第5章 学院ダンジョンと2年の影
1 はじめてのダンジョン1階層
アルマ戦闘学院・地下
巨大な石扉が、重々しい音を立てて閉まる。
目の前に広がるのは、湿った石床と、ところどころに生えた苔とキノコ。
天井には光る鉱石が埋まっていて、かろうじて足元が見える程度の明るさが保たれている。
「うわ……想像してたより、ちゃんとダンジョンだな」
思わずそんな感想が口からこぼれた。
「学院が本気出して作った“模擬ダンジョン”だからね。」
「ここで生き残れるかどうかが、将来の戦闘要員としての適性に直結するってわけ」
サラがいつもの調子で解説する。
光の杖が、周囲を柔らかく照らしていた。
「お、おい……なんか出た……」
リグが指差した先に、小さな影がぴょこんと飛び出した。
身長五十センチほど。
鼻がでかく、耳がとんがり、ボロボロの布をまとった緑色の小物。
「ゴブリン……危険度Fだね」
そう言いながらも、サラは杖を構えた。
「ドラン、どうする?」
「こんなの、ウォーミングアップにもならねえよ」
ドランがハンマーを肩で軽く回転させ――
ゴブリンの方も何を勘違いしたのか、
「ギャギャー!」と威嚇して突っ込んできた。
「よっと」 軽く横に避ける。
ゴブリンは空振りで自爆。
そのまま勢い余って壁に頭をぶつけ──自ら昏倒した。
「勝った……?」
「勝ったな」
「……おい、俺の出番は?」
剣を抜きかけていた俺は、理由の分からない虚しさを抱えた。
「危険度Fなんてそんなものよ。」
「むしろ、油断して足を滑らせる方が危ないんだから、気を引き締めて進みましょう」
序盤ですこし拍子抜けした俺たちは1階層を進んでいった。
小型のゴブリン。
ちょっと牙が伸びた亜種。
時々、宝箱だと思って近づいたら中から飛び出してくるゴブリン。
「うわああああああ!!」
ドランが飛び退く。
そんな小さなハプニングを繰り返しながらも、俺たちは順調に進んでいった。
2 二階層、三階層──
順調な滑り出し モンスターの種類は増える。
牙の鋭い狼型魔物(危険度E)。
群れで襲ってくるコウモリ《ブラッドバット》。
簡単な罠も設置されていて、油断すれば足を取られる。
「リグ、右の通路に幻惑。奴ら、視覚頼りだから」
「わ、わかった!」
リグの幻惑魔法が通路を覆う。
ダークウルフたちは幻の音に釣られ、別方向へ走っていく。
「今!」
俺とドランが前へ出る。
ドランが突進してきた1匹をハンマーで横から吹き飛ばし、俺は足を狙い、動きを止める。
「《ライト・バースト》!」
最後にサラの光魔法が炸裂し、残った魔物たちをまとめて焼き払った。
「ふぅ……」
「結構余裕じゃねぇか、俺たち」
ドランが額の汗を拭う。
「そうね。三階層くらいまでなら、今の私たちの連携で十分いけそうだね」
サラの言う通りだった。
モンスターのレベルは確かに高い。
だが、それ以上に俺たちの“潜在的な強さ”が勝っていた。
耐久力の高い俺とドラン。
魔力制御に優れたリグ。
そして全体回復のサラ。
それぞれの能力がきれいに噛み合って、 特に大きな怪我もなく三階層を突破した。
3 五階層の壁
四階層を抜け、五階層へ。
空気が変わった。
今までの階層と違い、小物がいない。
代わりに、一体一体が明らかに強い。
「危険度D手前くらいの連中がわんさかいるね……」
「ハハ……笑えねぇな」
巨大な猪
鋭い爪を持つ猿型魔物
どいつもこいつも、人間の体格を軽く超えている。
こちらも傷つき始め、息が上がってくる。
「一度、立て直しましょう」
サラが杖を掲げる。
「《ライト・ヒール・サークル》!」
淡い光の円が広がり、俺たちの体を包む。
切り傷が塞がり、打撲の痛みが軽減される。
「……助かる」
「全体回復、だいぶ安定してきたな」
「えへへ」
サラは少し誇らしげに笑った。
そして、五階層の最奥へ辿り着いたとき。
巨大な扉の前で、俺たちは息を飲む。
「ボス部屋、だね」
「まさか本当にボスいるとはな……模擬とはいえ」
「危険度は……?」
俺が問うと、サラは無言で扉の上の刻印を見つめた。
そこには、赤い文字でこう刻まれている。
危険度:D
「……マジかよ」
さすがに、足が止まった。
「さ、さすがに……やばいんじゃ……」
リグの声が震える。
「でも、ここまで来たんだ。」
「今の俺たちがどこまで通用するか、試してみたくないか?」
胸の奥に、恐怖と同じくらいに“期待”が湧き上がる。
