表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
MARCHはすべりどめ  作者: なしごれん
MARCHはすべりどめ
7/14

第七話

「四十分?そりゃあだいぶかかるなぁ」


宏太は受付台の横に置かれたデジタル時計を眺め、今が三時をすこし過ぎた時分であることを確認すると、難しい顔で女店員と向かい合っている賢二に

「おい、あと四十分も待つんなら今度にしようぜ」

と囁いた。


「キャンペーンは今月いっぱいやってるんだろう?それなら何も急がなくなっていいわけだ。今日は運が悪かったってことで、次回にしようぜ」


宏太はそう言うと、「すみませんまた今度にします」と女店員に微笑みかけ、賢二の背中を押すようにして店を出た。



先ほどのエレベーターに乗りながら、賢二はふてくされた表情で


「ちぇ、せっかく午前あがりだったのに。知ってるか?来月は模試があるから、講義が早く終わるのは今日と再来週の水曜日しかないんだぜ」


と壁のポスターを見つめながら呟いた。


「再来週の水曜。お前予定あるのかよ」


「あるよ。藍子とデートだ」


「そりゃあ抜けれねーな」


宏太は声を殺して笑った。


「アイツ、俺が浪人生だってわかって誘ってくるんだぜぇ?いくら自分がA判定だからって、彼氏の俺のがんばりなんて、これっぽっちも評価してくれないんだよ」


賢二とひとつ歳が下の俵藤藍子は彼と同じ工業高校の後輩で、二年前の体育祭で知り合ってから、すぐに賢二が告白して付き合った。


藍子は工業高校の生徒とは思えぬほど勉強がよくできた。なんでも、中学時代の全国模試で冊子に乗ったことがあるらしく、特に数学と理科がよくできた。


「建築家になりたいらしいんだ。そんで家の近くにデザイン科があるのが、うちしかなかったんだって」


賢二は高校の機械科で学年も異なることから、校内では滅多に顔は合わせなかった。けれど賢二が高校を卒業し、浪人という肩書きになってからは、気軽に遊びに誘える、言わば都合のいい遊び相手だと思っているらしく、学校のない土日以外にも、授業が早上がりになる期末前や代休日でも、躊躇なく遊びに誘ってくるのだと賢二は言った。


「藍子は頭が良いから、学校のテストなんかはいつも一位で、教師陣は『創立以来の才女だ』って、藍子のこと持て囃すんだ。だから俺がちょっとわからない問題があって、この部分ってどうやって解くんだって聞くと、『なあに、そんなこともわからないの』って言って、大笑いして俺に教えるんだ」


藍子は自分の志願している私立大学建築学科の公募推薦は、成績からするとほぼ確実に通るのだから、受験勉強は家でしないのだと言っていた。


「それでもお前の受験、応援してくれてんだろ?いい彼女じゃないか」


一階に着き、エレベーターの扉が開くと、宏太はこれからどうする?と賢二に言い、彼は何も言わず通りに出た。



街灯の先に付けられたスピーカーから僅かに音楽が流れていた。二人がさてどうしようかと道端で立っていると、ビルから二店ほど離れた先の区画の路地から、男と女の諍いが聞こえた。


男の酒で焼けたのだろうか。鼻声のような擦れは若く、女のキンキンした発声は、アニメのキャラクターのように高かった。


路地裏の声が反響して二人の耳に届く。街柄から、そういう輩が昼間からいてもおかしくはないだろうし、道行く人々も二人を止めようとはしない。この辺りならよくあることだろうと、二人とも無言だったが、やがて賢二が何か驚いたような顔を宏太に向け、


「おい、この声」


と鼻息を出して言った。


「なんだよ。面倒なことには無視が一番だ」


「ちげぇーよ。ほら女の方の声」


賢二にそう言われ、宏太は注意深く二人の声を聴いた。会話の端々から「すき」だとか「どうして」という女の嬌声じみた声が聞こえ、宏太は別れ話でもしているのだろうかと、ビルの壁に寄りかかり、腕を組んで二人の声を聴いていた。


「なぁ、わかっただろう?」


「あぁ、きっと男の方に落ち度があるんだ。それも複数人との浮気だな」


宏太は得意そうにそう言うと、人差し指で人中を軽くこすった。


「いや違うって。話の内容じゃなくて声だよ、声」


「声?そんなにおかしかったか?」


宏太は不思議そうに賢二の顔を見つめる。賢二はため息をつくと、呆れたといった表情で


「こうちゃんは本当に勉強以外のことは覚えが悪いなぁ。」


といって笑った。


「中学に富田ってやつがいたの覚えていない?」


「富田?」


宏太はきょとんとした表情で、しばらく固まっていたが

「あぁ、そう言えば居たなぁそんなやつ」


と、眉を上げて答えた。



富田智咲は彼らと同じ中学校だった。

彼らの通っていた横浜市立皇子北中学校は学区内が狭く、富田は宏太と賢二の通っていた小学校とは別、クラスも異なっていたため、顔を合わせたことはほとんどなかった。


けれど宏太は、中学二年時に催された『三浦体験学習』の実行委員の集まりで初めて、富田と出会ったのだった。


百五十センチくらいの背のショートカットで、ベージュ色の眼鏡はズリ落ちそうなくらい目から離れている。肌身離さず持っているノートを胸に抱きしめるようにして、初対面の宏太に軽くお辞儀をした。


宏太は初め、極度の人見知りなのだろうかと思って、グループ討論の際に様子を窺っていたが、彼女は初め「記録します」と言ったっきり会話に入ることは無かった。



それまでなら、彼の脳裏にも富田智咲という女はこうも鮮明に刻まれていないのだったが、彼女の態度は会議が終わるなり豹変した。


違う班に居た同じクラスであろう女子と、楽しそうに会話をするのである。内容は流行りのアニメについてだとその時は思ったが、彼女たちの会話の端々に、『カップリング』や『攻め』などの言葉が聞こえ、彼女達はそれを陰気臭く笑いながら話しているのである。


宏太はその班の議長の役を務めていたから、今日の話の内容を確認しようと富田に声を掛けようと戸惑っていたが、近くに座っていた顔見知りの女が


「あの子、あの話になるとちょっとおかしくなるから。ノートはまた次回に聞いた方がいいかも」

と引き目がちに言っていたことを、宏太はその時思いだしていた。


「あのBL好きの富田に彼氏ができたとはなぁ。世の中何があるかわからんもんだなぁ」


賢二は興奮気味に笑って、宏太の顔を覗いた。それは万年彼女のいない宏太を見下すような、一種侮蔑的な嘲笑だったので、宏太は無言で賢二のすねを蹴った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