第一章 黎明
気練討堕 第一章 黎明
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山間の村の中、一人の少年が、風を浴びながらたたずんでいる。
少年の名はキサラギ・ワカバ。この村で暮らしている十七歳で、村の自然を反映したように、その瞳と髪は深い翠色をしている。
少年が暮らすのは、サトバの村。外界から閉ざされた、わずかな平地の合間にできた村だ。三方を山に囲まれ、残りの一方、南側は崖となり、海に面している。自然豊かなこの土地では、農業や漁業、牧畜で村人は生計を立てている。人の往来は少なかったが、生活は村の中だけでこと足りた。のどかな気風の残っているこの村では、村人にもあまり野心というものがなく、周りの村に比べても、際立った田舎である。人口も少なく、村人同士はほとんど知り合いといったような、のんびりした村であった。
ワカバは草地の斜面に腰を下ろし、目の前に広がる畑を眺めていた。長い冬を耐え、立派な大きさに育った葉野菜が、整然と並んでいる。畑仕事は既にひと段落していたが、ワカバはただそこに座っていた。そこからは畑越しに、村の家々や、さらに奥には海が見える。その眺めがワカバは好きだった。
今は海に夕陽が沈んでいる。夕陽が作る光の筋。穏やかな波や草々が、光を反射してきらめいている。
冬には山越しに北からの風が吹き込み、村に多くの雪をもたらす。しかし季節の替わり目になると、風の向きは北から南へと変わる。厳しい寒さの冬も峠を越し、海から村へと吹く風は、春の到来を予感させる。そしてその風は今、そのまま畑の上を通り過ぎ、やや癖のついたワカバの髪を揺らしていた。
その日の夜までは、ここはいたって平和な村であった。
「おう、まだそこにいたのか。飯にしようぜ」
「うん、今行く」
畑は周囲から一段下がっており、そこから上がるとそのままワカバの家となっている。振り返ると、父、オージャスが玄関から出てくるところだった。ワカバは尻についた草や土を払いながら立ち上がり、軽く返事をする。
家に入ると、母、アサナが調理の手を止めずに言った。
「手を洗ったらご飯の準備、手伝ってくれない?」
「はぁい」
村の周囲に豊富にある木材を使った木組みの家屋に、冬に多くの雪が降るこの村では、急こう配の屋根がついている。この村では一般的な家屋の様式は、ワカバの家も例外ではない。レンガを積み上げて作ったかまどには薪がくべられており、火がこうこうと燃えている。その前にエプロン姿のアサナが立ち、フライパンで山菜を炒めていた。充分に火の通ったバターとキノコの香りが漂い、ワカバの食欲をそそる。ワカバは今からの食事を思案しながら、それに使いそうな食器を、慣れた手つきで食器棚から出していく。オージャスは釜から炊き立ての白米を茶碗に山盛りよそっていた。
「もう、お父さんったら、よそいすぎよ」
「なに、ワカバは食べ盛りだからこんくらい食べないとダメだ。なぁ、ワカバ!」
「それにしたって多過ぎだって」
ワカバは苦笑いしながら言う。どこまでも豪快なオージャスに、苦笑いするアサナとワカバ。夕食時のキサラギ家のいつもの光景だ。
父、オージャスは豪放磊落、大柄で、よく笑う男だ。年齢を重ねるにつれ、口元に刻まれた笑い皺は深くなったが、老けたようには見えない。短髪に白髪はだいぶ増えたが、その元気さは衰え知らずだ。ワカバが幼い頃から山に連れて行き、海に連れて行き、色々なことを経験させ、教えた。ここ数年でワカバの背はだいぶ伸びたが、まだオージャスの背丈は越せていない。
母、アサナは綺麗な瞳をした、穏やかで凛とした女性だ。長い黒髪を後ろで一つに束ねている。髪を束ねている色とりどりの鮮やかなヘアゴムは、手先の器用だったワカバが幼い頃に作った物だ。アサナは普段は穏やかだが、たまにいきすぎるオージャスやワカバをしっかり制することのできる、芯のある女性だ。
両親とはいたって仲が良い。しかしオージャスとアサナはワカバの育ての親であり、生みの親ではなかった。ワカバも何度か生みの親について聞いたものの、父も母も言いよどむばかりだったので、そのうちワカバも気にしなくなった。それよりも、直接の親子関係がなくとも顔立ちや性格が似通ってくるのが、不思議で、可笑しかった。困っている人がいたら放っておけないお人好しな性格は父譲りだし、アサナの美しい瞳はしっかりとワカバに受け継がれている。オージャスとアサナが生みの親でないことを人に話すと、決まって驚かれるほどだ。ワカバに生みの親と会った記憶はなく、物心ついた時にはこの村で三人で生活していた。だからワカバにとっては、この二人こそが本当の両親であった。
村は人里離れた秘境、豪華絢爛な建物も派手な娯楽もなかったが、ワカバはそんな村も、両親のことも、好きであった。
夕食も済み、夜になった。片付けが済むと、オージャスはジャケットを羽織っている。どこかに出かけるようだった。
「出かけるの?」
