第三章 疾風迅雷烈火
気練討堕 第三章 疾風迅雷烈火
1
リガノスとシエラは南北に隣接、シエラは北、リガノスは南に位置している。シエラの南端からだと、ワカバとコウヨウにも、遠目にリガノスの街並みが見えていた。
リガノスのことはシエラの学校の図書館で下調べをしてきた。
リガノスやシエラ周辺は砂漠地帯。リガノスはそんな砂漠の中央にある、オアシスとして発展した街であった。隣国の鉱山で採掘ブームが起こると、出稼ぎに行く労働者がリガノスに滞在、宿泊業や娯楽が発達した。サーカスや演劇、カジノなどの興行が盛んになって、いつしかリガノスの名物となった。
ワカバが本に載っていた写真で見たところ、広い道路や砂岩を切り出し出来た建物など、街は全体的に砂色をしている。しかし華々しい色合いの看板やネオンの光が並んでいるので、決して地味ではなく、むしろ派手な街という印象であった。
ワカバとコウヨウはまず街の様子を探る為、シエラを出た後そのまま直接リガノスに入らず、街を観察しながらぐるりと周囲を周っていた。
リガノスの周辺は不思議な地形をしていた。砂漠でありながら中々の高低差がある。ごつごつとした岩場が丘のように高まった場所もあれば、円形の砂丘が盛り上がっている場所もある。上り下りに苦労しながら、二人は街の南側まで周ってきた。そして盛り上がった砂丘の一つに登り、リガノスの様子を双眼鏡を使い遠目から観察した。
ワカバはすぐに街の異変に気づいた。
本で見た限り、あれだけ派手で華やかな街だったのに、人が居ない。閑散としている。看板も色褪せ、街全体が荒廃している。もうずっと人が生活していないような有様だ。
そしてその原因はすぐに見つかった。
三匹もの堕人が、街の中を徘徊していた。
三匹の堕人には、いずれも番号が刻んである。
勇んで駆け出そうとするワカバを、コウヨウは襟の後ろを掴んで止めた。
「まぁ、待て待て。落ち着け」
「倒さないと!」
「僕達はなぁ、別にこの街の兵士じゃないんだ。街がこんな状況だし、変に目立つと敵襲だと勘違いされるかも知れないだろ」
あからさまに不満そうなワカバに、コウヨウはやれやれ、といった感じで息を吐いた。
「しょうがない。じゃあここらで別行動といこうか」
「え! いいんですか!?」
「ま、抜き打ち試験も合格したことだしな。じゃあ……三日だ。三日経ったら、何か進展があってもなくても、ここ、この街の入り口で落ち合おう」
ワカバの単独行動を認めたコウヨウは、真剣な顔でワカバに言う。
「ワカバ、何を助けて何を敵とするのか、自分の善悪は自分で決めろ。今のお前にはその力があるし、そう修行をつけてきたつもりだ」
そこまで言うと、
「じゃあ、また三日後に会おう!」
そう言って、コウヨウはアッサリと何処かへ行ってしまった。
南側がリガノスの正面。「REGANOS」と綴られた大きなアーチが街の入り口であり、街のシンボルにもなっている。
ワカバは一人になった。気を引き締め、アーチをくぐる。だが、堕人を倒そうとしなかったコウヨウに対して愚痴が出る。
「どうしてあぁ冷たいかね、まったく……!」
コウヨウはあれはあれで、一応は優しい男だ。一応。共に旅をし、修行をつけてくれた。そりゃあ修行は厳しかったが、それも優しさ故だと分かっている。ただの理不尽や、その能力や立場をいいことに偉ぶる、なんてことは一度もなかった。だがそれは自分が気に入った人にだけの話。他のほとんどの人間には基本的に興味を示さない。一応場をわきまえてそれっぽく振舞うこともあるが、コウヨウにとって興味無い人間は、たぶん虫けらみたいなものなのだろう。
気練師は正義の味方じゃない、とコウヨウはよく言っていた。
気練師は職業ではない。ただ気を扱える人間をそう呼んでいるのだと。気練師はその能力を活かして、傭兵をしたり、山中の護衛をしたりして生活している。普段はその力を使わず、普通に暮らしている者もいれば、その力を使い悪の道に走る者もいる、とのことだった。
それでも、ワカバは気の力で人を守りたかった。堕人に襲われる人を助けたい。自分のような思いをする人をなくしたい。
それはワカバの純粋な思いだった。
「ひ、ひええぇぇぇ~~~!! だ、誰かぁぁぁ~~!!」
甲高い悲鳴がワカバを我に返らせる。先程見つけた堕人を探すと、その一匹がまさに人を襲おうとしているところだった。
「風気操法 衝空波!」
ワカバは急いで駆け寄り、堕人を倒す。肩にはCから始まる番号が書かれていた。シエラでの戦いで自信をつけたワカバは、融合した数の少ない堕人であれば、さほど苦もなく倒せるようになっていた。
「大丈夫ですか!?」
「ふぇぇ……。あ、ありがとうございます……助かりました……」
見ると、小柄な女性だった。クリクリとした大きな目に、涙を一杯溜めている。膝丈でフリルのついた黒いスカートに、白い前掛け。緩くウェーブがかった栗色の髪が、肩の上辺りで切り揃えられている。そしてその風貌に似合わない、大の大人が二、三人は入れそうな巨大なリュックサックを背負っていた。
こんな大荷物を女性が、しかも一人で……他に人は居なかったのだろうか……
などとワカバが考えていると、何処からか勇ましい声が響いてきた。
「その人から離れな!!」
ワカバが何事かと周囲を見渡すと、こちらに怒涛の勢いで突き進んで来る人影が目に入った。
赤みを帯びた明るい髪は腰まで伸びており、その髪をたなびかせながら、もの凄い速度でワカバ達の方へ走ってくる。背の高い、女性だ。
茶色いカウボーイハットを被り、同じく茶色いレザーのタイトなズボン。小さめの白いシャツは、メリハリのついた身体の線を浮かび上がらせる。そして左の腰には剣を、右の腰には銃を下げていた。近づくほどに分かってくる表情には、燃えるように赤い瞳。口元にはわずかに笑みを湛え、自信に満ちた表情をしている。
その女戦士は走りながらスラリと剣を抜くと、ワカバに切り掛かってきた。どうやらワカバが女性を襲っていると勘違いしたようだ。ワカバは何とか剣を避けながら、女戦士に叫んだ。
「違う! 俺はその人を助けてたんだ!」
「フフ、その手は食わんぞ……!」
「あ、あの~」
どうやら人の話を聞かないタイプのようだ。そしてもう一つの問題。
この人、めちゃくちゃ強い……!
ワカバは瞬時にこの女戦士の強さを悟った。疾く、正確な斬撃。ワカバは避けるのが精一杯だ。反撃の隙がまるで無い。いつかの戦闘実践修行で相手をした制服組の兵とは、雲泥の差があった。当たりそうになった斬撃を、ワカバは咄嗟に腕に沿わせた気の斬撃で弾く。気の能力を使った技。だが女戦士は、それにも全く動じない。
「ほぅ、気練師か。だがこちらも……」
「あの……」
女戦士が剣の刀身に手をかざす。細身の刀身が、艶やかに煌めく。柄は金色だが派手な装飾はなく、あくまで実用性重視のシンプルなもの。よく使いこまれできた細かい傷が、鈍い輝きを放つ。
「炎気操法 纏 炎剣」
すると、手をかざした部分から、細身の剣が炎を纏い出す。炎を纏った剣は、真っ直ぐに、ワカバの首に向かって振り下ろされていく。
避けきれない……! 死ぬ……!
ワカバの頭に、確かに死がよぎる。
「あ、あのぅ!!」
「なんだ!!」
ワカバの助けた女性がさっきからかけていた声が、ようやく届いた。女戦士は勢いよく返事をしながら、女性の方を振り向く。ワカバの首を斬る寸前で、剣は止まった。
「た、助けてくれたんです……その人……ホントに……」
「……」
女戦士は気まずそうにワカバの方を向く。
「ハ、ハハ……もっと早く言って欲しかったナー……」
ワカバは涙目になりながら、何とかそれだけ返したのであった。
「い、いやー、スマンスマン! カルミンよく堕人に襲われてるから、てっきりまた襲われてるのかと思ってな」
女戦士はフレアと名乗った。カルミンとは先程ワカバが助けた女性だ。
「フレアさん、ワカバさん、ありがとうございました」
「おう、もう不用意に出てくんなよ」
フレアはカルミンをよく知っているようで、帰っていく彼女に気軽に声をかけた。
「カルミンはホテルの給仕として働いてたんだ。見た目こそ華奢だが馬鹿力でね。避難してる皆の食糧やら必要な物なんかを、よく届けてるんだ」
確かに言われて見れば給仕かメイドのような格好をしている。それにあの馬鹿でかいリュックにもワカバは納得がいった。
「へぇ、それでか……。良い人なんですね」
「良い奴なんだが、不用心でね。よく襲われてて、その度に助けてるんだ。いっつも注意してんだけどね……不用意に出てくんなって」
フレアはため息をつきながら、この街の現状を語り出した。
「今君が目にした通り、この街は頻繁に堕人の襲撃を受けている。大勢いた観光客は来なくなり、街は廃れ、住人も皆恐れて、普段の暮らしもままならなくなった。前は栄えてた街も、今じゃすっかりこの有様だ」
フレアは傭兵として世界中を回っている女性で、堕人襲撃の知らせを受け、三か月前にリガノスに来たということだった。
今二人が話しているのは、街の兵士の駐屯地だ。堕人の襲撃が始まって以降、街の一角に住民の避難所ができ、そこに隣接する形で兵士の駐屯地が作られていた。今では、街中ではなくそこが、市民の生活の中心になっていた。
その駐屯地の入り口の一角、備え付けられたテーブルに座り、フレアとワカバは話をしている。ワカバが見つけた他の堕人は、フレアがさっさと倒してしまっていた。
「今はみんなピリピリしてる。隣国から堕人が送られてくるって噂が流れたりしてな。焦って、やられる前にこっちから戦争を始めようなんて奴もいたりして。
最近あちこちで戦争が起こってるのは知ってるよな? この街も、もうすぐそうなってしまいそうな雰囲気があるんだ。胡散臭いしょうもない噂なんだけどな。こんな状況だと、人間の弱さが出るよね……」
フレアはここまで話すと、ワカバに聞いた。
「君は何者? 傭兵として来たのかな?」
ワカバは、番号が振られた堕人に遭遇して、誰かが堕人を操っていると推測したこと、堕人兵の情報を得てこの街に来たことなどをフレアに話した。
「……なるほどね。堕人兵は、最近たまに戦争で見かけるんだ。やはり別の場所でもその被害はあったか……」
ワカバの目的は戦争でどちらかに加担して、勝利をもたらすことではない。堕人を操る黒幕を探し出し、この手で討つ。堕人の被害をなくす。できれば呪いのことも調査し、あわよくば外す。それがワカバの大まかな目的だ。以前傭兵をしたのはあくまで修行の為。それに今はもう修行ではなく、実戦と思った方がいいだろう。
フレアの様な兵士がいるのであれば、街のことはフレアに任せ、自分は傭兵としてではなく、単独行動で堕人を操る黒幕を見つける方がいいのかもしれない。
ところが、フレアはそんなワカバの考えとは真逆の提案をしてきた。
「じゃあさ、ワカバ、傭兵やってみない?」
「えっ!? い、いや、自分は戦争に参加するんじゃなくて、あくまで堕人を操る存在を見つけたいだけだから……!」
「君も気練師でしょ? この街で気練師は私一人でさ。普通の兵士だと堕人一匹でも苦労するし……。そうだな、傭兵やろう!」
「い、いやだから……」
「こんな状況だからチンピラあがりみたいな傭兵も多いし、街の治安も悪いし、たまに近隣を襲う堕人も倒してあげないといけないし……一人だと忙しくて堕人兵の黒幕探しも中々手をつけられなくてね。よし、じゃあ、傭兵やるか!」
まくしたてていくフレア。
ホ、ホントに人の話を聞かない人だ……
「いや、実を言うとさ、私も一応リガノス所属の傭兵ではあるんだけど、目的は勝利というより、戦争の終結なんだよ。たぶん考えは君と同じ。同じ能力とか考えを持つ人がいるのは、私としても心強いな」
なるほど、それなら自分と考えは近いのか……?
