第二章 動き出す世界
気練討堕 第二章 動き出す世界
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背の高い針葉樹が生い茂った山の、海に面した一角に、ぽっかりと空いたように芝生の空間が広がっていて、その一部がサトバの村となっていた。村には便宜上薄い木で作られた柵があって、その中を村としていたが、ほとんどあってないようなもの。村を出てもしばらくは同じような芝生の道が続く。
ワカバとコウヨウの二人は今、芝生の上に座り向き合っていた。時刻は早朝。空は快晴。朝特有の空気と、朝露でわずかに濡れた芝が、冷たくて気持ち良い。
村を出て芝生の空間に出たら、辺りをキョロキョロ見渡していたコウヨウが「うん、この辺で良いかな」とドカッと腰を下ろし、ワカバにも座るように促したのだった。
「突然なんなんですか……師匠」
ワカバはコウヨウのことを、一応の敬意を込めて「師匠」と呼ぶようになった。だが、この気まぐれな行動にずっと付き合わされるんだろうか……と気が気ではない。
しかしそんなワカバの気持ちに反し、その師匠は至って真面目な様子だ。
コウヨウは正座だった。膝を開き胸を張り、拳を太ももの上に乗せている。それが様になっていたので、なんとなくワカバも真似して、同じように座ってみた。
「よし、今から君に気練師と成る為の修行をつける訳だが……それは、世界を変えることにつながる、ということを最初に言っておく。是非、それを念頭において修行をして欲しい」
ワカバには、コウヨウが何か突拍子もないことを言っているように聞こえた。この人は俺に、世界を救う英雄にでも成るのを期待しているのではないか。
「そんな大袈裟な……」
「君だって世界の一部さ!!」
コウヨウはワカバが言い終わらないうちに勢いよく答えた。
「人間皆誰だって、世界の一部なんだ。君だって、僕だってね。だから、君が変われば、世界も変わる。ほんの少しずつだから分かりにくいけどな。世界はそうやってできてるんだ」
コウヨウの話は規模が大きすぎて、ワカバにはまだよく理解できなかった。
それからコウヨウは具体的な修行の内容を説明し、修業が始まった。
それから約二時間、ワカバは、歩いていた。いや、もっと正確に表現するなら、呼吸をしながら歩いていた。そんな描写するまでもない当たり前のことが、ワカバに課せられた修行の第一段階であった。
「呼吸は体の右側ばかり使う癖があるな。もっと左を引いてみろ。こういう風に……よし、そうだ」「大体どんな時も背筋は伸ばしとけ。呼吸が通るからな。ゆっくり深く、全身で呼吸するんだ」「歩いてる時、どうも重心が左に寄ってるな」「ほらほら意識するのを忘れてるぞ! もっと集中して!」「背中、曲がってるぞ!」「意識しろ!」「呼吸だ!」「集中!」
そして歩きながら繰り出される、コウヨウからの矢継ぎ早の指摘。
ワカバに課せられた修行の第一段階は『自分のしている行動全てを、全力で意識する』というもの。
説明の段階でそれを告げられた時は、ワカバはいまひとつピンときていなかった。
「ワカバは、立ったり座ったり、呼吸したり……もちろん普段から普通にやってるだろ? それをどれくらい意識してやってる?」
「そ、そりゃあしてますけど、あんまり意識したこと……」
「そう! その普通はろくに意識しないことを全力で意識する! 意識して意識して意識して……意識しまくる! 最初は難しいぞ~!」
まだピンとこないワカバに、コウヨウが続けた。
「日常生活のフツーにやってるフツーの動作。歩き方、立ち方、座り方、寝る姿勢、一回一回の呼吸に至るまで、その動作一つ一つに意識を向ける。足の指先から手の指先、頭の先まで、どんな姿勢をしてるか、どう動かしてるか……肉体のことだけじゃないぞ。その時何を考えてるか、どんな感情か……
一挙手一投足、一呼吸一思考一精神に意識を向けるんだ」
何だかとても果てしない話になってきた、とワカバは思った。
「細かい指示はその都度出してやるから、今の自分の状態を把握して、常により良い動作をするよう心掛けるんだ。
日常生活、一瞬たりとも気を抜くなよ。一瞬たりともだ」
そんなコウヨウの説明のもと、修業は始まった。
手取り足取り、身振り手振りを交えながら、時折立ち止まって、手本を見せられ、使う筋肉、するべき意識を享受され……地道に、一歩ずつ、一歩ずつ、ワカバは歩いていたのだった。
地味だ……
ワカバは歩きながら、この修行の地味さに辟易していた。
実をいうとワカバは、修行と聞いて結構な覚悟をしていた。こういうのは大抵、血反吐を吐き、意識を失うような、地獄の鍛錬だと相場が決まっている、と。
しかし、蓋を開けてみればそんなことはなく、日常生活以外で体を動かすことといったら、コウヨウ曰く、歪みを矯正する為のストレッチやらマッサージやら、不思議な動きの軽い体操やら、その程度のものだ。他に瞑想なんかも教えられたが、これも体は動かさない。
しかし、地味だが、神経を使う。思ったのと違う意味で、体力を使う。たった一日の修行を終えた頃には、ワカバはかなりの疲労感を覚えていたのだった。
二人の旅は、どこかの街に入るまでは基本的に野宿だ。ワカバは食べられる山菜を、コウヨウは獣をとり、火をおこし、簡易的に調理する。その辺りもコウヨウが教えたが、田舎暮らしのワカバはある程度の心得があったので、飲み込みは早かった。しかし「他の生き物を食らって生きる」という常識があまりに生々しく感じられるようになったので、より一層、ワカバは食材に感謝するようになった。
その日は修業が始まり三日目。森の中、その日の食事も終わり、そろそろ寝ようかと二人でかがり火にあたっていた時だった。ワカバは、気になっていたことをコウヨウに尋ねた。
「修行って、もっとこう、理不尽にボコスカやられて、血反吐を吐いて、気絶を繰り返して、年中傷と打ち身が絶えないような……そんなことをする印象があったんですけど……」
「あ、そういうのが良かった?」
コウヨウがからかうように笑って聞くので、ワカバは慌てて否定した。
「い、いや……! 別に嫌とかじゃないんですけどね! むしろ違って良いんですけど……! なんか、想像と違うなぁ、って」
「あーいうのが、実は基本なんだよ。思考停止で肉体的にキツいことだけ繰り替えしても、実力が付くのは才能のある奴だけさ」
「う……俺、才能無いですかね……」
その微笑ましいワカバの悩みに、コウヨウは笑う。
「さぁね。才能が無いのは、悪いことじゃないさ。理解しながら成長していけるのは、才能が無い奴の特権だ。良い環境と導き手はいるがね。君の場合は、僕がいるんだ。導いてやるさ。今ワカバが言ったような修行も後々増やしていくつもりだし、〝才能無い〟を言い訳にはさせないから、覚悟しとけよ」
「そうですか……」
ワカバはホッとしたが、何かが引っかかった。
……ん? 『今ワカバが言ったような修行も後々増やしていくつもりだし』?
ワカバは猛烈に嫌な予感がしたが、考えないようにした。
そうして修業が始まり五日経ったころ、ようやく二人はひとつの村に辿り着いたのであった。修行の旅では最初の村。だが、
五日間、ただ歩いただけで過ぎてしまった……
と、ワカバは何とも言えないやるせない気持ちになってしまったのだった。
旅とは、もっとこう、道中の行程や景色を楽しんだりするものではなかったか。もちろん修行の旅だと分かってはいるが……
二人は今、生い茂る竹の間にできた道を歩いていた。村は竹林に囲まれていて、その間にできた砂利道をしばらく進むと、村の集落が現れる。背の高い竹は、上方が風に揺れ互いにぶつかり合い、カラカラと小気味いい音を立てている。このような村は、同じような田舎出身のワカバには心地良く、思わず深呼吸してしまう。
しかしそうやって進むうちに、様子がおかしいことに気づいた。
村の住人であろう、麻の簡素な衣類を身に着けた人らが、ワカバ達には目もくれず、村とは逆の方に走っていくのだ。まるで、何かから逃げ出すように。
ワカバとコウヨウは目配せして、村の方へ急いだ。
集落に辿り着くと、十人前後の集団が村の中央にたむろしていた。
村の住人とは明らかに違う、柄の悪い集団。
「おらお前らぁ! 有り金全部置いてけやぁ! 逆らったら命はねぇぞこらぁ!」
「んだよ……しけた村だな……」
「金目の物は全部奪え! 女子供は連れ去れ! 歯向かう者は殺せ!」
山賊だ。
「なんだ、山賊か……」
コウヨウが幾分げんなりしたように呟く。
ワカバも逃げ惑う人を見て、堕人ではないかと焦ったが、どのみち村が危機であることに変わりはない。
「ど、どうしよう師匠! 助けないと!」
「え、助ける? 村を? 面倒くせぇなぁ……」
あくまで気乗りしなさそうなコウヨウ。だが山賊の中でもひと際大柄で、肌の浅黒いスキンヘッドの男が担いでる武器を見ると、楽しそうに言った。
「お! ありゃ携帯式のガトリング銃だな。山賊の癖にいっちょ前に最新鋭の武器もってやがる!」
ワカバも銃は見たことがあったが、それは村の爺さんが持っていた猟銃だ。肩からベルトでつながれたガトリング銃は、銃身からいくつかの筒が出てそれが円状に並び、猟銃よりも短かったが、直線的で、武骨で、あくまで「人を殺す装置」というのを強く感じさせた。
気づいた時にはワカバとコウヨウの周りに人はいなくなっていた。二人と山賊は直接向かい合う。
「あぁ? なんだお前ら? 喧嘩売ってんの? それとも死ぬか? あ?」
うわっ、喋りかけてきた!