「あぁ、村長の家で今期の収穫見込みの報告会だとよ。ま、またどうせいつもの飲みだよ」
ワカバに問われると、オージャスが笑いながら言う。
その「飲み」は季節毎に開催されて、ワカバもよく知っていた。農家や酪農家、各々の家庭での収穫見込みを報告しあう会、といっても、人口も欲も少ないこの村では、特に何かが不作で困ったことはない。余ったら保存食として利用するか、たまにどこか近くの村へ売りに行くくらいだ。必然的に本題はすぐに終わる。要はその名目で開催され、大人同士がたまに集まっては酒を飲むという、村の大人達の数少ない娯楽だった。
「あまり飲みすぎないようにね」
既に寝間着姿のアサナが声をかける。
意外にも都会育ちで服装にこだわりのあるオージャスは、外出時定番のジャケットを着こんでいた。ワカバはそのジャケットを着た父が好きであった。黒い革で、襟は無いがファスナーは高く、顎まで覆えるようになっている、腰丈の短いジャケットだ。たとえ同じ村の気心の知れた人間との会合でも、身なりを整える、オージャスの性格がよく表れている。
ワカバとアサナはオージャスを見送ると、二人とも自室に入り、それぞれ就寝した。
夜も更け、既に寝ていたワカバだったが、外の騒がしさで目を覚ました。
部屋から出ると、既に目を覚ましていたアサナが、ちょうど家に帰ってきたところであろうオージャスに心配そうに寄り添っている。オージャスは息を切らし、額から血を流している。とても飲み会をやっていたとは思えない状況だ。ただならぬ状況を察し、ワカバの目は一気に覚醒する。
オージャスがアサナに何かを伝えた。
「堕人だ……!」
「えぇっ……!!」
聞き慣れない言葉に、母の悲鳴。
「と、父さん? ……どうしたの? 母さんも……」
オージャスはまたすぐに出て行くようだった。ジャケットを脱ぎ乱暴に放ると、腕まくりをし、玄関わきに立てかけてあった鍬を手に取る。そしてアサナとワカバに伝えた。
「俺はすぐ戻る。お前らは家にいろ!」
「……いや、俺も行く!」
オージャスは何か言いかけたが、諦めてすぐ家を出た。ワカバは無理やりついて行った。
村の中央は家も畑も無い、ちょっとした広場になっている。そこに村の男達が、斧や鍬など、それぞれ得物を持って、何かを取り囲むように集まっている。
そしてその中央に、それがいた。
巨大な体躯。腕も、脚も、胴体も、太く、大きい。背丈は大の男の倍ほどはある。二足歩行ではあるが、皮膚はどこまでも血の気の無い灰色をしていて、生きている人間とは程遠い。
しかし何より異質なのは、その頭だった。怪物が振り向いた時、ワカバはその異様さに短く悲鳴を上げた。
通常の人間の頭部が、そのまま七つ、取ってつけたように合わさっている。粘土細工で出来た頭を、乱暴にくっつけたように、歪に積み重なっている。どの顔にも生気が無い。表情というものが無い。どの顔も、なんの装飾も無い、石でできた仮面のようだとワカバは感じた。起伏がなく、のっぺりとした顔面に、ただ穴を開け、切れ込みを入れたように、目や鼻、口が付いている。ただ落ちくぼんだ穴のような眼には、どこを向いているかも分からない、黒一色の濁った瞳がはまり込んでいた。
よく見ると、腕や脚、胴体も、ただ巨大なだけでなく、奇妙に筋張っている。頭部だけではない。他の部分も通常の人間が合わさって、巨大に見えていたのだった。
この怪物は、人間が七人、融合していた。
人間か? これは?
どう考えても人間とは思えないが、しかし、人間としか思えないとも思う。
勇んで駆けつけたものの、その異様な風貌にワカバは慄き、動けないでいた。
武器を持った大人数人がかりでも、怪物はまるで怯むことなく、その巨大な腕の一振りで、周囲の人間をあっけなく薙ぎ倒していく。倒され、吹き飛ばされ、血を流し、一人、また一人と怪物を囲む人間が減っていく。
「皆、逃げろ!! ワカバ! 俺達も逃げるぞ!!」
オージャスが叫ぶ。オージャスは村の者総出でかかっても、勝てないと判断したのだ。それを聞いて、他の者も逃げようとする。
オージャスも、まだ呆然としているワカバの腕を掴み、連れ立って逃げようとした。
「あ、あぁ……」
だがこの怪物への戸惑いが、ワカバの足を止めてしまった。
怪物の視線がワカバを捉える。そして一瞬で距離を詰める。その巨体に似合わぬ、俊敏な動き。そしてその巨大な腕を振るう。力任せだが、それ故に凄まじい威力の一撃。それがまともにワカバに直撃した。ワカバの腕を掴んでいたオージャスの手も振りほどかれ、ワカバは吹き飛ぶ。
何処かの建物までワカバは飛ばされた。喉元に感じる焼けつく痛み。攻撃は首に喰らったようだった。滴る血。むせ返り、しばらくまともに呼吸ができない。
ふと目に入ったのは、見慣れた家具。見慣れた模様の壁。ワカバは自分の家まで戻されていた。
「「ワカバ!!」」
家に居たアサナと、吹き飛ばされたワカバを追ってきたオージャスが駆け寄る。
二人がせき込むワカバを覗き込む。深い傷を負った首を見て、目を見張る。
