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無邪気な殺戮

 大原元気は夏休みになったばかりなのに部活に駆り出されていた。みんなが休んでいる時に学校に通う。平日よりも気が重かった。

 しかも次の土曜日の試合に出るのは五年生で、四年生は補欠要員だった。元気を含む後輩部員は先輩たちにペコペコしながら午前と午後の練習に付き合わされた。

 田舎の朝の静寂はセミの大合唱と草刈り機のエンジン音によって破られる。昨日の太陽の余熱を今日まで持ち越しているので、朝にも関わらず外の気温は早くも三十度近くに上がる。テレビ番組に出演する専門家は熱中症対策を訴えるが、その声は元気たちの学校や顧問の耳には届かない。

「今日も暑くなりそうね。気持ち悪くなったらすぐに休むのよ」

「うん」

 父は八時過ぎに仕事に出て、家には母と元気と美咲が残される。元気は美咲が羨ましかった。小学校に上がったばかりで勉強は楽だし、部活がなく、他の共働きの家のように学童にも預けられない。美咲は母に見守られながら、毎日少しずつ勉強し、ピアノをレッスンし、自由時間にはテレビで子供向けの動画や番組を見るという規則正しい生活を送っていた。「家でごろごろしてるな」と、父から半強制的にサッカーをやらされている元気は不公平だと感じた。

 午前十時。校庭は鉄板のように熱く、ドリブルの練習に使うコーンはアイスのように溶けてしまいそうだ。部員たちは暑さと砂の眩しさに顔を歪めながら、涼しい職員室で休憩中の顧問から言われた練習メニューに従い、サボっていると思われない程度の強度で球を蹴る。校庭は風一つなく、桜の木は動かず、ここだけ時間が止まったように見える。しかもこんな日がこれからもしばらく続くのだ。休みなのに遊べない無為徒食の日々に元気は絶望した。これが夏休みならば早く終わればいいのにと。

 だが思いがけない僥倖があった。先輩たちが格下相手に二対一で敗れ、トーナメントを初戦で敗退したのだった。試合後、顧問は選手たちを叱りつけた後、残念そうな様子でこう言った。

「本来ならば負けた罰、次の勝利に向けた補強として猛練習といきたいところだが、秋の大会まで間があるし、何よりこの暑さだから部活も夏休みに入ることにした。その代わり学校の勉強をしっかりやるように!」

 父の車で帰宅し、玄関のドアを閉じると、元気は拳を突き上げ「やったぁ」と絶叫した。彼の夏休みが一週間遅れで始まった。

 翌朝、元気は朝食を終えると歯磨きもせず外に飛び出した。日差しは部活に行く時ほどきつく感じられなかった。彼は学校の校門で同じクラスの男子二人と合流し裏山に向かった。そこには東屋のある見晴らしのいい公園と、虫取りに適した林があった。彼らは消防署が正午のサイレンを鳴らすまでカブトムシやクワガタムシを探し回ったが、時間が悪いのか一匹も見つからず、虫かごの中にはカミキリムシしか入らなかった。元気はがっかりしたが、友達からこの虫を使った愉快な遊びがあると聞くと、わくわくしながら昼食に戻った。

 午後も同じ顔ぶれで虫取りを続けた。今度は場所を変え、小川でトンボを探した。

 コンクリートで護岸された大きな川と異なり、小川の周りには背の低い草が広がり、涼しげだった。彼らは息を潜め、草にとまったトンボにそっと手を伸ばし、カミキリムシとは違う虫かごに入れていった。ある程度集まるといよいよその「遊び」を始めた。少年たちは興奮し、「いいぞ」「やれ」「もう少しだ」と大声で応援した。それが終わるとまたトンボを補充してから小川を後にした。

 彼らはまっすぐ帰宅せず神社に寄った。そこの手水が冷たく、喉の乾きを癒やすにはうってつけだったからだ。竹の柄杓を使い水を好きなだけ飲み、樹齢が何百年もありそうな神木の根元でセミの鳴き声を聞きながら一休みし汗が引くと、少年たちも夕方の訪れを肌で察した。

「だいぶ涼しくなってきたな」

「もう遅いんじゃない?」

「そうだな。また今度一緒に遊ぼう」

 元気が帰宅すると時間は五時を過ぎていた。美咲もさっきまで近所の友達の家に遊びに行っていたようで、今はリビングでテレビを見ていた。

「ねぇお兄ちゃん遊んでよ」

 歳が三つ離れた兄妹はまずまず仲が良かった。美咲がもっと小さいころはよくおままごとに付き合い、絵本を読んでやったものだが、大きくなった元気はもうあまり美咲の相手になってやりたくはなかった。しかし今日の彼は珍しく、「おういいぜ。庭に出よう」と快諾した。

 庭といってもそれはカーポートのある駐車場の隣にある狭い芝生のことだった。元気は捕まえてきたばかりのカミキリムシを右手に、トンボを左手につかみ、美咲に見せつけた。

「気持ち悪い。わたし虫は苦手なの」

「いいから見てろって、こいつをこうすると……」

 元気は右手のカミキリムシを左手のトンボに近づけていった。カミキリムシはその頑丈なカマのような前脚を細かく動かし、トンボの首を刈り落とした。

「きゃあ! なんてひどいことするの」

「どうだ面白いだろう」

 元気は次に、捕まえたトンボの中で最も大きなギンヤンマを取り出した。体格的にはカミキリムシの方が不利で、かなり時間がかかった。

「諦めるな! いけ、いくんだ!」

 美咲はこらえ切れず声を上げて泣き出した。母は元気がいじめたと思い窓を開いた。

「ちょっとなにしてるの?」

「よっしゃあ! ついにやった!」

 大きなトンボの首が芝生の上に転がり落ちた。首を失った胴体の足が痙攣を起こし、何かをつかもうとするかのようにピクピク動いた。

「どうしてそんな残酷なことを?」

 母も美咲も少しも笑わないので、元気はつまらなくなった。

 夕食中、三人はいつになく言葉数が少なく、静かだった。不審に思った父は、「なにかあったのか?」と聞いた。母が一部始終を説明した。

「おれも虫を使ってよく遊んだなぁ。じいちゃんからはよく、カエルの尻に麦わらで息を吹き込んで川に浮かせたりしたって聞いた。男の子の考えることはいつの時代も変わらないな」