サラは少しだけ考えたあと、こくりと頷いた。
「無理そうならすぐ引く。」
「回復と防御は私が全力でやるから、判断は任せて」
「わかった。」
「じゃあ――行くか」
扉を押し開ける。
中は広い円形の部屋。
中央に、巨大な影が一つ。
「……トロールだ」
全長四メートルはあろうかという巨体。
太い腕。
鈍そうな見た目に反して、目だけがぎらぎらと光っている。
「危険度D……」
サラの声がわずかに震えた。
「一撃食らったら、俺たちの骨なんて簡単に砕けるな」
「こえぇこと言うなよ!」
だが、やるしかない。
「作戦は?」
ドランが俺を見る。
「サラの攻撃以外、ろくに通らなそうだ。」
「だから、俺とドランとリグで時間を稼ぐ。」
「サラは魔力を溜めて、一撃必殺を狙え」
「……できる?」
「やるしかないだろ」
口では軽く言いながら、手は震えていた。
でも、その震えを押さえつけるように、短剣の柄を握る。
「よし……行くぞ!」
ストーン・トロールが吠えた。
地面が揺れる。
振り下ろされる腕一本で、地面にクレーターができる。
「ば、バケモンだろ……!」
「避けろぉぉぉ!!」
俺とドランは両側から走り、トロールの注意を引く。
リグは背後から幻惑と拘束魔法を連発し、動きを削ぐ。
「《バインド・ミスト》!」
足元に白い霧がまとわりつき、トロールの動きが一瞬止まる。
振り返ると、サラは杖を胸の前で構え、静かに目を閉じていた。
光が集まる。
杖の先端に、小さな星が生まれ―― それが瞬く間に巨大な光の槍へと変わる。
「……もう少し……時間を稼いで」
「了解っ!!」
ドランが叫び、正面からトロールの足にハンマーを叩き込む。
俺も短剣で太ももに斬り傷をつける。
さすがに切断まではいかないが、それでも痛みは通るらしく、トロールが吠えた。
「う、うわぁぁぁ!!」
リグがほぼ泣きながら魔法を連発しているのが見えた。
(こえぇ…… でも、ここで引いたら二度と進めない気がする)
そして。
「――いける」
サラが目を開けた。
その瞳は、光を宿していた。
「《ホーリー・インパクト》!!」
光の槍が放たれる。
空気が震え、音が消えた一瞬のあと。
ドォンッ!!
轟音とともに、ストーン・トロールの胸に巨大な穴が空いた。
巨体が揺れ、膝をつき、そのまま前のめりに崩れ落ちる。
「……や、やった……?」
しばらく誰も動けなかった。
やがて、完全に動かなくなったトロールを見て――
「「「やったああああああああ!!!」」」
俺たちは同時に、叫んだ。
笑って、叫んで、泣きそうになりながら、四人でハイタッチする。
その後、トロールの死体から部材を回収した。
「いい収穫だな。」
「この危険度Dの素材なら、武器も一段階強化できるぞ」
「マジか!」
全身傷だらけでへろへろになりながらも、俺たちは達成感に包まれていた。
――この時点までは。
4 戻りの待機室
ダンジョン出口の待機室に戻ると、既に多くの生徒が帰還していた。
「お、グラディスお前らも戻ったか」
「何階まで行った?」
「五階層まで」
「マジか! やるじゃん!」
周りから驚きと称賛の声が上がる。
その中で、一部の上位陣だけは、別の空気を纏っていた。
「あいつら6階層まで行ったらしいぜ」
全員が上位クラスの獣人グループを見る。
全員が同じく高レベルの生徒たち。
「ボスはきつかったけどな。なんとか全員無事だった」
「六階層か……」
その数字が、胸に刺さる。
(五階層でも十分すごいって、頭では分かってる。
でも、“もっと上がいる”って事実が、こんなに悔しいとはな……)
サラはそんな俺の横顔をちらりと見て、そっと微笑んだ。
「でも、上出来よ。 」
「私たちの実力からしたら、今回は本当に“上出来”。」
「それに……」
「それに?」
「――まだ、始まったばかりでしょ?」
その言葉に、少しだけ救われる。
黒龍の力は……出なかった。
意識して封じ込めていたこともあるが、そもそも“あれ”が発動する気配すらなかった。
(……黒龍が出なくても、俺自身の力で戦えるようにならなきゃいけない)
その夜。
家に帰った俺は、いつも以上に自分を追い込んだ。
基礎値を上げるための鍛錬。
指先が震えても、足が痙攣しても。
(悔しい。 五階層止まりって言われるのも、サラの方がずっと輝いて見えるのも。 俺がレベル1のままってことも)
全部まとめて、悔しかった。