とワカバは思ったが、コウヨウは無視してワカバに喋った。
「覚えとけワカバ、ああいうアホはイキれるときだけイキる。今は人数も多いし、強力な武器を持っていて、暴力的に強いからイキれてるって訳だ。そんなんで自分が強いと勘違いしてんだな。ああいう奴らが無様に許しを乞う様は、ハハ、ダッセェぞ〜!」
半笑いのコウヨウ。
それに山賊が額をピクつかせながらガトリング銃を構える。
「……聞こえてんだよ、コラ!! なめやがって……!」
そしてとうとう、二人に向けて銃の引き金を引いた。
……ダダダダダッ! と強烈な音がし、銃弾が二人めがけて飛んでくる。
「うわぁ!!」
思わず目をつぶり首をすくめるワカバ。それをコウヨウが自分の方へグイっと引き寄せる。
撃たれるっ! とワカバは思ったが、銃弾はいつまで経っても二人には届かない。
恐る恐るワカバが目を開けると、銃弾が、ワカバとコウヨウの周りを、渦を巻くようにグルグルと回っていた。
「は!? は!? なんだこれ!? なんだこれ!? おい!」
山賊もその様子に動揺し、ガトリング銃をあちこち乱れ撃ちにし出した。
だが、銃弾は周りの人家にも当たらない。吸い寄せられるようにコウヨウの周りの渦に引き寄せられていく。
銃弾はワカバにもコウヨウにも、周りの人家にも当たらず、ただ渦を巻いていた。
その中でコウヨウは、右手の人差し指を突き立て銃に見立て、それを山賊達に向ける。
「バァン!」
そしてふざけたようにそう言うと、渦巻いていた銃弾が、一斉に山賊達に襲い掛かった。
ものの数秒後。辺りは静まり返っていた。
ワカバが恐る恐る山賊に近づいていく。
数人が、文字通りハチの巣となり倒れていた。意識がある者も、怪我のせいか恐怖のせいか、動けない。脚を引きずりながら遠くに逃げるのも、二人ほど見えた。
「ひっ、ひぃ……ごめんなさい……! ごめんなさい……!」
そう呟く一人は腰が抜け、逃げようとするが、足が滑って上手くいかない。
コウヨウはツカツカと近づいていき、
「シッ」
蝿でも追い払うかのように手を払う。
すると、途端に暴風が吹き荒れ、
「うわあぁぁぁ〜〜……!」
山賊達は全員、死体もろとも何処かに吹き飛んでしまった。
あぁ、可哀想に……
ワカバは襲ってきた山賊達をむしろ気の毒に思った。当然許されないことをした訳だし、あまりにも相手を見る目はなかったが……
あまりに荒い風に揺れる竹の音は、あまり小気味良いとは思えなかった。
ワカバとコウヨウの前に、村の名物であろうタケノコを使った料理がたくさん並ぶ。
二人は村長の家に招待されていた。
「村を救ってくださったんですもの。好きなだけ食べてくださいな」
村の女性が、笑顔だがひきつった顔でそう言うと、そそくさと部屋を出て行った。
その様子を見届けたワカバがコウヨウに言う。
「やっぱやりすぎですって! みんなドン引きじゃないですか!」
「なんだお前助けろっつたり助けたら助けたで文句言ったり! 面倒くせぇな!」
しかし不満を垂れつつも、コウヨウの強さを感じたのもまた事実だった。
さっきのも、ほとんどふざけていたようなもの。この人は本気を出したら、一体どれほど強いのだろう……
「あれ、なんて技ですか? あの銃弾グルグルしてたやつ」
「アレ? アレは……特に、名前は無いな……。技というか、弾に沿って気をグルグル回しただけだからな……」
「やっぱああいうの早く覚えといたがいいですよ」
「だーから今教えてやってんだろが! 基本ができないと気は扱えん。さ、早く食え。食事も立派な修行の一つだ。背筋伸ばせ! よく噛め! たくさん食べろ!」
修業は歩くだけではない。意識すべきは普段の行動全てなので、食事含め、ことある毎に指摘が飛んでくる。これもワカバが辟易している修行の日常風景だった。
その後更に五日間、その村には滞在した。
その間ももちろん修業。村の周囲を歩いたり、歴史や解剖学などの座学にも修業は及んだ。
「ま、またいつ山賊が襲ってくるか分からないですからね……! 心強いわぁ……!」
と、村人は言っていたものの、
「こいつらいつまでいるんだろう……」
という無言の不安がワカバにもひしひしと伝わってきていたので、村を出たときは正直ホッとしたくらいだった。
もちろんコウヨウはそんなものどこ吹く風で堂々と村に滞在し、食事にありついていた。
修業が始まり二週間ほど経つと次第にその強度は増していき、走行の訓練や、スクワットや腕立て伏せなどの基本的な筋力トレーニングも始まった。
「まだ余計な力が入っているな。膝下には力入れないで、腱の反射で走るんだよ。使うのは大殿筋に太腿裏、それに腸腰筋だな」「息が切れてる時はまた癖がでてるな。今まで散々やったこと、忘れんなよ! ゆっくり、深くだ!」「何ぃ? もう無理? ハッハッハッ、しょうがない奴め。じゃ、もう一本いくか!」「ほら、いけたろ? 意外といけるんだよ。ハハハ」「意識しろ!!」「呼吸だ!!」「集中!!」
そして相変わらずの指摘である。しかもワカバ渾身の全力疾走に、軽く並走しながらだ。ワカバが走り終わってゼーゼー肩で息をしていても、コウヨウは息一つ切らしていない。
またそれを何なんとも楽しそうに行う。指摘する時など、実に嬉しそうな笑顔だ。明るく、楽しく、朗らかに……厳しいことをする。コウヨウとは、そんな男であった。
くそ、ドSかこの男は……あと、腸腰筋ってどこだよ……
ようやく慣れてきた頃に、その厳しさを増していく……修行というのは、そういうものらしかった。更に今までと違い、肉体的にキツイ時にも容赦なく指摘が飛んでくる。ワカバが想像していた修行に段々と近づいていく。だが今までの地味な修行が、その衝撃をだいぶ、和らげてくれてはいるようだった。
肝心の気についても、最初に歩き始めた時から、ワカバが言われていたことだった。
「感じろ」と、コウヨウは姿勢の指摘と同じように繰り返し言う。
「いや、感じろっつったって、分かんないんですけど……」
「分かんなくていいんだ! 感じようとする、それが大事なんだ!」
無茶苦茶言うなぁ、とワカバは思っていたが、サトバの村で堕人を倒した時、コウヨウに導かれた時には、確かにそんな感覚があったのも事実。とりあえずそう試みていると、確かに、ほんの少しずつだが、分かってくる。自分の中に、確かに流れているのが分かる。
最初は「これかな?」といったくらいのものだ。それが次第にはっきり感じられるようになり、いつしか、確信に変わった。
不思議なもので、自分の行動に意識を向けていくと、自然と分かるようになった。コウヨウ曰く、気は自分の中に流れているものだから、自分に意識を向けていると自然と分かるようになる、とのことだった。
修行の旅は半年が過ぎた。
今ワカバはスクワットをしている。丸太を担ぎ、その上にはコウヨウがあぐらに片肘をつき、文庫本を読んでいる。
丸太を担ぐのは、重さだけでなく形状からしても難しい。高負荷で腰を痛めないように、腰は曲げずに背筋を伸ばし、首の後ろで肩を使い担ぐのだ。そしてしっかり体幹を締めておく。そうやって重さを尻と太腿裏にしっかり効かせるのだ。
しかし最近ワカバには少し気になっていることがあった。スクワットをしながらコウヨウに聞く。
「そういえば、堕人、いませんね」
「そうだなぁ。あいつら、全然いないと思ったら、いるとこにはうじゃうじゃいるからな。一匹見たら三十匹いると思ったがいいよ」
「どこぞの衛生害虫じゃないんですから……」
管理された堕人の真相を探る、そして呪いを解く。ワカバの目標であったが、半年間で堕人の情報は全く無い。ワカバの心の底にちょっとした焦りのようなものがあるのを感じたのか、コウヨウは文庫本を閉じ、器用に丸太の上に寝っ転がる。
「ま、焦らずのんびり修行しようや。ところでワカバ、今何回やった?」
「えーと……あっ!」
「よし、最初からな」
「クゥッ……!」
二人はこの半年でいくつもの街や村に行き、いくつか国境も越えた。身体能力はさらに向上し、その頃にはコウヨウを相手にした基本的な格闘の訓練も行っていた。気の自覚もより鮮明になり、ある程度のコントロールもできるようになった。
ワカバの首の傷はしばらく前に塞がって、包帯も取れていたが、その傷跡はしっかりと残っている。首元を中心とした大きな×印状の傷。×印の一編は左顎まで伸びている。そして×印の中心には、呪い。嬉しいことに、ワカバには呪いが小さくなったと感じた。ほんのわずかではあるが、コウヨウに聞いてもそう言われた。しかし無くなってはいないので、ジャケットは相変わらず一番上まで閉めていた。顎の傷までは隠せないが、しょうがない。
堕人が見つからなくても、このまま修行してれば、いつか消えてくれないだろうか。
キツい修行ではあったが、この事実もワカバにやる気を与えていた。
ワカバの生まれる少し前は、世界的に文明が著しく発達した時代だ。文明の発達は、人類に利便性と快適さをもたらした。人類は喜び、ありがたがった。しかし、そんな時代が長く続くとどうなったか。
それは、当たり前になった。そうでないと耐えられなくなった。新しい道具や、技術や、娯楽が、現れては消え、現れては消え、その都度喜びありがたがるが、その感情もすぐに消え、また新たな欲望が生まれる。その周期は次第に短くなっていった。
そして、それには際限が無いと、人類は気づかなかった。そのうち、それが社会を成り立たせる基本構造になってしまった。生み出し続け、消費し続けなければならなくなった。無理な生産と無理な消費にどれだけの長時間が割かれても、どれだけの疲労をしようとも、止まることができなくなっていた。物質的には豊かになったのに、生きるのは大変になった。