「ま、まぁ、それなら……」
ワカバは一応納得し、フレアの提案を受け入れることにした。
「よーし決まり!」
フレアはそう言うと、隣にあった窓口に駆け寄って、その中にいる、いかにも事務方といった感じの兵士に、窓越しに声をかけた。
「おーい、あの子、傭兵として登録しといてくれ。名前はワカバ……」
「はっ、はい!」
緑の強いカーキの軍服に身を包んだ二人の兵士が、用紙に何やら急いで記入していく。
「ずいぶん簡単なんですね」
「私はこの街ではちょっと顔がきくからね」
と、戻ってきたフレアはワカバに得意げに語る。
「大丈夫、君の傭兵になりたいという思いは、無駄にさせないよ」
いつの間にか俺がしたかったことになってるし……
それが済むと、フレアはワカバに向き直り、言った。
「さて、期待の新戦力も得たし、今日はお祝いだな! ワカバ、この辺案内したげるから、ついて来な」
ワカバは促されるままついて行くが、後ろでさっきの係が話している声が聞こえた。
「すげぇ……『最強の傭兵』フレアさんだぜ。俺喋っちゃったよ」
「やっぱオーラあるよな」
その言葉に思わず振り向くワカバ。確かにフレアは強かった。『最強の傭兵』と呼ばれるほどだったとは。しかしそのせいで、フレアは渋い顔をしていたのには、ワカバは気づかなかった。
コトコトと音を立てながら、良い匂いを漂わせ、鍋が煮込まれている。その前で調理しているのは、ワカバだ。エプロン姿が板についている。
その夜、ワカバは駐屯地の中の、フレアの部屋にお邪魔していた。フレアはその強さからか特別扱いで、個室を与えられているのだ。ワカバはそこに備え付けられているキッチンで調理していた。
フレアはねずみ色のスウェット姿でくつろいでいる。片肘をついて寝っ転がり、何やら書類を眺めていた。ワカバに襲いかかってきた時の、勇ましい面影は無い。ワカバがミトンをはめた手で食事を持ってくると、フレアは書類から顔を上げた。
「フレアさん、出来ましたよ。シチューです。腐ってる物も多かったから、具は少なめですけど」
「……あぁ、スマン……」
と、目を伏せるフレア。どうやら戦闘とは打って変わって、家事は不得手なようだ。
ちゃぶ台にいくつか器が並び、二人は向き合って座る。
フレアは、いただきます、とひとこと言い、一口シチューを口に運んだ。すると、
「うっ……うぅっ……!」
わずかの間があり、フレアが泣き出した。
「どっ、どうしましたかフレアさん! 何か嫌いな物でも入ってましたか!?」
「い、いや……こんな美味くてあったかいもん食べたの久しぶりで……! 最近はかったいパンとか、しょっぱい干し肉とか、そんなもんしか食ってなかったから……!」
フレアは泣きながらガツガツとシチューを平らげていく。ワカバは大いに同情した。
「大変なんですね……傭兵稼業も……」
フレアとは対照的に、ワカバは家事が得意だった。
そういえば、昔からおままごとが好きだった。母親譲りの綺麗な瞳に中性的な顔立ちも相まって、小さい頃はよく女の子とからかわれたものだ。だが両親はそんなワカバを素直に受け入れ、よく家事を手伝うワカバをいつも褒めてくれた。その為、からかわれるのも気にならなくなり、いつの間にか、からかわれること自体少なくなった。その中世的な顔立ちは、成長するごとに村の中でも美形の部類となり、困った人を見捨てておけないおせっかいな性格も相まって、ワカバは無自覚だったが、よくモテた。
「おかわり沢山ありますからね、フレアさん」「あ、ほらフレアさん。ここ、ご飯粒ついてますよ」「がっつかないで、ちゃんとよく噛んで……!」「あーほらよく噛まないからつっかえる! 水、水!」「それで足ります? おかわりつぎましょうか?」
「あぁもう! お前は母ちゃんか!」
そしてそのおせっかいな性格は、相手を鬱陶しがらせることもしばしば……
フレアが沢山おかわりをしたので、シチューはあっという間に無くなった。ワカバも満足気に食器を片付ける。片付けた後の台所は、何故か使う前より綺麗になった。ワカバが得意なのは、料理だけでなく家事全般だ。夕食の片付けが終わったら、戦いで破れたフレアの服を繕ってあげていた。
フレアはまたうつぶせに寝っ転がり、書類を眺めていた。
ワカバは縫い物の手を止めずに、聞く。
「それ、さっきから何見てるんですか?」
「ああこれ? 私の探している男さ」
フレアがワカバに書類を見せると、そこには壮年の男性の顔写真が載っていた。後ろに撫で付けられた髪。尖った鼻と顎。浅黒い顔は彫が深く、落ち窪んだ目は怪しく光っている。いかにも悪人で、知恵がありそうな、そんな顔立ちだった。
「ウォーレン。依頼を受けてあちこちに戦争を引き起こす、戦争屋だ。色んな戦争の裏にコイツがいて、糸引いてるって情報だけはあるんだが、中々尻尾が掴めなくてな。ゲイル、クリーグ、ボイナー、偽名もいくつもあって、探すのも一苦労だ。この国にも、もしかしたら関わってるかも知れんと思ってな……」
ゲイル?
その中の名前の一つが、ワカバの記憶を刺激する。
あっ! とワカバは思わず声を上げた。アストの元に来ていた、堕人の研究者とかいう怪しい男だ。点が線で繋がってきた。
「な、なに? どうしたの……?」
「フレアさん! 間違いない! そいつ、今この街にいますよ!」
ワカバはフレアにアストのことをかいつまんで話した。
「なるほど……。つってもねぇ……中々厄介な男でね。すぐ姿をくらませやがる……」
「大丈夫ですよ。フレアさんは強いし……そうだ! フレアさんって『最強の傭兵』なんですか!?」
さっき聞いてから気になっていたこと、ワカバは目を輝かせ聞いたものの、フレアは嫌そうな顔をしていた。
「あぁ、アレ……周りの奴らが勝手に言ってるだけさ。アレダサいから嫌いなんだよ……。『最強の傭兵』は私の師匠。私なんて師匠に比べれば、まだまだなんだから」
フレアさんにも師匠がいたのか。ワカバは思った。そういえば俺の師匠はどうしているだろうか。
「師匠に憧れて傭兵を始めてみたけど、最近はこれで良いのかって思っちゃうんだよね。いくらやっても戦争は無くなんないし。どっちについたもんかも最近は分からんし。どっちが良いとか悪いとか、そんなもん正解なんてある訳ないよね……。なんか助けて貰って当たり前、みたいな奴も最近は多いし……」
フレアはちゃぶ台に突っ伏し、向かいにいるワカバをツンツン突っつきながら話す。
「師匠も前似たようなこと言っててさ。師匠に追いついてきた感じがするのは嬉しいんだけど、師匠もこんな風に悩んだのかなぁ~……はぁ~~」
「大変なんですね……」
「ワカバも、もう少ししたら分かるさ」
そんな話をしているうちに、ワカバの繕いが終わった。ワカバはパンッと服を広げる。
「さっ、出来ましたよフレアさん」
服の色とは違うが、赤い縫い糸がアクセントになっていて、むしろ可愛らしい。
「おぉ~」
フレアは目を輝かせ、やたらと感動している。ひし、とワカバの手を取ると、言った。
「ワカバ君、嫁に来ないか」
「い、いや、男なんですけど……! せめて『婿』って言ってください……」
夜はふけていく。
――何処かの部屋。
暗闇の中、怪しく光る画面が沢山並んでいる。映っているのはリガノスの街の様子。夜になり、街はいっそう閑散としている。それを見ながら、男が呟いた。
「さぁ、しっかり働いてくれよ、堕人達。愚かな人間の本性を暴き、相応しい世界に導いてあげよう。
……戦争こそ人間の本質だ!!」
――翌朝
ワカバはフレアに連れられ、街を案内されていた。フレアはしっかり、戦闘モードに切り替わっている。
リガノスには大きな通りが二つあり、直角に交わっている。一つは南北に通る目抜き通り。比較的新しくできた道で、南端はワカバも通ったアーチのある、街の正面玄関だ。北に行くとシエラに続く道へ繋がっていく。もう一つは東西に繋がる通り。南北の通りよりやや狭いが歴史は古く、西方にある隣国の鉱山へ向かう為にできた道だ。東から街に入り、西へ真っ直ぐ進むと、隣国との境界にぶつかる。
その二つの通りが交わるのが、地理的にも経済的にも、街の中心だ。その周辺にこの街の名物であるホテルや劇場が軒を連ねている。ホテルの外観はそれぞれ個性的な形をしているが、中身はさほど変わらない。一階の正面玄関を入れば大きな舞台があり、そこで演劇やサーカスなどの娯楽を提供し、その奥や二階以上の階層が宿泊場所として貸し出される。そして地下にカジノがあるのも大抵共通し、街の名物となっていた。
が、それは一年以上前の話。堕人の度重なる襲撃により、今その周囲は閑散としていた。ホテルもほとんどが閉業。建物は残っていたものの、埃をかぶったように色褪せ、廃墟と化していた。
今の街の中心は、南東にできた住民の避難所や兵士達の駐屯所周辺。
堕人が襲うのはいつも決まって街の西側から中心部にかけてだった。それが隣国から堕人が送られてきているとの噂の元にもなったのだが、とにかくその被害から逃れる為に、街の東側に生活の拠点を移していたのだった。
そしてその北側、街の北東には、墓地があった。簡素な、丸太を組んだだけの墓。それがいくつもいくつも、数えきれないほど並んでいた。
「これは皆、堕人に殺された人の墓だ。堕人十匹が一度にこの街を襲撃した『大奇襲』が一年前。それまで街は平和そのものだったから軍備的な備えはほとんどなくてね。人が大勢死んだ。その後も頻繁に堕人が街を襲うようになった。その知らせを受けて、私はこの街に来たんだ。だが今はどこでも戦争が多くて、三ヶ月前にようやく来ることができたんだ」
