暗躍する者たち
「なかなかにヤバい人ですね、ガッツォ殿下は」
「共和派の最右翼だという事は聞いているが……」
ガッツォとヤルノがお忍びで城下町に繰り出した次の日の午後。この日はヤルノと女騎士ギアンテはリィングリーツ宮の中庭ではなく、騎士や兵士達が使用する鍛錬上でトレーニングをしていた。
正直言ってヤルノが町に出ることについては反対であり、気が気ではなかったギアンテは無事戻ってきたことに一安心、というところである。
では何もトラブルが無かったのかと言えば、当然そんなことはない。ギアンテが心配していたような荒事は無かったが、謎の老人に絡まれた。
それ自体はそれ以上の情報が無いのでどうしようもない。ヤルノが気にしているのは彼自身の資質に関してである。
「巷の噂では肝も据わっていてなかなかの大人物という評判でしたが、あれはとんだ調子乗りの小者ですよ」
ギアンテは少なくともヤルノの「人を見る目」については信を置いている。
「王別の儀も近いからな。何か探りを入れるような事でもしてきたか?」
鍛錬場は基本的に身分の関係なく誰でも立ち入れる場所。現在余人はいないため、ギアンテの口調には遠慮がない。「イェレミアスと同じように扱う」という自らに課したルールを敢えて破っているのは、ひとえにヤルノとイェレミアスが似すぎていることが原因である。こうしていなければ、自分の認識を保つことができないのだ。
「逆ですよ。僕を取り込もうとしてきました。『君の境遇なら共和制に興味があるんじゃないか』って」
ヤルノと共に剣の素振りをしていた手を止めてギアンテは考え込む。実を言うと次期国王候補は長兄のガッツォが国民議会(下院)を重視する共和派、次兄のアシュベルは貴族院(上院)を重視する王党派と綺麗に分かれている。とはいうものの、その二人がガチガチの思想家なのかというとそれも微妙、というのが実情である。
何しろガッツォが国民議会を重視するような発言をするようになり始めたのは王別の儀を通ってからであるし、アシュベルもガッツォの主張に反抗するように王党派と近づいて行った。要は、少なくともアシュベルは兄との差別化を図るために王党派と親しくしているだけではないか、という見方がある。
これにさらにガッツォがお忍びで行った酒場で持ち上げられていい気分になって共和派になったというのならば、もはやこれは「しょうもない」と修飾するほかあるまい。
「僕が王別の儀を通ったら、自分か僕のどちらが王になってもいい、この国を変えたい、とか格好つけて言ってましたね」
ギアンテは目を閉じてふぅ、とため息をついた。
「やはり、お前にはどうしても王別の儀をパスしてもらわねばならんな。あんな連中に国のかじ取りは任せられん」
ギアンテも気づいてはいる筈なのだが。肝心のイェレミアスにも王としての「使命感」も「やる気」もないという事に。しかし現状維持をするだけならば王が愚かでも官僚機構がしっかりしていれば国は回るだろう。
「詳しい日取りまではまだだが、王別の儀はそう遠くないうちに行われるらしい。これまでは夏に行われることが多かったのだが、今回はもっと早い時期になるようだ」
リィングリーツは暗闇の森。夏であればまだしも、春先はまだまだ冷える。石碑のある場所は森の奥深く、一日で行って戻れる距離ではない。
であれば、何日かは夜の森で過ごすこととなる。獣や森の民に襲われる危険もあるが、それ以上に夜の森の寒さは容赦なく旅人の体力を奪っていく。
「誰かがそう仕向けた?」
「その可能性が高い」
ギアンテの脳裏には先日の、娘を失って冷静さを欠いている公爵の顔が浮かんでいた。
王別の儀を取り仕切る国家騎士団総長のコルアーレと公爵オーデン・オーガン卿は近しい間柄。まさかとは思うが娘と王子の縁談の目が無くなったことへの腹いせではないかと、そう考えたのだ。そして、その考えはおおよそのところで正しい。
まさか亡き者にしようとまでは見抜けていないのであるが。
「じゃあ、王別の儀はもう近いっていう事ですか?」
「そうだな」
「ま、そっちは心配しなくても大丈夫ですよ。前も言いましたが、あそこは僕にとって庭みたいなものですから……それよりも」
ギアンテが手を止めても適当に木剣を振っていたヤルノであったが、手を止めて顔を俯かせた。
「イェーゲマイステルと呼ばれている老人の事を知っていますか?」
「噂には聞いたことはあるが、その人物がどうか……」
答えようとしたギアンテに対し、ヤルノはスッと手を上げて制止した。ギアンテはすぐに「誰か来たのだ」と気づいて佇まいを正す。せっかく計画が上手くいっているのに油断から破綻したのではたまらない。
「元気にやってるみたいだね、イェレミアス」
「アシュベル殿下」
酒場にお忍びで行った時はガッツォの事を兄上と呼んではいたものの、基本的にヤルノはイェレミアスに倣って兄たちの事は殿下と呼ぶ。異母兄弟と言えどもその程度の薄い付き合いである。
鍛錬場は通常王族が顔を出すような場所ではない。また何か探りを入れに来たのかとギアンテは身構えたが、ヤルノは自然体で対した。
「婚約者の件、残念だったね、イェレミアス。オーガン卿が後ろ盾につけばお前も安泰だったろうに」
「そうなんですか?」
とぼけたような言葉であるが、『イェレミアスが言いそうな言葉』でもある。
「王別の儀が早まったの、卿が絡んでるらしいよ」
ギアンテの目が見開かれた。先ほどの彼女の予想通り、どうやら『王別の儀』の条件を不利にしようと動いている者がいるのだ。
「公爵家には今フリーの娘がいないからね。他の家にとられるくらいなら、始末しようって事じゃない? 奴に目を付けられるなんて災難だね」
「そんな……僕は、どうしたらいいんでしょう」
「僕が教えてあげられるのはここまでだ。卿がこの後僕と手を組まないとも言えないからね」
「アシュベル殿下、ご忠告ありがとうございます。なぜ、そのような情報を?」
「この間の侮辱のお詫び、と言いたいところだけど、『本当の忠告』はここからなんだ」
ギアンテが礼を言うと、アシュベルは彼女を一瞥してからイェレミアスの肩に手を置き、近すぎるほどに顔を近づけて囁く。
「今まで部屋に大切に保管されてたお前には分からないだろうけど、リィングリーツは骨肉相食む獣の檻だ。王別の儀を棄権するなら今の内だぞ」
これが本題だったのだろう。アシュベルはイェレミアスが別人になっていることなど当然知らない。少し脅せば王別の儀を棄権して、ライバルが一人減るとでも思っているのだろう。
本題の終わったアシュベルはヤルノ達に背を向け、手を振りながら脚を進めて鍛錬場を後にしようとする。が、すぐに立ち止まって顔だけをヤルノ達の方に向けた。
「ああそうだ、一つ忘れてた」
先ほどの『忠告』の時の鋭い目つきとは違い、いつもの人好きのする柔和なアシュベルの顔である。
「最近夜中に陛下の寝室の近くに妖精が出るって噂があるんだけど、何か知らない?」
「ニンフ……ですか? 聞いたことないですけど」
「侵入者がいるというなら我々近衛騎士の手落ちですが……」
ヤルノもギアンテも口々にそんなものは聞いたことがないと否定した。彼が何を言いたいのか、ただの噂話なのか。話の意図としては全く読めない。
「ふふふ、ニンフじゃなくてバンシーかもしれないけどね。なんとなくだけど、近々大きな動きがありそうな気がするなあ」