 この残酷なマイブームはすぐに過ぎ去った。元気たちは毎日交代で誰かの家に集まり、涼しい室内でテレビゲームで遊んだ。常に楽しいことばかりを考え、宿題など頭になかった。

「そう言えば神社でまた土曜日に夏祭りやるんだって。一緒に行こうか」と元気が言うと、友達二人から否定的な意見が返ってきた。

「どうせ去年と同じく屋台が並ぶだけでしょ、お小遣いもあんまりもらえないし、つまんないよ」

「うちはお盆休みにハワイに行くんだ。今から楽しみだなぁ」

 元気は暗い顔をし帰宅した。彼は早めに仕事から帰りリビングで晩酌中の父に、「友達がハワイに行くんだって」と話しかけた。

「ハワイ!? この不景気なのに豪勢だな」

「ねぇ、うちはどっか遊びに行かないの?」

 リビングに下りてきた美咲も兄に加勢した。

「そうよ。学校の先生からは、夏休みに楽しい思い出をいっぱい作ってきてねって言われたわ」

「うぅむ、母さんと相談するからちょっと待っててくれ。でもあんまり期待するなよ」

 土曜日の夜は一家四人で浴衣を着て祭りに行った。

 友達はあんなことを言っていたが、祭りはなかなかの盛況だった。神社の門と本殿をまっすぐ結ぶ石畳の両側に屋台が連なり、境内を煌々と照らし、ソースや肉が焼ける音と匂いを放っている。本殿の裏の広いスペースには、ブドウの房のように提灯をいくつもつけた櫓が設置され、近所の大人や子供が伝統的な和太鼓を披露している。この町のどこにこんな多くの人がいたのだろうと思われるほど混雑し、石畳を往復するだけでも一苦労だ。

「パパ水風船ほしい! ママ綿あめほしい!」

 まだ小学一年生の美咲は大興奮だった。

「まず食べ物を選んでね」

 元気はフランクフルトを、美咲はお好み焼きを選んだ。真っ先に食べ終えた元気は家族に「一人で見に行ってもいい?」と聞いた。母は黙ってうなずき、五百円玉を握らせた。

 数分後、元気はくじ引きの景品の細長いスナック菓子を食べながらトイレに向かった。石畳周辺の喧騒から離れると境内は不気味なほどに暗く、ひっそりとし、あの神木が日中より高く太く見える。トイレの中は真っ暗で、いやにじめじめしている。太鼓の音がずんずんと壁を揺らし彼の鼓膜を震わせる。

 家族を見つけるのにかなり時間がかかった。三人は金魚すくいの屋台にいた。

「なんだ金魚がほしいのか?」と、元気は後ろから美咲に声をかけた。

「ううん、でも……」

 数え切れないほど多くの金魚が、屋台のどぎつい照明を浴び、広くはない青い水槽の中で右往左往している。

「あの金魚さんたち、本当にぜんぶすくってもらえるの?」と、美咲は父に聞いた。

「まさか。あんなにたくさんいるんだから」

「じゃあ余った金魚さんはどうなるの?」

「たぶん処分されるんじゃないかな」

「処分って?」

「殺すってことだよ」と、元気が口を挟んだ。

「そんな!? かわいそうよ」

 美咲は本当は水風船やお面が欲しかったが、「おじさん、やらせてください」と言った。

 彼女は和紙が張られたプラスチックの棒を慎重に操り、一匹でも多く金魚を救ってやろうと思ったが、もたもたしているうちに紙はあっさり破れてしまった。起きたことにショックを受け言葉を失っている彼女の対面で、店の主人はお椀を使い赤と黒の金魚を一匹ずつ袋に入れ、彼女に手渡した。

「大切に飼ってやってね」

 翌日、美咲は父と共にホームセンターに行き、金魚鉢と餌を買った。鉢は玄関の靴箱の上に置いた。美咲は餌の説明をよく読み、与える量や頻度を間違えないようにした。その甲斐あってか、金魚は窮屈な袋の中にいる時よりも元気になったように見えた。

「きっと黒いほうは男の子で、赤いほうは女の子ね。名前はクロちゃんとハナちゃんにしましょう」

 彼女は毎日飽きもせず金魚の様子を眺めた。生き物を飼うのは生まれて初めてだった。弟や妹もいないので、人生初の責任感を持った。

 忘れたころに父と母がサプライズをもたらしてくれた。お盆休みに隣県の祖父母の家を訪ね、さらに温泉、プール、フラダンスなどが楽しめる「ハワイランド」に泊まることが決まったのだった。

「本物のハワイは無理だけどな」と、父が申し訳なさそうに言ったが、子供たちは大喜びだった。

「やったぁ! パパママ大好き!」

「でも旅行が終わったらもうすぐ学校になるから、早めに勉強を終わらせておくのよ」

「分かってるって!」

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