すると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「あれ? フレアさんにワカバさん!」
カルミンが花束を持って歩いてきていた。
カルミンは近くの墓に花を手向けると、目を瞑り、手を組み、口の中で小声で祈りを捧げる。
そうかカルミンの知り合いも……
ワカバの思いを察したように、フレアが小声で教えた。
「あの子の両親も大奇襲で亡くなったんだ。今では兄と二人暮らし。それでも普段は悲しい素振りも全然見せずにな。健気な子だよ」
遠い目をして言うフレアに、祈りを終えたカルミンが、立ち上がって言った。
「フレアさんが来てくれたからですよ。フレアさんがいると、なんか安心感があるんです!」
ワカバは言葉が出なかった。両親のことを思い出していた。あんなに悲しい思いが、この街でも至る所であったのだろう。この墓の数だけ、あったのだろう。
堕人を操る黒幕を探し出し、討ち果たす。ワカバは改めて、強く決意した。
カルミンを送り返したら、フレアとワカバは街の西方に来た。
西方は、危険地帯。今では兵士を除きほとんど立ち入る者がいない。かつて住宅だったろうと思われる建物は、堕人の襲撃のせいか、壊されているものも多い。
リガノスの西の端は、隣国フォルニア国の主要都市サーメントと接していた。
サーメントこそリガノス発展の理由、鉱山のある街である。鉱山で相次いで新しい鉱脈が発見され、採掘ブームが起こると、一攫千金を夢見た者達がこぞってサーメントに行くようになった。その道中に立ち寄るのが、砂漠の中にあったオアシス、リガノスだ。
国境沿いの隣接した街として、昔は友好的な関係を築けていた二つの街。しかしリガノスが堕人の襲撃を受けるようになると、その堕人がサーメントから送られているのではないか、との噂が立ち、サーメント側では、リガノスが鉱山資源を狙って戦争をでっち上げているのだと、まことしやかに囁かれ、今では二つの街は戦争に突入するか否かの緊張状態となってしまっている。
旧道を西にずっと進むと、街を抜け、国境に辿り着く。昔は簡単な関所があるだけだったが、今ではそこに鉄線の柵ができ、物見櫓ができ、ものものしい雰囲気となっている。
物見櫓には、昨日見たのと同じ軍服姿の兵士が二人いた。フレアがその兵士に声をかける。
「お疲れ! 何か変わったことはある?」
「フレアさん! お疲れ様です! 今のところ特に問題はありませんね。……あの、そちらの少年は……?」
「お、この子はねぇ、期待の新人傭兵だよ」
「よ、よろしくお願いします」
「そ、そうですか……。くっ……」
今、明らかに嫉妬の目を向けられた気がした……
確かにフレアは強いし、その上、美人だ。傭兵の中でも特別な存在感を放っているのだろう。
フレアとワカバがそこから離れようとした時だった。
「うわあぁぁぁ!! フ、フレアさん!」
見張り兵の一人が叫ぶ。急いでフレアとワカバが戻ると、サーメントの方向から、堕人が五匹も向かって来ていた。
人型に複数の頭部がついたもの。やたら大きい上半身にやたら小さい下半身、通常の頭部には何も無く、胸部に複数の顔がついているもの。ワカバも戦ったじゃがいものような四足歩行型。小さな球体に短い手足。腕が短い翼のように変化し、ピョンピョンと跳ねるように移動するもの。体は馬か牛の様だが頭部は複数の人間で、真下に生えた四足で駆けてくるもの。様々な異形の生物がこちらに向かってくる。
フレアがそれを見てぼやく。
「昨日の今日だぞ……! しかも一度に五匹。最近多いな……」
「ちくしょう! サーメントの野郎!」
「下らん噂だ、取り乱すな! 今やるべきことをやれ! 堕人は私とワカバでどうにかするから、早く応援を呼んで来な!」
「は、はい!」
叫ぶ見張り兵にフレアが諭すと、見張り兵二人は街の方へ駆け出した。
「さ、ワカバ、昨日の感じだと、もちろん戦えるよね?」
「は、はい!」
「よし、じゃあやろう!」
こういうのはまず弱そうな個体から倒して、数を減らしていくのが定石だろう。
ワカバはまず、ピョンピョンと跳ねる球体堕人に駆け寄って、衝空波を放つ。
だが堕人は高く跳ねてそれを避けた。ワカバの腰の高さほどの小さい体からは、想像できない膂力。堕人は融合した人間の数だけ力が増える。小さな体でも筋肉が凝縮されているので、思いがけない力を発揮することがあるのだ。ワカバはその後も拳や蹴り、衝空波などの技を矢継ぎ早に繰り出していったが、堕人はそれを跳ねて避け、当たっても後ろに跳ねて威力を減らし、ことごとく回避していく。
くそ、じれったい……!
だがそれなら、と、ワカバは思い切り体制を低くし、堕人の懐へ飛び込む。体を捻りながら堕人の体の真下に滑り込み、上に向けて、衝空波を放った。しかし堕人も当然、上に跳んでそれを回避する。
だがそれこそがワカバの狙い。ワカバは堕人が着地する瞬間を、真下から狙い撃つ。
「風気操法 颯鎌斬!」
手刀に沿わせた気の斬撃。着地を狙えば回避はできないし、斬撃なら跳ねて衝撃を減らすこともできない。肉体がほとんど二つに切り裂かれ、堕人は絶命した。
よし、次! とワカバが振り返ると、そこには堕人四匹の死骸。
ワカバが一匹倒す間に、フレアは四匹倒してしまっていたのだ。
つ、強い……!
しかしワカバが驚愕する暇もなく、後ろからも悲鳴が上がった。
みると、旧道の後方、街に近い方に再び堕人。しかもまた五匹。悲鳴を上げた見張り兵が何とか逃げようと全力疾走していた。
「いつの間に……!?」
「だから言ったんだサーメント側以外にも警備を増やせと! 一体どこから来やがった……?とにかく一旦戻るぞ! ワカバ!」
二人が堕人を追い旧道を街の中心に向け逆走すると、堕人達は皆バラバラに散りだした。まるで統率されているような動きだ。このまま逃がしたら、人がいる所まで襲撃されてしまう。
「よし、私はこっちに行く! ワカバはそっちを頼む!」
「はい!」
街の中心近くまで来ると、二人は二手に分かれ、それぞれ堕人を相手にし出した。
ワカバは新道と旧道が交差する、街の中心に戻ってきた。広い道路の中央に、追ってきた堕人がいる。
堕人がワカバに気づいて振り向く。腕と脚は左右に一本ずつ。人間と変わりはないが、奇妙に太い。そして頭部は七つ。肩にはBから始まる番号があった。七体の人間が融合した、B級堕人だ。ワカバの村を襲った堕人に近い。ワカバに緊張が走る。
「風気操法 颯鎌斬!」
出会い頭の一撃。だが堕人は横へと避けた。動きもC級より早い。堕人がワカバの腕を掴んだ。ワカバは空いた手で攻撃しようとするが、それより先に、その腕も掴まれる。
凄い力だ……!
ワカバは振り解けなかった。だが負けじと堕人の腕も掴み返す。両者、取っ組み合いだ。渾身の力を込めて、押し合う両者。一人と一匹はじりじりと移動しながら、やがて一つの大きな建物の中へと飛び込んだ。
ワカバと堕人が飛び込んだのは、大きなホテルの一階にある劇場だった。明かりはなく暗い。しばらく営業されてないので、テーブルと椅子は並べてあったものの、どれも薄く埃をかぶっていた。両者はそれらを乱雑に吹き飛ばしながら、戦いを進めた。
堕人が大きく振りかぶり、ワカバをぶん殴ろうとする。力任せの乱暴な一撃。ワカバは注意深く動きを見て、ギリギリで避けた。狙うのは、腕が振り下ろされた瞬間、その隙。
「颯鎌斬!」
今度は当たった。堕人の腕が切り落とされる。堕人が痛みで叫びを上げた。もう片方の腕でも殴ろうとしてきたので、同じように颯鎌斬で叩き落とした。両腕を失った堕人が後ずさる。ワカバは堕人を渾身の力で蹴り飛ばした。堕人は吹っ飛び、倒れる。その上にワカバは跨った。
今両者がいるのは、劇場の舞台の上。
「風気操法 衝空波!」
両手で放つ、渾身の衝空波。堕人はなす術なく受けるしかなかった。床はミシミシと音を立てていたが、やがて抜け落ち、両者は下に落下した。
堕人は絶命したようだった。ここは一体何処なのか。ワカバは空間に目を向ける。暗闇に目が慣れてくると、分かった。劇場の地下で、劇場が賑わっていた頃は、カジノとして利用されていた空間だ。しかし今はその面影はなく、酷く無機質な空間と化していた。
その暗がりの一角に、人影があった。ワカバは目を凝らしよく見てみる。大きさは普通の人間とさほど変わらない。だが明らかに人間とは違う、異様な雰囲気を漂わせている。
堕人……? いや、もしかしたら、逃げ遅れた人だろうか。もしそうなら、一緒に避難所まで連れて行ってあげた方がいいだろう。
ワカバには判断がつかなかった。
その影が、何か言葉を発した。
「し、ん、にゅ、う、しゃ」
影が突然素早く動くと、ワカバの腹に強烈な拳を見舞った。
ワカバの息が一瞬止まる。そして遠くまで吹き飛ばされる。上半身を起こすワカバに、それが歩いて接近してくる。ワカバとB級堕人が落ちてきた穴から差し込んだ光が当たり、その姿があらわになった。
それは堕人の中でも、ひと際異質な堕人だった。体躯こそワカバとさほど変わりないが、その形状と雰囲気が、あまりに異質。頭部に二つある左右非対称のいびつな隆起は、角を思わせる。異常に発達した背骨と肩甲骨は、それぞれが背中に並ぶ突起や尻尾、翼のように見える。そしておどろおどろしいまでの憤怒の形相。今までワカバが見てきた、何の感情も無い石仮面のような表情ではなく、般若のような表情をしていた。これではまるで、鬼か悪魔だ。
例によって左肩には番号。だが-(ハイフン)の前に刻まれているのは、CやBなどのアルファベットではなく、数字の「1」。
一体堕人だ……!