二人が見たのは、その傷の中央にある、黒い塊。位置は鎖骨の間の少し上。大きさは喉仏と同じ位なので、喉仏とその黒い塊が、ちょうど縦に二つ並んだように見える。
色は僅かに透けた漆黒。若干紫がかった、禍々しい黒だ。首に黒い宝石が埋め込まれているように見えなくもないが、宝石というにはあまりに禍々しい塊であった。
意識が戻ってきたワカバに、オージャスが穏やかに声をかける。
「大丈夫か、ワカバ。さ、皆で逃げよう。化け物がここへ来る前に……」
しかし、その言葉をワカバは拒否した。
「駄目だよ……あんな化け物は、ちゃんと殺しておかないと」
普段の穏やかなワカバからは想像もつかない言葉に、両親は驚愕する。ワカバ自身、この自分の考えに戸惑ったが、今は不思議と、そればかり考えてしまっていた。今はとにかく、あの怪物を殺さないと気が済まない。それだけが、ワカバの心を支配していた。
「ワカバやめろ!!」
ワカバは立ち上がってオージャスが持っていた鍬を手に取ると、両親の静止を振り切り、再びあの怪物に向かって行った。
怪物の目立つ巨体はすぐに見つかった。今はもう怪物の周りに人影は無い。周囲には何人か倒れている。家々も壊され、壊された際に中の火が燃え移ったのか、何件かは火もついている。
村の他の皆はどうなったのか。誰が殺されたのか。うまく逃げ延びた者はいるのか。
ワカバはちらりと気になったが、確かめる術も余裕もなく、怪物への殺意が心を占めていたので、それもすぐに忘れた。
ワカバは鍬を握りしめ、怪物に食ってかかった。喧嘩なんてほとんどしたことはない。ただ体の動くままに、鍬で怪物に殴り掛かった。
村人達の武器を持った攻撃でも怯まなかった怪物が、怒りに満ちたワカバの攻撃には怯む。
ワカバは今まで感じたことがないくらい、体に力がみなぎるのを感じていた。怒涛の攻撃を怪物に浴びせかける。
地面に膝をつき、遠くから呆然とその様子を見ていたオージャスが、ボソリと呟く。
「これも、何かの、運命かもしれんな……」
横を見ると、同じように呆然としているアサナと目が合った。どうやら二人とも、同じことを考えていたようだ。
二人は決意を込めて、頷き合う。
ワカバの怒涛の攻撃に、怪物がよろめき、転倒する。ワカバはまだ怪物を痛めつけようと、近づいていく。
「ワカバ」
しかし、アサナの声がそれを止めた。
「やめなさい、ワカバ」
オージャスやワカバを真剣に注意するときの、諭す目つき。この目に直視されると、今のワカバでも流石にたじろぐ。だがアサナはすぐにいつもの優しい顔に戻ると、穏やかに言った。
「もう、ワカバったら、いっつも無茶ばっかり……。ほんと、そういうところはお父さんそっくりね……」
怪物との間に割って入るように、アサナとオージャスがワカバの元へやって来た。
「お前にはまだ話していないことがある。知らずに生きていくのなら、それでもいいと思っていたが、今のお前なら、受け入れる強さがあると信じている。生みの親を探せ!」
突然のオージャスの言葉を理解できないまま、ワカバは二人から抱きしめられた。アサナがささやくように言う。
「あなたの親になれて、本当に良かった。二人とも同じ気持ちよ。……ありがとうね」
「な、何言ってんだよ……、なぁ……」
強烈に感じる両親の思い。ワカバはそれを頭の中で必死に否定する。
オージャスが、ワカバの両肩を掴み、しっかりと顔を見据え、言った。
「ワカバ、命は〝生き方〟だ。よく生きなさい」
命は〝生き方〟。
両親が口癖のようにいつも言っていた言葉。あまり深く意味を考えたことはなかった。しかしこのような状況では、その重みが全く異なる。
不意に、オージャスの抱きしめる力が強くなった。ワカバを羽交い絞めにする。ワカバも必死に振りほどこうとするが、抱きしめられた体勢ではそれが上手くできない。
「お、おい! 何考えてんだよ! やめろよ! 二人とも!」
そして、不意に走る衝撃。それとほぼ同時に、オージャスとアサナはワカバを投げ飛ばした。
「さぁ、行けぇ!!」
「父さん!! 母さん!!」
空中にいる間は、時間の流れがやたら遅かった。両親の向こう側に見えたのは、あの怪物。怪物の腕が、二人の胴体を貫こうとしていた。二人は怪物の攻撃の勢いを利用して、ワカバを投げ飛ばしたのだ。
その時の両親の顔が、ワカバの目にはっきりと焼きついた。
苦痛に顔を歪めながらも、それでも、ワカバに向かって微笑んでいた。何かを託すように、力強く微笑んでいた。
ワカバは離れた場所に投げ出された。横向きになったワカバの目の前にあったのは、村唯一の出入口。村は柵で囲まれていたが、唯一その柵が空いた場所。
晴れた日中であれば、草原の中に続く一本道がよく映える。しかし今は、柵の向こうには何も見えない。ただ夜の漆黒が広がっていた。
ワカバは立ち上がってそちらを見る。
