話せば分かる
「うふふ、おどかし過ぎちゃいましたかね」
いたずらっぽく笑う、妖精の如き美しい少年。
一方のコルアーレは汗で濡れ、眉は情けなく垂れさがり、顎が外れたかのようにだらしなく口は開いて、まるで森に入る前よりも二十年は年をとったかのように見える。
「イェレミアス……王子」
もはやまったく戦う力の全てを失ってしまったコルアーレは呟くように小さくその名を口にし、そして付け足すように「王子」とつけた。
「全て……あなたの、仕業で……?」
ありえない。そんな筈はない。しかし彼の持つ妖艶な雰囲気、怪しげな魔力がその疑念を持たせる。ヤルノは薄ら笑いを浮かべ、すでに絶命しているヴァルフシュの胸に突き刺さった短剣を引き抜いた。
「もちろんそうですよ。僕を始末しに来た騎士団と僕以外の奴が戦って何か得でもあるんですか」
言われてみればそうであるがどうにも納得がいかない。この細身の少年に二十人からなる騎士団の男が翻弄され、生き残ったのがただの一人だというのか。
「もちろん色々と準備はしてましたがね。あなた達は僕が事前に準備してたナイフだとかは回収してましたが、自然物を利用した罠や、そのための材料については気付きもしませんでしたね」
スネアトラップ、弓矢の罠、トリカブト、コルアーレは経験していないが黒曜石、ヤルノは入念に事前準備してこの儀に望んでいたのだが、コルアーレ達が気付いたのはわずかその一部に過ぎないのだ。
だがいくら準備したとして、このひ弱な少年にここまで翻弄されるとは思えない。森に入る前ならばそう思ったのだが、ロークの生皮を剥いでそれを被り、変装するなどという異常性を目の前で見せつけられてはもはや納得するほかない。
「てっきり狩人の棟梁とかいう人が出てくるかと思ったのに、拍子抜けでしたよ。『止め足』にすら気付かない素人集団だとはね」
「止め足」とは追っ手をまくための技術の一つで、わざと足跡を残して歩き、その後自分の足跡を踏みながら後退し、適当なところで脇に逸れて身を隠す技である。主にキツネやクマなどの知能の高い哺乳類が使用する。どうやらコルアーレ達の知能では見破れなかったようだ。
イェレミアスはロークたちを相手にこれを使って奇襲に成功し、さらにコルアーレはコルピクラーニ達の「止め足」に気付かず、人数と潜伏場所を見抜けずに大打撃を喰らった。
「こっ……コルピクラーニとの衝突は偶然だったのか……? あれが無ければ、我らがまだ圧倒的に有利だったはず……」
「まさか」
そう一声答えてヤルノは高笑いをした。そう。この少年が「偶然」などというものに頼った作戦を立てるはずがないのだ。
「彼らにお願いしたに決まってるでしょう。二つ返事で了承してくれましたよ」
「そんな馬鹿な! 獣と変わらぬ奴ら蛮族と交渉など出来る筈がない!」
「そう思うのは勝手ですがね。彼らは蛮族などではなく僕達と同じ人間ですよ。理解し、丁寧に対応すれば必ず思いには応えてくれます」
そう言うヤルノであるが、コルアーレには全く理解できない。どこに交渉の余地などあったというのか。そもそも彼らにとってイェレミアスも騎士団も「排除すべき異物」でしかなかったはずだ。
実際のところ、ヤルノはコルピクラーニと簡単な取引をしたに過ぎない。
鉄鉱石の取れないこの森では鉄器は貴重な道具であり、素材。最初のローク班を襲撃して、殺した者共の装備品を奪い、それを材料にコルピクラーニに騎士団を襲うように交渉。さらに殺した相手の装備品も好きにしてよいと持ち掛けたのである。
この森の中でグリム人を始末することなど彼らにとって赤子の手をひねるも同然。快諾してくれた。
さらにヤルノはロークの皮を剥いで彼の裏切りを演出するとともに猜疑心を植え付け、変装をして別の班を襲撃。彼らの装備品もコルピクラーニに献上した。
その上でコルピクラーニと騎士団が衝突している間に王別の儀を終了させ、余裕があったため生き残りを追跡し、今に至るのだ。
「う、嘘だ……嘘だ!」
コルアーレは情けなくも涙を流しながらヤルノに背中を見せ、四つん這いで逃げ出し、笑う膝を手で押さえて何とか立ち上がる。
「待ってくださいよ。あなたには聞きたいことがあるんです」
「ひぃぃ」
体格差は明らかであるものの、コルアーレはもはや無手であり、ヤルノはナイフを持っている。だがそれ以前に、この妖魔の如き少年相手に、コルアーレは手も足も出る気がしなかった。
あれほど走り回った後だというのに、死力を尽くし、必死の思いで少年から逃げようと走り出すコルアーレ。一方のヤルノは余裕の笑みを浮かべながら彼を追う。
体力的にも随分と余裕があるし、何より足場の悪い森の中では体重の軽いヤルノの方が圧倒的に有利である。
狼が獲物を追い回して疲弊させるのと同じように、コルアーレにプレッシャーを与えながら追い続ける。
恐怖心は、人を狂わせる。十分に恐怖を植え付ければ、この後の交渉事もうまくいくだろう。
「ん……この道は」
だんだんと日が暮れていくにもかかわらず少し回りが明るくなってきている。森の中、ヤルノはこの風景に見覚えがあった。森の出口が近づいてきているのだ。それに伴い、コルアーレの顔にも希望の光が見え始める。
「外が……人がいる!」
もはや騎士の体面も任務もへったくれもない。ただ生き残る事しか考えられないでいた。
その中で希望の光が見えたのだ。森の端に来て、なんとなく人の気配を感じる。あの悪魔から、逃げ出すことができるかもしれない。
「動くなッ!!」
しかし彼の事を待ち受けていたのは槍の穂先だった。
「ひぃッ!?」
なぜこんなところに。彼に槍を突き付けて体を拘束したのは全身鎧を着こんだ白銀の騎士。その鎧には蔦の模様があしらってある。
「へえ、こんなところで珍しい人物に出会いますね」
ヤルノが追いついてきてしばらくすると、コルアーレに槍を突き付けた騎士の向こうからもう一人、小柄な騎士が現れた。
闇夜よりも黒く光沢のある美しい黒髪に、時には少女のようにも見える美しい相貌を備えた騎士。
「ここから先は森の外。こんなところで何をしておいでかな? コルアーレ総長」
女騎士ギアンテである。




