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矢毒

「なんだぁ……こりゃあ……」


 王別の儀、初日の夕刻。平野ではまだ陽の光が空を赤く染め見事なグラデーションを作り上げてゆくのだが、森の中は既に暗く、体は冷える。


 結局この日、コルアーレ配下の騎士は誰一人として王子イェレミアスの足取りを掴むことが出来なかった。野営の準備をするには随分と遅くなってしまったが既に予定が狂っているのだ。泣き言は言ってられない。


 泣き言は言えないのだが、コルアーレとヴァルフシュは目の前の光景に息をのんだ。二人とも戦う場所は違えど歴戦の猛者である。そうでなければこの光景に失神してしまっていたかもしれない。


 途中経過を確認しようとしたものの、ロークの班の足取りが掴めない。仕方なく彼らが行く予定だった森の外に一番近い位置にあった、イェレミアスがナイフを隠した木の(うろ)に、日が暮れる前に向かった。


 そこで見た光景。薄暗い森の中、装備をはがされ、絶命した男の死体が一つ。そしてもう一つ、木に逆さづりにされた男の死体。


 こちらはいったい誰がこんなことをしたのか、同じように装備をはがされているだけではなく、全身の皮を剥がれ、口中には自身の切り取られた一物が詰められていた。


「いったい誰がこんなことを……」


 コルアーレが吐き気を我慢しつつ、口を押さえながら遺体を眺める。人の死体は、創作にある様に恐怖や怒りの表情のままになったりはしない。まさしく生気のない、力の抜けた間抜けな表情であった。


「総長、とりあえず死体を下ろしてやりましょう。このままじゃあまりにも……」


 騎士の一人が、そう言って吊るされた死体に手を掛けた。


「よせッ!!」


 慌ててヴァルフシュが制止しようとしたがもう遅かった。


「ぬわッ!?」


 何かの仕掛けを踏んでしまったらしい。男はしゃがみこんで足を押さえている。


「仕掛け矢か!」


 罠の起動としてはロークがひっかかったスネアトラップと同様。微妙なバランスで少しの衝撃でもつっかえ棒が外れるようにしてあった紐を踏むなり引っ掛けるようにしてあったところに触れると、罠が作動する仕組みだ。


 なんという卑劣な罠か。仲間の死体を目立つところにディスプレイし、その死体を下ろそうとするとさらに罠が発動して被害者を増やすような段取りを組んでいたのだ。


「くそっ、誰がいったいこんなことを……」


 幸いにも矢はスネに刺さっただけ。機動力を大きく奪われはするが、致命傷には至らないであろう。


 それよりもこの死体と罠を誰が仕掛けたのか。それこそが重要だ。


「コルピクラーニの仕業か?」


 先ず疑うのは当然そこである。リィングリーツの森に住まう先住民の戦闘民族。騎士団の男たちはなるべく彼らを刺激しないような格好をし、示威行動もとらないようにしているが、内心面白く思っていないことは確かだろう。


「しかしなあ……こんなのは今までに前例がありませんぜ」


 老騎士ヴァルフシュが答える。今までにも王別の儀で偶発的なコルピクラーニとの接触、戦闘はあり、死者も少ないながら出ている。


 だが、ここまで残酷に、徹底的に排除行動を取られるのは記録にない。ならば……


「まさか……イェレミアスが……?」


 「そんなばかな」と声をあげるのは簡単である。だが簡単に切り捨ててよい考えなのか。一抹の不安がよぎる。少なくとも罪を犯したものを逆さづりにして生皮を剥ぐ、などといった習慣はコルピクラーニに確認はされていない。


 もしあったとしてもだ、ローク班がいったいどんな禁忌を犯してこれほどの罰を受けたというのか。


「ローク班は、三人だったよな」


 もう一つ気になる事。死体は二つしかないのだ。残る一人はどこへ行ったのか。


「辺りに散らばってる装備から判断すると、いないのは班長のロークですね」

()を深追いしてるのか?」

「まさか……」


 まさかの先は、言葉として出されることは無かった。


 何らかの理由があって、ロークが裏切り、仲間を血祭りにあげた。蛮族の仕業に見せかけるために、殊更に残酷な処刑を行った……もしそうなら残酷さを強調するあまり、その目論見は失敗したことになるが。


「やっぱり、一番怪しいのはイェレミアスですぜ。ただ一つの疑問点を除けば、ですがね」


 一番怪しいのはそこである。自分達はイェレミアス王子の命を狙ってこの森に侵入したのだから、彼に返り討ちにあったというのが『動機』としては一番しっくりくる。


 しかしその『ただ一つの疑問点』だけが解決できない。


 すなわち、イェレミアス王子にこんな実力があるのか、という事である。噂では公爵令嬢キシュクシュの護衛の騎士ヒルシェンを決闘で打ち破ったとはあるものの、基本的には武というものを全く知らないスズランのような可憐な少年であるという。


 その少年が騎士の男を逆さに吊るしあげ、生皮を剥いだなどと信じられようはずもない。


「ヴァルフシュさん、ユズリーズの様子がおかしいです!!」


 そうだ。話している場合ではなかった。足に矢を受けただけとはいえ、けが人の手当てが先である。ヴァルフシュとコルアーレは考えを一旦止めて、罠にはまったユズリーズの様子を見に行く。


 ユズリーズは辛そうにうめき声を上げながら力任せに矢を引き抜いた。ただ矢を受けただけにしては異様な脂汗である。呼吸も早まっている。幸いにも矢じりは黒曜石製のもので、複雑な加工はほどこしておらず、したがって()()も無かったために簡単に抜けた。


「なんだこれは? 不整脈の症状がでているぞ……まさか」


 頸部に指を当てて脈を測っていたヴァルフシュは焦った表情を見せて、矢じりを確認し、そして声を荒げた。


「矢毒か!!」


 黒曜石の矢じりには中央に窪みがあり、どうやらその部位に毒が盛ってあったようなのだ。


「この症状は……まさかトリカブト!?」


 もっと早く気付くべきであった。ヴァルフシュは苦悶の色を浮かべながら腰のナイフを抜く。


 すぐに処置できていれば、矢傷周辺の肉を大きく抉るか、もしくは足を切断することで助かったかもしれない。


 ユズリーズは既に目が虚ろであり、意識があるかも怪しい。


 今更足を切断したところで、いたずらに苦しめるだけになる可能性が高い。決断の時である。


「ユズリーズ……悪かったな。今、痛み止めを打ってやる」



――――――――――――――――



「隊長、お疲れ様です」


「すまん、遅くなったな」


 挨拶を返したのは、女騎士ギアンテ。


 辺り一面煤闇と瓦礫の支配する場所。始まりの村、イルス。


 全てはここから始まった。


「とりあえず今日は、それらしき人影は来ていません」


 彼女を迎えたのは騎士の男であった。蔦をモチーフとした紋章は近衛騎士の証。力と美しさ、そして規律。その三つを兼ね備えた王国の象徴となる騎士団。


 『蔦騎士団』、その中でもイェレミアス王子と王妃インシュラの護衛を任務とするギアンテ率いる部隊である。

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