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無能な臆病者

 だんだんと春の足音が近づいてきているグリムランド王国の首都、ウィンザーハーツの街ではあるが、やはり日が落ちてしまえば顔が引きつるほどに寒い。


 とはいうものの街の活気は流石首都だけあってなかなかのものである。ガス灯や電気のような照明がないので薄暗いのは否めないが、この寒さだというのに居酒屋のテラス席も結構な盛況で、みな陽気に酒を飲んでいる。


 暖かいわけではない。しかしそれでもあえて外で飲むことで少しでも「冬が去った」という事を実感したいのだ。


「あんまりキョロキョロするな、イェレミアス。みっともないぞ」


 たしなめるガッツォであるが、顔は笑っている。一方のヤルノは注意されても驚きながらキョロキョロと辺りを見回しながら歩き続ける。


 これは珍しく演技ではない。小さな寒村で育った彼にとっては夜の町の喧騒は初めての経験であった。それは、おそらくはイェレミアスも同じであったであろう。


「あの女騎士は後をついてきたりしてないだろうな」


 適当な店に入って席に突きながらガッツォはヤルノに話しかけた。


「大丈夫でしょう。ギアンテは目立つ外見をしてますから」


 彼女の褐色の肌と漆黒の美しい髪は鎧を着こんでなくとも大変に目立つ。しかし「目立つ」と言えばこの二人もそう大差はないのだ。平民は成長期に十分に栄養を取れないのでどうしても体格は小さくなりがちである。その点ガッツォは縦にも横にも随分と大きい。


 一方でヤルノは体格で言えば平民にも見劣りするくらいではあるものの、白銀の美しい髪と少女と見紛うような可愛らしい顔は夜の街には似つかわしくない。


 一応粗末な服を着て変装はしているものの、一見して「只者ではない」ことは明らかである。そしてそれが分かっていながらある程度見て見ぬふりしてくれる場所をガッツォは選んでいるのだ。


「大将、俺にはエールを。こいつには、そうだな……軽めの果実酒をくれ。それと適当に肴を見繕ってくれ」


 手慣れた様子で注文を済ませると隣の席の男が話しかけてきた。


「よぉ、ガルフの旦那。今日はずいぶんとカワイ子ちゃんを連れてるじゃねえか」


 どうやら『ガルフ』というのがここでのガッツォの通り名らしい。


「よく見ろ、こいつは俺の弟のヨンネだ。いくら酔ってても男と女を見間違うバカがあるか」


 そしてイェレミアスの通り名はヨンネに決まったようである。確かに天使のような可愛らしい顔をしてはいるものの、そもそも服が男物なのだ。男の方も半分分かっててからかい半分で声をかけてきたのだろう。随分と気やすい付き合いをしているようであった。


「兄様、ここへはよく来るんですか?」


 最初の男の後にもガッツォ達のテーブルにはひっきりなしに声をかけてくる者があった。まさにホームグラウンドといった様相である。


「まあな。最初は興味本位で来ただけだったんだが、色々と面白くてな……ヨンネ、お前は市井の暮らしというものをどのくらい知っている?」


 なんとも間の抜けた質問である。


 知ってるも何もヤルノは元々その「市井」から来た人間なのだ。普通の人間ならばここで噴き出してしまったかもしれないが、鉄壁のヤルノは表情を崩さずに静かに顔を横に振った。


「王となる人間は、国家の礎たる国民のことをよく知らなきゃならない。少なくとも俺はそう思う」


 バカバカしいにも程がある。もしヤルノが感情的な人間であれば手元にある果実酒をガッツォの顔にぶちまけて罵ったことであろう。


 こんな上等な居酒屋で美味い酒をかっくらって何が「市井の生活を知る」か。王都に住んでいる、というだけでかなり上等な部類の人間なのだ。そんな上澄み連中が金に余裕があるときに飲みに来る酒場に気まぐれに遊びに来て「国民を知る」などと言えば噴飯ものである。そしておそらくは大した産業もなく、土地も痩せていたヤルノの故郷の村は、反対にこの国の中でも下から数えた方が早いほどの寒村である。