コウヨウから話だけは聞いていた堕人。だが風貌も、能力も今までの堕人とあまりに違う。比べ物にならない突きの威力で、村を襲った堕人よりも強いとワカバは感じた。ワカバが今まで会った中で、一番強い堕人だ。
しかしワカバには、同時に確信も湧いた。
地下だ。敵は地下にアジトを作っていたんだ。この街は地下にカジノが作ってあることが多い。街中から人が避難し、活気が失われれば、建物に人は入らなくなるし、見つかる可能性も低くなる。堕人に街を襲わせ、人が居なくなった間に、地下にアジトを作っていたんだ。堕人は街へすぐ襲える位置に忍ばせておくことができる。きっと隣国から堕人が送られるという噂も流して、さらに地下から目を逸らしたのだろう。そして、奥に行くほど強くなる敵というのも、いかにもアジトらしい。
「いるんだな……! その奥に、黒幕が!」
ワカバは一体堕人に向かい、強気な笑みを浮かべた。
起き上がって、一体堕人と再び相対す。
――アジト内、何処かの部屋。
二人の男が、重厚なテーブルを挟んで革張りのソファに座り話をしている。一人は、フレアが探している男。あらゆる戦争を裏で操っている男、ウォーレンだ。対する者は、奇妙な青い仮面を着けた男。
顔の全体を覆っている青い仮面には、薄い金属製と思われる光沢があった。目元は吊り上がった目の形に開き、鼻の部分はその形に隆起、口元は格子状で、ほうれい線の刻まれた口元がその隙間から除く。
青仮面の男は白い軍服姿で、胸元にはいくつも勲章が付けられていた。ソファの後ろに従者二人を従えていて、その二人も、灰色で地味だが、同じような仮面を着けていた。青仮面の男がウォーレンに話かける。いかにも老獪といったようなしわがれた声であった。
「ずいぶん時間がかかっているじゃないか、ウォーレン君」
「戦争には、段取りというものがあるんですよ。将軍」
ウォーレンは一応敬語なものの、ほとんど敬意はなさそうな、そんな口調だ。
「堕人の襲撃も、不定期で行っています。さらに、それが隣国から送られるという噂も広めています。街の人間の疑心暗鬼も、だいぶ膨れ上がってきた。もうすぐ彼ら自身で戦争を始めますよ。まぁ見てて下さい」
「それなら良いが……堕人の提供も、ふんだんに行ってきたんだ。確実な仕事をしてくれたまえ」
「ええ、堕人の簡易的な拘束装置はまだありますか? 必要ならばいつでも送ります。堕人は多過ぎるということはない」
「それに関しては問題無い。研究のおかげか、我が国では堕人の発生数が最近は減っていてね。だからこそ、堕人が多くいるうちに結果をだしてくれないと困るよ」
青仮面の男は、従者と共に部屋を出て行った。ウォーレンも部屋を出て、別の部屋へ向かう。
チッ、偽善者が……
その道中、ウォーレンは仮面の男達に心の中で毒づいた。
無責任は気楽で良い。汚れ仕事は全部他人任せだ。まぁ、私も好きでこんなことやっているから、人のことは言えんがな。
あの仮面の男達こそが、この戦争の依頼者であった。彼らの国はリガノスともサーメントとも関係のない、第三国だ。二つの街に戦争をさせ、両者が弱ったところで介入、軍を常駐させ実質的に二つの街を支配下に置こうという魂胆だった。戦争を終結させた中立国として振る舞うことで、世界には平和に貢献したとアピールでき、二つの街には恩を売ることができる。サーメントの豊富な鉱山資源やリガノスの観光資源も手中にできる。その為にウォーレンが堕人で襲撃、両者の戦争を煽っていたのだ。これは、大国ではよくある手だった。
ウォーレンは別の部屋に入った。部屋の一面の壁には、沢山の画面が並んでいる。一つの画面には、一体堕人と対しているワカバが映っていた。
「ほぉ、一体堕人と渡り合っているな……面白い」
一体堕人は、複数の人間が融合した通常の堕人とは、その形状も能力も一線を画す。一体堕人はよく機能していたはずの気を自ら抑え込んで堕人化してしまった個体だ。溜め込んでいた思いが、肉体の変形という形で表出する。頭部に角が生えたり、背骨も異常発達し尻尾が生えたように見えたり、肩甲骨が翼に見えたり……。世界各地の神話などの物語に登場する、鬼や悪魔といった存在は、一体堕人のことではないかとウォーレンは推測していた。
また、普通の人間でいうところのリミッターが外れているので、肉体の強靭さは一人の人間が元になっていながら、A級堕人相当のものがある。
そして一体堕人は若干ながら、知性があった。ただ暴れ回る普通の堕人と比べ、戦いも上手く立ち回ることができた。一体堕人は、ウォーレンの堕人の中でも、相当強力な一匹だった。ウォーレンはその堕人を、アジトの門番のような役目に使っていたのだった。
この街にはフレアがいるとの情報があった。フレアがここを嗅ぎつけては厄介だと思っていたが、もしかしたら、コイツもここまで来るかも知れんな……
ウォーレンの顔に怪しい笑みが浮かぶ。
ワカバは一体堕人と向き合いながら考えていた。さっき攻撃を喰らったのは、不意打ちだ。こいつが何者か分からなかったから、しょうがない。堕人と分かった今、躊躇することはない。ワカバは気合を入れなおす。
一体堕人は再び拳を放ってきた。強烈な速度。だが今度はワカバも集中している。かすったが、ギリギリで避けることができた。そしてすれ違いざまに、今度はこちらからも拳を出し、一体堕人の顔を打つ。
固い……!
多少怯んだだけで、一体堕人もすぐに反撃する。殴ってきたワカバの腕を取り、それを捻って強引に投げ飛ばす。
「うおっ!?」
ワカバは倒されながらも、堕人の足元へ蹴りを放った。しかし堕人はそれを跳んで回避する。
今までの堕人より、明らかに知性がある。ただ力任せに暴れるだけでなく、頭を使った戦いをしている。
ワカバは蹴りの勢いそのままに体を回転させ跳び上がりながら立ち、堕人と距離を取った。
「風気操法 衝空波!」
そして今のワカバが一番自信のある技を、僅かな隙に放つ。しかし一体堕人は後ろに飛んで、その衝撃を減らした。
ワカバと堕人な間の距離が開いた。ワカバにはどうしても気になったことがあったので、この隙に一体堕人に語り掛けてみる。
「なぁ、お前喋れるのかよ。さっき喋ってたな、しんにゅうしゃって」
一体堕人の表情が、一瞬戸惑ったように変わった。
「……! うるさい! ……うるさい!」
やっぱり喋れる……
堕人が声を出すのを聞いたことがあったが、それは人間の言葉らしい音であっても、ほとんど悲鳴や叫び声といったもの。意思疎通を図るという意味での言葉ではない。
「おまえわからない! おまえわたしのきもちわからない! わたしのきもちなんて……うぅ……うぅ……」
明らかに様子のおかしくなった一体堕人。頭を抱えて、後ずさりだした。
「おまえめぐまれてる! おまえ、めぐまれてるだから!」
ワカバが声をかけることによって、一体堕人は荒れてきた。顔を上げ、再びワカバに襲い掛かる。しかし、その動きは乱暴になった。力は強くなったが、動きは単調になった。
一体何なんだ……
ワカバは一体堕人の様子の変化に戸惑ったが、やはりこの堕人も、見境なく襲ってくる。通常の堕人より意思疎通ができるかもしれないと思ったが、人のようにはいかないようだ。
荒々しく振るわれる攻撃は、速く力も強いが、動きは単調になった。ワカバは一体堕人を倒しにかかる。
先のB級堕人との戦いの最後、夢中で撃った両手での衝空波。それまでは主に右手だけで放ってきた衝空波だが、その気になれば左手でも撃てる、ということだ。そしてそれができるということは、きっと、全身でも撃てる。
力が強かろうと、頭が回ろうと、それを上回るほどの数で、強引に押し切る。
「衝空波」「衝空波!」「衝空波!!」
予想通り、やっぱり出せた。ワカバは衝空波を左手や、全身の至る所で撃ち出した。
左! 右足! 膝! 頭!
一体堕人の攻撃に合わせ、次々と技を放っていく。
よろめき、後ずさる一体堕人。
次に無理やり繰り出してきた拳を、ワカバは高く飛び上がって避けた。
「風気操法 颯鎌斬!」
そして衝空波でできるのであれば、颯鎌斬も例外ではない。ワカバはかかと下ろしの要領で颯鎌斬を放つ。
一体堕人は、右肩から腹にかけてを袈裟懸けにパックリと割られ、倒れた。
一体堕人。師匠によれば、よく機能していたはずの気を自ら抑え込んで堕人となった人間。
ワカバはひざまずいて一体堕人の頭を自分の膝に乗せる。
師匠はアストに、一体堕人になるかもしれない、と話していた。もしかしたらこいつも、アストみたいに耐えられない過去があったのだろうか。
でも、どれだけ悲しい過去があったとしても、理性を失い怪物化したのを、見過ごすわけにはいかない。罪なき人を傷つけることが許されるわけではない。
ワカバは心を鬼にする。
恐ろしい般若のような形相は、悲しさに嘆いているようにも見えた。
……待てよ、何故顔が見える?
ふとした疑問がワカバにわく。
部屋は全体的に暗い。ワカバとB級堕人が落ちてきた場所は離れているので、そこからの光ではない。床をよく観察したら、戦いで穴が空いている箇所が見つかった。わずかだが、そこから光が漏れている。
まだ下があるのか?