両親は自分に生きて欲しいのだろう。それ故の行動だったのだろう。そしてその願いに応えるためには、自分は今この出口をくぐり、村を出るべきなのだろう。まだ怪物は近くに来ていない。今はその絶好の機会だ。
しかし、あの怪物が憎かった。何とかしてあの怪物をこの手で殺したい。今のワカバはそれだけだった。
ワカバは踵を返した。
怪物が視界に入る。
「たすけて……たすけて……」
怪物の複数ある頭の一つから、か細い声が漏れる。その巨体に似合わぬ、生気の無い声に、言葉。七つの頭は皆バラバラの方を向いている。どの視線も焦点が合っているのか定かではないが、その中の一つだけが、虚ろにワカバの方を向いていた。
ワカバはその不気味な風貌と間近に相対すことになったが、今は動揺することなくその姿を見ていた。苛立ちの呟きが漏れる。
「なんでお前が助けを求める側なんだよ……」
そして、もう一つ目に入ったもの。
両親。
血を流し倒れていた。死んでいるのは、すぐに分かった。
その瞬間、先程までよりも更に強い怒りがワカバの中に溢れた。傷を負った喉元の熱が、全身に広がっていく。
「このくそ野郎……ぶっ殺してやる……!!」
ワカバの口から言葉が漏れる。
怒りと憎しみだけが、その身に満ち溢れていた。他のことは全て忘れた。生きて欲しいという両親の願いすらも、今は忘れていた。
むず痒いほどの衝動が、ワカバの皮膚のすぐ下を駆けずり回る。
今のワカバは素手だった。鍬はどこかのタイミングで落としてしまったようだった。だがそんなことは問題ではない。ワカバは拳を握りしめ、怪物に殴りかかった。
怪物の上半身に飛びつき、その複数ある頭に、一心不乱に拳を浴びせる。血の気の失せた灰色の皮膚は、象だかサイだかを連想させるほど、やたらと固くごわついている。
怪物も反撃する。ワカバを無理やり振りほどいて投げ飛ばす。しかしワカバは、投げ飛ばされても、またすぐに立ち向かう。今度はワカバが飛びつく前に、怪物はワカバを殴り飛ばした。それでもワカバはまたすぐ立ち上がって、怪物に向かって行った。無我夢中で、殴り、蹴り、噛みついた。今は痛みよりも、怒りがまさっていた。痛みはあまり感じなかった。飛ばされても、飛ばされても、何度も向かっていった。
しかし、次第に限界が近づく。痛みと疲労が、怒りを上回ってくる。ワカバの拳にも、力が無くなってくる。怪物はそれを意に介さなくなる。
怪物は、その巨大な腕で、ワカバの顎を掴み、持ち上げた。段々と力は強くなり、ワカバの頭部がミシミシと音を立てる。目の前が暗くなっていく。
遠のく意識のなかでワカバが感じたのは、ガクンとした揺れと、遠くで響く衝撃音。それを最後に、ワカバは意識を失った。
気がついたら、怪物の手から力が抜け、ワカバは地面に投げ出されていた。膝をついた姿勢で目が覚める。暗くなった視界が、明るさを取り戻していく。遠のいていた意識が、次第に戻ってくる。時間にしたらほんの数秒だが、しばらく時間が経ったように思えた。ワカバは辺りを見回しながら、何とか状況を理解しようと試みた。ぼやけた目で、今まで怪物が立っていた場所を見やる。
するとそこには、一人の男が立っていた。
男は右の拳を突き出し、左手で、さっきまでワカバを掴んでいた怪物の腕を持っている。拳の先の方を見ると、腕をもがれた怪物が、壁にめり込み気絶していた。
この男は、怪物の腕をもぎ取り、その体を拳一つで遠くの壁まで吹き飛ばしたのだ。
「よく頑張ったなぁ! 少年!」
男はこんな状況にも関わらず、軽い調子でワカバに喋りかけてきた。
年齢は三十歳前後だろうか。長身で、白髪。白いコートに紺色のマフラーを身に着けていたが、どちらも薄汚れボロボロで、コートはほとんどベージュといった方がいい色合いになっている。腕まくりされた袖から覗く腕はあちこちに傷があり、細身ながらかなりの筋肉質だ。一見すると穏やかそうに見えなくもない顔立ちであるが、この状況そのものが、この男が只者ではないことを示していた。
ワカバは呆気に取られたが、何はともあれ、この男はどうやら人間で、どうやら助けてくれたようだ。
「……あ、ありがとうございます……」
「僕の名前はコウヨウ。君も、気練師かな?」
「きれんし……?」
心当たりのない単語を聞かされ、言葉に詰まるワカバ。
知らないのか……
コウヨウと名乗ったこの男はそう言いたげな顔つきでワカバを見た。
コウヨウはしゃがみこんで、ワカバをじろじろと眺める。そして少し考えながら、ワカバに話しかけた。
「少年、僕にかかればあんな怪物くらい簡単に倒せる。ただし、僕は誰彼構わず助けるお人好しじゃあない。僕は君が気練師だと思ったから助けたんだが……どうやら違うようだね……」
もしかしたら助けてくれないのではないか。嫌な予感がワカバの頭の中によぎる。だがコウヨウは続けた。
「ま、いいや、もうほとんど助けてしまってるし……だから、まぁそこでゆっくり寝ててよ」
先程よりいささかぶっきらぼうな口調になったコウヨウは、さっさと怪物の方へ向かおうとする。
「ま、待ってくれ……!」
