1.楽になりたくて
時刻は、午後5時過ぎ。
私、高校生の鈴木三春は、学校の屋上に来ていた。
もう部活は終わっている。
あとは、帰るだけだ・・・と、普通は思うところだろう。
でも、私は違う。
私は、家には帰らない。
寧ろ、これから旅立つ。
どこか、ここではないところへと。
荷物を置き、スマホを取り出す。
そしてメモアプリに、最後の言葉を残す。
主に家族と、親しかった友人に向けてだ。
「今まで、ありがとうございました。先立つ不幸を、許してください」
保存を終え、スマホも置いて私は立ち上がる。
そして、屋上の端っこへと向かう。
そう・・・私は、これから自殺する。
死に場所は、他ならぬ私が通っていたこの学校の屋上だ。
兼ねてからしようとは思っていたのだけど、まずその方法に悩んだ。
線路やホームに飛び込むのは、周りに迷惑がかかる。
死んだ後まで、人に迷惑をかけたくはない。
かといって、首吊りや練炭をする勇気はない。
準備がちょっと大変だし、誰かに見つかったら止められる可能性もある。
ついでに苦しそうだし。
痛い死に方は嫌だ。
リスカなら、今までちょくちょくしてきたけど・・・
それでどうにかなってたら、こんな選択は端からしなかっただろう。
考えた挙げ句に飛び降りを思いついたのだけど、田舎のこのあたりには確実に死ねるような高い建物がない。
だから、無駄に5階建てであるこの学校の屋上を選んだ。
眼前には、校舎裏の敷地とその外を囲む広大な田んぼが広がっている。
こうしてみると、やっぱり田舎なんだなあと思う。
校舎裏に落ちるのは、グラウンドで頑張っているみんなを驚かせないため。
そして、なるべく密かに死ぬためだ。
どうせ、誰も助けてなどくれない。
私は孤独に生き、孤独に死ぬ運命なのだ。
東京から転校してきてから、3ヶ月。
思えば、今までよく頑張ったと思う。
父さんの転勤で、東京から家族でこの田舎に引っ越してきたわけだが。
転校先のこの学校で、私を待っていたのはひどいいじめだった。
転校直後は何もなかった。
でも、テニス部に入ってからガラリと変わった。
テニス部には、クラスのボス的な存在の女がいたのだけど、こいつがどうも私を気に入らなかったようで、取り巻きの連中を連れていじめをしてくるようになったのだ。
最初は机に落書きをされたり、物を隠されたりという程度で済んだ。
でもそのうち、通りすがりにカッターで切りつけられたり、靴で殴られたり、雑巾を絞った水を飲まされたりするようになっていった。
面白いことに、これらは全て先生のいないところでやられた。
普段はやたら偉そうにしているくせに、先生には敵わないのか。
そう言ったら、余計にひどくなった。
やはりいじめをする奴ってのは、根本的には弱虫なんだ。
弱いからこそ、誰かを虐げて優越感に浸ろうとするのだろう。
例え先生に言おうが、親に言おうが、友達に言おうが、結果は同じ。
決していじめが止むことはなく、むしろエスカレートしていく。
本当に強い人なら、こういう時どうにかしてやり返してやるものかもしれない。
でも、私は弱い。
そんなことは、できない。
悔しい。悲しい。腹立たしい。憎らしい。
でも、どうにもならない。
私は弱い。私は臆病だ。私は負け組だ。
誰に話を聞いてもらっても、どんなにリスカをしても、気持ちは収まらない。
このままでは、私はいずれ狂ってしまう。
それが、本能的に感じられた。
それで、私は思った。
自分は、ここにいてはいけないのだと。
この世界で、生きていてはいけないのだと。
だから私は、覚悟を決めた。
もちろん、本音は生きていたい。
でも、このまま生きていても、ずっといじめられるだけだ。
仮に卒業できたとしても、私が負け組なのは一生変わらないだろう。
であれば、さっさと終わらせてしまいたい。
社会の負け組として、惨めに年を取って死んでいくのは嫌だ。
もう、苦しむのは嫌だ。
残念ながら、いじめというのはいつの時代も加害者が最後に笑うものだ。
でもまあ、それもいいのかもしれない。
今まで長い人間の歴史の中で、それが変わってこなかったということは、きっとそうであるべきなのだろう。
でも、私はそんなのは嫌だ。
そんな世界で、そんな人間の世で生きるくらいなら、死んだほうがマシだ。
正面の西の空には、真っ赤な夕陽が浮かんでいる。
夏の夕暮れは眩しく、そして暑い。
でも、私にとってはそれ以上に、ふくみがあるもののように感じられた。
陽が沈み、これから夜がくる。
真っ暗で、なぜだか悲しくなる時間がくる。
寝付けず、死にたいと思うほど長く、辛い時間がくる。
私はこれから死ぬ。
死んだあとは、きっと幽霊になるだろう。
そして、そこからどうなるかはわからない。
でも、少なくとも生きていた時よりは楽になれるだろう。
何しろ、生きているうちにこんなに苦しんだのだ。
死んだ後くらい、少しは楽をさせてくれてもいいだろう。
いよいよだ。
もはや、この世界に未練はない。
父さん母さんには申し訳ないけど、これも私が選んだ運命だ。
フェンスをてっぺんまで登り、頭を下げる。
よくわからないが、頭から落ちれば確実に死ねるだろう。
身を乗り出し、目を閉じる。
最期の景色など、見る必要はない。
どうせ私の目に映るのは、絶望の日々だけだ。
たとえ、自ら命を経つ直前であろうと。
鉄棒のように身を乗り出し、逆さになった状態になったら、手を離す。
すると、一気に体が落ちてゆく。
ようやくだ。ようやく、楽になれる。
こんなつまらない、地獄のような世界と、お別れできる。
次に目が覚めた時は、どうなっているだろう。
天国か地獄か、はたまた幽霊か。
どっちでもいい。
私は罪を犯した。
その償いは、きっちりするつもりだ。