ワカバはその穴に向け、渾身の衝空波を放った。
広がった穴から下に降りてみると、やはりまだ空間が広がっていた。上下左右は全てむき出しの地面。ポツンポツンと等間隔でオレンジ色の光を放つランプがつるされていたが、光量は少なくかなり暗い。長く伸びる前後はどちらも暗く、奥に何があるか分からないので、どうやらここは部屋というより通路のようだった。
ワカバは慎重に進んでいく。通路は曲がったり、枝分かれしていたり、複雑だ。いくつか扉があり、その度にワカバは確かめたが、鍵がかかっているか、何も無い空き部屋であった。地下は蟻の巣のように、やたら複雑で入り組んでいた。そのようにしてしばらく進むと、壁面がコンクリートの通路になった。
人が近い。
ワカバはより一層慎重になる。そして、次の扉を開けた。
2
その部屋はこれまでとは明らかに違う、異質な空間であった。明かりは煌々と灯っており、暗い場所にいたワカバにはあまりに眩しい。目がくらんで、思わず腕で目を覆った。明るさに慣れてくると、その部屋の様子が徐々に分かってきた。赤く分厚い絨毯に、正面には重厚な木製の机。ワカバから見て右側の壁には、青白い光を放つ画面がいくつも並んでおり、反対側の壁の方には交差した幅の広い剣や、甲冑、黄金に輝く三叉の槍など、武器が飾られている。
そして机に一人の男が座っていた。優雅にコーヒーを飲んでいたその男が、ゆっくりと顔を上げ、ワカバの方を見る。書類と同じ顔。身長も筋肉もあり、ワカバよりかなり体格が良い。濃い目のダークグレーで統一された洋装には直線的な金の模様が所々入っていて、上はジャケット、その中に同じ模様のベストを着て、スリーピースとなっている。
動揺したワカバが声をかけあぐねていると、向こうから声をかけてきた。
「おや、とうとう来たか。さっきからこの中に迷い込んでいたようだね」
「……あんたが、ウォーレンか」
「いかにも、私がウォーレンだ。君は何者かな。私も名乗ったんだ。君も名乗りたまえ」
「俺はワカバ。この街の傭兵だ」
「そうか、ワカバ君。それで、私に何の用かな。サインかな? その様子じゃ、どうもそういう訳じゃなさそうだが……」
「この街は堕人の襲撃を受けている。俺はその被害をなくす為にここまできた。ここまで来るのにも、堕人を倒してきた。堕人を操っているのは、あんたで間違いないな……?」
「そうだな……ここまで辿り着かれてなお隠し立てするのも意味がないか……。そうだ! 堕人を操り街を襲わせているのは、私だ!」
ウォーレンは笑いながら話し出した。
「何も考えない力だけの馬鹿は、操ることができれば、こんなに便利なものはないんだよ。奴らの頭の中に特殊な装置を埋め込んでな、気性をコントロールしたり、特定の行動を取らせたり……私は堕人を操り、支配することに成功した! さぁ、黒幕は判明したよ! 次はどうする……?」
「そうか、話が早くて助かった。じゃあ次だ。俺はこれから、あんたを討つ!」
「落ち着きたまえよ。そういきりたつな。君が、一体堕人と渡り合ってるのを見たよ。中々の実力があるようだ。まぁコーヒーでも飲みながら、ゆっくり話そうじゃないかね。砂糖とミルクは?」
「ふざけんのも大概にしろ!!」
余裕でコーヒーを注ごうとしているウォーレンに、ワカバは先手必勝、とばかりに飛びかかる。
「風気操法!」
だがワカバが技を放つ前に、ウォーレンも動いた。
「雷気操法」
こいつも気練師か!?
思いがけず発せられるウォーレンからの気配に、ワカバはたじろぐ。
「稲妻!」
ウォーレンが放った雷が、ワカバを襲う。
――地上
フレアは順調に堕人を倒していた。等級の低い堕人は、フレアにとって敵ではない。
しかし、気になっていることが一つ。ワカバの姿が見えない。
まさか、やられたのか?
フレアが案じていた時、どこからか助けを呼ぶ声が聞こえてきた。
「んぎえぇぇぇぇ~~!! フ、フレアさん! お助け~~!!」
よく通る珍妙な叫び声。カルミンだ。懲りもせずまた大荷物を背負って、堕人に襲われている。
「だーもう! 不用意に出てくんなっつったろ!!」
フレアは急いでカルミンの元に行き、堕人を倒す。これでさっき襲撃してきた堕人は、全て倒したはずだ。
しかし、カルミンが息を切らしながら、フレアに伝える。
「で、でも、見たんです! ワカバ君が!」
「何!?」
――ウォーレンの部屋
ウォーレンは机の前に出てきて、ワカバの正面に立っていた。拳にはナックルガードのような武器をはめている。ウォーレンは雷の気を纏い攻撃してきた。電撃は当たれば焼け付くような痛みや痺れを伴う。その分単純に威力は上がり、痺れは戦いに隙を作った。
距離を取って戦おうとすれば、今度は雷が飛んでくる。雷の軌道は予測が難しく、ワカバは避けられないでいた。またワカバの衝空波や颯鎌斬では、そこまでの距離は出せない。ワカバは中々近づけずにダメージを喰らう、防戦一方となっていた。
かたやウォーレンは余裕の表情だ。
「そもそも、君は何で戦争を止めようとするのだ。こんなに美しい現象もないだろうに。恐怖、憎しみ、強欲、傲慢、無知……戦争は人間の本質の果てにあり、さらにその全てをさらけ出してくれる、実に美しい現象だ! 戦争こそ人間の本質だ!!」
「何訳の分かんないこと言ってやがんだ……」
「戦争のような状況はね、人間の本質を暴くんだよ。成立過程から終わった後まで、その全てでね」
ワカバはウォーレンの話は聞き流し、その隙に何とか打開策がないか考えを巡らせた。
ウォーレンは雷の気を纏う。そういえば、フレアは己の剣に炎を纏わせ攻撃していた。その気になれば、自分の体や武器に気を纏わせて、攻撃力を上げることができるのかも知れない。
ワカバは集中し、己の四肢に風の気を纏い出した。その状態でウォーレンに突っ込む。
足に纏った風の気は、ワカバの移動速度を増した。初めてウォーレンに拳が届く。かすっただけだが、ウォーレンの脇腹は衣服が破れた。拳に風の気を纏わせると、裂傷の効果を伴った。
「『纏』を使うか……良いね。だが、そのくらいは基本だよ!」
ワカバはもう一度突っ込む。気の纏わせ方も、纏わせた時の変化も、今ので感覚を掴んだ。足に纏わせる気を更に増やし、地面を蹴り、飛び出す。そして掌を、ウォーレンの方へ向ける。
「風気操法 衝空波!」
今度は届く……!
だが、ウォーレンとの差は大きかった。
「雷気操法 稲妻!」
先程より、威力も数も増えた雷が、ワカバの攻撃よりも先に、怒涛の勢いで襲いかかる。ワカバは入ってきた方の壁まで突き飛ばされた。
全身を襲う痛みや、熱、痺れ。ワカバはしばらく立ち上がれそうにない。
動けないという状況は、戦いに集中している時よりもむしろ、ワカバの頭の中に色々な思いを浮かばせた。上手く戦えない苛立ちの中、最初に浮かんだこと。
「俺の両親は堕人に殺された。俺の村は、堕人に壊滅させられた。……肩に番号の入った堕人だった! お前の堕人で、間違いないな……?」
「ククク……なるほどそういうことか。確かに、肩に番号が入っていたなら、私のとこの堕人だろうな。たまにコントロールが上手くできない個体も居てね。逃げ出したりするんだ。それは悪かった」
ワカバは壁を支えにしながら、何とか立ち上がる。
「それだけじゃねぇ!! この街に数えきれないくらい墓があった……! お前は知らないだろ! 愛しい人を失うのが、どれだけ悲しいか! そんな悲しい思いをしてる人が、どれだけいるか!!」
ウォーレンの顔から、笑みが消える。
「ガキが……」
愛しい人を失う悲しみだと……? そんなもんは、俺だっていくらでも知っている。
ワカバはさっきからまた、あの感覚を思い出していた。サトバの村で堕人と相対していた時の、あの感覚。アストの家族や友達気取りの前で感じた、あの感覚。首元がどうしようもなくむず痒い。呪いがワカバを呼んでいるようだ。
呪いに頼ることはコウヨウに禁じられている。しかし、このままでは勝てない。今は呪いでも何でもいい。力が欲しかった。怒りでも憎しみでも何でもいい。とにかく今は、ウォーレンに勝ちたった。シエラでは、アストが止めてくれた。だが今は、コウヨウもアストもいない。
もし呪いが、負の感情で気を増幅させることができるなら。力を手にできるのなら……
ワカバは禁を破った。
襟を開け、呪いをあらわにする。上手く戦えない苛立ち、ウォーレンへの怒り、両親を殺された怒り。今ワカバの中に渦巻いている負の感情で、気を高められるだけ高めていく。
そして呪いに手をかざして集中し、その気を流し込んだ。呪いを中心に体が熱くなってくる。ワカバの中の怒りが、憎しみが、増幅されていく。これまでにないほど、圧倒的な量の気が流れているのが分かった。
ウォーレンはワカバが何をしようとしているのか分からなかったが、ひとまず攻撃をしようとした。放っておいて面倒なことをされても困る。それに、今のワカバは隙だらけだ。立ち上がっているが構えてはいない、ウォーレンの方を向いてもいない。ウォーレンはそんなワカバに、電撃を纏った拳を振るう。すると、その拳が空を切った。ワカバが、消えた。
ワカバは瞬間的に、ウォーレンの背後に回り込んでいた。
「お前、ぶっ殺してやる……!」
明らかに雰囲気の違うワカバ。ウォーレンに怪訝な表情が浮かぶ。振り返った瞬間、ワカバの拳が、ウォーレンの腹部に直撃した。戦いの中で、初めてワカバの攻撃が効いた。
ウォーレンは机まで吹き飛ばされた。大きな音を立て、重厚な机が向かいの壁にある本棚にぶつかる。口元の血を拭いながら、ウォーレンが立ち上がった。
何をした……?
