第六話
賢二は幼い子供がうっとりとするように、目を輝かせてそう言った。
「世の中にはいろんな人がいると思うけどな、俺はああいうう奴は嫌いだ」
「どうして?」
賢二が疑問の目で見つめてきた。宏太は呆れた具合で
「お前、俺の話聞いてなかったのかよ。俺はあいつに侮辱されたんだぜ?文系で一番成績が良くて、勉強の量だって、クラスの奴らとは比にならないくらいやってるんだ。それなのにアイツは会っていきなり……」
「こうちゃんだって末野のことよく知らないんだろ?」
宏太はその声に驚いて賢二の顔を見つめた。ちょうどその時ウェイトレスが料理を運んできたので、宏太はウェイトレスの手から料理を受け取ると、笑みを向けて礼を言った。
机に料理が置かれると二人とも無言になった。宏太はアイスティーにミルクカップを入れると、口を汚しながらオムライスを頬張る賢二に
「それ美味いか?」
と聞いた。
「おいしいよ。特製のデミグラスを使ってるから味が濃いんだ」
「俺にも少しくれよ。その匂いを嗅いでいるとこっちまで腹が減ってくる」
宏太は自分のスプーンを賢二の皿に当て、ケチャップで赤く染まったご飯の山を掬った。
「あぁ、そんなにたくさん……」
賢二の声が終わる前に、デミグラスのかかった米が、宏太の口の中へと入っていった。
料理を食べ終えて三十分ほど駄弁り、店を辞した二人は、カラオケのあるイセザキモールの本通りへと進んだ。
そこは昭和から続く歓楽街で、綺麗に補装された石タイルの両脇に、呉服屋や茶屋などの老舗店が軒を連ね、平日午後の通りには、サラリーマンや主婦の姿が多く見受けられた。
「たしか、交差点を渡ったドンキのほうだった気がする」
チラシを持ちながら、キョロキョロと周りを見渡してる賢二に、宏太は近づいて
「この『Ruya』って店の隣の建物なんだろ?だったら人に聞いたほうが早いんじゃないのかぁ?」
とため息交じりに言った。
チラシの右下に書かれていた小さなマップには、簡略化された伊勢佐木町周辺のことが描かれていて、『カラオケ王子』の店舗がある明京ビルの隣には、『Ruya』という店があると書かれているのだった。
二人は本通りに歩いていた、五十代後半らしき婦人に『カラオケ王子』という店は知っているかと尋ねたが、開店してまだ間もないこともあって、婦人は顔を横に振るばかりだった。
「じゃあ、この『Ruya』って店はわかりますか?」
宏太はそう言って、婦人にチラシを渡した。
遠視の強そうなベージュ色の眼鏡を軽くこすっていた婦人は、怪訝な面持ちでチラシを見入っていたが、やがて
「あぁ、神山さんのとこね」
と明るく言った。
「わかりますか?」
「うん、夫婦でやってるところなの。ここからすぐよ」
婦人は通りとは反対の方面を指さして、ここから歩いて五分くらいだと言って笑った。
「神山さんの所は凄いわよ。なんてたって横浜で一番のランプ屋さんなんだもん」
「ランプ?」
賢二が興味津々に呟く。
「そぉよ。世界各国を旅してランプを集めたみたいなの。それが店内の至る所に飾ってあるから、見ているだけでもうすごいのよ」
婦人の話によると、どうやら店主は三十代の頃に脱サラをして、バックパッカーとして世界各国を旅してきた人のようで、十五年ほど前から伊勢佐木町四丁目に店を構えだしたのだと語っていた。
「カラオケの帰りにでも寄ってみるといいわ。とても気さくな方だから話すだけでも楽しいと思うの」
「はい、そうさせてもらいます」
話が長くなりそうだと思ったのか、賢二は愛想笑いを浮かべ早々とそう言った。
微笑んで去っていく婦人に深々と礼をした宏太は、親切な人間に出会ったという喜びを心で噛みしめて、たった今婦人の口から出た『Ruya』という雑貨屋の、色とりどりに輝くランプをぜひ見てみたいと思った。
「ランプ何て、誰が買うんだぁ?」
婦人が去ってから、賢二は薄笑いを浮かべて歩き出した。
伊勢佐木町一丁目と二丁目にかけて伸びるイセザキモールを過ぎると、京急日ノ出町駅に繋がる根岸道路に着き、そこから交差点を渡ってしばらく行くと、人通りも少なくなってきた。
「ほら、ここだよ明京ビル」
賢二が指さした二メートルほど先に、黒の外壁をした明京ビルが、慄然とそこに建っていた。
それはビルというよりもマンションのような、閑散としたビルだった。入口が狭く看板も少ないため、所見では到底カラオケの入っているビルだとは判別できないのだが、横の壁にしっかりと『四階 カラオケ王子』と書かれていたため、宏太は不穏な心持のまま、ズカズカと先をゆく賢二についていった。
「なんだか随分と古い建物だなぁ」
狭いエレベーターに乗りながら、宏太は持っていたチラシと同じものが壁に貼られているのを眺めていた。
「なぁ」
「なんだよ」
「さっきの続きなんだけど」
「末野のことか?」
賢二は壁に手をついて目線を宙に放っていたが、何かを決めたかのように宏太の瞳を見つめて
「俺やっぱり……」
と言いかけたところでドアが開き、賢二はそそくさと出て行ってしまった。
外の閑散とした雰囲気とは裏腹に、カラオケ王子はだいぶ盛況のようで、受付の隣に置かれた丸椅子には、すでに先客だと思われる団体が座っていた。
宏太は受付の女にチラシを見せ、開店キャンペーンで来たのだが、今のところだと何分待ちになるのかと聞いた。
「次ですと、三時四十分ごろになります」