その生き方を無理やり受け入れる為に、それを美徳とさえした。その生き方に適応する人間が無条件で正しいとされ、適応できない者は愚か者とされ、排斥された。自分が楽に生きられるならと、犯罪に走る者も増えた。物質的には豊かになったのに、犯罪は増加した。
いよいよ技術の進歩が行き詰っても、止まれなかった。その為、文明の発達の方向性は、いかに良いか、よりも、いかに気を引くか、になっていった。嘘でも、侮辱でも、不安を煽っても、人を傷つけても、不快にさせても、人の気を引ければそれで良い。そんなものが、そしてそんな人が、増えた。
世界は豊かになったはずなのに、どこかギスギスとして、暗い雰囲気が漂っている。
そして文明の発達が人類にもたらした、もう一つのものがある。武器だ。刀剣類や弓矢など原始的な武器から、銃火器が生み出され、その銃火器にも、射程が長い物、連射が可能な物、殺傷力の高い物、様々なバリエーションが生み出された。そういった種類の文明の発達は、むしろ犯罪者に恩恵をもたらす。ワカバが竹林の村で出会った山賊も、その典型的な一例だ。
そして際限の無い欲と武器を手にした者が行く着く先は、一つ。戦争である。今は世界のあちこちで戦争が起こっている。ワカバ達が生きているのは、そんな時代だった。
幸いにも、ワカバは人里離れた田舎暮らしで、戦争には縁がなかった。世界がこういう状況にあると、コウヨウから教えられ、また自ら旅をして、初めて知った。
修行の日々は一年が過ぎようとしていた。ワカバは十八歳になっていた。
最近の修業は、もっぱら戦地での実践修行だ。幸か不幸か、修行になりそうな戦場は沢山あって、至る所で傭兵を募集していたので、修行場所には事欠かなかった。
今二人がいる場所も典型的なそんな街だ。隣国と戦争中で、治安は悪い。
「よし、じゃあいつも通り、気操法と武器は禁止な」
「うっす、行ってきます」
街の大衆食堂はほとんど荒くれ者の集う酒場と化しており、今はその横に、ぞろぞろと男達が並んでいる。そこで傭兵の登録をするのだ。ワカバもそこに並んだ。名前と簡単な経歴だけ聞かれる、なんとも簡単な登録だ。だが急に戦争が増えだした昨今、軍備が整っている国もそう多くなく、日雇いなど簡単な方法で傭兵を雇う、そんな街は多かった。
そして指定された場に向かう。住宅や街の中心部から離れた国境付近の荒れ地で、こういう場所が戦場になることが多い。
向こうに見えるのは、相手方の兵士。金の縁取りがされた紺色の制服に、金のボタン。サーベルを構え、隊列をなしている。雇われ兵ではない、国の正規の軍隊、といった様相だ。
対してこちら側にいるのは、日雇いの傭兵軍団。服も粗末で武器もそれぞれ。当然隊列など成すわけもなく、がやがやと雑談が止まないほど。ほとんどチンピラ兵といった方がいいようないでたちの者ばかりだ。向こうは明らかにこちらより練度が高い。
大丈夫かおい……
とワカバは思ったが、目的は勝利ではなく戦闘訓練だ。とりあえず自分が生きること最優先で、なるべく誰も殺さず、傷つけず、しっかり戦闘能力を高める……ワカバはそんなお題目を頭の中で繰り返していたのだった。
「かかれ~!!」
誰かから号令がかかる。こちら側に指揮を執る人間はいない。待ちきれなくなった誰かが勝手に叫びながら突撃したのだ。それを皮切りに皆が突撃する。相手の制服組も指揮官の号令がかかる。そしてワカバも相手に向かっていった。
制服組の一人がワカバに向かって、サーベルを上段構えに切りかかってきた。ワカバは足を軸に体を半回転させそれを避けると、相手の手を叩き剣を落とす。そして脚をかけ仰向けに倒すと、みぞおちに拳を一発。相手は悶絶した。
するとまた別の者が切りかかる。刃物相手はいつも神経を使う。ワカバはかがんでいて低い位置だったので、今度は相手に組み付いて体制を崩す。相手と密着した状態だと、剣は振りづらい。そのまま相手に馬乗りになると、剣を持った手を踏みつけ使えないようにし、顎に一発。相手は気絶した。
その時危険な気配を感じ顔を上げると、銃口をこちらに向けてる制服兵が目に入った。
銃……!
「すまん!!」
ワカバは馬乗りになっていた兵士を引き起こすと、盾にする。これで相手は銃を撃てない。銃を使う兵士がいるとなると、その導線上に別の相手を置くなり、立ち位置に気をつける必要がある。ワカバは目だけで周囲を見回しながら、立ち回りを組み立てていく。
それにしても、今日は多くないか!?
ワカバが息つく暇もなく、制服組の兵士が向かってくるのだ。
「ひぃっ! 助けて!」
「うわあぁぁ~」
しかも、悲鳴を上げながらだったり、泣きそうな顔になっている者までいる。
な、なんなんだ……?
制服組がどこからやってきているのか、ワカバは周囲を見渡してみた。
……すると、やっぱりいた。コウヨウだ。
「お前らは向こうだ! あのガキのところに行け! おらっ!」
コウヨウは逃げ惑う兵士を一人ずつ捕まえては背中を蹴飛ばし、ワカバの方へよこしていた。
「あ、あのやろ~……!」
ワカバは師匠に小声で毒づきながら、制服組を倒し続けたのだった。
その日の戦闘が終わった。ワカバが給料を受け取って酒場に戻ると、奥のカウンター席で、コウヨウが誰かと喋っていた。
「お~う、おかえりワカバ。こちらはディオスのおっさん。フリーの傭兵だよ」
ディオスと紹介されたその男は、コウヨウよりだいぶ年上と思われる、中年で小柄の男だった。髪はボサボサの白髪混じりで、片目は傷つき焦眼、前歯も一本抜け、一見すると浮浪者風の男だが、そのたたずまいや醸し出す雰囲気から、何となく只者じゃないことをワカバは察した。
「戦場で見てたよお兄ちゃん。良い動きだった。俺は君の師匠の古い友人だよ」
「へぇ~……えっ! 師匠に友達がいたんですか!?」
「おい、どういう意味だコラ」
ディオスはそのやり取りを聞くと、笑いながら言った。
「コウヨウは相変わらずのようだな。お兄ちゃん、よく鍛えてもらいな。今は戦争が多いだろう? 戦い方を知ってる奴はどこへ行っても重宝されるし、金も儲かるぜ」
戦争を金稼ぎの手段としているその言い方は、元来平和主義者のワカバには抵抗感がある。
「う、そんな言い方しなくても……」
「若いね、お兄ちゃん。俺ら傭兵稼業にとっちゃ、今はかきいれ時よ。平和ボケの連中からしたらたまったもんじゃないだろうが、俺らからしたらありがてぇもんさ」
「例えば今だったらどこがあるかな? ディオっさん」
ディオスをあだ名で呼ぶコウヨウに、当人が答える。
「今一番アツいのは、ノヴァドのリガノスとフォルニアのサーメントだろうな。俺もあそこには行かねぇ。なんでも堕人を兵隊として扱う『堕人兵』がいるって話だ。堕人の相手はちと骨が折れてな。俺もそこまで命はかけんよ。生きてそこそこ金を稼げりゃ、それでいいのさ」
「堕人兵!?」
サラリと出されたその言葉に、ワカバが大きく反応する。
「ようやく堕人という言葉を聞いたな……」
とコウヨウも呟く。
「ほぅ、お二人堕人には因縁ありとみた。なんでも『堕人呼ぶ少年』ってのがいるって噂を聞いたな。そいつが街に堕人を呼び込んでんのかねぇ」
堕人兵。それが本当なら、一年前、堕人に刻まれた番号を見て浮かんだワカバの不安は、悪い意味で当たったということになる。それに『堕人呼ぶ少年』とは一体何者なのか。何故、どうやって堕人を呼ぶのだろうか。
ワカバはコウヨウの方を向き、強く言った。
「師匠! 行きましょう!!」
「はぁ、言うと思った……。ま、もうすぐ修行を始めて一年だし、そろそろいい時期かもな。えーと、ここから近い方となると……ノヴァド国のリガノスだな」
コウヨウがひとつ伸びをし、ワカバと二人、立ち上がる。
「へへへ、やっぱり若ぇや。気ぃつけなよ」
ディオスがニヤリと笑った。
ワカバとコウヨウは、ノヴァド国、リガノスへと向かった。
2
白い大地、乾燥した荒野の中に、葉のついていない木が所々ポツポツと立っている。一見枯れ木のようにも見える白い木肌だが、砂漠の中に位置するこの地方では、これでも立派な生きている木だ。雨の多い山間に住んでいる者には納得されないだろうが、この木がポツポツと並んだだけで隙間だらけに見えるこの荒野も、この地方では立派な林だった。
その木の一本に、ロープが括り付けられていた。垂れ下がったロープの先は、輪っかにしてある。そして一人の少年が椅子の上に立ち、目の前にぶら下がったその輪に己の頭を通そうとしていた。
これで、やっと終われる。毎日続く嫌な思いを、ようやくせずに済むようになる。
目や耳を覆うくらいの長さの、やや黄みがかった直毛。学生である少年は普段は学生服でいることも多いが、今は当然私服だ。黒いパーカーにベージュのチノパンという地味な格好をしている。この少年、タイラル・アストは、今まさに自らの命を自分で断とうとしていた。自殺である。
怖くないかと問われれば、嘘になる。だが、それよりも、この人生を終わらせたい思いの方が強かった。
だから、さぁ、早く済ませてしまおう。決心が鈍らないうちに。
頭を輪の中に通したアストが、足元の椅子を蹴り倒そうと、力を込める。
その時だった。
「う、うぉあぁぁぁ~~~~!! や、やめろぉぉ~~~!!」
どこからともなく、誰かの叫び声が聞こえてくる。
叫び声の方を見たら、翠髪で、アストと同じ年くらいの少年が、こちらに向かって猛烈な勢いで走ってきていた。