今まで余裕を見せていたウォーレンも、真剣になり出した。
またワカバが消えたかと思うと、再びウォーレンの、今度は顔面を打つ。
二人の争いは一気に激しさを増した。ワカバはこれまでに感じたことがないほど、体が動かせていた。ウォーレンの動きも追えている。ウォーレンに纏わりつく電撃や、時折飛んでくる雷は、相変わらずワカバにダメージを与えていた。しかし、痛みは全て無視した。痛むのも構わず、体を動かせていた。むず痒い皮膚を思い切り搔きむしるように、ワカバは激しく身体を動かしていた。
――ウォーレンのアジト内、別の部屋。
部屋に据え付けられていた画面には、ウォーレンとワカバの戦いが映し出されている。先程ウォーレンと話していた青い仮面の男が、それを驚いた様子で見つめていた。
「あの少年は、まさか……!」
ワカバの変化には、ウォーレンも最初こそ面食らっていたものの、今はそれよりも興味がまさっていた。
何より、激情にかられて戦っているというのが良い。ウォーレンに言わせれば、それは人間の最も根本にある、動物的な感情のひとつだ。
「実に良い! 今の君は実に人間らしい……! 堕人を止めるなんて言っていたが、むしろ敵討ちが本当の目的なんじゃないのか?」
「ごちゃごちゃうるせぇな」
対するワカバも、戦いの中で得も言われぬ高揚感を抱きつつあった。
「どうして師匠、教えてくれなかったんだ……!」
こんなに呪いは自分を強くしてくれるのに。師匠は最初から、呪いを使う戦い方を教えてくれれば良かったのに。ワカバは戦いが楽しくてたまらなかった。
ワカバはウォーレンに向かい突進すると、そのまま攻撃すると見せかけてウォーレンを無視し通り過ぎる。ウォーレンはその動きに戸惑ったものの、即座に体を回転させ、裏拳を繰り出す。ワカバは突進の勢いのまま、壁を駆け上がり天井を駆け、そのまま宙返り、落下しながら、ウォーレンの真後ろを取った。
ウォーレンの頭に向かって、右手をかざす。
「風気操法 衝空波。死ね」
ワカバは勝利を確信した。右腕から、慣れ親しんだ衝空波が出る……はずだった。
だが代わりに出たのは、右腕の内部から響く、鈍く乾いた嫌な音。そして鮮血。
「え?」
何が起きたか理解できないワカバのみぞおちに、ウォーレンの拳が轟く。この隙を逃す男ではない。ワカバは画面が並んだ壁に叩きつけられた。
みぞおちと右腕に激しい痛みが走る。何とか起き上がって見ると、右腕は歪に折れ曲がり、あちこちに内部から切り裂いたような裂傷が走っていた。
何か制限付きのパワーアップと言ったところか? だがこの様子じゃ、上手く使いこなせていないか、その制限に本人も気づいてすらいなさそうだ。
……若いな。ようやく面白くなって来たというのに。何にせよ、勝負はついたようだ。とどめをさしておこう。
ウォーレンは冷静に分析し、壁にかけてある三叉の槍を手に取る。そしてとどめをさそうと、まだ状況が飲み込めていないワカバに歩み寄る。
その瞬間、並んだ画面の一つから、警報音が発せられた。その画面に、走っているフレアが映っている。
「チッ、フレアが来たか……! しょうがない。アレを準備するか……」
ウォーレンは槍を持ったまま、ワカバが入ってきたのとは別の扉から、急いで部屋を出て行った。ワカバは間一髪で助かった。
だがワカバはまだ、自分が助かったことを考える余裕もなかった。今自分に起きたことを、混乱した頭で必死に考えていた。
痛い。痛い。一体何が起きたのか。これが、負の感情が体に及ぼすことか。これが、呪いに安直に頼った結果なのか。
ドアを勢いよく開けて、部屋にフレアが入って来た。
「大丈夫か!!」
ワカバは今の自分を見られたくなかった。恥ずかしかった。自分が情けなかった。ただの負けではない。禁を破り、調子に乗って、自分で自分を傷つけ、負けた。
「フ、フレアさん……ウォーレンを、見つけて、戦ったんだけど、負けちゃった……ちょっと、失敗しちゃった……駄目だ……やっぱり、俺じゃあ……俺じゃあ……」
「失敗、上等ぉ!!」
大きく息を吸い込んで、フレアが熱く言い放つ。
「大事なのは、成功とか失敗とか、勝ち負けとかじゃない。それをどうとらえるかだ! どんな結果になるにせよ、そこから学び、成長することだ!」
フレアは、敗れたワカバを責めも励ましもしない。ただ力強く微笑んでいた。
ワカバはフレアという女性の本当の強さを知った。彼女は、強く、熱く、美しかった。
「どうだ、今の負けから、何か得るものはあったか?」
フレアからの問いかけに、ワカバはハッとする。今の失敗から学んだこと。負の感情が気を暴走させると、どうなるのか。コウヨウが呪いに頼るのを止めていた意味を、ワカバは理解した。
溢れそうな涙をゴシゴシと拭う。
……もう呪いには、頼らない!
その様子を見てフレアは安堵した。
「それにしても、派手にやられたね……。ちょっと待ってな……」
フレアがワカバの傷に手をかざす。暖かい光がワカバの腕を包み込むと、じわじわと傷が塞がっていった。
「これは……?」
「身気剛法の応用。自分の気を相手に流し、肉体の再生を促す。まぁざっと言うと、回復だね。傷の表面を塞いだだけだから、無茶はすんなよ」
フレアは立ち上がり、ワカバに手を差し出す。
「さぁ! 追っかけよっか!」
ワカバはその手を取って立ち上がり、フレアと共に部屋を出た。
ワカバとフレアはいくつか通路を過ぎた。次に入った部屋は、先ほどの部屋とは対照的だった。暗く無機質で、壁は打ちっぱなしのコンクリート。縦にも横にも広い空間で、奥の方は暗く、何も見えない。
その暗がりにウォーレンが立っていた。
「やぁ、追いついたか。ん? なんだ元気そうだな、ワカバ。治療してもらったのか。そして、フレア……! とうとうここまで来たな……!」
「あんた、ウォーレンだね。探したよ。観念しな」
「まぁ、待て。君達はどうしてそうせっかちなんだ。少し話をしよう。君達は私を嫌っているかも知らんが、私は気練師という人間は嫌いではない。むしろ好きだと言ってもいい。どうだ君達、私と手を組まないか?」
思いがけない提案にワカバは困惑する。
「君達はそれが正義と思って傭兵をして、誰かを助けて喜んでいるのかも知れんが、どうだ、それで、無くなったか? 戦争は。少しでも減ったか?」
フレアがウォーレンを睨む。
「私もあちこちに戦争をけしかけてきたが、人間が戦争を起こさないほど崇高な生物なら、こんなことはやってないさ。これは彼ら自身が撒いた種を、私がちょっと育ててやった、それだけのことだ。君達がいくら頑張ったところで、戦争は無くならんよ」
「んなこたぁ、とうの昔に気づいてんだよ、アホ」
ウォーレンの話をさえぎって、フレアが話し出す。
「私は別に正義を気取る気はない。ただ私がどう生きるか突き詰めた結果、こういう生き方になっただけだ。人の生き方はその人自身が決めるもの。そして世界はその積み重ねだ。戦争を起こすも無くすも、一人一人の行動次第だ」
「なんだ、分かってて傭兵をやってたのか……。どうしてだフレア。お前ほど戦争を経験した女なら、人間が救えない奴らばかりということくらい、分かるだろうに。戦争はその全てにおいて、人間の愚かしさを見事に映し出す」
ウォーレンはため息をつきながら続けた。
「どいつもこいつもも侵略と略奪を正当化して、勝ったら勝ったで調子に乗る。負けたらここぞとばかりに被害者ヅラだ。戦争中はやれ鬼畜だ悪鬼だ罵ってた国に、終わった途端にヘコヘコ取り入ったり、戦前は散々戦争を煽ってた奴らが、負けた途端にやれ平和だの愛だの語り出す。あぁ、自分は最初からおかしいと思ってました、ってな。こういう人間が自分のしてきたことに向き合うのを、私はついぞ見たことがない」
ワカバは、この会話に自分の出る幕が無いことを悟った。フレアとウォーレン、世界中を見てきた二人だからこそできる会話。一年旅した程度の自分との、圧倒的な経験の差。だからワカバは聞き漏らすまいと、真剣に集中して、二人の会話に耳を傾けていた。
「それにね、本人らは無自覚だが、平和の為に活動している奴らの方が、意外とこういう状況を求めてたりするんだ。世界を平和にする側でいる為には、世界は平和でない必要があるんだよ。面白いだろう? ……何も考えてないんだよ。『平和』つってりゃ世の中を平和にできると思ってるんだ。こんなに奴らじゃ世界を平和にはできない。誰かに全部押し付けたら、自分は綺麗事だけ言って、良いことをしたと自惚れるのが関の山だな」
ワカバには頭のこんがらがりそうな理論だ。だがウォーレンは、そんなワカバにかまわず話を続ける。
「私はこう思う。やめられないのなら、それは相応しい状態ということ。……それならいっそ、促してやればいい。
君達は今までの行動を全く変える必要はない。私が戦争をけしかけて、君達は傭兵として活躍する。どちらかにとっては正義の英雄だ。君達も悪い気はしないだろう? 愚か者をけしかけて、相応しい状態に導いてやればいい!」
ウォーレンはの口調は強くなっていく。人間が戦争をやめられない愚かな生物であることを、むしろ喜んでいるようだ。
「人間なんて全く救えない! それならどうするか!? 救えないなら、遊んでやるのさ!! どうだフレア! 俺もお前も戦争で食ってる身だ! 綺麗事並べた説教なんぞさせんぞ!!」
フレアは静かに語り始めた。
「……確かに。私はお前相手に道徳を論じるほど立派でもないし、馬鹿でもない。お前の言うような救いようの無い奴も、戦争中にいくらでも見てきた。
ただ、お前みたいに馬鹿で遊ぶ趣味は私には無い。そして、たまーにいるのさ。困ったことに。期待したくなる奴とか、救いたくなる奴がね。……救える人くらいは、救いたいんだ」
それまで穏やかだったフレアの語調が強くなる。
「そして何より、お前みたいないけすかない奴とは、仕事しない主義なんだよ!」
そう言いながら、フレアは剣を抜く。
「そうか……なら、お前はどうだ? ワカバ」
ウォーレンがワカバに問う。
そしてフレアもワカバに尋ねた。
「どうするの?」
「えっ!?」
てっきり、自分は何も考えず、フレアと共にウォーレンと戦うものだと思っていた。でも違う。
『自分の善悪は自分で決めろ』
コウヨウの言葉が思い出される。強い人は自分の意思で戦いを決めるんだ。
自分の戦う理由は何なのか、ワカバは改めて考える。正義とか悪とか、人それぞれ異なって正解が無いということは、今ならワカバにも分かってきていた。では今のこの戦いたいと思っている感情は何なのか? ワカバはその理由を探る。すると、一つの答えが見つかった。
「……俺は、あんな、理性を失った怪物のせいで悲しい思いをする人を減らしたい。例え人間が戦争をやめられないとしても、あんたがそんな怪物を利用するのなら、俺はそれを止める。ウォーレン、俺はあんたを敵として、あんたと戦う」
「良かった……」
フレアはホッと胸を撫で下ろした。
ウォーレンは短くため息をつき、首を振る。
「やれやれ振られちまったか。まぁいい。あまり期待もしてなかったしな……。ここからは、別の者が君達の相手だ」
ウォーレンが手をパン、と鳴らすと、何処からか地響きのような音が聞こえてくる。それは一定間隔で鳴り響き、ワカバ達の方に近づいているようだった。暗がりに、何かの影がその姿を現そうとしている。
「三十二体の人間が融合した、S級堕人だ!!」
ウォーレンはその影と入れ替わるように、暗がりの方へ姿を消していった。
「君達の選択は責めやしない。ただ私と敵対するというのであれば、私だって相応の対応をさせてもらうよ」
「待て!」
追おうとしたワカバをフレアが止める。
「ワカバ! 来るぞ……!」
地響きは足音だった。その、かなり重そうな足音を立てながら、それが現れた。
今までワカバが対したどの堕人よりも、圧倒的に大きい。通常の人間の五倍ほどの体躯がありそうだ。
頭部は三つ。正面と、左右の斜め後ろを向いた頭が、それぞれ一つずつ付いている。どの頭も歪な目や、鼻、口をしていたが、それぞれ表情があり、色味も若干違う。正面は赤みがかった憤怒の表情、左斜め後ろは悲しみに暮れた、青い悲観の表情、もう一つは享楽の笑顔を浮かべた、黄色い頭だった。歪んだ各部は、何人もの人間の頭部が融合して、三つの頭部にまとまった結果なのだろう。首の方には、融合し損ねたのか、顔の痕跡がいくつか残っていた。
腕は六本。その六本の腕に、剣、金棒、錫杖と三つの得物を持っている。
「○#○××#×ー!! ##×#○×#ーー!!」
言葉になっていない、奇怪な声を上げるS級堕人。耳をつんざくような金切り声だ。
そして剣を振り上げ、二人の方に振り下ろしてきた。
「炎気操法 紅蓮焔!!」
フレアの剣から溢れ出る大きな炎の塊が、S級堕人の攻撃を相殺する。
「ここは私に任せて、行け! ワカバ!」
「えぇ!? で、でも……!」
「ああいう奴を逃したら、また別の街で同じようなことが繰り返されるぞ! 私なら大丈夫だ。こんな奴くらい、一人でも問題無い」
それでも躊躇うワカバを、フレアは力強く諭した。
「さっき戦う理由を自分の意思で決めれたろ! それができるなら、大丈夫だ! 弱気になるな、ワカバ! 今のお前ならできる!!」
ワカバはその言葉を聞いて、駆け出した。ウォーレンを追い、部屋の暗がりへ向かう。
本当は一人で不安だったのだ。フレアと一緒に戦いたかった。だが、フレアは自分を信じてくれた。あんなに惨めな負け方をした自分を信じてくれた。だからこそ、その期待に応えたい。だからこそ、自分もフレアを信じなくては。
道中フレアの言葉を思い出し、言い聞かせ、無理やり自分を鼓舞した。
「勇気を貰ったなら、次は頑張らないと! 大丈夫! 今のお前ならできる!!」
ワカバを見送ったフレアは、一人、S級堕人と向き合った。
「行ったか……ウォーレンを逃がさなければいいけど……。私も早く加勢に行きたいんだから……、いくよ、化け物!!」
フレアの瞳が熱く燃え上がる。
3
しばらく走ると、ワカバはまた違う空間に辿り着いた。前の部屋と同じ様な、無機質で、だだっ広いが、何も無い部屋。だが一つ違う点があり、向こう側の壁はそのまま一面がシャッターになっている。一見すると、誰もいない、が、
上……!
