じいちゃんの死
ぼくが実家に帰る、それはぼくにとって大切な人が亡くなったことを意味する。
去年はばあちゃんで今年はじいちゃんだった。じいちゃんは八月の平日に亡くなった。ぼくのお盆休みは十連休になった。
葬式が終わった後、ぼくはすぐ首都に戻らず実家に滞在した。
母さんは今もあのアパートに住んでいた。一人暮らしには広すぎる部屋だけど、近所にそこより安い物件はなかった。
住民の排泄物、長く捨てない生ゴミ、日陰の壁に生える苔、周囲の畑の肥やしなどが綯い交ぜになり、築五十年のアパートはアンモニアのような刺激臭を漂わせていた。この臭いは特に梅雨時や夏の夕立後に甚だしい。長く住んでも慣れることはない。それなのにいつの間にか住民を侵蝕し、同じ臭いに変えてしまう。
ぼくは今にも崩落しそうな階段を上り二階の部屋のドアを開いた。日当たりの悪い部屋で、電気もつけないから、午後はほぼ真っ暗になる。居間の座布団の上に座る母さんの表情を読み取れないが、その必要もあまりない。
「だいぶ片付いた?」
「まさか。どこから手を付けたらいいかも分からないほどだよ」
遠くからかすかに踏切のカンカンという音が聞こえてくる。テレビCMが次のものに変わると、近くの踏切も鳴り出し、音が鮮明になる。充分に溜めを作った電車がついにアパートの下の線路を走り、サッシ窓をガタガタ揺らす。揺れが収まり、ぼくらは話を続ける。
「他に貴重品は見つかった?」
「売ってお金になりそうなものはなかった」
ぼくは自室の床にごろんと横になった。以前ならば、天井の木目は人の顔や動物の形などに変わったものだが、今はまったく動かず、黒く丸い節がぼくを真っ直ぐ見下ろすだけだ。
昼食はそうめんだった。昔もぼくが家にいると母さんがよく茹でてくれた。ガラスの盛鉢とつゆ鉢のざらざらした手触りが懐かしい。これを手にすると今年も夏が始まったと感じ、高い棚の奥にしまわれると今年の夏はあそこからもう出てこないと思う。
「首都での暮らしはどう?」
「どうってことないよ。人間どこにいても生きていかないとだし」
「そりゃあそうだけど、あなたもそろそろ結婚を意識しないの?」
「ぼくは結婚しないと思う」
母さんは鼻で大きく息をつき、残りのそうめんをすすった。
ぼくは午後の二時半ぐらいに再び外に出た。
よく晴れた空で雲ひとつなかった。こんな時間帯には猫さえ外を歩かず、町内は不気味なほど静まり返っていた。ぼくはできるだけ日陰を選び歩く。古い一軒家のそばを通ると、開け放たれた窓からテレビの大きな音が聞こえてくる。新しい一軒家の外では室外機がフル稼働している。信号のない交差点の地面に太陽がまともに照りつけジリジリと音をたてる。セミは鳴かない。
何もない駅前を通り過ぎ、商店街に入る。ぼくが小さかったころは五月の「こどもの日」にここが歩行者天国に変わり、縁日のようなイベントが催されていた。あれは最後の賑わいだった。その後、写真館、タバコ屋、喫茶店などが重みに耐えきれず、次々とシャッターを下ろしていった。
今も細々と経営を維持しているのは、青果店、精肉店、花屋、雑貨屋、居酒屋ぐらいだ。この暑さで、店先に並べられた野菜はしおれ、花は枯れ、ただ自販機だけが機械音を発している。ぼくは道に真っ直ぐ引かれた電線の陰を踏みつつ商店街を抜けた。
小中学校の通学路だった長い坂を登り、小学校を通り過ぎ、田んぼに挟まれた道を歩く。ヘビの死骸を二度跨ぐ。一度目のヘビは死後間もなく、血を周囲に撒き散らし、あふれ出た内臓が黒光りしていた。二度目は古い死骸で、何度も車に轢かれぺしゃんこになり、干からび、遠目には縄と区別がつかなかった。首都で長く土を踏まない生活を送っていたぼくは、こんな田舎のありふれた出来事にもいちいち驚かされた。
ようやくじいちゃんの家に着いた。あのアパートよりも築年数がやや浅いぶん新しく見え、ぼくの幼いころの記憶とぴったり一致した。庭はいとこが昨日来て防草シートを張ってくれた。深緑色のシートは太陽の熱を存分に吸い、触れると火傷しそうなほどだ。シートの上には重しとして大きな石がいくつも置かれている。あの川原から持ってきた石だと思うと少しだけ慰められた。
電気とガスを止めている家の玄関で頭が一瞬ぼうっとした。ぼくは二階の夫婦の寝室に入り、遺品の整理を続ける。人生とは他人にとって無価値なモノや記憶を絶えず溜め込むことだ。だからぼくは捨てない物を選ぶ方が効率的だった。夫婦の写真や形見になりそうな品物。それだってぼくがいなければ誰も欲しがらない物ばかりで、首都から引いてきたトランクにすっぽり収まることになるだろう。
ぼくは作業を一旦やめ、一階の居間で休憩した。古い畳の上には来る途中に自販機で買ったスポーツドリンクが置かれていた。それは気の毒になるほど汗をかき、畳を湿らせ、い草に染み込んだ遠い日の記憶を立ち昇らせた。