「な、なんだあれ……」
戸惑っているアストに、翠髪の少年は猛然とタックルする。
頭にかかっていたロープはすっぽ抜け、その勢いのままアストは投げ出された。そして頭と体の側面を、しこたま地面にぶつける。
「あ、あぁ~!! ご、ごめん!! い、生きてる!? 生きてる!?」
そのまま少年が馬乗りになり、アストの胸倉を掴んでゆさゆさと強烈な勢いでゆする。
「な、なんとか……」
あぁ、まただ。死にたいはずなのに、相手の「生きて欲しい」に合わせた返答を、またしてしまう。
するとまた別の声が聞こえてきた。
「あーもう……やめろワカバ! やーめーろ!」
そんな飼い犬をしつけるような言葉の主は、少年より幾分年上かと思われる、長身で白髪の、白いコートを着込んだ男。
「ったく、こいつはまた……。すまんね少年。こいつは馬鹿みたいにお人好しでさ。僕が連れて行くから、何も気にせず、死んで、く、……んん!?」
その男は途中で言葉を切ると、アストをじろじろと眺めた。
「ふん、ふん、ふん、……うん、……うん? ……おぉ! ワカバ! こいつ、助けるぞ!」
そしていまだアストに馬乗りになっていた少年に声をかける。
「えぇ!? 人が死んでも何とも思わない、人の心を無くした、冷徹無比、傍若無人、傲岸不遜な師匠が、自ら人助け!? 一体どうしたんですか!?」
「お前、はっ倒すぞ……」
アストが置いてけぼりのまま、何やら勝手に話が進んでいた。
その後アストは二人に連れられ、林の中を歩いていた。
尋ねられたのでアストが名乗ると、翠髪の少年とコートの大人は、それぞれワカバとコウヨウと名乗った。
「なぁアスト、どうして自殺なんかしようとしたんだよ。なんか辛いことでもあった?」
「べ、別にいいだろ……なんでも……」
「教えてくれよ~。心配じゃん」
ワカバがアストにしつこく聞く。
アストは、こういう人間が大嫌いだった。
今までもよくいた。自分を救おうと喜び勇んで群がった人間達。彼らは自分を救わないどころか、余計に苦しめただけだった。傷口をほじくり返すだけほじくって、何一つ問題は減らさない。
アストは何度か逃げようと試みたものの、コウヨウに即座に捕まり叶わなかった。
自殺を決心するにも、結構なエネルギーがいるものだ。今の出来事で、すっかり自殺に対する決心も揺らいだしまった。
あぁ、これからどうしよう。またあの生活が始まるのか……嫌だなぁ……
今三人がいるのは、ノヴァド国のシエラという街だ。
ワカバとコウヨウが目指しているのは、同じくノヴァド国のリガノス。シエラはその北部に隣接している。ワカバとコウヨウが以前いた戦争中の街はノヴァド国の北東にあたり、そこからリガノスに行こうとすると必然的にこのシエラを通ることになる。リガノスに入る前に情報収集をするという狙いも二人にはあった。
そんな目的でシエラに行こうとしていた矢先、街の外れの林の中で、首を吊ろうとしていたアストを見つけた、という訳だ。
シエラは学園街であり、中心部にある学校が街の象徴となっている。
林を抜けたら街に入り、いつの間にか地面も白い砂が目立つ乾燥した大地ではなく、石畳に変わる。そのまま中心部まで行くと、シエラの象徴たる学校が目に入る。三人はその学校の目の前まで来た。
学校の敷地は広く、その中にはいくつかの校舎が立ち並んでいた。通りに面した側には、三メートルほどの高さの太い直方体の柱が二本立ち、それが正門となっている。そこから敷地に入りしばらく歩くと、正面に一番大きくて目立つ校舎が現れる。その校舎は三階建てで、学校の敷地のほぼ中央にある。真っ白な漆喰の壁に、柱や窓枠は木製。白と濃い茶色のコントラストが眩しい。さらにその奥にはグラウンドもあった。
「おぉ……! 学校だ! 制服だ!」
ワカバは前時代的なまでの田舎暮らしなので、大きな学校と、皆で一揃いの服を着る制服という文化には、ひと際憧れを抱いていた。
周りにいた学生達が、こちらを見て怪訝な顔をしている。
「はいはい、あんまキョロキョロしてると恥ずかしいからな。向こう行こうな」
コウヨウがワカバの首根っこを掴み、引きずる。
アストは誰か知り合いに見られないかと、首をすくめる。こんな訳の分からない連中と一緒にいるところを見て、あれこれ詮索されたくない。しかも今日は死ぬつもりだった訳で、当然学校もサボっているのだ。
すると、アストの嫌な予感が的中するように、学生の一人がアストに話しかけてきた。明るい茶色の短髪で、二人の友人を引き連れている。
「あれ? アストじゃん! どうしたんだよ、学校サボりか?」
「ドゥ、ドゥッカ……」
「何やってんだよ。明日は学校に来いよな。待ってるから」
「あ、あぁ……」
アストは明るい笑顔で言うドゥッカに曖昧に返事をして、そそくさとコウヨウ達の陰に隠れた。
正門の脇には掲示板があり、街やその周辺の色々な情報が張り出されている。コウヨウはそれを見ながら、適当に読み上げていた。
「不審者注意、空き巣多発、乾燥、火の元注意……どこどこでの戦争激しさを増す、戦死者何人、負傷者何人、誰とか将軍戦死……どこそこで誰々の公開処刑……。ろくな情報はなさそうだが……お、あったぞ『リガノスとサーメントの緊張、依然として高いまま』、それに『堕人出没注意』。どうやらこの街にも来てるみたいだな」
「そうだ、俺達リガノスとか、そこの堕人兵っていうのの情報を探しに来たんだよ。アスト、何か知ってる?」
こいつらも、また……
「知るかよ……!」
「?」
吐き捨てるように言うアストに、ワカバは首をかしげたのだった。
まずは必要最低限の荷物を持ってこい、というコウヨウの指示があり、三人はアストの家に行った。アストの家は学校にほど近い住宅街にある。家は学校の校舎をそのまま小さくしたような外観で、周囲の家を見るに、この街では普及した様式のようだ。玄関を開けたらそのまま大きなリビングで、家族がいないのには、アストもワカバもホッとした。三人は周囲から見られないようにコソコソと家に入り、二階にあるアストの部屋に潜入した。
「……おぉ! 制服だ! ちょっと着てみていい?」
荷造りをするアストを横目に、ワカバは部屋にかけられていた制服に興味を示す。
「べ、別にいいけど……」
アストの返事を待たずにワカバは着替え始めていた。
「うーん、ちょっと小さいかな……」
ワカバとアストはほぼ同じくらいの背丈。しかし一年間の修行で筋肉がつき、ワカバの方が体格はいい。
着替え終わったワカバが、コウヨウに見せびらかす。
「どうすかどうすか、師匠?」
シエラの制服はブレザー。ダークグレーのジャケットに、濃いグリーンのズボンには淡くチェック模様が入っている。
「う、うん。いや、別にいいんだけどね……。そういうのはほら、美少女の方が需要があってだね……」
「し、師匠、あんまりそういうことは言わない方が……」
ワカバは何故だか妙な焦りを感じ、いそいそと元の服に着替えたのだった。
こいつら一体何なんだろう……
アストはまだワカバとコウヨウのことがよく分からなかった。
これじゃほとんど誘拐じゃないか……
といっても、自分も死のうとしていた訳だし、もうどうにでもなれ、と半ばやけくそに荷造りをしたのだった。
荷造りを終えたら、三人は最初に出会ったのとは反対側の街の外れに来た。
コウヨウが座ると、アストもその正面に座らされる。
「よし、今から君には気練師となる為の修行をしてもらう。拒否権は無い」
「いや、でも、学校とかあるし……」
「なんだそんなもん。さっきまで死のうとしてたんだろうが。行かんでよし!」
「家族とか……」
「だから死のうとしてたんだろうが! 気にせんでよし!」
清々しいまでの強引っぷりだ。
「大丈夫。師匠は気まぐれで強引で傲慢で気に入った人にだけは優しくて気に入らない人にはとことん不機嫌な子供みたいな人だけど、良い人だよ」
ワカバの言葉は単なるフォローではなく、本当にそう思ってる、という様子だ。
なんでそこまで言っといて「良い人」で済ませられるんだ……
「というか、何なんですか、あなた達は……なんで僕を助けようとするんです……?」
「そうだ、俺も気になりましたよ。師匠が自分から誰か助けようとするなんて」
「おぉ、そうだ、それを話す必要があったね」
アストはコウヨウにビシッと指を差されながら、言われた。
「アスト、君には気の才能がある。とりわけ『巡気感法』の才能がな」
「おぉ、俺の苦手なやつ!」
「そう、ワカバ、お前の苦手なやつだ。ワカバ、ちょいと復習だ。気の主要三用法、アストに説明して差し上げな」
アストは気や気練師、堕人、コウヨウやワカバがどういう人間であるか説明を受けた。そして気の主要三用法についても。その説明によると、こうだ。
気には主に三つの用法があり、それが『身気剛法』に『巡気感法』、そして『気操法』だ。自分の身体の一部や全体に気を巡らせ、肉体の強度を上げたり、運動能力を高めたりするのが『身気剛法』、自分や対象に巡っている気を感じ取るのが『巡気感法』、自分の外部に干渉するほどの精度、強さで、気そのものを操作するのが『気操法』だ。
無自覚で元々才能のある人間もいるらしく、身気剛法の才能がある者はスポーツなどで大成することが多い。巡気感法の才能がある者は、絵画や小説などの芸術家に多いそうだ。巡気感法の能力とは、簡単にいうと感受性、感じる力らしい。
「どうだ、アスト? 心当たりあるんじゃないか? 君は相当感じやすい人間のはずだ」
「た、確かに……」
そう言われると、確かに思い当たる節は色々とある。