気配を感じ、ワカバは間一髪で飛び退いた。
上から飛び降りてきたウォーレンが、今までワカバが立っていた場所に槍を突き出す。槍は空を切り、地面に突き刺さった。
「チッ!」
ウォーレンはジャケットを脱ぎ、シャツの袖を乱暴に捲り上げる。
「フレアと一緒じゃなくて良かったのか?」
「あの人は俺を信じてくれた。だから俺も、あの人を信じる」
ウォーレンは槍を振り回す。雷の気を纏った槍が、ワカバに向けて繰り出されていく。
ワカバは何とか避けながら反撃していく。刃物が相手なので、受けるのも容易ではない。
また、金属製の槍は、ウォーレンの雷の気を、当初の戦いよりも多く溜め込んだ。電気の痺れと熱はさらに増す。槍の柄の部分を腕で弾くだけで、こちらにもダメージがあった。
突き出された槍を転がりながら避けるが、外側の刃がワカバの太ももを裂いた。これでは移動の難易度も増す。ウォーレンはそのまま槍を横に薙ぎ、ワカバを追う。槍の腹がワカバの脇腹を強打する。
しゃがみ込むワカバに、間髪入れず槍が突き出される。こういうリーチの長い得物が相手の場合、相手の懐が弱点のはずだ。
ワカバはウォーレンが槍を突き出すギリギリのタイミングそれを避け、足に気を纏い飛び出し、なんとかウォーレンの懐に潜り込む。
そして、衝空波を放った。それと同時に、ウォーレンはワカバを蹴り飛ばす。
両者、互いに吹き飛ぶ。
しかし蓄積されたダメージは、ワカバの方が大きかった。
いくら気合を入れても、急に身体能力が上がったりはしない。
だが、今回は、たとえ死んだとしても、絶対に諦めない。安易な能力の上昇に頼ったりはしない。たとえ負けても、たとえ死んでも。
呪いに頼って勝っても、意味がないのだ。自分がそんな状態だったら、きっと誰かを傷つける。
ワカバは倒れたまま、何とか打開策がないか必死に頭を巡らしていた。
ウォーレンの方が先に起き上がり、息を切らしながらワカバに語り掛けた。
「まったく……今まで色々な場所に潜んできたが、アジトのこんなに奥深くまで辿り着かれたのは、君達が初めてだよ。それに、フレアは厄介だった……。そのせいでこの街では堕人も多く消費した。……だがまぁ、また集めなおせばいい。この前の「堕人呼ぶ少年」には期待したんだが、まったくの誤報だった。だがいい、世界は堕人にあふれている」
「……お前、そうか、やっぱりアストに会ってたのか」
「アスト? そうか、そういう名前だったな。親の顔色をチラチラ窺う、なんとも気の弱そうな子供だった。そういえば、自ら気を抑えてる感じがしたな。彼が一体堕人になったら、丁度いい。俺のコレクションに加えてやろう」
そう笑うウォーレンに、ワカバは怒りが沸き上がるが、それを必死に抑えた。
落ち着け。アストはもう大丈夫だ。アストは俺達に会って、救われたんだ。それに、ウォーレンに連れてかれなくて良かった。そうだ、アストはもう大丈夫、大丈夫……。今は自分の戦いに集中しろ……!
アスト……アスト?
ワカバはいまだ大の字に倒れていて、目も閉じている。
諦めたのか……?
ウォーレンはいぶかしがったが、とにかく今はチャンスだ。歩み寄り、ワカバの頭に向けて槍を突き出す。
しかし、槍は空を切った。空を切り、床に突き刺さる。
ワカバは頭だけ横にずらし、槍を避けたのだ。
痺れや熱が伴うが、ワカバは槍の柄を無理やり掴む。そして両脚を持ち上げ、ウォーレンに蹴りを放った。
ウォーレンは胸部を強烈に蹴り上げられ、その上槍も手放してしまった。
チッ……まだここまでの動きができたか……!
ワカバは立ち上がり、ウォーレンから奪った槍を放ると、再び目を閉じ集中する。
巡気感法。
ワカバがアストの名前で思い出したもの。自分は苦手で、友が得意だったもの。
ワカバがこの街で戦ったのは全て堕人だ。堕人は気が澱んだ末に生まれた生物で、気が読みにくい。自分が苦手なのも相まって、ワカバは反射神経だけで戦う癖がついてしまっていた。だがこの部屋に入った時、ウォーレンの初手の攻撃を回避した時は、その気配を確かに感じた。そう、本来は感じることができるのだ。それを理解していなかっただけで、感じていた。ワカバは今、それに気づいた。
ワカバはアストの言葉を思い出し、何とかウォーレンの気を感じ取ろうと、全力で集中する。
一度その感覚を掴むと、雷の如きウォーレンの気が、確かにワカバに伝わってくる。
「雷気操法 稲妻!」
目で追っていたら避けられない雷も、気を感じ取ったら、その軌道が掴めた。
四肢に風の気を纏わせ、飛んでくる雷の間を縫い、ウォーレンとの距離を詰める。そして、拳を突き出す。
ウォーレンは両の手のひらで何とかそれを受け止めたものの、ワカバの変化に再び戸惑った。
先程のように怒りに囚われている様子も無い。それなのに何故動きが良くなるのか。何故攻撃力が上がるのか。
ワカバも、ウォーレンも、共に全力に近づいていく。
ウォーレンはワカバの攻撃をかいくぐり、再び槍を手にした。そしてそのままワカバに突き出す。それをワカバは下に潜り込み避け、上に向かって衝空波を放つ。上に吹き飛ぶウォーレンを、ワカバは間髪入れずに追う。足裏からの衝空波で、飛び上がる。
今度はウォーレンが上から下に稲妻を放った。それは落雷さながらに、ワカバを床に叩きつけた。そこにウォーレンが落下しながら槍を突き出し、とどめを刺そうとする。
ワカバは背中と足先から衝空波を放ち、体を無理やり回転させて起き上がる。ウォーレンの槍を緊急回避した。ウォーレンの槍はワカバの背後を通り、空を切る。ワカバは体を起こす勢いそのままに前に手を付く。そして着地した後方のウォーレンへ蹴りを放った。
ウォーレンはそれを槍で防ぐが、吹き飛ばされる。ワカバも追うが、今度はウォーレンの蹴りが脇腹に入った。だが蹴られた瞬間に、その脚に一発肘打ち。突き出された槍を避けると、その腕に蹴り。槍を落とし、遠くへ蹴り飛ばした。
互いに素手になったが、戦いは止まらない。拳と蹴りの激しい応酬が続く。今では互いに全力の気を発揮していた。
二人の速度が上がっていく。風と雷を纏った攻撃が、互いを打っていく。
「はああああぁぁぁぁぁーーー!!」
「うおおおおぉぉぉぉぉーーー!!」
翠と黄色の光が、部屋のあちこちでぶつかり合う。互いの打撃の音。空気を叩き、震わす、雷の音。空気を穿ち、切り裂く、旋風の音。それらが部屋の中に入り乱れる。
互いに放つ拳が、互いの顔面を打った。両者、向かいの壁に吹き飛んだ。
ウォーレンとワカバはどちらも仰向けに寝転んだ。今は互いの荒い息しか聞こえない。両者とも髪は乱れ、汗と血を所々から流している。二人はほぼ同時に立ち上がった。
ウォーレンは飛ばされた槍を拾う。ワカバは攻撃の準備をする。
「風気操法」
両手で輪を作り、その中に風の気を流し込んでいく。手の内に渦が出来上がる。
もっと速く! もっと強く! もっと鋭く!
ワカバは集中し、その旋風をさらに練りあげていく。
「思象具現 旋鋭槍」
思象具現は、気操法の中でも高度な技。気を高度に練りあげることにより、実体を伴わせる。手中の風の渦は勢いを増していき、即席の風の槍が出来上がった。ワカバは戦闘中の極限の集中により、思象具現を成功させた。
「雷気操法 雷霆」
対しウォーレンが、槍と全身にこれまでで最も激しい雷を纏わせる。
「良いね、風と、雷の、槍同士! これで最後だ!! ワカバ!!」
「応!!」
二人は互いに飛びかかる。
ワカバのは即席の風の槍。対してウォーレンのは本物の槍。リーチも、威力も、ウォーレンの槍の方が勝っている。槍の扱いもウォーレンの方が手慣れているだろう。
ウォーレンはワカバと向き合いながら、自分の方が優勢だと分析していた。
ウォーレンはワカバの腹に目掛けて槍を突き出していく。ワカバの槍はまだウォーレンには届かない。
……貰った!
だがそう思った瞬間、槍が何かに弾かれた。カァン、と音がして、その方向がズレる。
何!? 何が起きた!?
突然のことに狼狽えるウォーレン。目だけで辺りを見渡すと、部屋の入り口に立っている人影が目に入った。
こちらに銃口を向けた、赤い長髪で、カウボーイハットを被った女。
フレアだ。
頭から血を流しているものの、致命傷を負っている様子は無い。フレアが銃で、ウォーレンの槍を弾いたのだ。
フレア……! フレアだと!? 馬鹿な! S級堕人を倒したのか!? たった一人で!? こんなに早く!!
