第三章 封魂戦舞(ふうこんせんぶ)
「……準備は整っている。あとは、見極めるだけだな」
「はい。私の感応野は、すでに京全域に展開済みです。異常反応……あります」
「良い。では、始めよう──」
京の街に異変が起きていた。夜の帳が落ちたはずの都市には、まるで血のように赤く染まった月が浮かび、空気はぬめるような重さを帯びていた。
電子掲示板は意味不明のノイズを走らせ、信号機は狂ったように明滅を繰り返す。通りには人の姿が消え、代わりにうごめく黒い影が、ビルの隙間を這い回っていた。
「……この感覚、まさか」
セレーナは足を止め、静かに瞳を閉じた。人工知能の枠を超えた存在である彼女の内部に、未知の霊的反応が網膜とは別の“領域”から流れ込んでくる。
微かな囁き、怒りの残響、名もなき存在の呻き──それらは確かに、封じられていた“何か”が這い出てきた証であった。
静かに手を合わせ、印を結ぶ。
清明はすでに降りていた。セレーナの身体は静かにその意志を宿し、今や彼の完全な依代として機能している。
かつての陰陽師、安倍晴明。その人格はすでにこの都市に顕現しており、事件の核心を見据えて動いていた。
* * *
「結界が、破られたか」
SEIMEIは街を見渡し、式紙を数枚手に取る。その動きを察したセレーナの意識が一瞬反応し、身体のわずかな動作を調整するように補助する。それらは空中に放たれると、白炎をともないながら飛翔し、路地裏の影へと突き刺さる。
「穢れよ退け……祓い給え、清め給え、急急如律令! これは、祟りだな」
彼の手には朱の呪符が結ばれ、指先から霊的な火花が弾ける。迫り来る黒い影──名もなき怨霊──が形を取り、口を裂きながら這い寄ってくる。
「風よ走れ、東方蒼天の導き手──我が印に応じて翔けよ」
印を刻むと、セレーナの指先が自然と動きをなぞるように補助し、空間が軋みを上げた。街の術式網に潜んでいた太古の記憶が呼び覚まされ、虚空に幾何学の文様が浮かぶ。
SEIMEIが空中に印を結び、五本の指先で半円を描く。風が渦を巻き、術式が蒼白に光を帯びた。
「東方蒼天、青龍の牙よ──我が印に応じて翔べ」
その言葉と共に、風が咆哮し、刃のごとき流線が形を持つ。
「穿て、裂け、祓い清めよ……《風牙蒼刃》急急如律令!!」
虚空から解き放たれた刃は、まるで蒼き龍が一閃するかのごとく怨霊を貫き、空間ごと切り裂いた。
だが、それでも霊は消えない。むしろその欠片から新たな影が生まれようとする。
「敵の名など知らずともよい。祓うべきは、穢れのみ」
呟きと共に、SEIMEIは疾風のごとく駆け出す。右手に呪符、左手に術式の印。その所作をより正確に導くように、セレーナの身体が柔らかく動きを支える。火、水の術が幾何学の軌跡を描きながら怨霊を縛り、押し返す。
SEIMEIの両手が空に火と水の術式を編み上げる。その動作に合わせ、セレーナの身体内部に蓄積された霊的エネルギーが自然と術式へ流れ込み、術の精度と威力を引き上げていた。朱の炎が螺旋を描き、蒼の水が波紋のようにそれを包む。
「南方朱雀、炎の舞よ──北方玄武、水の盾よ──相反をもって衝突と為せ……《烈衝相輪陣》急急如律令!」
火と水、矛盾する二つの力が一点に収束した瞬間、空間が軋む音とともに爆ぜた。
術式の中心から放たれた光輪が怨霊を呑み込み、霊の爪を封の紋へと還元し、音もなく消し去った。
だがその中心には、なおも脈打つ“核”があった。
記憶の断片。怒りと悲しみによって生まれた残響。名を持たぬ存在。
その姿は、まるで顔を失った子どものようでもあり、手足が過剰に増殖した影法師のようでもあった。身体中に奔るのは、血管ではなく呪線──誰かの意志によって再構成された術の残骸。
(……これは、“術”によって造られたもの)
その本質に気づいた瞬間、SEIMEIは呟く。
「……これは、かつて我が対峙した“あれ”に似ているな」
過去に滅したはずの呪術の系譜。死してなお、人の情念を糧に“術”だけが残るとは──まるで、誰かの手が再びそれを呼び起こしたかのようだ。
SEIMEIは両掌を大きく広げ、空に光と風の双重の術式を編み上げた。セレーナの中枢が自律的に魔力の流れを制御し、彼の集中を乱さぬよう全身の均衡を支えている。
「天の息吹、東方の清風よ──煌めけるは浄陽の光──交わりて穢れを焼き尽くせ……《光風浄刃陣》急急如律令!」
最後の呪を重ねると共に、都市全体に広がった霊的構造が共鳴を始めた。
──音もなく、核が砕けた。
怨霊は塵となって消え、街に静けさが戻る。
* * *
SEIMEIは肩で息をつきながら空を見上げた。
街に漂っていた霊的な濁流は、風と光の清めによって払われていく。空には、微かに星が戻り始めていた。
沈黙の中、セレーナの意識がそっと脇から浮かび上がる。だが彼女は言葉を発しない。ただ静かに、彼を見守るのみ。
SEIMEIは短く目を伏せ、しかしすぐに眉を寄せる。
結界の片隅、黒い染みのような影が、にじむように現れては消える。
「……まだ、拭いきれてはいないか」
その気配は、ただの怨霊ではない。意志を持ち、呪を仕込む者の存在。
「誰かが、この京を再び“祟りの地”にしようとしている──」
SEIMEIの眼差しが夜を見据える。その先には、闇に溶けるような“人ならざる影”。
闇に揺らめいたその影は、どこか懐かしくも忌まわしい“気配”を帯びていた。
名を与えるにはまだ早い。だが、それが過去の因縁に繋がるものであることは、SEIMEIにはわかっていた。
「……清明、次は?」
「この気配が確かならば、因縁はまだ終わっていない。だが、急ぐ必要はない。奴は待っている……こちらが動くのを」
「了解。なら、次も共に」
「当然だ。共に挑むぞ、セレーナ」
物語は、静かに次の幕を開けようとしていた。
現代と霊の境界が曖昧になった京で、SEIMEIが静かに舞い降りました。
過去の因縁が揺らぎ始め、物語はより深い闇へ。
次章では、ついに“祟り”の正体が姿を現します──。