ブランロード城襲撃事件
異界からの転移者たちが暮らすブランロード城。そこは今、地獄の光景が繰り広げられていた。
数時間前、突如として城に魔族の軍勢が攻め込んできたのだ。あまりにも唐突な襲撃に、城の兵士たちはなすすべなく倒れていった。
やがて魔族の刃は、未だ成長途中の異界人たちへと襲いかかった。
「どうして……こんな……」
異世界から転移してきた少女、露木は呆然と呟いた。その周囲には、もう動かなくなってしまったクラスメイトたちが血の海の中を転がっている。さらにその周りを、錆びついた剣を持つ骸骨の魔族たちが取り囲んでいた。城は至るところが破壊され、もはや廃墟同然と化していた。
「もう終わり? やっぱりこんなものね」
つまらなそうに言ったのは、魔族の女エルネ。露木は震えながら彼女に質問を投げかける。
「どうして……エルネさんが……?」
「あー、面倒くさいわね。私は裏切り者だった。それだけの話よ」
エルネは無表情で言葉を返した。
「露木……下がってろ……」
「荒戸くん……!」
血溜まりから立ち上がったのは、露木のクラスメイト、荒戸だった。彼のパートナーである及川はすでに命を落としており、その手に握られているのは何の変哲もない普通の剣だ。
「――クソがぁぁああああ!!」
怒号と共に荒戸は骸骨の群れへと突っ込んだ。この数ヶ月で積んだ訓練の成果か、その動きは素人のものではない。敵の刃をすり抜け、振り下ろした剣が骸骨の頭部を捉え――。
パキィン、という音と共に、剣は粉々に砕け散った。
「――っ! 畜生……!」
悔しそうに唇を噛む荒戸。次の瞬間、骸骨によってその体に無数の刃が突き立てられた。
「あ……荒戸……くん……」
目の前で同級生が殺される瞬間を、露木はただ眺めていることしかできなかった。足が震え、その場にぺたりと腰を落としてしまう。そんな彼女を、エルネは感情のこもっていない瞳で見下ろす。
「さて、アンタで最後かしらね」
「あ……」
次から次へと惨殺されてゆくクラスメイトたちの姿を目の当たりにし、露木の心は既に折られていた。彼女にできることはもう何もなく。ただ、これから自身に降りかかるであろう確定的な「死」の未来を見つめていた。
そして露木は、そんな未来を受け入れるようにその目を閉じた。もはや抵抗する気力すら失われていたのだ。
骸骨の群れが露木へと迫る。その錆びついた剣が、今まさに振り下ろされようとした――そのときだった。
「――悪い。遅くなった」
突如響いた声に、骸骨たちの動きが止まる。
露木は目を開けて、声の主を見た。
その少年は、崩れ落ちた天井の先、満月を背に空から現れた。
「青谷……くん……?」
振り返ったエルネは驚愕する。視線の先に立っていたのは、間違いなく自分が数時間前に殺した少年だったからだ。
「お前……どうやって……?」
降り立った少年は呼ぶ。自身が契約した眷属の名を。生まれ持ったその力ゆえに、化け物として封印された史上最強の生物――『暴食竜』の名を。
「――来い! ウィニー!」
轟、と黒い旋風が少年の周囲に渦巻いた。そして次の瞬間には、少年の手には一本の大剣が握られていた。
少年の背丈ほどもある刀身は、夜を吸い込んだかのように黒く、柄も同じく黒い鱗で覆われている。その中で金色に輝く宝石が、まるで夜空に輝く満月のように光を放っていた。
「バカな……なんだその剣は……!?」
剣を見たエルネは目を見開いた。そこから放たれる圧倒的魔力の総量に愕然とする。
(人間の持つ魔力量じゃない――まさかこのガキ、人外と契約したのか――!?)
少年から発せられるこの場の誰よりも強い魔力。それを察知したのか、あるいは本能が危険を感じ取ったのか。国軍の兵を襲っていた骸骨たちは、一斉にその矛先を少年へと向けた。
ガシャガシャと音を立てながら、骸骨の軍勢が少年へと迫る。
そんな様子を見たエルネが慌てたように叫んだ。
「よせ! お前らの――」
――勝てる相手じゃない。その言葉よりも速く、少年の剣は振り抜かれた。
斜めに放たれた黒い斬撃一閃。それはたった一振りで骸骨の群れを打ち滅ぼし、同時にエルネの右腕を消し飛ばし、城の壁を真っ二つに切り裂いた。
「――ッ!!」
ぼたぼたとどす黒い血が溢れる右肩を見ながら、エルネは驚愕した。
(――腕が再生しない! まさか伝説に聞く、魔力を喰らうという『暴食』の魔術――!?)
