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スケープゴート

「我が末の子、イェレミアス・カラト・ベスペリプスよ。備えはよろしいな」


 王陛下自らが声をかける。


 血のつながった親子と言えど、王位継承権もまだ持っていない子に対して王が声をかけることはほとんどないことが慣例とはいえ、それにしてもイェレミアス王子は国王、ヤーッコに声を掛けられた記憶が全くなかった。


「ふふっ、もちろん大丈夫です」


 当然のことながら、ヤルノに至ってはこの男との接点などまるでない。ただ、あまりにも白々しいその態度に少し噴き出してしまった。


 ヤルノが身に着けているのは平服に毛糸で編んだ厚手のフード付きマント、それにヤギの胃袋で作った水筒に数切れの干し肉だけ。武器となる物は何も持たされていない。これが古式ゆかしい『王別の儀』スタイルだと説明された。


 しかし近年の儀式では剣や弓矢で武装したり、鎖帷子(くさりかたびら)を着込んで事に望むのが普通であると事前にガッツォから聞いていた。要は王別の儀も少しずつ形骸化してきていたのだ。


 それがここにきて急に原点回帰した理由はただ一つ。イェレミアスに「死んでこい」と言っているに等しいことは彼にも分かる。


 その上で「準備はよいか」とは皮肉にもほどがある。これが冗談でないのなら「お前の事を殺すしかない父の苦悩を察してくれ」とでもいう懺悔なのだろうか。笑わせる。


 果たして少年ヤルノはたった一人、何の準備もせずに森へと赴いた。


 その姿はまるで人々の諸々の罪と咎を背負って荒野に放たれる贖罪の山羊の如し。


 その背中を遠くリィングリーツ宮の中から見えなくなるまで心配そうな表情で見送る者達もいる。


 王妃インシュラ、女騎士ギアンテ、そして自らの身代わりの背中を眺める王子イェレミアス。それぞれの思いは三者三様ではあるものの、この王別の儀の行く末を案じており、ヤルノが生きて帰ることを望んでいるという事では一致している。


 イェレミアス王子はただ純粋に、友が生きて森から帰ってくることを。


 生まれて初めてできた友人。この試練が終われば、きっと友は重責から解放されると信じて疑わない。王別の儀が成功に終わる事よりも、ただ生きて帰ってほしいと願っている。


 王妃インシュラは、とにもかくにも王別の儀を成功のうちに終えることを。


 少年ヤルノに対して常に危うい気持ちを抱いている。イェレミアスに取って代わられてしまうような恐怖。そして認めたくない思い。もしこの少年こそが自分の息子であったならば、これほどの苦労は無かっただろうに、という。

 だからこそ早く王別の儀を終えて、情が移らぬうちに闇へ葬ってしまいたいと。


 そして、女騎士ギアンテ。


 おそらくはこの者がヤルノに対しては最も複雑な思いを抱いているであろう。そしてヤルノの姿を通して、イェレミアスの姿を見ている度合いが最も強いのも彼女だ。


 さにあれど、ヤルノ自身と肉体関係を結んでしまっているという側面もある。王子であれば、決してしないような行為をヤルノとしているのだ。そういう意味では、明らかにイェレミアスとは別個の性質をヤルノに見出しているはずなのである。


 ヤルノに「好きだ」と言われ、肌を重ね、個人的な思いはもはやイェレミアス以上に彼に対していだいていると言ってもよいかもしれない。


 それゆえに複雑なのだ。


 王別の儀を終えてヤルノが戻ってくれば、その成否如何に関わらず彼女はヤルノを殺さねばならない。


 その後も生かして影武者として利用するという手もあるにはあるが、いずれそれがバレる危険性を考えればそんな危ない橋は渡れない。


 それはつまり、ただ「イェレミアスには影武者がいる」という事実にはとどまらないからだ。


 ここまでに似ている影武者ならば、もしや王別の儀を通ったのはヤルノの方だったのではないか、という疑惑は当然湧き上がるからだ。


 いっそのこと、二人でどこか遠くに逃げられたならば。


 とはいえ、王子への敬愛の心が消えてしまったわけでもない。彼女にとって「やるべきこと」ははっきりと決まっている。だからこそ時折妄想の中に自分の心を閉じ込めて自身を慰める事を誰が責められようか。


 いずれにせよ、次に彼に出会う時、おそらくは一週間後か、十日後か。その頃には行動を起こさねばならないのだ。


 そもそも戻ってくることが出来るのか。ノーモル公はヤルノを闇の中にて滅殺せんと機を窺っている。王陛下ですらそれを黙認しているふしがある。


 事前に森の中に数か所、ナイフなどの武器を隠しておいてはあるが、きっとそれも騎士団の手の者に見つけられている事であろう。


 すでに賽は振られたのだ。もはや彼女らに出来ることは、何も無い。

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