そんなコウヨウの脚を、ワカバは這いつくばって掴んだ。
「……俺にやらせてくれ」
「……」
「あいつは俺が殺したい……!」
「君じゃ無理だよ。現に今ボロボロにやられて、殺されかけた」
コウヨウはワカバに冷たく言い放つ。
「俺は、あいつに親を殺された。村も、こんなにめちゃくちゃにされて……あいつは、俺が殺したい……俺が、この手で、八つ裂きにして殺してやりたい……!」
「それで? だから? 親を殺されたからなんだ。村をめちゃくちゃにされたからなんだ。それで君がいくら怒ってようが、殺したかろうが、そんなものは力にはならない。君があいつを殺せることにはならない」
あくまで冷たいコウヨウに、ワカバは額を地面にこすり付け、願った。
「頼む……!」
明らかに苛立ってるコウヨウが、再びワカバをじろりと見る。ふとその視線が、首元の傷の辺りで止まった。
それから再びワカバの前にしゃがみ込むと、ため息混じりに応じた。
「ハァ……分かったよ。試すくらいはしてやる。君に力を貸してやる。……ただし! 一つだけ条件だ。もし僕が力を貸すことで君があの怪物を倒せたのなら、僕と約束して欲しい」
「約束……?」
白髪の隙間から、鋭い眼光がワカバをとらえる。不敵な笑みがコウヨウの顔に浮かぶ。
「そう。君に強くなってほしい。あんな怪物くらい簡単に倒せるように。あんな怪物に襲われてる人を助けられるように。……そして君自身が、あんな怪物に成らないようにね」
意味深に付け足された最後の一言が、ワカバを動揺させた。
成る……? あんなのに、俺も成ることがあるのか……!?
ワカバの動揺をよそに、コウヨウは続けた。
「というより、君自身そう思ってんじゃないか? 強くなりたいって」
ワカバには訳の分からないことだらけだったが、はっきりと分かっていることが一つだけあった。
コウヨウの言う通り、強くなりたかった。あんな怪物くらい倒せるように。襲われた人を助けられるように。もう、大切な人を失わないように。
答えは一つしかなかった。
「お願いします……!」
「よぉし決まりだ! さぁ、君は自分の力に気づくことができるかな……!」
コウヨウはワカバを立つように促す。
「ギィャァァァァアーーーー!!」
「い、いたい!! い゙だい゙ぃぃぃーーーー!!」
ちょうどその時、怪物が目を覚まし、強烈な叫びを上げた。
ワカバは驚いたが、コウヨウは意に介していない。ワカバの後ろに立ち、手を添えながら指示を与えていく。
「脚は肩幅より少し広く。力む必要はない。膝は柔らかく」
導かれるままにワカバは構えていく。
怪物は片腕をもがれ、怒り狂っている。今にも怪物がこちらに来るのではないか、とワカバは焦ったが、コウヨウの指示は続く。
「背筋を伸ばせ。ゆっくり深く呼吸しろ」
怪物はこちらに向けて猛然と突き進んできた。
だがコウヨウの指示は終わらない。
「そうしたら、掌を怪物に向けるんだ」
コウヨウは後ろから、ワカバの右手に自分の右手を重ね、掌を怪物に向ける。
「いいか、人間には『気』が流れている。君にもだ。感じろ」
それが、あの怪物を倒す力になるのなら。ワカバはその『気』を感じ取ろうと全力で意識した。しかし、いくら感じようとしても、感じようとしても、分からない。
その時、ワカバの頭の中を見透かすように、コウヨウの声が響いた。
「そう恨むな。そう憎しむな」
ワカバの頭頂に、トン、とコウヨウの指先が乗る。
「あいつじゃない。君だ。君自身に集中するんだ」
頭の中に直接流れ込んでくるような、不思議な声だ。
ワカバは不思議と、落ち着きを取り戻してきた。
もうどうしようもない。失った両親は帰ってこない。今は、もうこれしか選択肢はない。そう思うと、集中できるようになった。
怪物はまだこちらに向かっていたが、ワカバは集中し、集中し、呼吸を深める。
すると確かに、何かが身体中を巡っている感覚に気づく。
体中がゾクゾクと震える。恐怖ではない。骨の髄から皮膚までが細かく振動するような、戦慄の震え。
そしてコウヨウもそれに気づいた。コウヨウはワカバの後ろで少し驚き、笑みを浮かべる。
「……! 気づいたか……! じゃあ、次が最後だ」
怪物はもう二人の目の前。今まさに飛び掛かる。
コウヨウから、最後の指示が飛ぶ。
「巡るその気を練りあげろ」
右腕に、気の感覚が高まっていく。
「風気操法 衝空波」
その瞬間、右手から強烈な風圧が生じ、怪物を吹き飛ばした。風穴が空き、胴体はほとんど千切れかけている。怪物は絶命したようだった。
ワカバは呆気に取られた。
「こ、これ、俺が……?」
「あぁ、間違いなく君の力だよ。少し、手助けはしたけどね」
一転して穏やかになったコウヨウの口調が、朗らかに語る。
「実をいうと、君のことは殺すだろうと思ってた」
「……えぇっ!?」
「あの化け物と一緒に吹き飛ばしてね。あんなに憎しみに駆られた奴なんて、大抵ろくなことにならないからな。ところが君はあの土壇場の状況で気の感覚に気づいた。君には、期待してもいい何かがあると感じる」