「ところがだ、アスト、君はその才能を自ら無意識に抑えようとしていると感じた。このままじゃお前『一体堕人』になっちまうぞ」
「一体堕人!? 堕人って、人間が融合した怪物なんじゃなかったんですか!?」
アストが聞くより早くワカバが驚き、聞いた。
「まぁ、ほとんどがそうなんだがね……。まれにいるんだよ、一体でも堕人になる人間が。皮肉にも、そういう人間は巡気感法の才があることが多い。周りからの不快な情報あまりの多さに耐えられなくなり、無意識に自らその気を抑え込もうとするんだ」
珍しくコウヨウが遠い目をして言う。それからまたアストに向き直った。
「僕は誰彼構わず助けるお人好しじゃないが、救える見込みがある奴は話が別だ。アスト、お前は俺に助けられて貰う。拒否権は無い。いいな?」
とても助ける側の言葉とは思えない……
アストは色々な意味で気が引けたが、二人との修行が始まった。アストが抑え込もうとしている気を取り戻そう、という作戦らしい。
その後の同じ場所、アストとワカバは目隠しをさせられ立っていた。コウヨウはどこで用意したのかハリセンを持って二人に話す。
「よし、今から僕が気を込めたハリセンで君達を叩く。何、そんな強くは叩かないから安心しろ。君達はそのハリセンに込められた気を感じ取り、まぁ、避けるなり受けるなりしろ。じゃ、開始!」
「いや、でも師匠、アストにいきなりこの修業はちょっと厳し――痛ぇ!」
バシンと音がし、ワカバが悲鳴を上げる。
「ほう、喋りながらとは余裕だなワカバ君」
「え、何今? ワカバが叩かれたんで――うわっ!?」
「お、アストは避けたか。やっぱやるじゃないか」
「えっ、アスト今避けたの!? ちょっとどうやって、痛い! ねぇどうやって……あ痛! ちょっと師匠、俺だけ多いって! 痛い!」
「そりゃお前、一年多く修行してんだから」
「フフッ、ハハハハハ……あ痛っ! ちょ、ちょっと待って、強く叩かないって言ったのに! 痛いですって! 痛い!」
「はい、アストも集中」
「あっ、アストも当たった! ……いて!」
ハリセンに何度も叩かれた衝撃で、ワカバもアストも目隠しが取れた。お互い尻もちをついた状態で目が合い、二人とも、笑った。それを見て、コウヨウも笑った。
その夜は修行場所に程近いオンボロ宿に泊まった。寝返りをうったら転げ落ちそうな、狭くて硬いベッドが三つ、狭い部屋にひしめき合っている。
ワカバとアストが散々引っぱたかれたら、その日の修行は終わった。しかしアストは途中からコツを掴んだらしく、修業が終わる頃には、だいぶハリセンを受け止められるようになっていた。
ワカバはそんなアストに質問する。
「なんか、コツとかあんの? どういう感覚とか」
「なんかこう……圧力? っていうのかなぁ。フワッというか……ムワッというか……そういう感覚がするんだよ。ハリセンの方から」
「凄ぇなぁ、最初の日で。いや、俺はさ、巡気感法が苦手でさぁ」
こんなことは今までなかった。感じやすいという、自分のこの特性を褒められること。それは少し照れ臭かったが、でも、その特性のせいで嫌な思いも多かった。
「でも、あんまりいいもんじゃないよ……感じやすいって」
「そうなの?」
「人の悪口とか、馬鹿にされるのだってよく聞こえてくるし……この街に堕人出没の注意書きがあったよね? 僕は堕人がいるのも何となく分かるんだけど、それを言ったら変な奴扱いされるし……」
今まで人に話すのが嫌だったこと、不思議と、自然に話していた自分にアストは気づいた。
「なるほど、それで『堕人呼ぶ少年』って訳ね」
「はい……えっ!?」
「えぇ!?」
コウヨウの言葉に、アストと、ついでにワカバも驚く。
「お、やっぱそうだったか。ワカバが掲示板の前で質問してた時の反応で何となく思ったんだけど、当たりだったね。
いや~、堕人の気を読み取れるのは凄いぞ。あいつらは気が澱んだ末に生まれた生き物だ。気配が独特だし、そもそも感じづらい。やはりアストには才能がある。ククククク……」
コウヨウの関心はあくまでアストの才能のようだった。だがワカバは気になった。堕人の情報を探っている者として。「堕人呼ぶ少年」とは、どういうことなのか。
「話してくれるか?」
アストは気が引けたが、少しずつ、話し出した。
一年ほど前、隣街のリガノスが、大量の堕人による奇襲攻撃を受けた。その情報はシエラにもすぐに伝わり、シエラからリガノスへの渡航は厳重警戒とされた。それからほどなくして、僕は奇妙な胸騒ぎがするようになった。おどろおどろしい、変な気配を感じるのだ。その正体はすぐに分かった。翌日に、シエラにも堕人が来たのだ。堕人は暴れまわり、建物を壊し人を怪我させ、大人が何人もかかって、ようやく殺害することができた。
しばらくすると、またその気配を感じた。今度は家族に言った。堕人が来ている、と。だが、家族は誰も信じなかった。しかしやはり堕人は実際に来ていて、また多くの人が、建物が、被害を受けた。家族は何故か、アストを責めた。「なんでもっと早く言わないのか」と。
それからまた気配を感じ、もう一度堕人が来た。今度は家族だけでなく、学校の先生や近隣の住人にも訴えた。だが同じことが繰り返されただけだった。親は、何故か近隣に謝っていた。「息子がご迷惑をおかけし申し訳ありません」と。自分の行動が、皆を騒がせた、と解釈するのだ。早く言わないのが悪いのではなかったのか。何故か、自分が悪いことになった。
友達面をしてくる奴は、アストを堕人を呼ぶ少年とからかうようになった。
嫌だったが、言えなかった。
しかし嫌だったのは、堕人についてのことだけでない。昔からそうだったのだ。
やれ金を貸せとせまり、やれジュースをかけ、やれ喧嘩ごっこと称し本当に痛めるまで関節技をかけ……
最初は嫌がっていた。ちゃんと断っていた。だがそうする度に「なんて顔してんだよ、友達だろ?」とニヤついた笑いを浮かべるだけで、まるで取り合わなかった。友達面は僕が意に沿わないことをすると、こちらをこれ見よがしに睨みつけた。すれ違う時にはわざとぶつかられた。聞こえるように、悪口を言われた。それが嫌で、付き従い、ずっと友達みたいな振る舞いをすることになった。
最初は親にも相談した。先生にも相談した。だが、それを言ったら何故かいつもこちらが責められるのだ。「なんで直接言えないの」「もっと自信を持って」……
そしてまた友達面からは告げ口しただのなんだの言われ、責められた。
何か人に嫌なことをされ、苦しみを訴えても、こちらが悪いことにされる。余計に苦しくなる。
周りの大人達は、都合のいい生き方、勝手な理想を押し付るだけで、自分のことを理解しようとすらしない。いつもニコニコしている優等生しか彼らは受け付けていなかった。学園街で「相談窓口」みたいなものはそこかしこにある。色んな大人達のところに行ったが、苦しみを訴えても「大丈夫だよ」「生きていればいいことあるよ」「人生で無駄なことなんて何一つない」……並べられた綺麗な言葉達は、その時の苦しみからは何も救わなかった。
いや、それならまだいい。「もう少し余裕を持てよ」「社会はそんなに甘くないぞ」「苦しいのはあなただけではないの」「残された人の気持ちを考えたことはある?」……苦しみを訴えても、それすら責められる。
苦しいのが、余計に苦しくなる。僕の人生は、辛いか、もっと辛いか。それだけになった。だから、もう何も言わなくなった。「辛い」と「もっと辛い」なら、僕は「辛い」を選ぶ。それだけのことだ。嫌なことも、全部自分の中に溜め込んだ。彼らの望む、無難な受け答えだけを繰り返すようになった。そのうち自分が無くなっていくのが分かった。自分が何者なのか、分からなくなった。
次第に自殺を考えるようになった。
自殺は罪などと、死にたいと思ったことのない人間の理論だ。
何となく人が死ぬのは辛いし、自分が原因でも心象が悪いし、それだけのことだ。中身の伴わない綺麗な言葉を口から出すだけで、あぁ心が軽くなった、と前向きになる、そんなお気楽な相談相手しか彼らは求めていないんだ。そんなことで人を救えた気になっているんだ。苦しみを取り除けずに、全て死にたい人に押し付けて、それにも気づかない。それで耐えられずに死んだら、自分の罪にしたくないから、その人の罪にするんだ。ただ、それだけのことだ。
友人面はからかうので「堕人呼ぶ少年」をどこでも言いふらした。嫌だけどそんな感じだから言えなかった。
「堕人呼ぶ少年」はいつの間にか浸透した。
ゲイルという、堕人の研究をしているという男がきた。「君の堕人を呼ぶという能力を、世界の役に立てないか」と。しかし僕には当然そんな能力は無い。勘違いに気づいたらゲイルは怪訝な顔をして帰っていったが、両親はその時も謝っていた。ご期待に沿えず申し訳ありません、と。今度は、堕人を呼べなかったことを謝るのだ。いつも、彼らはそうだった。外面だけは良く、責めやすい僕を何かにつけて悪者にして、自分の手柄かの如く、それを謝るのだ。そんな自分を、本当に良い人と思っているのだ。
そんなこともあり、今では多くの人が僕の方を見てひそひそと陰口を立てる。
「もう嫌だ、もう沢山だって……人に流されるまま、自分はずっと責められて、どんな苦しみも押し殺して……そんな風に生きるのが、きつくて、きつくて……」
自分の苦しみを話すなんて、もう久しくしていない。自分でも恥ずかしくなるほど、上手く話せなかった。言葉に詰まりながら、しどろもどろになりながら、それでも、アストは、何とか言葉を紡ぎだしていった。相手が、ワカバとコウヨウだったからだ。この二人が相手なら、上手くないにしても、自然に、話せていた。