 しかし当然ながらヤルノはそんなことはおくびにも出さず、興味深そうに彼の話を聞くだけだった。


「兄様は、なぜ僕にそんな話を? てっきり僕のことは敵視しているのだと思っていました」


 実際アシュベルは彼の事を敵視して隙あらばその正体を暴いてやろうと画策していた。しかし今日のガッツォの行動は王位継承権の争奪相手というよりは年長者がそれこそ弟に世間を教えるようであった。


「ヨンネ、確かあの騎士……ギアンテは庶子だったな?」


 一見唐突な話題であるように感じられた。しかしガッツォの表情にはアシュベルにあったような彼女を軽んじるような姿勢は見えなかった。


「お前は普通の貴族とは色々と立ち位置、価値観が違うからな。もしかしたら俺と同じ道を志せるんじゃないかと、そう思ったんだ」


「……つまり、どういうことですか?」


 ヤルノがそう聞くと、ガッツォはおもむろに立ち上がってテーブルを両手で力強く叩いた。


「この国は、変わらなきゃならないんだ」


「おっ、始まったな」

「格好いいぜ、ガルフの旦那」


 それに合わせる様に周りの酔っぱらいどもが囃し立てる。この茶番はいったい何なのだろうか。ガッツォはそこまで酔っているようにも見えないが、もしかして毎回こんなことをしているのだろうか。


「一部の者が富を独占して、国家の大部分を占める多くの国民が貧困にあえぐ、そんな社会は間違っているとは思わないか」


 別に思わない。


 力を持つ者に富が集まり、その富がさらなる力を呼ぶ。おそらくは人が食料を長期保存できるようになり始めた頃から続くこの世の常識。当然ヤルノもそこに疑問を差し挟むことはなかった。


 なかったが、ここは目をキラキラと輝かせてガッツォを興味深く見つめる演技をする。


「俺は、この国を共和制にしたいと思っている。国の行く末を国民が自分の事として考え、自分で決める。国家という形の最高の政治形態だ。国を構成する国民の手に、国家を取り戻すんだ!」


 周りの席から歓声が上がった。大部分は酔っており、わけも分からず大声を出しているだけに見えたが。


「幸いこの国にも議会はある。国民が参加できるのはお飾りの下院だけだがな。俺はその下院、国民議会の力を強めて貴族院との力関係を逆転させ、この国を事実上の共和国にするつもりだ」


(なるほど……)


 ヤルノはようやく合点がいった。


 確かにイェレミアスの境遇と性格を考えれば、彼がガッツォの考えに賛同する可能性は高い。こういった綺麗事が好きそうであるし、何よりリィングリーツ宮の貴族中心社会で苦労してきた二人を間近で見てきているからだ。


 そして、イェレミアスを自分の陣営に引き入れたいのだろう。


「ヨンネ、お前ならきっとわかってくれると思ってな。だからこうして一緒に今日は来てもらったんだ」


 歓声がやみ始めた頃、ようやくガッツォは座って静かにそう言った。


「別に俺が王になる必要はないんだ。お前でもいい。俺はそこにこだわりはない」


 そのほとんどは周りの声にかき消されてはいるが、割と無思慮に「王」という言葉を使う。少し前に言っていた通りここの連中は「知ってて知らないふり」をしてくれるからか。まあ、その立ち振る舞いから開示されなくとも只者ではない事はバレているだろう。まさか王子だとは思ってはいないかもしれないが「どこかの貴族がお忍びで来ている」くらいは誰でも察する。


 だからこそこんなに無遠慮に政治の事を口に出しもするし「貴族の中にも庶民の味方がいる」と分かればそれだけでちょっとしたヒーローにもなれる。


 ヤルノはガッツォの事を完全に理解した。


(なるほど、この男は無能な臆病者か)

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