蚊帳の外
木下勇の高校では三年に一度、秋に文化祭が催される。彼はその年、二年生だった。
彼の高校は男子校だった。学力は県内トップ、生徒は品行方正で、スポーツも盛んと、イメージがたいへん良かった。ところが勉強や部活に励む彼らは、文化祭でその本性を露わにした。
文化祭には近隣住民や他校の生徒も来る。その中にはもちろん女子高生も含まれる。男たちは女に飢えていた。このイベントを通じ女子と触れ合いたいと思った。
勇のクラスはお化け屋敷を開くことになった。お化けは赤鬼、ろくろ首、吸血鬼、狼男などと和洋折衷で、さらに二階建てというのがミソだった。アクターは女子を驚かせつつ体にタッチし、他の待機中の生徒は一階部分に潜み下から女子高生のスカートの中を覗ける仕組みだった。
クラスの話し合いは大盛りあがりだった。先生たちの多くはこの男子校出身で、勉強に明け暮れる生徒たちに息抜きが必要なことを知っているので、なるべく大目に見る方針だった。勇にとって教室は異様な空間だった。こんな馬鹿げた場は一刻も早く立ち去りたいが、一人だけ逸脱することはできなかった。彼は自然に省かれ、何の役も与えられず、ただそこに座り葛藤していた。
こういう時の男子の団結力と行動力はすごい。彼らの多くは土日も学校に通い小道具を作った。本校OBの力を借り、足場の組み方を教えてもらった。
文化祭の当日は朝から花火が上がった。一般開放前に生徒たちは各自の教室に集まり、出欠を取り、女子高生が来るのを今か今かと待ちわびた。
学級内に居場所のない勇は教室を離れ、他の一般客と同じように校内を歩き回った。どこもかしこもアトラクションやカフェばかりで、芸術的で文化的な出し物など一つもなかった。勇の教室からは絶えず「きゃあ」と黄色い声が上がった。高齢の近隣住民は、女子高生ばかりに熱心に声をかける男子たちに呆れ、「馬鹿らしい」とつぶやき高校を出ていった。
誰よりも馬鹿らしいと感じていたのは勇だ。生徒として嫌々こんな茶番に突き合わされ、しかもあんな連中と同じ制服を着ているからって同類と見なされる。
彼はふと、出欠は取ったことだし、誰も自分の不在なんか気にしないのだから、こんな所に居てやる義理はないと思った。自意識が罪悪感に勝った瞬間、彼は足早に玄関に向かった。
あまり早く帰宅しては母を心配させるので、彼は自宅の最寄駅を出ると、川沿いの遊歩道を歩き時間を稼いだ。
秋の川は夏よりも穏やかに見えた。そよ風が水面をやさしくなで、反射する光を柔らかくする。雑草は夏ほど高くも濃くもなく、ススキが白い頭をのんびり揺らす。首輪をつけた猫が道に背中をこすりつけながら日向ぼっこをしている。
こんな風景とは対照的に、勇の心は激しく揺れ動いていた。彼は思い切って学校をサボってしまった自分に驚き、ついにやってしまったと放心し、やってよかったのかと疑った。集団から完全にはぐれた自分の人生は終わりではないかと恐れた。
彼は頼りなくなり、立ち止まり、ぞっとした。自分は救いようのない惨めな陰キャだと思うと涙がこみ上げてきた。涙があふれそうになった瞬間、彼は痛々しい笑みを浮かべた。これは敗北ではなく勝利の涙なのだと強がるように。食いしばった歯の隙間から「ひひひ、ししし」と笑い声が漏れた。大粒の涙が頬を伝い流れ落ち、顎でよだれと合流し、地面にぼたぼた落ちた。
涙のせいか、心の底にわだかまっていた激情が迸ったせいか、風が冷たくなってきた。文化祭の熱狂の中から抜け出た彼は孤独に慣れず肌寒かった。彼は過ぎ去った夏を、あんなに押し付けがましい太陽を恋しがった。秋は徐々に深まり、冬が来る。それなのに一人でどうして生きていけようか。
知らぬ間に彼は日向を選び歩いていた。遊歩道沿いの木々を離れ、土手を下り、川に近づいていった。自然のぬくもりは彼にも分け隔てなくやさしかった。太陽はこんな彼でも暖かく照らしてくれた。
輝けない日陰者でも太陽を味方にして衆愚に汚されず気高く生きていこう。それがぼくの人としての最低限の矜持なんだ。
だから勇は夏が好きだ。