そしてワカバとコウヨウの二人は、その話を最後まで聞いた。どれだけアストが言葉に詰まっても、長い時間がかかっても、最後まで、話を聞いた。
アストの話が終わったら、コウヨウが苦笑いしながら言った。
「そういうことか……ったく、ディオっさんめ、曖昧な噂教えやがったな。
……それにしても、ゲイルか……」
「師匠、知ってます?」
「いや、知らん。堕人の研究をしてるってのも、どうだか……」
それよりもワカバはアストのことが気がかりだった。
「……一緒に行こう、アスト。ね? いいよね、師匠?」
「アスト、お前はどうしたい?」
コウヨウが聞く。
……分からない。自分の考えを持たないのが、もう癖になってしまった。どんな返事だったら相手が気に入るか、そんなことばかり考えて返事するようになってしまった。
でも、たった一つだけ、ずっと心の奥底に抱いていた思いがある。ずっと心に蓋をしていたから、自分でも分からなくなっていたその思いに、今ならハッキリと気づけた。
とても漠然とした思いだから、そんなことを言っていいのか分からないけど、だけど、この二人が相手だったら、それでもそれを、伝えられる気がした。
「助けて……助けてほしい……」
「ようやく自分から言えやがったな!」
「安心しろ! 必ず助ける! 友達だろ!」
「……ここから、離れたい……! 僕も……一緒に、行きたい……!」
「当然だろ! よーs――」
「いや待て」
だがコウヨウがそれを制止した。
「もう、何すか師匠! せっかくいいとこだったのに!」
「まぁそう焦るなお二人。まずアストは、自分の力に気づく必要がある。何、当然助けるから安心しろ。一緒に行くかはその後決めよう。さて、どうしたものかな……」
「?」
コウヨウが手に顎を乗せ考えるのを、ワカバとアストは首をかしげながら見ていた。
翌日、コウヨウ考案の、アストの救出作戦を決行した。
「あ、いたいた」
制服姿で学校に潜入したワカバは、三人で談笑しているドゥッカを見つけた。
「ドゥッカ君?」
「は、はい、そうですけど……君、誰? この学校にいたっけ?」
「俺はアストの友達。アストのことで話があるんだけど、ちょっと来てくれない?」
肩を組み物々しい雰囲気で話しかけると、最初は戸惑っていたものの、ドゥッカは笑顔で応じた。
「アストの話っていうなら……分かった行くよ」
「さ、取り巻きのお二人も一緒に……」
「と、取り巻き……」
その言葉に戸惑いつつも、二人もついてくる。
そうしてアストの家にワカバが三人を連れて来ると、そこにはアストとその家族、父と母と姉、そしてコウヨウが既にいた。
「うん、揃ったね」
コウヨウがアストの家族に向けて話し出す。
「タイラルさん、僕達は、アスト君が自殺しようとしているところを見つけました」
「えぇっ!?」
単刀直入に、淡々と事実を述べるコウヨウに、アストの家族が驚きの声を上げる。
「アスト君の家族も、友達も、自分の行動に何か問題がなかったか、よく考えてみてください」
これまた淡々というコウヨウ。
「あ、あ、ごめんなさい。ごめんなさい」
「ご、ごめんなアスト。何か傷つけたんなら……」
一体誰に言ったつもりなのか、頭を下げるアストの父。それに、ドゥッカも謝る。
「僕達はもう戻ります。さ、君達も帰ろう」
そこまで済むとコウヨウは、ドゥッカ達を促し、帰らせた。
「あ、あの、せっかく来ていただいたのですから、お茶でも……」
「結構です!」
おずおずと言い出すアストの父にピシャリと言い放ち、コウヨウとワカバも家を出た。
異様に淡々として素早いコウヨウの行動。
実をいうと、ワカバとアストはコウヨウの狙いがまだ分かっていなかった。家族と残されたアストが心配なワカバは、コウヨウに問う。
「ちょっと師匠、どうすんすかこれから……。まさかさっきのでアスト救ったって言うんじゃないですよね?」
「いや、それはこれからだ。それにアストは、僕の予想が正しければ、たぶんもう大丈夫だ。あとはちょっときっかけさえ与えてやれば……よし、僕達はここにいよう」
コウヨウとワカバはアスト家の屋根に上り、身を隠す。
「さ、巡気感法の修行だ、ワカバ。あいつらの会話、全力で集中して、よく聞き取れよ」
屋根の上から、帰るドゥッカと取り巻きの姿が見える。
ワカバはいぶかしがりながらも、コウヨウの言うとおりにした。彼らの会話に耳を澄ます。
「ハハハハ! やっべ~、アスト、自殺未遂だって! ハハハハハ!」
……!?
アストの自殺を嗤うドゥッカと取り巻き。ワカバは自分の耳を疑った。
それだけではない。家族の言葉も耳に入ってくる。
「お前は駄目だな。もっと、強くならないとな」
「皆に迷惑をかけたんだから、謝りなさいよ」
コウヨウとワカバの前では見せなかった彼らの本性が、ワカバの耳に届いていく。
「やば! きっも~! 自殺とか!」「悩みがあったのなら、なんで話してくれないの!?」「てか、あれでイジメ? うざくね?」「お前はなんでそういう物言いしかできないんだ」「死ねばよかったのにな」「あ、こいつまたキレた。めんどくさ~」「やば~ドゥッカ人殺しじゃん!」「やめろよ~。ハハハハハ」……
迷惑? 自殺が? きもい? 自殺が? 家族が、友達が、自殺未遂して、まず言うことが? それで友達? それで家族?
ワカバは胸の辺りがムカついてたまらず、歯を食いしばる。自分の両腕を、爪が食い込むくらい強く掴む。そうしないと、自分を抑えることができなかった。
「ワカバ、よく聞いとけ。聞き漏らすなよ。……これが人間だ。何か考えがあってそう言ってんじゃない。言える奴が相手だから言うんだ。相手がアストだから言うんだ。嗤うんだ。責めるんだ。人をいじめる奴なんて、いじめられる相手しかいじめない。無意識のうちにそうする卑怯者なんだよ。外面だけは善人ぶって、本当に自分が良い奴と勘違いする。こういう奴らなんだよ、人を追い込む奴なんてのは」
コウヨウはワカバの頭を押さえつけながら言う。
「苦しめられた奴はその傷を、その痛みを、一生背負いながら生きるんだ。だがその傷を背負わせた奴は、こういう人間はぬけぬけと生きる。せいぜいが、自分も昔はやんちゃだったと、へらへら笑って済ませて反省もせず、いけしゃあしゃあとお気楽に生きていくんだ。これが人間だ!」
自分で自分を押さえつけ、コウヨウからも押さえつけられていたが、ワカバはこらえ切れず、飛び出した。
談笑しながら帰るドゥッカ達三人の前に、ワカバは立ちはだかる。
「な、何……? まだ何かある……?」
迷惑そうな顔を隠し切れないドゥッカ。
ワカバは右の拳を握りしめ、地面を踏み込み、渾身の力で、ドゥッカの顔面をぶん殴った。
コウヨウらが家を出たら、アストといるのは家族だけとなった。
嫌な空間だ、とアストは思った。自殺未遂の後というのが余計に嫌だ。それに彼らはどういう反応をするのか。やがて、父と母が口を開く。
「あ、あ、お、お前は駄目だな。このままじゃ、駄目だな。もっと、強くならないとな」
「皆に迷惑をかけたんだから、謝りなさいよ」
やっぱりそうだ。こういうことを言うと思った。
さっきの謝罪はどこへやら。よそ者がいなくなった途端に、家族はアストを責めだした。
一応バツが悪いところもあるのか、ニヤニヤ、ヘラヘラと、困ったような卑屈な笑みを浮かべながら、二人がアストに言う。
アストにはもう分かっていた。これは笑顔ではない。
なるべく相手の機嫌を損ねないように、私は悪くないと、予防線を張るように、その取り繕いの為の、見せかけの笑顔だ。
ぞっとした。自分だった。人に嫌われたくないばかりに、自分が悪者になるのを極端に恐れ、自分の思いを言わず、作らず、いつもそれっぽい笑顔を浮かべていた。小さい頃から、優等生として過ごした。その生き方を疑いもしなかった。それが苦しいと思ったのは、いつの頃からだろう。小さな頃は、大人ってもっと立派だと思ってた。化けの皮が剥がれ出したのは、いつの頃からだろう。
いつもならここで諦めて、彼らの気に入りそうなことを言ってこの場を終わらせてしまうところだが、今のアストは違った。
ワカバとコウヨウがついていてくれるからだ。こんな家は出て、明日からは、二人と行けばいい。もしそれが駄目だったら、どうせ死ぬつもりだったんだし、死ねばいいんだ。
いざとなったら、死ねばいい。
そう思うと、何故だか不思議と、開き直れた。生きる気力が湧いてきた。
お前らが受け付けなかったこと、最後に全部教えてやるから、感謝の一つもしろよ……
「……あなた達が辛くってさ」
「悩みがあったのなら、なんで話してくれないの!?」
「話したよ。でも、あなた達は責めるだけだった。そんなんだから、話さなくなるんだよ。なんで悩みそのものに悩みを話すんだ。話せなくしたのは誰だと思ってるんだ……」
「お前はなんでそういう物言いしかできないんだ……!」
「ほら、そういうとこだよ……話したところでそれだ……」
「だーかーら、お前はなんでそういう物言いしかできないんだって言ってるんだ……!」
……また始まった。何を言っても、同じ言葉の繰り返し。都合のいい良い子ちゃんの答えしか、彼らは受け付けない。面倒くさくなってもうやめようかと思ったが、どうせ最後だからとアストは続けた。
「……今その答えを話したんだよ。……あなた達はもう、諦められてるんだ……」
「あ、こいつまたキレた。めんどくさ~」
姉も会話に加わってくるが、反応は父母と大差ない。うざいのが一人、増えただけ。
