生贄少女と化け狐
ハクヤ村。サージアからさらに東に位置するこの小さな農村は、大きな問題を抱えていた。
それは月に一度、村の若い娘を一人、近隣の洞窟に住むオーガへと差し出さなければならない、ということだ。もし約束を破れば、オーガはいとも容易くこの村を滅ぼすだろう。
オーガは実に狡猾だった。大きな街や主要な都市を狙えば、オーガはあっという間に冒険者ギルドの討伐対象となり、力を持った冒険者たちによって討伐されていただろう。しかし、貧乏な農村を狙えば話は別だ。報酬金が用意できない田舎村の救助など冒険者ギルドは後回しにする。
結果ハクヤ村には何の助けも来ないまま、数年の月日が経過していた。
そして今日もまた一人、新たな生贄がオーガの元へ運ばれようとしていた……。
* * *
ハクヤ村の北にある一軒の屋敷。その一室で、少女が眠っていた。
布団の上ですうすうと静かな寝息を立てていたその少女は、パタパタと駆けてくる小さな足音に目を覚ました。
「……コユキちゃん、いるんでしょ?」
目を開けた少女が言う。すると、スッと襖が開き、化け狐の少女――コユキが顔を覗かせた。
「アカネ、寝てなくて大丈夫なん?」
コユキは心配そうに尋ねる。アカネと呼ばれた少女は布団から上体を起こすとにこやかに微笑んだ。
「今日は体調がいいの。大丈夫よ」
「そっか……」
コユキはアカネに近づくと、ぎゅ、とその体を抱きしめた。
「ちょ、ちょっとコユキちゃん」
アカネは頬を赤く染め、恥ずかしそうに言う。コユキは構わずにその体を抱きしめ、首元に顔を埋めた。
「……ずっと寝てたから、汗臭いでしょ」
「ううん。ええ匂い。アカネの匂い」
コユキとアカネはそのまましばらく抱き合っていたが、やがてコユキはパッと顔を上げると、笑顔で告げた。
「アカネ! 今月はもう、生贄として連れていかれる心配はなくなったで!」
「えっ……」
コユキの言葉に、アカネは一瞬驚いたような表情を浮かべた。が、その顔はすぐに青ざめていった。
「コユキちゃん……それって……どういう意味……?」
「ウチが馬鹿な冒険者を化かしてオーガの巣まで連れて行ったんや!」
コユキは嬉々として話し続ける。
「これで今月は大丈夫やで! 来月も、再来月も、その先もずっとウチが――」
ぱちん、という乾いた音が部屋に響いた。
それは、アカネがコユキの頬を叩いた音だった。コユキは驚いて目を丸くする。アカネは腕を振り抜いた体勢のまま、今にも泣き出しそうな顔でコユキを見つめていた。その唇が小さく震える。
「コユキちゃん、なんてことを……! 私、そんなことしてまで生きたくないよ!」
叩かれたことよりも、コユキはアカネの言葉にショックを受けた。
「生きたくない、なんて、なんでそないなこと言うの……」
「他の人を犠牲にしてまで生きてる意味なんて、あるわけないじゃない」
アカネの言葉に、コユキはギュッと拳を握りしめた。
「そんなの嘘や。今までだって、何人もの人間が生贄になって、その結果この村は存続しとる。結局誰かの犠牲の上に生きとるんちゃうんか?」
「それは……」
アカネは言葉に詰まってしまう。確かに、コユキの言っていることは間違っていなかった。この村からはもう何人も若い娘が生贄として連れて行かれている。彼女たちのおかげで、今日まで自分たちは生きてこられたのだ。
でも、それでも。
「……やっぱり、罪のない人を騙すようなこと、しちゃダメだよ……」
アカネの頬を一筋の涙が伝って、布団に落ちてシミを作った。コユキも目に涙を浮かべて、縋り付くようにアカネの両肩に手を置く。
「いやや、ウチはアカネに死んで欲しくないんや……」
「……ありがとう。その気持ちだけで十分だよ」
アカネは柔らかな笑みを浮かべて、コユキの髪を優しく撫でた。が、次の瞬間、ゴホゴホと激しく咳き込み、アカネは布団の上に崩れるようにして倒れた。
「アカネ!」
ひゅー、ひゅーと苦しそうな呼吸音が鳴り響く。アカネは必死に笑顔を作ると、コユキに告げる。
「だい……じょうぶ……だから……」
そのとき、バタバタと走る音が近づいてきて襖が勢いよく開かれた。コユキが振り返ると、アカネの父親が立っていた。
「アカネ! 大丈夫か!?」
アカネの父親はアカネを抱き抱えると、慎重に布団へと寝かせた。アカネは少し落ち着いたようで、すうすうと寝息のような呼吸音を立てている。
「……化け狐め。もう来るなと言っただろう」
アカネの父親はコユキの方を見もせずに、吐き捨てるように言った。
「……すいませんでした。今日はもう帰ります」
コユキはぺこりと頭を下げると、屋敷の外へと姿を消すのだった。
* * *
「そんなことしてまで生きたくない、か……」
コユキは一人、村の中を歩きながらそっと呟いた。
アカネはとても優しい子だ。きっと本心から出た言葉なのだろう。それでもやっぱり、彼女の口から「生きたくない」などと言う言葉は聞きたくなかった。
他者を犠牲にして生きることをアカネは望んでいないのかもしれない。それでもやっぱり、自分はアカネを生かすためならどんな汚いことだってするだろう。
コユキがそんなことを考えていたそのときだった。
「――見つけた! 化け狐!」
声の方を見たコユキは絶句した。そこに立っていたのは、先ほど生贄としてオーガに捧げたはずの冒険者の少年と少女だったからだ。
「は!? どうやって抜け出したんや!?」
慌てて逃げようとしたコユキの腕を、少女の方がガッチリと掴んでいた。とても幼い少女とは思えないほど強い力だった。
「ちょっと待て! 何も仕返しに来たわけじゃない!」
少年の方が大声で告げる。
「俺は、君に聞きたいことがあるんだ!」