コウヨウがワカバの目を見ながら、告げる。
「君を信じるよ」
その言葉に、
やっと終わった……
と思えた。ワカバの全身から、力が抜ける。
だがその直後、
「う! ……ううっ!? い、いってぇぇぇぇーー!!」
右腕に強烈な痛みが襲いかかってきた。どうやら今の技は、いきなり使うには負荷が強すぎたようだ。
「あぁ、ゴメン……」
謝るコウヨウ。だが時すでに遅し。ワカバは再び、気を失った。
2
そこから先はぼんやりした記憶。
何処からか良い匂いがしてくる。暖かく心地良い。
目を覚ました時、ワカバは自室のベッドの上で横たわっていた。この身に起きたことを、じわじわと思い出していく。あれは夢なのではないかとも思ったが、天井が壊れて夜空が覗いていたことで、その淡い希望は儚い幻だと思い知った。
起き上がろうとすると、身体中が痛い。首と、右腕が特に痛い。そして全身に広がる強烈な疲労感。それでも何とか起き上がると、開いている扉越しに誰かが声をかけた。
「お、目が覚めたか」
コウヨウと名乗った、あの男だ。
「いや~、どっかの家なんだけどさ。こんな状況だし、勝手に借りてんだ」
悪びれもせず軽く言うコウヨウに、何か言い返す気力もなく、ぼんやりとした意識でただ返事をする。
「いいですよ。ここ、うちですから」
「あ、そうなの? 借りてるよ」
よく見ると、皿に何かよそい、食べている。いつも使っていた大鍋がかまどの上で煮えている。
この男は、勝手に家に入り込み、勝手に食材を使い、勝手に調理していたのだ。
「まぁ、腹減ってんだろ。丸一日眠ってたんだぜ。まずはしっかり食って、体力を回復しな。僕の特性スープだ!」
コウヨウはそう言うと、鍋から皿に何かよそい、ワカバに持って来た。
確かに猛烈な痛みや疲労感があったが、同じくらい空腹でもあった。ワカバは礼を言って受け取った。黄金色に澄んだスープには、大きな具材がゴロゴロと入っていて、良い匂いだ。さっきから漂っていたのは、この匂いだった。
一口、スープを啜った。暖かい。塩気の効いた濃いめの味付けが、ワカバの口の中に染み込んでいく。
不意に、涙がこぼれてきた。
スープを一口すする度に、ポロポロ、ポロポロとワカバの目から涙があふれてくる。
両親の死。襲われた村。謎の怪物。恐怖。痛み。悲しみ。
意識がはっきりしていくほどに、受け止めたくない現実が、覆せない現実なのだと、否応なくワカバに襲いかかる。
あれが夢であれば良かったのに。目が覚めたら自分の家のベッドの上であり、嫌な夢を見た、なんて笑っていられたら良かったのに。美味しいスープは、怪我も痛みも無い時に、両親と食べていたかったのに。
嫌な記憶と感情が、スープに溶かされて流れ出るように、ワカバの涙となって流れ落ちていく。
とうとうワカバは、堪えきれず大声を上げて泣き出した。止めようと思っても止めきれないので、そのまま出続けるのに任せていた。
コウヨウは、その様子を呆気に取られて眺めていたが、やがて理解した。
そりゃそうか。訳の分からん怪物に襲われ、痛めつけられ、両親を殺され……取り乱さない方がどうかしている。
そしてコウヨウは経験として知っていた。本当に辛い時は、どんな綺麗事も、叱咤も激励も、鬱陶しいだけだ。
コウヨウは何も言わず、ただワカバの横に座った。
こういう時は、何も言わない方が良い。
そしてそれがワカバにも心地良かった。誰にも、何も言ってほしくなかった。どんな言葉をかけられたところで、両親も、襲われた村も、戻ってこないのだから。
ワカバは泣きながら、スープをかきこんだ。今のワカバを救えるのは、スープをかきこむことだけだった。
「あの……」
しばらくして、ワカバがしゃくり上げながらおずおずと申し出る。
「おかわり下さい……」
「……おう! まだまだ沢山あるぞ! どんどん食え!」
そしてこういう時は、些細なことでも、頼られるのが嬉しいものだ。コウヨウは勢いよく返事をして、二杯目のスープをついでやった。
三杯目のスープを飲み干したところで、ようやくワカバは落ち着いた。ふぅ、とひとつ息を吐く。スープによる満腹感と、沢山泣いた後の疲労感は、純粋に心地良かった。
その様子を見たコウヨウは、ようやく自分から声をかけた。
「落ち着いたか?」
「あぁ、すいません。取り乱して……。スープ、美味しかったです。あ、あと、これも……」
ワカバの体はあちこち傷の手当てがしてあり、首回りと右腕には、包帯が巻かれていた。
「何、僕は未来の気練師候補には手厚くするのさ。……そうだ、君、名前は?」
「ワカバです。キサラギ・ワカバ」
「僕はコウヨウ。気練師で、今は根無し草の放浪の身さ。たまに現れる堕人を殺したり、新米気練師や気練師候補を探しては、修行をつけたり、一緒に戦ったり……そんなことをしながら、世界をあちこち旅してるんだ」
時折出てくる『気練師』という語が気になっていたが、今ワカバが最も聞きたいことは、それではない。意を決して次の質問をする。