この人達は、やっぱり最後まで僕の話を聞けなかった。最後のチャンスを、あげたのに。
父がアストに手を差し出す。
「さぁ、こっちにおいで。お前もこちら側の人間なんだ。お前も、こういう生き方をしてればいいんだ。お前も、こういう生き方しかできないんだ」
「……違う! それはお前らだ! お前らだけだ!」
「私達は、お前を愛しているんだよ。お前に幸せになって欲しいんだよ。こういう生き方が、私達の幸せなんだ……!」
「違う! お前らのいう「愛」なんて、都合のいい生き方を押し付けただけだ! そのおかげで僕は、自分すら分からなくなったんだ! 僕は、自分として生きるんだ!」
心の奥に僅かに残っていた勇気の灯火は、ほんの少しのきっかけで、激しく燃え上がる大火に変わる。
その時、突然玄関がぶち破られ、ドゥッカ飛び込んできた。
差し出した父の手が弾かれる。もし父の手を取っていたら、アストに直撃していただろう。
「ごぁ、あ゙ぁ、な、なんだよ……いきなり……あ゙ぁ」
鼻血をボタボタと流しながら、ドゥッカが、うめく。
壊れた玄関から、ゆっくりとワカバが入ってきた。取り巻きは既に逃げていた。
「なんて顔してんだよ。笑えよ。友達だろ?」
それに続いて、コウヨウも家に入ってくる。
「ったく、やめとけワカバ。こんな奴らぶん殴っても、何にもなりゃしないってのに……」
「友達だろ? 笑えよ」
ワカバはドゥッカに凄み、倒れていたところへその腹を蹴りつける。
「あ、あ、ぼ、暴力は駄目だよ……暴力は……」
アストの父の言葉に、ワカバは荒々しく返す。
「うるせぇな。暴力じゃなかったらいいのか? 散々人に嫌な思いさせといて。暴力じゃないからそれはいいってか!? 暴力だからどうとか、そういう問題じゃねぇんだよ!!」
なまじ家族と仲が良かっただけに、ワカバはこういうことに無性に腹が立った。家族が家族を、ここまで苦しめるなんて。
ワカバの声が震える。
「アストは、お前らが嫌で嫌でたまらなかったから自殺しようとしたんだろ!? 挙句に罪の自覚もないなんて! その苦しみの訴えすら責め立てるなんて!! 馬鹿にするなんて!! ……そんなの、人殺し以下じゃねぇか!!」
ワカバはサトバの村で堕人と対していた時の感覚を思い出していた。皮膚のすぐ下を何かが這い回るような、あのむず痒さ。その感覚は今、首元の呪いを中心として、ワカバの全身に広がっていた。
呪いを使用することは、修業が始まった頃からコウヨウが禁じていたことだった。気は感情の変化に伴い、無意識でもその状態が変化する、流動的なもの。しかし負の感情、すなわち怒りや恨み、憎しみといった感情を原動力にした気は、体に悪影響を及ぼす。呪いはそういった気の力を増幅させる物だとコウヨウとワカバは推測していた。その為、コウヨウは呪いの使用を禁じていたのだった。
「君に誰かを恨んでいる暇は無い」
コウヨウは修行中、ことある毎にそう言っていた。
「おい、ワカバ……やめろ」
コウヨウはそれっぽい道徳心でそんなことを言う男ではない。だが今のワカバが負の感情に溺れそうなのを見て、コウヨウはそう諭した。
しかし今のワカバには、そんなコウヨウの声はもう届いていなかった。
殴りたい。痛めつけたい。こいつらを。徹底的に。人の痛みが分かるまで。
息を荒げ、今にも飛び掛かりそうなワカバ。だがその肩に、ポン、と優しく手が乗せられた。
「もう、いいよ……」
アストは涙が溢れて止まらなかった。
「ありがとう……ありがとう……」
ありのままの自分を受け止めてくれて。
自分の為に、ここまで怒ってくれて。
感じていたけど伝えることも許されなかったこの苦しみを、思い切りぶつけてくれて。
こんな人は今までいなかった。
泣いたのはいつ以来だろう。辛い時の涙はもう流れなくなっていた。悲しみの表現なんて、分からなくなっていた。涙が出るのは、救われた時だ。
たった一日前に出会った、たった二人の行動で、今までの苦しみ全て、許してもいいと思えた。
呪いに流れ込もうとしていたワカバの気が、にわかに落ち着きを取り戻す。
何故だか分からないが、ワカバにも涙が溢れてきた。アストに思い切り抱きつく。
「うわぁぁ~~~ん!! ごめんなアスト! ごめんなぁ!!」
「なんでお前が謝ってんだ……」
コウヨウが呆れながら呟く。だがワカバが落ち着いたことで、正直ホッとしていた。
ワカバも自分が謝ることではないと思っているのだが、何故か、謝らずにはいられなかった。
「苦しかったよぉ……! 辛かったよぉ……!」
アストもワカバにしがみつきながら、出るに任せて自分の苦しみをぶちまけた。
分かってくれる人がいる尊さを、アストは知った。
そして自分とは違う種類の苦しみを、ワカバは知った。
ワカバの苦しみは、両親や村を失った、失う苦しみだ。対してアストの苦しみは、慢性的な苦しみだ。何か辛いことがあった、とかではなく、ずっと、辛いのだ。慢性的に、辛いのだ。辛いのが、普通なのだ。その時々で何か楽しいことや嬉しいことがあったとしても、心の奥底では、ずっと何かを抱えている。素直に喜べていない自分がいる。
「あ、あ、ご、ごめんなさい。ごめんなさい……」
「す、すみませんでした……」
その様子を見て、アストの家族やドゥッカも謝りだした。
だがコウヨウには雰囲気で分かった。これは本気の謝罪ではなく、ただ空気を読んでそれっぽく場をおさめようとしている、そんな謝罪だった。さっきと、何も違わない。
姉とドゥッカは涙目になり、上目遣いでアストを睨みつけながら謝っている。
なんで自分がこいつに謝らなければいけないのか。自分の方が強いのに。自分の方が偉いのに。あいつが間違っていて、自分は正しいのに。そう言いたげな目をしていた。まるで不貞腐れた、子供。
いくつだ、こいつら……
コウヨウはワカバのとは別の種類の呆れを感じていた。
「さ、そろそろ本当に終わろう」
コウヨウはワカバとアストを促し、ドゥッカは髪を掴んで無理やり立たせ、背中を蹴たぐって家から追い出し、自らも家を出た。
三人はまた宿に戻った。その後一旦アストは家に戻ったが、その夜に再びワカバとコウヨウの元にやってきた。
「誘ってくれたのは嬉しいけど、僕、ここにいようと思います。二人はリガノスへ行くんでしょ? 戦争中の場所になんか行ったら、僕はきっと迷惑かけると思うし、ずっと助けて貰ってばっかでも悪いし……」
「いいのか? あの連中はバックに僕らがいたから申し訳なさそうな素振りをしてんだぜ」
「分かってます。あの人達はそういう人ですから」
コウヨウの言葉に、アストはあっけらかんと言う。
「あの時、コウヨウさんが一緒に行くのを止めた理由が分かりました。ずっと一緒にいたら、頼りっぱなしでしか生きていけなくなりそうだから。いつも一緒じゃなくても、一人でもどうにかできるようにならなきゃって思ったし、そうできるって思ったんです。二人に会って、そう思えるようになったんです」
アストは重い憑き物が落ちたような、そんな顔をしていた。
「ああいう人達は、適当に相手をしとけばいいんだ。睨ませとけばいい。馬鹿にさせておけばいい。もしそれでもどうしようもなくなったら、全力で逃げ出して、這いつくばってでも草の根分けてでも二人を見つけ出しますから、その時は一緒に行かせてくださいね。
あの人達はきっと、これからも変わらないと思う。でも自分はこれからは、自分を生きてやりますよ」
そんな話をしたのが数刻前。既にアストは眠っていた。安心しきった顔だった。
今までは寝る時も、ずっとどこかに不安を抱えたまま眠っていたのかもしれない。リラックスできてるといいな。
ワカバはベッドに腰かけそんなことを考えていたが、少し、気になっていることがあった。
「師匠、俺、実は何もしてない気がするんだけど、いいのかなぁ。あいつ勢いでぶん殴ったけど、それで救われた気にさせるのもなんか違う気がするし……」
「いいんだよ、何もしなくて。何か特別なことをしなくても、ロクな奴はただ一緒にいるだけで、ただ自然に振舞うだけで、その人を救うもんだ。逆にいえばロクでもない奴は、自分を棚に上げて他人をどうこうしようとする。救った気になって余計に追い込んで、今回みたいなことになる。
今日のアストを見たら、ハッキリしてるだろ。お前はアストを救ったよ」
「……救えましたよね?」
「救えたさ」
コウヨウは普段からへらへらと適当なことばかり言う男だが、たまに真剣になるときもある。そんな時は、嘘ではない。
そんなコウヨウの様子を見て、ワカバもホッとすることができた。
翌朝、アストは自分の家に戻っていった。
ところが事件は、その時突然起きた。
3
「え、え?」
家に辿り着く直前のアストの目の前にドゥッカがうつ伏せに倒れている。昨日ワカバに殴られた鼻にはガーゼがテープで貼られていたが、倒れていた原因はそれじゃない。ドゥッカの右脚がひしゃげて、立てなくなっていた。
ドゥッカがアストに向けて、助けを求め手を伸ばす。
掴んだほうがいいと思った。
やっと、気にならなくなったのだから。やっと、どうでもよくなったのだから。
アストは手を差し伸べる。
だが、その手が掴まれることはなかった。
代わりに飛んできたのは、鮮血。
ドゥッカの上半身を、灰色の、異様に太い腕が、押し潰している。ドゥッカの腕は、そのまま地面にポトリと落ちた。
腕の根元の方に視線を向けていくと、そこには頭部の無い、腕同様に異様に巨大な上半身があった。
「あ゙ぁあ゙~! ぢがう! ぢがう! あ゙ぁ゙ぁあ゙ぁ~~!」
