私が優しく殺してあげる
あなたはその日、全てが嫌になった。あらゆる用事を投げ出して、知らない場所を目指した。
どれだけ遠くに来ただろう。あなたは空腹を自覚して足を止めた。
「ん」
目の前におにぎりが現れた。違う、少女が差し出したのだ。
「おなかすいてるんでしょ?食べていーよ」
とてもかわいい女の子だ。しかしあなたはこんなかわいい子と知り合いではなかった。
「あ、もしかしておにぎり嫌いだった?サンドイッチもあるけど」
あなたは困惑した。
なぜこの子は自分に食事を差し出しているのか、なぜこうもなれなれしいのか、なぜこんな自分にかまってくれるのか。あなたは考えようとして、やめた。
すべてが嫌になって、こんなとこまで来て、そこでまた悩む?そんなのは嫌だ。だから考えることをやめた。
あなたはおにぎりもサンドイッチも食べた。おいしかった。
「あはは、よっぽどおなかすいてたんだね」
かわいい女の子が笑顔だとあなたもうれしくなった。
「じゃあいこっか」
どこへ、とは聞かなかった。
あなたは今自分がどこに居るのかわからなかった。朝に逃げ出して、とにかく遠くを目指した。
知らない景色は現実感を薄れさせる。それが心地よかった。
日が暮れてきた。
あなたは歩きながら少女と他愛ない話をした。楽しかった。
「ここだよ」
ようやく少女が止まった場所は芝生の生えた原っぱだった。
辺りはすっかり暗くなり、少女の顔もはっきり見えない。
「横になって」
言われるがまま横になった。
雲が晴れる。星が見える。数え切れぬほどの瞬きがそこにはあった。月のない空は無数のきらめきで彩られていた。
素直にきれいだと思った。
どれだけそうしていただろうか。
少女が気になって横を見た。そこに少女はいなかった。
幻だったのだろう。
考えることをやめた、などと言ったがあなたのような人間にそれは不可能だった。正確には考えることを一時停止した、という表現が正しかったのだろう。
せき止めた思考は、栓が抜けて一気にあふれ出す。
少女のこと、今日のこと、この後のこと、生活のこと、明日のこと、未来のこと、自分のこと。
とめどないそれは不安という感情になって心を覆いつくす。先刻まできらびやかな虚無に包まれていた胸中は、今や息苦しい泥で満たされていた。
「大丈夫だよ」
耳元で声がした。背中に存在を感じる。いつの間にか、少女に抱きしめられている。
「私はここにいるよ」
震えが収まってくる。じんわりと、少女の熱があなたに移ってゆく。
「あなたがあんまりにも夢中だったから、飲み物買いに行ってたんだ」
少女がゆっくり離れ、横に腰かける。
「一緒に飲も。あったかいよ」
「ねえ、起きて。こんなとこで寝たら風邪ひいちゃうよ」
あなたは肩を揺さぶられる感覚で目を覚ます。どうやら少し寝ていたらしい。
「そろそろいこっか」
今回も、どこに?と聞くつもりはなかった。だが、彼女は答えを発した。
「私の家、近いんだ」
よくわからなかった。よくわからないまますべては過ぎていった。
食事をとらされ、風呂に入れられ、服を着させられて寝床に押し込まれた。
横にはあの少女がいる。目をつむっている。寝ているのだろうか。
あなたは不眠症だ。しかも先ほどうたたねをしてしまった。
あなたは独りだ。
「泣いてるの?」
少女は起きていた。じっとこちらをのぞき込む瞳は、心配の色を宿している。少なくとも、あなたにはそう見えた。
「今日、楽しかった?」
あなたは答えに窮した。なぜかはわからない。ただ、軽率に楽しかったと言ってはいけない気がした。
「じゃあ、楽しくなかった?」
首を横に振った。それだけはなかった。
「ふふっ」
彼女はもぞもぞとこちらへ向き直り、肩へ手をまわした。
「あなたは、生きたい?」
あなたはまた、答えに窮した。しかし先ほどよりは明確に、答えを持っていた。
君が、生きるのなら。
「わかった」
肩に置かれた手が首へと延びる。
「ね、私の手感じて」
温かい。きめ細かく、すべすべしている。
「私、知ってるよ。あなたのこと、望んでること」
自分の脈動が、彼女の手を通じて感じられる。
「だから、今日はもう寝ようね」
手が首の裏に回り、抱きしめられる。
「大丈夫、寝ていいよ。君が寝たらちゃんと私が殺してあげる」
その言葉は、優しさにあふれていた。
あなたは、その優しさに包まれ、ゆっくりと、意識を落とした。
どう?救われた?
それとも、もっと苦しくなった?
でも大丈夫
私に会いにきて
方法は、もうわかるよね
怖く無いよ、だって私と一緒だから
ね、私に会いにきて
そしたら
私が優しく殺してあげる