「……アイツ、なんなんですか? 『ダジン』とか言ってた……」
「そうだね。だがアレについて話す前に『気』について説明しておく必要がある。
自覚の有無はあれ、全ての人間には『気』というものが流れているんだ。エネルギーというか、意識の流れというか……目には見えないが、血液みたいに全身を流れていると思っていい」
ワカバは自分の手を握ったり開いたりしながら気というものを想像してみた。……今は全く分からない。しかし、あの怪物にとどめを刺した時、コウヨウに導かれた時には、確かにそんな感覚があった。あれが気なのだろう。
「そしてその気を自覚し、練りあげ、操る者を『気練師』という」
気練師。最初にコウヨウに尋ねられて、ワカバが分からなかった言葉。
「ということは、コウヨウさんも気練師なんですか?」
「あぁ! 気を扱えると良いぞ~。体調は良くなるし、飯も美味い。身体能力は上がるし、色々な技も使えるようになる。君があの怪物に放ったようなやつとかね。気練師に成ると、あんな怪物位は簡単に倒せるようになるさ」
コウヨウの声は自信に満ちていた。自分が気練師であることを誇りに思っている、そんな口調だった。
「君にも、気練師を目指してもらうよ! 約束はもちろん覚えてるよね?」
そうだった……。そういえば、強くなるという約束で、助けてもらったのだった。強くなる、とはこういう意味だったのか。
コウヨウの説明が続く。しかし、それまで明るい口調だったコウヨウの声は低くなり、真剣味を帯びた。
「ところがだ、本来無意識でも流れているはずの気なんだが、その流れが澱むことがある。そして気が澱みすぎると、気が澱んだ者同士で引かれ合い、肉体の境目すら曖昧になって、融合するんだよ。それがあの怪物『堕人』だ」
『君自身が、あんな怪物に成らないように』
あの時、ワカバを動揺させた言葉。その意味を、ワカバはようやく理解することができた。
「堕人に成ると、人間はそれまでの知性や理性を失い、ただ欲望のままに暴れ回るだけの怪物に成る。……不思議だよね。肉体が合わさるのなら知性や理性も合わさって良さそうなのに。そうはならずに、逆にそれが無くなってしまうんだ」
堕人。村を襲った怪物の正体をワカバは知れた。堕人のことで頭が一杯になり、ワカバは何も答えられない。
二人は、しばらくの間沈黙していた。
コウヨウの軽い口調が、その沈黙を破った。
「そうだ、俺からも質問いいかな? それ、何?」
コウヨウはワカバの首元を指す。
「え、それって……?」
コウヨウの言う『それ』が、分からないワカバだったが……
「な、何じゃこりゃああぁ!!」
コウヨウから受け取った手鏡で自分の首元を見たワカバは、初めてその存在に気づいた。例の、黒い塊だ。傷にはコウヨウの手により包帯が巻かれてあったが、その隙間から、その塊は顔を覗かせていた。
「やっぱり知らなかったか……。お洒落アクセサリーとも思えなかったんだ」
触っても何の感触も無い。だが引っ張っても痛いばかりで、取れそうになかった。
「な、何ですかコレ!? 堕人の攻撃ですか!? だ、堕人が、卵産み付けたとか……!」
「お、落ち着け。堕人はただの引っ付いただけの人間だから、卵とか、無いから……」
うろたえるワカバをコウヨウはなだめる。
「堕人とは何度も戦ったが、そんな攻撃は知らない。アイツらはただ力任せに暴れるだけだ」
しかし、コウヨウには何か思い当たる節がありそうだ。
「あの夜、確かにその石から禍々しい気を感じた。あの時君を気練師だと思ったって言ったろ? 普通あれだけの堕人に対抗できるのは気練師くらいのものだからね。新米の気練師くらいかと。もしかしたらその石の効果で、力が増幅されていたのかも知れない。あの憎しみにかられていた君が本来の姿じゃないのなら、気が理解できるか賭けてみようと思ってね。それで君を試したんだ」
そう言われてみれば、ワカバもあの時の自分には違和感があった。
「確かに、あの時は今まで感じたことがないくらい、自分は怒りに囚われていました。痛みもあまり感じなかったし、体もめちゃくちゃ動いて、自分が自分でないような、そんな感覚でした」
「負の感情を増幅して気を高める媒介、みたいなとこか? 堕人の攻撃ってのがよく分からんが……」
「『呪い』みたいなもの何でしょうか……」
「『呪い』ね……さもありなん、ってとこだな」
ここでコウヨウが何を思ったか、クツクツと笑い出した。
「クックックッ……良いねぇ、『呪い』。理不尽な苦しみが降りかかるのは、人生の常さ。全て順調にいっちゃあ、つまらん。良い目標ができたじゃないか」
他人事だと思って……とワカバは思ったが、でも、コウヨウの言う通りなのも確かだ。
父と母は、命を懸けて自分を逃がそうとしてくれた。なのに自分は怒りにとらわれ我を忘れ、命を捨てるところだった。
両親の、生きてほしいという願い。
……そうだ、あの時の自分は、そんなことすら忘れていたのか。
自分の不甲斐なさに、歯ぎしりする。