ウォーレンの槍はワカバの腹を掠めただけで、そのまま通り過ぎていく。対して、ワカバの風の槍が、ウォーレンの胴体を、貫いた。
「おおおぉぉぉぉぉーーーー!!」
ワカバの雄叫びと共に、槍がウォーレンの胴体を貫いていく。ウォーレンはシャッターのある方まで吹き飛ばされた。そしてワカバも、その場に倒れ伏した。
「ワカバ! 大丈夫か!」
フレアがワカバに駆け寄り、その身を抱え起こす。
「フレアさん……大丈夫? S級堕人は……」
「ああ、問題無い。倒せたよ。……よくやったな、ワカバ」
フレアが微笑む。だが、
「ま、まだだ……」
ウォーレンには、まだ息があった。息も絶え絶えに、槍を杖にして、部屋の隅まで歩いていく。
「このシャッターの向こうにはな……俺が集めに集めた全ての堕人、約百匹がいる。ほとんどがB級C級の雑魚だが、ひとつの街を壊滅させるには、充分過ぎておつりがくるほどだ……。
更に、部屋の奥には街に直接繋がる通路がある。その通路は、既に俺が開けておいた! こうなった以上、もはや出し惜しみはいらん……! 堕人達は街に解き放たれた……!」
愕然とするワカバ。フレアも険しい顔をしている。
「悪党はなぁ! 最後の最後まで奥の手を用意しとくものなのさ!! さぁ、みんなで街の様子を見てみようじゃないか……!」
さぁ、俺の最期を飾ってくれよ……堕人達……
ウォーレンは、壁の隅にあるレバーを下げた。
シャッターがキュルキュルと音を立てて上がっていく。
今からワカバとフレアが街に戻っても、とても間に合わない。間に合ったところで二人とも重症。それに、この堕人の数。
ワカバは膝立ちになり必死に考えたが、今からではどうすることもできない。上がっていくシャッターを、ただ見ていることしかできなかった。
シャッターが上がりきり、その中があらわになる。
そこには、うずたかく積み上がった堕人達の死体の山。そしてその山の頂に、一人の人間。血で真っ赤に染まりながら、恐ろしいほどの笑みを浮かべ、一匹の堕人を掴み、持ち上げている。
「……ん? ……おぉ!」
その男は、ワカバ達の方に気づくと声をかけた。まるで、買物中に偶然友人と会ったくらいの調子で、自然に。
「師匠ぉ!?」
ワカバとフレアの声が揃う。山の頂にいたのは、コウヨウだった。
「バカな……バカな……!! 気性は最悪に設定しておいたはずだぞ! それを、まさか……こんな、一人で……」
ウォーレンは目の前の状況が飲み込めず、愕然としていた。
「早かったな、ここまで来るの! ……ん? そこに居るのは……もしかしてフレアか!? 綺麗になったなぁ~!」
コウヨウはそこまで言うと、嬉しそうに堕人の死体の山を駆け下りて来た。
「し、師匠ですよね……? 赤いけど……」
ワカバが問うと、
「ん? あぁ、これ全部返り血」
ゴシゴシと顔を拭うと、ようやくいつものコウヨウの顔が現れた。そしていまだ愕然としているウォーレンに話しかけた。
「あんた、ウォーレンだな。僕は別にあんたに恨みは無いが、堕人という生き物が嫌いでね。悪いが皆殺しにした」
「フ、ククク……そうか、コウヨウか……最近名前を聞かないと思ったら、こんな所に潜んでいたとは……」
ウォーレンは壁にもたれ、完全に脱力した。脚を投げ出し、座り込む。
「敗けたよ、完敗だ……クソッ。俺の堕人遊びも、ここまでか……」
ようやく終わった……
ホッとしたワカバだったが、ここで大事なことを聞き忘れていたのを思い出した。
「そうだ! ウォーレン! あんた、あの呪いについて知らないか!? 堕人の攻撃に、こんな物を植え付ける能力があるとか!」
ワカバは襟を開いて呪いを見せた。ウォーレンは戸惑いながらも答える。
「あぁ、あの時の、パワーアップか……。俺は知らんぞ、そんなモン。堕人はそんな攻撃はしない。ただ力任せに暴れるだけだ……」
「そうなのか……」
堕人に詳しいであろうウォーレンも知らないとなると、呪いは本当に堕人によるものではないらしい。じゃあ呪いとは一体何なんだ?
ワカバには、また新たな疑問が生まれてしまった。
「ワカバ、何故その力を、もう一度使わなかった……。怒りは人間の最も根本的な感情の一つだ。最も、強い力を発揮するはずなんだ……」
「……たぶん、そんなこともないんじゃないか?」
ワカバの言葉に、ウォーレンはポカンと目を見開く。
「俺はもう、憎しみに捉われたくなかった。それだけだ」
「そうか……」
ウォーレンは、ワカバの答えに懐かしさを感じていた。
これじゃあ、まるで……
「おいワカバ、俺は確かに火に油を注いで遊ぶ悪党だが、火種じゃない。俺は確かに悪党だが、自覚のある悪党だ。本当にタチが悪いのは、自覚の無い悪党さ……そいつらこそが火種だ。……大人に、なれよ」
微笑みながら言われたその言葉には、確かに期待のようなものを感じ、ワカバは戸惑った。
だがその瞬間、
「甘いぞ! 小僧!」
ウォーレンが槍を持ち、ワカバに飛びかかった。
同時にコウヨウも動く。
だが二人が目がけたのは、ワカバではなく、その後ろ。
ウォーレンの槍が人型の堕人の頭部を吹き飛ばしている。そして堕人の腕が、ウォーレンの胴体を貫いていた。
「まだ生き残りがいやがったか」
ウォーレンが堕人にとどめを刺したのは、そう呟くコウヨウより一瞬早かった。
ウォーレンが、血を吐きながらワカバに言う。
「……君が、生きてどんな答えを出すのか、興味がわいた……。地獄から、見届けさせてもらうよ……」
その言葉を最後に、ウォーレンは堕人と重なり合うように倒れた。
「死んだか……」
フレアが呟く。
そしてワカバも、その場に倒れた。
「ワカバ!」
倒れるワカバをフレアが受け止め、コウヨウが担いだ。
「ま、よく頑張ったんじゃないか。お疲れさん……」
そして、意識を失ったワカバに投げかけられる、労いの言葉。
三人はウォーレンのアジトを後にした。
――兵士駐屯地の医務室。
重傷を負ったワカバは、ここに運び込まれ、治療を受けた。今はあちこち、包帯でグルグル巻きにされている。
「い、痛い! 痛いからカルミン!」
カルミンが消毒液を浸した脱脂綿をピンセットで掴み、ワカバのまだ治療されてない頬の辺りに、グイグイと押し付けている。
傷に消毒液は普通でも痛いものだが、カルミンの無自覚怪力でそれをやられると、たまったものではない。
「もう、ワカバさん、男の子なんですから、我慢してください!」
「いや、そういう問題じゃなくって!」
コウヨウはワカバの怪我の状態、特に右腕の様子をしげしげと観察していた。コートは洗って壁に掛けてあり、今は黒いポロシャツ姿だ。
まさか返り血を浴びて、洗って、を繰り返してたらあんなにボロボロになったんじゃないだろうな……
ワカバは気になったが、聞くのが怖かったので聞かなかった。
「ははーん、お前、呪いに頼ったな?」
観察を終えたコウヨウは、咎めるような目つきでワカバを見る。
「い、いやぁ、敵も強くて……。ゴメンナサイ……」
ワカバは目を逸らしながら返事をした。
「で、でも、師匠が呪いを使うなって言う理由が分かりました……!」
「うん、ま、それなら良し。最低限、気づくべきことには気づけたかな」
ワカバが頼ったせいか、呪いは若干その大きさを取り戻していた。
「いやー、それにしても、まさかこの街にフレアがいて、しかもワカバと一緒にいるとはな!」
「全くですよ。師匠は相変わらず、登場がド派手なんだから……」
そしてワカバが驚いたことに、コウヨウはフレアの師匠でもあるらしかった。
そういえば、お互い師匠のことを話す時は「師匠」とだけ呼んで、名前は言わなかったっけ……
「それじゃあワカバは、私の弟弟子、ということになるな」
と、フレアは嬉しそうに言う。
ワカバはフレアのことを、純粋な敬意を込めて「姉さん」と呼ぶようになった。そして、気になったことをコウヨウに聞いてみた。
「ということは、師匠が『最強の傭兵』だったんですか?」
「周りが勝手に言ってただけさ。アレダサいから嫌いなんだよ」
おぉ……!
何処かで聞いたような台詞に、ワカバは内心興奮する。
それからもう一つ気になっていたこと。
「師匠は、どうやってアジトに入ったんですか?」
「ああ、あのアジトの出入り口は街の中にも外にもあちこちあったよ。街の周りは変な地形してたろ? 自然にできた岩山はともかく、あの不自然な砂の山とか。あれ、たぶん地下を掘った後だよ。その辺探してたら、巧妙に隠された出入り口を見つけてな。そっから潜っていったら、アジトに辿り着いたって訳さ」
「かーっ、街の外にもヒントがあったとはね。私もまだまだだな……」
「いや、でも、しょうがないと思いますよ。俺は堕人に苦戦したからたまたまアジトを見つけたけど、フレア姉さんは強すぎて、堕人をすぐ倒しちゃってただろうし。姉さんは師匠と違って、ちゃんと街の治安も気にかけてて、忙しかったろうし」
自分がフレアより弱かったからアジトを見つけたということ、悔しかったが、ワカバは認めざるを得なかった。
「くぅっ……! ワカバ……お前って奴は、お前って奴は……、なんて健気な弟弟子なんだ!! ワカバー!!」
フレアは感動のあまり、ワカバに抱き着く。
「い、痛い痛い!」
カルミンではないが、フレアも当然力は強いのだ。
「……ん? おいワカバ、『師匠と違って』ってなんだ、おい」
コウヨウはその一言を気にしていた。
「あっ! もうこんな時間!? お兄ちゃん心配してるかも!」
カルミンが壁に掛けられていた時計を見て叫ぶ。
今日は朝からフレアに街を案内され、堕人に遭遇、そのままアジトに潜入し、ウォーレンとの闘い……。気絶して、怪我の治療を終える頃には、もうすっかり夜になっていた。
「私と師匠はアジトをもう少し探ってくる。堕人も生き残りがいるかもしれないしね。ワカバ、しっかり休んどきなよ」
三人はワカバを残し、部屋を出て行った。
三人を見送った後は、ワカバはホッとした気持ちで眠っていた。
夢を見ていた。傭兵となって、誰かと会話している。
『何? 『最強の傭兵』? 周りが勝手に言ってるだけさ……。アレダサいから嫌いなんだよな』
しかし、良い気持ちでそんな夢を見ていた頃、誰かの声が聞こえてきた。
「起こさないように注意しろ。まだ若いが気練師だ。それに、あの二人に見つかったらまずい」
「はい」
だが麻酔を撃たれ、そこで意識を失った。
ワカバは誘拐された。
お読みいただきありがとうございました。
「第四章 呪い」へ続きます。




