成し遂げている『至宝』だ。……貴殿が捨てた石ころは、私にとってはダイヤモンドだったようだな」


 ダイヤモンド。

 その言葉に、ギルベルト殿下の顔が絶望に歪む。


「て、帝国の……補佐官……?」


 彼も薄々気づいていたのだろう。

 国が回らなくなった原因が、アデーレの不在にあることを。

 そして今、その「答え」が、世界最強の皇帝の隣で、見たこともないほど美しく輝いている。


「返せ……」


 ギルベルト殿下がうわごとのように呟いた。


「返せよ! アデーレは俺のものだ! 俺の婚約者だ! それを勝手に……!」

「見苦しいぞ」


 ディートリヒさんが一蹴した。


「彼女は自分の意志で私を選んだ。そして私も、彼女を選んだ。……もし彼女を取り戻したければ、力ずくで来るか? 帝国軍五十万が相手になるが」


 その一言で、勝負は決した。

 ギルベルト殿下は膝から崩れ落ちた。


 私は彼を見下ろし、静かに告げた。


「ギルベルト殿下。私、有給休暇の買い取り請求書を持って参りました。未払い残業代と合わせて、金貨五千枚になります」


 私は懐から、分厚い請求書を取り出し、彼の目の前に落とした。

 バサリ、と乾いた音が響く。


「期日は来月末です。……もしお支払いが遅れるようであれば、帝国法に基づき、延滞金を請求させていただきますので」


 私はにっこりと微笑んだ。

 かつて彼に向けた、どんな愛想笑いよりも美しく、そして冷酷な笑顔で。


「それでは、ごきげんよう。……元、婚約者様」


 私はディートリヒさんにエスコートされ、踵を返した。

 背後で、ギルベルト殿下の「あ、あぁ……」という情けない呻き声だけが、いつまでも聞こえていた。


 胸がすくような、完璧な勝利だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
なぜにコンタクト?伊達眼鏡って度ないよね? 伊達眼鏡で外してコンタクトとは? カラコン度なしですか?
あれ? メガネは伊達だったのでは?
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