黒い大剣を突きつけながら、少年は冷たく告げる。
「今すぐ兵を引け。そうすれば命までは取らない」
エルネは突き付けられた剣の先端を唖然と見つめた。
それはまるで、数時間前に自分がした事をやり返されているかのようで――。
「――ふざけるなぁぁぁぁああああ!!」
彼女のプライドがそれを許さなかった。咆哮と共に少年へと向かって駆け出す。
が、少年の速度はそれを凌駕した。
「――がっ!?」
切り落とされたもう一本の腕が宙を舞う。
一歩でエルネの背後に回った少年は、後ろから彼女の首筋に大剣を当て、告げた。
「次は首を狙う」
「――っ!」
今度こそ、エルネに打つ手はなかった。両腕を失った彼女は、ギリギリと奥歯が砕けるほどに歯を食いしばると、
「――覚えてなさいよ」
そんな捨て台詞を残し、まるで溶けるように黒い霧の中へと消えていった。
少年は剣を切り払うと、背に吊った鞘へと収めた。それから露木の方を向くと、
「露木、無事でよかった」
そう言って微笑むのだった。
* * *
「露木、無事でよかった」
俺は露木にそう話しかけた。
「青谷くん……今の力……」
露木はまだ事態が飲み込めていないようで、どこか放心状態のようだった。いや、それも無理はないな。露木の周囲、今はもう動かなくなってしまったクラスメイトたちの姿を見て俺はそう思った。
「遅かったか……他のみんなはもう……」
そのとき、背中に吊った剣が光を放ち、その姿を少女へと変えた。
「すまんかったの、旦那様。ワシがもう少し早く駆けつけていたら……」
「……いや、一人だけでも助けられたんだ。ウィニー、お前のおかげだよ」
沈痛な面持ちのウィニーに、俺は優しく告げた。
そのときだった、足音と共に、武装した兵士たちが踏み込んできた。その先頭には召喚士もいる。
「……ああ! なんという事でしょうか!」
召喚士はクラスメイトの死体に駆け寄り、悔しそうな表情を浮かべた。
「ケーイチ様、あなたが魔族を撃退したのですか? たった一人で?」
そこで、召喚士の視線がウィニーへと向かう。
「――! その魔力! まさか『暴食竜』!?」
召喚士が叫び後ずさる。次の瞬間には、俺とウィニーは兵士たちに取り囲まれ、剣を突きつけられていた。
俺は慌てて兵士たちに告げる。
「おい、ちょっと待てよ。ウィニーは悪い奴じゃ――」
「口を開くな! 少しでも妙な動きを見せたら殺す!」
……おいおい。冗談だろ? 俺たちが来なかったら今頃どうなってたと思うんだよ。
うんざりしていると、兵士たちの間を割って前に進み出た召喚士が厳しい口調で言った。
「ケーイチ様。『暴食竜』を剣に変え、こちらに渡してください。契約者である貴方ならばそれができるはず」
ウィニーを渡せ、だと?
ふと隣を見ると、ウィニーが瞳を不安そうに揺らしながら俺を見上げていた。
「旦那様……」
俺は無言のまま、ウィニーへと手を伸ばす。
そして――。
「……行こう。ウィニー」
その金色の頭髪をくしゃくしゃと撫でた。ウィニーは驚いたように俺を見返す。
「旦那様、よいのか? ワシを差し出せば旦那様はここにいられるんじゃ……」
「いい。俺はお前と一緒にいたい」
俺の言葉に、ウィニーの頬がわずかに赤くなった。それからくしゃりと笑顔を浮かべると、
「――ワシもじゃ!」
そう言って、ばさりと翼を広げた。兵士たちから静止の声が聞こえてきたが、当然俺はそれを無視してウィニーの手にしっかりと掴まった。
「じゃあな。もう会うこともないだろうけど」
それが最後の言葉だった。俺とウィニーは飛び上がり、夜空へとその姿を消したのだった。
* * *
「旦那様、これからどうするのじゃ?」
「んー? さあな」
空を飛びながら、俺とウィニーはそんな会話をしていた。吹き抜ける夜風が戦闘後の火照った体に気持ちいい。
これからどうするか。ウィニーがいる以上もう城には戻れないだろうし、かといって元の世界に戻る方法もわからないしな……。
「そのことなんじゃが、一つワシに考えがあっての」
「考え?」
ウィニーの話はこうだった。異世界から他者を連れてくるような規格外に強力な魔術には、それ相応の縛りがあるはずだと。すなわち、召喚するためには必ず帰還するための条件をつける必要があるそうだ。
「条件ってのはやっぱり……」
「うむ。魔王の討伐、じゃろうなぁ。十中八九」
やはりそうなるか。まぁ、そのために俺たちをこの世界に呼び出したのだから当然と言えば当然だろう。つまり、俺一人でも魔王を討伐することができれば、全員が元の世界に戻ることができるというわけだ。
「その際に死んでしまった者が蘇れるかはわからん。それは縛りの内容次第じゃ」
「可能性はゼロじゃないってことか……」
なら、やる価値は十分にあると思えた。
「まぁ、ワシとしては旦那様にはずっとこっちの世界にいてもらっても構わんのだが……」
「それは勘弁してくれ。ところで、ウィニーはなにかしたいこととかないのか?」
数百年も封印されていたのだから、したいことの一つや二つあって当然だと思うが。
俺の質問にウィニーは目を細めると。
「したいこと、か……。それなら、ワシは世界を見てみたいのう。まだ行ったことのない地へ行って、見たことのないものを見てみたい。それがワシのしたいことかのう」
もちろん、旦那様も一緒にの、とウィニーは笑う。
「へぇ、いいじゃないか」
それじゃしばらくの間は、この世界を旅しつつ魔王を倒すための仲間を探すとするか。
「改めて、これからよろしくな。ウィニー」
「こちらこそよろしくなのじゃ。旦那様っ」
そんな会話を交わしつつ、俺たちは登り始めた朝日へと向かって飛んでゆくのであった。