だから、剣を振った。
誰も見ていない夜の訓練場で、汗と息と心臓の音だけが鳴り響く。
5 平穏な日々と、不穏な予兆
ダンジョン実習も一段落し、学院には再び、勉強と訓練の“日常”が戻った。
「グラディス、ノート見せて。」
「昨日の魔法理論のとこ」
「え、聞いてなかったのか?」
「う、うん……その時間、ちょっと寝てた……」
「サラがそんなこと言っていいと思ってんのか」
「だって、昨夜あなたの特訓に付き合ってたから、眠くて……」
「……それは……すみません」
そんな他愛もないやり取りをしながら、 サラと並んで登校し、
授業を受け、休み時間にはドランやリグと馬鹿話をする。
黒龍のことも、ヴァルドの停学のことも、 まるで遠い出来事のように感じられる日々。
しかし、学院の空気は、少しずつ変わり始めていた。
数日が経ったある日のこと。
昼休み、いつものように食堂でパンをかじっていると背筋に、妙な悪寒が走った。
「……ん?」
「どうしたの、グラディス?」
「いや……なんか、嫌な感じがしただけだ」
その直後、食堂の入口がざわついた。
「二年だ……!」
「あいつら、全員揃って来てる……」
視線の先には、二年生たちの一団がいた。
アルマ戦闘学院の二年生は、全部で三十名。
人数は少ないが、その代わり一人一人が“厳選された戦闘要員”だ。
――学年は、歳ではなく“昇級試験”で決まる。
一年を突破し、昇級試験に合格した者だけが二年になれる。
だから、学年が上がるほど、レベルも実力も平均的に高くなる。
二年生には派閥がない。
ただ一人のボスに、全員が従っていると聞く。
その中心に立つのは、魔族の男だった。
髪は短く刈り込まれ、瞳は赤く光り、体格は無駄なく鍛えられている。
顔に無数の古傷。
纏っている空気だけで、周囲の一年が息を飲んでいた。
「あれが……二年のボス、か」
俺が呟くと、隣の席の先輩が小声で教えてくれた。
「ゼルガ・ドレイズ。 」
「 魔族出身。」
「レベル5、複数職能持ち」
「複数……?」
「ああ。武術と回復だ。」
「殴っても殴っても、自分で回復しながら前に出てくる。」
「“前線で死なない男”って呼ばれてる」
ゼルガの背後には、二十九名の二年が控えていた。
そのほとんどがレベル3〜4。
纏う気配だけで、俺たち一年との“格の違い”が分かる。
(……強い)
直感だった。
同時に、ゼルガが俺たち一年の方をさっと見渡す。
一瞬、その視線が俺のところで止まった気がした。
ぞくり、と背中が冷たくなる。
(気のせいか……?)
だが、その時。
ゼルガが低く呟いた。
「そろそろか……今年も、やるか」
隣にいた部下らしき二年が、ニヤリと笑う。
6 二年生の“削り”
その日の夕方。
学院の裏庭に、一年の生徒が数人集まっていた。
その周囲を、二年の生徒たちが囲む。
「お前らさぁ、一年のくせに調子乗ってねぇ?」
でかい獣人の二年が、わざとらしく肩を組む。
「最近ダンジョンでいい成績出したって、ちょっと調子こいてんじゃねぇの?」
「ち、調子なんて……!」
「うるせぇよ」
どさっ、と一人が地面に投げ出される。
その光景を、少し離れた渡り廊下から、ゼルガが腕を組んで眺めていた。
「今年も“ふるい”の季節ですね、ゼルガさん」
部下の一人が笑う。
「魔族の教えは一つ。」
「 “弱い者はいらない。 」
「戦えない者は、戦いの場から去れ”」
ゼルガは淡々と言った。
「一年の中で使えそうな奴は残す。」
「それ以外は、早めに心を折って辞めさせる。」
「それが、俺たち二年の“仕事”だ」
魔族の価値観。
魔族こそ最強であり、それ以外の種族は従うか、消えるかしかない。
「適当に因縁つけて、削ってこい。」
「使い物にならねぇ雑魚は、さっさと辞めさせろ」
「了解です」
二年たちが、蜘蛛のように散っていく。
そして翌日から、一年生の周りで、不自然な“トラブル”が増え始めた。
廊下で肩をぶつけられ、「謝り方がなってない」と殴られそうになる。
訓練場で順番を譲らず、「先輩に逆らった」と因縁をつけられる。
寮の前で、夜遅くまで呼び出され、帰れない一年が出始める。
教師たちの目が届かない場所を、巧妙に選んで動いているのが分かった。
(……二年が動き出した)
俺は、ただの悪ふざけではないことを直感していた。
そして、その“削り”の波は、少しずつ、確実に俺たちの周りにも近づいてきていた。