ワカバは前を見据え、決意した。
「俺は、気練師になって、この呪いを解きます」
「うん、もう大丈夫そうだね」
翌日、ワカバは両親の墓を作った。
家の敷地の地面を掘り起こし、父と母の亡骸を埋める。
人間が二人入る分の土を掘るのは容易ではない。何度も、何度も、涙があふれてきたが、汗と一緒に誤魔化して拭った。
遺体を埋め終えたら、膝丈くらいの石を二つ置いて、墓石とした。
ワカバは手を合わせ、祈る。最後が、あんな別れ方になってしまった。言いたいことが山程あった。礼を言いたかった。しかし、もう伝えることはできない。だが今では、生きてほしいという両親の思いを、しっかり理解している。その思いに報いる為に、言いたいことは全て、心の中から伝えた。
そんなワカバの様子を、コウヨウはあぐらに肩肘をついて眺めていただけだったが、ワカバの作業中におもむろに立ち上がるとどこかへ行ってしまった。
ワカバが無視して作業を続けていると、どこからか、ドガァン、と強烈な爆発音がする。驚いて音の方に行ってみると、村の中央の広場あたりに、馬鹿でかい穴が穿たれていた。そしてその穴の中に、コウヨウがせっせと村人の遺体を運び込んでいる。それから穴を埋めると、ワカバではとても担げそうもない巨大な岩を軽々抱え、そこにドスンと置いた。
「うん、ま、こんなもんだろ」
……一応、村人の墓を作ってくれたらしい。
ワカバはこのコウヨウという男のことを図りかねていた。
助けてくれた訳だし、この墓にしたって、一応善意みたいなものも持ち合わせているらしい。だがどことなく奔放というか、勝手というか……よく分からない。大体コートにマフラーを着けて腕まくりって、どういう感覚なんだろう。暑いんだか、寒いんだか……
そして、堕人の死体をどうするかも、ワカバを少々悩ませていた。
さて、コイツをどうしたものか。一応元は人間のようだし、埋葬してやるべきか。いや、でも村にしたことを考えたら、そんな気も失せる。かといって、このまま放って置いておくというのも……
見れば、もう皮膚の一部は朽ちて、ボロボロとこぼれ落ちているところもある。虫も湧かない。腐りもしない。放っておいたら、そのまま朽ち果て風に流されていくのだろうか。ワカバがしげしげと眺めていると、その朽ちようとしている肩口に奇妙なものを発見した。番号だ。
B-038
その風貌からはかけ離れた、奇妙に人為的な雰囲気のするものに、ワカバは違和感を抱いた。
「これ、何ですか?」
「お、見つけた? それねぇ、最近の堕人によくついてるんだよ」
作業を終えたコウヨウが近くにいたので、ワカバは聞いてみた。
「最初のアルファベットに関しては、なんとなく意味が想像できる。気練師や研究者の間では、融合した人間の数に応じて堕人を等級で表すんだ。二人から五人が融合した堕人ならC級、六人から九人ならB級、十人以上ならA級、なんて具合にな。
力は融合した人の分だけ増えていくと思っていい」
「う……これでB級なのか……」
村を襲った堕人の強烈な印象が思い出される。
それにしても、番号……
ワカバの脳裏に、嫌な考えが浮かぶ。
「それ……誰かが管理してる、ってことじゃないですよね……」
「あぁ、物好きがいるもんだぜ。こんな化け物飼って何が楽しいんだか」
どちらかといえば、否定して欲しかった問だった。だがコウヨウは否定しなかった。しかもカラカラと呑気に笑って……
「それ……やばくないですか」
「ん? というと?」
「だってこんなもん、普通に可愛くて飼うわけないじゃないですか! 研究目的とかならまだしも……もし操れるとかなら、誰かの意思で、どっかを襲うとか……しかも、複数体で……」
「お、中々頭が回るじゃないか。良いぞ。やはり君は期待できそうだ」
「いや、今そんなんじゃなくて……!」
あくまで呑気なコウヨウに、ワカバはやきもきする。
「行きましょう! その大元を討ちに!」
コウヨウから提示されている修業は、旅をしながら、というもの。
コウヨウは少し考えていたが、
「まぁいいか。あてのある旅でもないし……。でも、修業はキッチリこなしてもらうよ!」
とワカバの提案を承諾した。
堕人について調べていたら、呪いのことが分かるかもしれない。そんな希望もワカバにはあった。
かくして、ワカバの目標が決まった。
修行の旅をし、気練師となること。そして管理された堕人の真相を突き止め、呪いを解くこと。
ワカバは旅の支度を始めた。
ワカバは父のジャケットを着て、母のヘアゴムを左腕にはめた。呪いを隠す為に、ジャケットのファスナーは一番上まで閉じた。
さらに翌朝、ワカバとコウヨウは準備を整え、出発した。
ワカバは村を出たところで一度振り返って、誰もいなくなった村をもう一度目に焼き付ける。目の奥で涙がつくられる感覚がしたが、今はその時じゃないと思い、こらえた。
ワカバの旅が始まった。
お読みいただきありがとうございました。
「第二章 動き出す世界」へ続きます。




