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ガチ恋ホモ乙女騎士ヒルシェン

 王都の一等地に居を構えるノーモル公オーデン・オーガン卿の屋敷。以前に物取りをしようと忍び込んだ賊が一人残らず捕まり、生きたまま逆さ(はりつけ)にして晒されたため、通称逆十字屋敷と呼ばれることもある。


 グリムランドの王国は北部に未開の森林地帯をもって天然の守りとし、南側から攻め込もうとすれば諸侯の出先機関として機能している屋敷がそのまま防衛用の砦として活用されるつくりとなっている。


 軍事力に対して堅牢な作りはそのまま賊に対しても有効であり、前述の逆さ磔の件もあって忍び込もうという命知らずは存在しない。


 その日の夜はオーガン卿と娘のキシュクシュも屋敷に詰めており、普段よりもいっそう堅い警備態勢が敷かれていた。


「侵入者を許すな。だが、もし捕えられれば、決して殺してはならん」


 騎士ヒルシェンはオーガン卿に仕える若手の騎士の中でも格別の信頼を置かれている男であり、一人娘である令嬢キシュクシュの護衛を命じられていた。


「はぁ……」


 そのヒルシェンにきつく言いつけられた衛兵の一人は、なんとも間の抜けた返事を返した。別に気が抜けているわけではない。彼の言葉に大きな違和感を覚えたからだ。


「ヒルシェン様は、今日賊が入り込むって情報でも得てるんですか?」


 何か異変がない限りここまで衛兵への申し送り事項を強調して伝えることはない。おまけに賊が侵入すればそれを捕えろとまで指示している。

 何か今日侵入する賊に心当たりでもなければこんなことは言わないだろう。


 読心術の心得のない衛兵でもそれくらいは分かる。


 逆に言えばそんな事も言われないと分からないほどにヒルシェンは平静さを欠いているように見えた。彼は小さくため息をついて、観念したように言葉を吐く。


「断定は出来んのだが、今夜、キシュクシュ様の寝室に忍び込もうという不届き者がいるかもしれんのだ」


 衛兵たちがざわつくが、ヒルシェンがそれを視線で黙らせる。その情報をヒルシェンが得ているという事は「不届き者」から予告状でも届いたのか。まるで小説か歌劇のような話ではないか。女だけでなく、男だってこういう話は大好物である。


「お前らが深く知る必要はない。とにかくしっかりと警備をしておればよいのだ。逆十字屋敷の名に懸けて、侵入者など許すなよ」


 一気呵成にそう言い放つと、これ以上の詮索は受けん、とばかりにヒルシェンは衛兵たちの詰所から出て行って、それきり自室に閉じこもってしまった。


 彼の部屋は役目の都合上令嬢キシュクシュの部屋の近くにある。それも冷静で分別のある彼が男女の間違いなど犯すまいというオーガン卿の信頼の証でもあるが、しかし彼は賊の侵入の可能性があるにもかかわらず、屋敷内を見回ることなどせずに部屋に閉じこもったのだ。


「俺は、何をやっているんだ……」


 キシュクシュとは昼間にしか会っていないが、普段は人をからかうか、不満げな表情を見せるかのどちらかの彼女が、上機嫌で鼻歌など歌いながら花を選んでいた。


 その感情は、間違いなく嫉妬だった。


 それが、キシュクシュを奪われることへの嫉妬だったならば、まだよかったかもしれない。恋心を持つことの許されぬ主従の関係なれど、しかしよく聞く話ではある。実際護衛の騎士といい関係になってしまった貴婦人の話などというのは創作の中だけの話ではない。


 だが違うのだ。


 ヒルシェンはベッドに仰向けに身を投げ出して天井を睨む。


 彼が恐怖し、嫉妬しているのは、キシュクシュに王子を奪われることに対して、である。


「はじめから、分かっていたはずなのに……」


 天井を鋭く睨む目から、涙がこぼれる。


 そう、最初から分かっていたはずなのだ。こんな関係が長く続くはずがないと。所詮は男同士、一時の過ち、気の迷いの類である。彼はまだ騎士として遠征などはしたことがないが、戦場では()()()()()()は多いと聞く。

 しかしそれは戦場である都合上周りに男しかいないという特殊性から生まれるものであり、日常ではない。


 ましてやその関係にのめり込むなどあってはならない事だ。


 その上、相手は身分違いの王族。さらに言うなら自らの使える主の婚約者。二重、三重に禁忌を犯している状態である。


 しかし一夜の夢と笑うにはあまりにも肌を重ねすぎた。


「王子は、何を思って、俺なんかと……」


 自分に問いかけるが、答えなど最初から分かっているのだ。所詮はただの火遊びに過ぎなかったと。戯れなのだと。そんな関係に本気になる自分の方がおかしいのだと、分かっている。


 それでも。


 それが分かっていても、彼が望むことはただ一つだった。


「こうしていても仕方ない」


 思いを振り切って、ヒルシェンはベッドから立ち上がった。過ぎたことを悔やんでも仕方がない。夢を見続けても仕方がない。自分には自分の職務がある。果たさねばならない責務がある。


 もし王子がこの屋敷に忍び込もうとして衛兵に捕まればとんでもないことになる。ましてやヘタに逃げようとして討ち取られでもしたらお家騒動にもなりかねない。とりあえず彼は護衛の責務として屋敷を見回ることにした。


 食堂、広間、応接室……いずれの部屋をまわっても異常はない。あるはずがないのだ。いくらあの王子が人間離れしていようとも、守りが固い上に普段よりも警戒態勢を敷いているこの屋敷に何人(なんぴと)たりとも入り込めるはずもなし。


 次にヒルシェンは少し足を延ばして屋敷の塀の外周まで見回ってみた。もしも王子が本当に今夜来るのなら、屋敷の警護に恐れをなして外をウロウロしているかもしれない、そう思ってのことであった。


 ほとんど彼の妄想に近い予想であったが、しかし実際に裏門に回り込んだ時、衛兵と何やら話をしている女性を見つけた。


 女性ならば、キシュクシュが予告した『侵入者』とは別のはずであるが、しかし彼はなんとなくそれが気になって声をかけた。


「ああ、ヒルシェン様、この女がどうしても用があって中に入れてくれないかってきかなくて……」


「なんだと?」


 ヒルシェンが話しかけるとその女……まだ少女と言ってもおかしくない年齢のようだったが、彼女が顔を上げた。


 ふわりと美しいプラチナブロンドの髪。青白いほどに色素の薄い肌は頬だけがリンゴの様に紅潮している。とてもそこらの町娘には見えない美しさであるが、こんな夜中に独り歩きという事は貴人でもあるまい。しかし花の精の様にその儚くも美しい顔に、ヒルシェンは確かに見覚えがあった。


「王……」


 思わず自分で自分の口を押さえる。


「ヒルシェン様のお知り合いで?」


 間違いない。間違うはずがない。化粧をし、女の恰好をして、まるで別人のようではあるが、間違いなくイェレミアス王子その人であった。


「ヒルシェンさま……」


 涙ぐんだ目で小さく鳴くその声は、まるで仔猫のよう。ヒルシェンは衛兵から守るように、王子を引き寄せた。


 衛兵は何も言わなかった。侵入者だとか賊だとか、そういった類のものではないとすぐ理解したからだ。「ははあ、そういう事か。堅物のヒルシェンも所詮は男か」と、そう思っただけである。


「すまん、この事は誰にも言うな」


 ヒルシェンは懐から金貨を取り出して衛兵に握らせると、その少女を連れて屋敷の中へ入っていった。

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