奇怪な叫びを上げながら、その怪物が腕を上げ後ずさる。その時、隠れていた胸元が見え、聞き覚えのあるその声の主の顔が現れた。異様に巨大な胸元に小さくひしめき合う、父、母、姉の顔面。堕人と化した家族は、そのひしめき合う顔を隠すように、巨大な手で胸元を覆いながら後ずさる。巨大な上半身に対し、脚は普通の人間一人分もないほど貧弱だったので、足元がおぼつかない。
「お゙ま゙え゙が~! お゙ま゙えのせい゙で~!」
家族の堕人は拳を握ると、それをアストに向け振るった。まだ状況を理解していないアストの顔面に、拳が迫る。
「おっと、危ない!」
その時、突如体が後ろに引き寄せられたと思ったら、コウヨウがアストの体を担ぎ後ろに飛んでいた。
「大丈夫か! アスト!」
ワカバもアストに駆け寄ってくる。
コウヨウはアストを降ろすと、素早くアストの家族だった堕人に近づき、その巨大な腕を取り、無理やり後ろ手に抑え、組み伏せた。
「こりゃあてられたな……。近くにいるぞ、ワカバ、アスト。……お、いたいた」
すると住宅の陰から逃げ惑う人々が現れ、その後に続いて、それが姿を現した。
それは歪んだ球体に四本の脚が生えたような姿をしていた。じゃがいもの様に長く歪んだ球体。四本の脚がその体の真横から生え、それが途中で直角に曲がり、地面を掴み体を支えていた。正面と思われる部分には、目や鼻の穴、口と思われる切れ目が、いくつか乱雑に並んでいる。家族とはまた別の堕人である。
「な、なんで……分からなかった……」
呟くアストにコウヨウが返す。
「気には共振って作用があってね。堕人に成るギリギリくらいまで気が澱んだ奴が集まってると、堕人を見たショックだったり、堕人が近づいてきだけで、そいつらも堕人に成ることがある。こいつらもそんな感じだろうな。ま、そう成るような人間ってことさ。こういう人間だよ本来堕人になるのは。アスト、お前じゃなくてな」
ワカバの心臓も大きく脈打っていた。ワカバにとったら、村で見て以来の堕人だ。最近ではうなされることも少なくなってきた、村での悪夢が脳裏によぎる。しかしその時の堕人とは、あまりに形態が異なる。
「あれも堕人だよ。形も千差万別、いろいろある。ワカバの村のは、まだ人間に近い方だったな。共通点といえば、あのやたらごわついた灰色の皮膚くらいか」
コウヨウは家族堕人を押さえつけるのを足に替えると、空いた手でパンッと音を鳴らした。その音で堕人がこちらに気づく。
そしてワカバに朗らかに言い放った。
「よし! 抜き打ち試験といこうか、ワカバ! 何、今のお前ならあんくらいだったら問題なく倒せる。そのくらいの実力はあるし、そのくらいの修行をつけてきたつもりだよ」
「で、でも、こっちは……アストの方は……」
「なに、こっちは大人の役割さ……」
コウヨウは静かにそう微笑んだ。
ワカバは堕人と相対した。
四足歩行堕人の左前脚の付根付近には、Cから始まる番号が振ってある。C級堕人だ。
堕人は四本の脚をカサカサと前後に動かし、猛然とワカバの方へ突き進んできた。ワカバはその動きに生理的な気持ち悪さを感じたが、とにかく今は戦わなけらばならない。
直線的に突っ込んでくる相手にはどうするか? 一旦横に避け、横から攻撃する? いや、しかし今背後にはアストと、家族堕人をどうにかしているコウヨウがいる。それをこいつに邪魔させる訳にはいかない。師匠に任されたのだから。ワカバは突進する堕人を真正面から受け止める覚悟を決めた。膝を曲げ、腰を落とし力を込め、迎撃の体制をとる。
しかし堕人はワカバの元へ辿り着くと突進をやめ、二本の後ろ足で立ち上がった。ワカバの腰ほどの高さだった四足歩行堕人だったが、ワカバが見上げるほどの高さになってしまった。そしてそのまま乱暴に腕を振るう。
ワカバはそれを左腕で受けた。咄嗟の防御。人間より衝撃は強いものの、問題なく受け止められる。堕人は二本足で立ち続けるのが難しいようで、すぐまた四つ足の体制に戻ると、そのままワカバに頭突きをした。しかしワカバは咄嗟にそれに対応した。再び腰を落とし、脚を前後に広げる。前脚は曲げ、後ろ脚は伸ばし踏ん張ると、腕は前後で交差。頭突きを受け止めた。
初めての単独での堕人との戦いということで最初は動揺していたものの、ワカバは次第に落ち着きを取り戻してきた。堕人の動きも目で追えている。繰り返される頭突きに、ただ荒々しく振るわれる二本の前脚も、問題なく対応できてきた。
今度は攻撃に対応しつつ、こちらからも攻撃する。まずは正面から、堕人の頭か顔かと思われる部分に右の拳を放つ。堕人が短い悲鳴を上げた。皮膚は固いが効いている。できた隙を逃さず、左拳で連撃。がむしゃらな頭突きは問題無いと判断し、今回は回避、横から胴体に蹴りを入れる。
ワカバと堕人の実力差は、戦いが続くうちに顕著になっていった。攻撃を全て受けられ、強力な反撃を喰らい、堕人が後ろにひっくり返る。この戦いで一番の大きな隙。その隙にワカバは構えた。脚を軽く広げ、背筋を伸ばし、ゆっくり深く呼吸する。右掌を堕人に向け、左手でそれを支える。そして、身体の中に巡る気を練りあげていき、右腕に溜める。
気を操り技をくり出す、気操法。
かつてワカバが村で襲われた時、コウヨウの導きで堕人に放ったのも、その技の一つだ。今では一人でできるようになっていたものの、それはコウヨウとの修行の中での話。今は実戦。初めての堕人との実戦だ。
上手くできるだろうか。
ワカバの頭に不安がよぎるが、とにかくやるしかないと、全力で集中する。堕人は体制を立て直し、再びワカバに突っ込もうとする。
「風気操法 衝空波!」
気操法として操る気は、自分に合った属性の自然的なエネルギーに変換され、表に現れる。ワカバの属性はコウヨウの得意な属性と同じ、風。
ワカバの右腕から強烈な風圧が生じ、堕人が吹き飛ぶ。体に風穴は開いていないし、相手も違う。かつてコウヨウの導きで放った時の威力にはまだ遠く及ばない。だがそれでも、C級程度の堕人であれば吹き飛ばすのに充分だった。堕人は仰向けに倒れ伏し、完全に動きを止めた。
「……うん、上出来!」
後ろからコウヨウが拍手をするのが聞こえた。
ワカバはホッとして振り返る。が……
後ろにいたのは、コウヨウ、呆然と膝立ちになっているアスト。
そして、コウヨウの立っている辺りから放射状に広がる、血液、肉塊。かつてアストの家族だったもの。
ワカバはぎょっとする。
「僕は謝らんよ、アスト」
「大丈夫です。分かってますから……」
あくまで冷徹に告げるコウヨウに、アストは呆然と返した。
「やっと、気にならなくなったのに……やっと、どうでもよくなったのに……」
「強くなったな、アスト。本当に強い奴は、小物の嫌がらせなんか気にしないもんさ。許す許さないとかじゃない。どうでもよくなるんだ」
「もし、僕が堕人に気づけてたら……」
「おいおい、変に自罰的になるのもいい加減にしろよ。こいつらは君の言葉を無視して、あろうことか責め立てたんだ。そのせいで君は気を閉ざし、この堕人にも気づけなくなった。完全な自業自得だ。ったく、これじゃ逆オオカミ少年とでも言おうかね」
「なんか……なんかないんですか? 堕人を治す方法とか、そういうの」
「無い。少なくとも僕は知らん。あったとしても、使おうとも思わんね」
ワカバの問いにも、コウヨウは冷たく返す。
「こうなってしまったら、人は救えない。放っとくとワカバの村みたいに、また新たな被害を生むだろう。殺してしまった方が良い」
「そうですか……」
砕けた肋骨、傷ついた肺では、呼吸するのにも激痛を伴う。消えゆく意識の中で、ドゥッカは必死にアストを睨みつけた。この苦しみを誰かのせいにしたかった。だがアストはワカバとコウヨウの方を向き、もうこちらを向いていない。いつも睨みつけたら、どうすれば機嫌を治してくれるかと、こちらを気弱な眼差しで見返してきた癖に。やり場のない苦しみはそのままドゥッカの中に留まり、それが自分のアストに与えてきた苦しみと同じだとは気づかないまま、ドゥッカは死んだ。
「本当に、本当に、いいんだな?」
「大丈夫だって」
しつこく聞くワカバに、アストはもう何回目かの返事をする。
三人は今シエラの南端にいる。リガノスへと発つワカバとコウヨウを、アストが見送りに来たのだった。
ワカバは散々一緒に行こうと誘ったものの、アストは一人残ることにした。
アストは二人に改めて礼を言う。
「本当、ありがとうございました。
一つ、気づいたことがあるんです。僕は、死にたくなんてなかったんだ。ただ、嫌な奴に消えて欲しかっただけなんだ。でも変な話、自殺しようとして良かったって思うんです。だって、自殺しようとしてなかったら、君達に会えてなかったんだから」
「クックック、なるほど、それは逆説的だね」
瓦礫に腰掛け靴紐を結んでいるコウヨウが、それを聞いて笑う。
「……でも、死なないでくれよ。お前が死んだら、俺は辛いぞ」
ワカバが遠慮がちに言う。
出会った当初とは打って変わった、おずおずとした言い方に、アストは思わず苦笑する。
「もう大丈夫だよ」
コウヨウは靴紐を結び終え、のんびりと立ち上がった。
「良いねぇ。お前らは今、主人公だ。辛くて、苦しくて、どうしようもなくて、それでも頑張って、足掻いて、もがいて……最後に勝利して、笑う。それが主人公だ。そして苦しんだことのある奴は、その分だけ同じ苦しみを背負った奴を助けられる。……期待してるよ、お前ら」
ワカバとコウヨウは、シエラを後にした。
お読みいただきありがとうございました。
「第三章 疾風迅雷烈火」へ続きます。




